4月26日に水戸市を訪ね、イオンモールの水戸内原ショッピングセンターと水戸市商店会連合会、水戸市で視察を行いました。その時の内容をブログで簡単に紹介しようと、まとめていましたが、結局、簡単なまとめなどではなく、本格的なまとめ作業となってしまったこと、また、いろんなところで作業するものですから、データの入ったメモリスティックを置き忘れて作業が中断したりの連続で、時間がかかりましたが、何とか内容がまとまりました。量的には7,762字というもので、ブログにふさわしい分量とは言い切れませんが、時間があれば、お読みください。
事業主のヤル気をうばう巨大資本の進出――イオンモール進出事例を水戸市で視察
いわき市は株式会社イオンモールと、「小名浜港背後地(都市センターゾーン)開発事業協力者に関するパートナー基本協定」を結びました。この協定は、小名浜港背後地の開発計画作りにイオンモールが協力するという内容のもので、計画が出来上がった後の開発事業者がイオンモールに決まったというものではありません。イオンモールの担当者も、「正式に出店が決まったわけではなく、双方が知恵を出しあって、良い物が出来上がれば、出店したい。しかし、出店のためには用地などの条件があって、その問題を解決しなければならない」(視察時の回答)という趣旨で話します。市の担当者も同様です。しかし、計画作りの段階から参加し、開発計画の内容を熟知するばかりでなく、計画づくりの段階で、計画に盛り込まれる事業が実施できるかどうかを判断することになるイオンモールが、最有力の開発事業者になっていくのは、自然の流れです。おまけに、「10年前から背後地の問題で市からヒヤリングを受けていた」(同)というのですから、イオンモールも満を持して、開発事業協力者に名乗りを上げたということでしょう。
仮にイオンモールが提案してきたショッピングセンター構想を下地に、小名浜港背後地の開発計画作りがすすむと、市内の1,000㎡以上の売り場面積が合計で約275,000㎡に対し1施設で35,000㎡の売り場面積を持つ、超人クラスの小売施設が誕生することになり、市内商業に与える影響ははかり知れません。水戸市には、イオンモール水戸内原ショッピングセンター(以下水戸内原SC)が営業しています。この水戸内原SCが商店街にどのような影響を与えたのか、日本共産党水戸市議団のお世話になり、4月26日、いわき選出の日本共産党県議と一緒に視察してきました。視察先は水戸内原SC、水戸市商店会連合会、水戸市の3ケ所です。
水戸内原SCが立地するのは、常磐自動車道水戸インターチェンジから車で3分、JR常磐線「内原駅」から徒歩10分、水戸市と群馬県前橋市を結ぶ国道50号線バイパスに面した交通の要衝地です。水戸駅からも車で20分から30分程度。水戸市中心部からも気軽に出かける事ができる距離であり、広範な地域からの集客にも、絶好の立地状況です。
説明にはイオンモール株式会社開発本部東日本開発部の担当部長と水戸内原SCのオペレーションマネージャーがあたりました。ただし市議団は冒頭の説明を聞くことができませんでした。説明は午前11時からでした。県議らは時間通りに到着していたのに対し、市議団が乗った列車は常磐線日立付近で人身事故が発生した影響で運行が遅れ遅刻、予定通りにイオンモールの説明を開始してもらったためです。
冒頭の説明では、旧内原町(合併したため現在は水戸市)からの打診があり出店を検討し、最も苦労したのは土地区画整理の対象地が農業振興地域であったため、その区域の解除等に8年間を費やしたことだったという説明からはじめ、水戸内原SCの概要を説明しました。
水戸内原SCは、商圏を約14万世帯41万人(自動車で30分圏内)で想定し、2005年11月にオープンしました。総事業費は160億円。敷地面積125,992㎡に、延べ床面積151,688㎡の鉄骨造り地上5階建て(一部塔屋)、4,000台を収容する駐車場を備えた広大な施設です。商業施設の面積は71,710㎡で、イオン(旧ジャスコ)を核店舗に、180の専門店、レストラン、診療所(整形外科、眼科、小児科、歯科、整体)、薬局、理美容店、保育所に加え、郵便局、シネマ・コンプレックスを備えた陣容。施設内を歩いてみると、文字通り一つの町が丸ごと入っているという印象でした。開業から6年を過ぎ、新たな魅力の構築に向け増床するために、地元説明会を開始しています。
さて、こちらの関心のひとつは、イオンモールが進出する際に、地元の商業者を3割入れると言っていることの実現性です。
この地元3割は、小名浜に限らず、どこでも掲げる目標のようで、水戸内原SCでも同様でした。現実の出店は2割程度だとモール側は説明します。しかし、同行した日本共産党水戸市議団の実感では、レストランが1店、理容店2店など片手で数える範囲でしか分からないといいます。この数の把握の違いは何か。イオンモールの後に話を聞いた商店会連合会の副会長は、「地元のとらえ方が違うのではないか」と話していましたが、この点の確認はできていません。
出店を希望する事業者もあるようです。しかし実現できないケースもあります。その理由は、①営業時間が午前10時から午後10時と長いため、家族経営のような小規模な個店は業務がきつく出店しにくいこと、②賃貸等で出店するため費用面での折り合いがつかない、などとなっています。
費用負担はどれだけあるのか聞きました。テナントの賃料(歩合制で10%を基本に、テナントの状況に応じて話し合いで決定)の他、端末料(イオン専用のレジ)、消火器、共益費を継続的に負担することになり、ヘルメットを購入してもらうといいます。説明では不明な点もありますが、2011年5月号の雑誌「選択」には、次のような記事が掲載されました。
(イオン泉南ショッピングセンター出店の)募集要項を見て驚くのは、テナント側の負担が異常に大きいことだ。まずは地代だ。地元市会議員が呆れながら話す。
「もともと埋立地で企業が集まらず、イオンは大阪府から坪500円で借りている。それを物販テナントに坪1万5,000円で貸している」
さらに月に坪当たり1,000円の「営業補償費」や、売上の1.2%が徴収される「販売促進費」などがある(ただし、金額は物販やサービス、飲食など業態により異なる)。加えて、レジスターはイオン指定機種を使用することが決められており、売上金はイオン指定の金融機関で一括して預かり、共益費(坪当たり8,900円)などを差し引いた上、各テナントへ翌月か翌々月に振り込まれる。また、駐車場負担金が坪当たり2,500円、出店者協議会費7,000円(1ヶ月)、ロッカー使用料一扉1,000円(同)など、あらゆる名目でテナントから金を巻き上げる仕組みになっている。
そして驚くことにテナントの負担金はこれだけではない。(中略)出店の際には「初期費用」が別にかかる。当初、イオンへの出店を検討していた別の飲食業者が話す。
「オープンの販促費だけで50万円にプラス坪当たり1,000円や。これだけでもうあかん」
この上、共用スペースの内装費が坪5万円、現場管理費が坪11,500円、内装管理費が一区画20万円と坪当たり3,300円。さらには「レジスター工事費」や「消化器設置費用」「電話施設料金」など、テナントの負担は積み重なる。この飲食業者は憤る。
「内装費や駐車場料金は、分からんでもない。でも、なんで消化器に7,500円もかかって、一般駐車場代の他に従業員駐車場代も取られるんだ。さらに電話1台5万5,000円や。営業補償費とか、協議会費もわけわからん」
視察時の説明では、イオンモールの契約内容はSCごとに異なると説明していました。内原店はこの記事の内容と同じかどうかは分かりません。仮に小名浜にイオンモールがSCを設置することになった場合、どうなるかも分かりません。しかし、先に紹介した商店会連合会副会長は、テナントとして入ることについて「地元は手を挙げない。ついていけないだろう。一般に固定家賃に変動家賃、共益費などが発生することを考えると、資力、気力、財力、商品、人材に優れていないと難しい」と話しました。
以上のことから考えると、この計画が地元の事業者にプラスになるようにするには、少なくとも地元テナント(地元と判断する基準も明確にする必要もあります)を目標通り3割、永続的に入れさせることが必要になります。そのためには、地元枠を固定的に確保したり、地元テナントが出店できるようにする特別の優遇策をとらせることが、必要になるでしょう。この点が、巨大SC進出を考える際の一つのポイントになるように思います。
二つ目に、営業の長期継続の問題です。
水戸内原SCの建設場所は、内原町から引き継いで水戸市が土地区画整理事業をすすめている用地です。水戸市役所内原支所都市整備課の説明によれば、合併前、旧内原町の時代、1993年12月に事業の調査に着手、1998年に内原駅北地区まちづくり研究会の提言を受けて、2000年9月に都市計画決定。必要な手続きを経て事業がすすみ、2005年2月に水戸市と内原町が合併し、同年11月に事業計画地東側の用地にイオンモール水戸内原SCがオープンしました。
敷地は購入した用地と借地。区画整理事業による保留地はイオンモールが購入したものの、換地により個人等の地権者が所有する分については借地となっています。日本共産党の水戸市議によると、当初、イオン側は購入するつもりだったものの、地権者側の意向があって借地になったと聞いているということでした。いずれにせよ借地となれば、イオンモール側を物理的に縛りつける要因が少なくなることから、事業の進退を判断がしやすくなります。
イオンモールは、「出店後、30年は営業することが目標」と話していました。水戸内原SCで増床を計画しているのも、「6年が経って、客のニーズの変化しており、30年、40年営業を続けるためにショッピングセンターにも変化が必要」と、長期営業への努力のためであることを強調していました。しかし、本市のエブリアでおこったことを思い起こしたい。エブリアの中核店だったダイエーが、営業は黒字だったにもかかわらず、水戸店の閉店にともない撤退した苦い経験があります。この時は、水戸店、いわき店と連続して伸びることで抑えられていた物流コストが、いわき店だけになることで、割高になってしまうための撤退だったと記憶しています。大型店は、地域や住民のニーズよりも、自身のニーズによって事業の進退を決めることがあるということです。こうしたことを繰り返さない、長期営業の継続にとって必要な、最良の出店方法を求める必要があるでしょう。
三つ目に、巨大SCが出来た場合の周辺への影響です。
水戸と旧内原町が合併する前、イオンモール出店が持ち上がりました。水戸市の商店街連合会はこれに反対し、運動を展開したそうですが、いかんせん隣の町の計画。15,000程の反対署名を集めたものの、「隣町のこと」と実を結ばず、「商店街も放心状態の中、イオンができた」といいます。
一方、希望もありました。京成百貨店が中心市街地に移転し、ほぼ同じ頃に完成しました。これを見て「商店街も大丈夫かな」という思いもあったものの、イオンモール出店は、「じわりじわり影響した」といいます。
一つの例は、若い世代が開いた商店が、崩壊してきたことでした。
人出が良くない場所でも、低廉な店賃に魅力を感じて中心商店街に出店した若い世代があったそうです。インターネット販売なども手がけるので、条件が良くない場所でも構わなかったのだそうですが、これが一昨年前位から崩壊し、半分強が「売れなくなった」と店仕舞してしまったといいます。震災の影響もあると思われますが、ファミリー層をターゲットにするイオンモールとの競合が考えられるようです。
また、「通行量が歴然と減少してきた」ともいいます。しかし、これがSCの進出に伴うものと直接裏付けるデータは乏しいと言わざるをえません。
用意された資料には、水戸市中心街での日曜日の歩行者通行量の調査結果がありました。2003年を100とした比較で06年度は89%となり、その後、基本的に減少を続け11年には65%まで減少をしています。05年が水戸内原SCのオープンですので、この原因にイオンモールの影響を見てとりたいところですが、副会長は「それは難しい」と話します。
副会長は、周辺の市町村の中心市街地で、年1回程度ヒヤリングをしていると言います。その際、40代後半以下の世代は、街中で買い物をしたことがないと答えるケースが多いといいます。その理由を、「買い物をするところがない」と率直に答えたといいます。人出が減る一番の問題は、消費者が商店会に魅力が感じられていない点にあります。魅力の創出がすすまない原因にこそ、大型店出店の影響があると見ています。副会長は、大型店の出店の最大の問題は「商店街のやる気が失せてくる」ことにあると話します。「やる気が失せた」一つの例として、近年、本来であれば小売店の掻き入れ時である年末から正月にかけて、店を閉める商店まで出てきていることを紹介しました。
また、京成百貨店の中心市街地への移転も、必ずしも、商店街にプラスにはなりませんでした。ある時、同百貨店の関係者が、「すまないね。車でうちにきて車で帰っちゃうんだよな」と話しかけてきたそうです。回遊が発生していないのです。ここにも「やる気が失せた」という大型店出店の負の影響を見てとることができます。
巨大な組織を持つ巨大資本と家族中心で経営する弱小個人資本のたたかいでは、最初から勝負が見えている。巨大資本なら24時間闘うことが出来るかもしれないが、そんな資本に個人資本では対抗できない――副会長の言葉には、そういう悔しさがにじんでいるように感じました。
小名浜港背後地を大型SCとして開発する計画の背後に、いわき市の小売商業吸引力(人口あたり商品販売額の対全国比)が1を下回る0.932(2007年)となっており、市外に買い物客が流出しているため、これを食い止め市内に呼び戻したいという考えがあります。
これに対し水戸商店会連合会副会長は、群馬県太田市の例を紹介しました。
同市でイオンモール太田がオープンしたのは水戸内原SCに先立つ2003年12月でした。同市にあった寝具工場が閉鎖したことから、市長の肝いりでイオンモールが進出したそうです。市長は〝年間小売額が上がり、市外から客を呼んでいる。市外に買い物に行っていた分散型から、吸収型になった〟と胸をはったそうです。しかし、一方で総合小売業のユニーの店舗が閉鎖し、個人商店も店じまいが続いたといいます。結局、イオンは栄えたものの、その他にはかなり大きなマイナスの影響があったということです。
本市のSCの進出にともなう雇用が2,000人生まれると期待する声もあります。
このことに関しても副会長は、一方では旧来の個人経営の小売店などの倒産・閉鎖が想定されると話します。また、水戸市の繁華街とされる南町の商店などでは妻がパートに出ているといいます。商売の売り上げだけでは、生活を維持することが困難になっているあらわれと見ることができます。大型店で雇用が生まれても、既存小売業で失業が生まれては、何にもなりません。
また、既存のスーパー等には影響が小さいと見る見方に関しては、絶対数の問題があると話します。問題は、大型SCが進出をして買い物客の底上げがされるのか、底下げがされるのかにあると話します。副会長は、現状は限界集落ならぬ「限界商店街」になっているといいます。買い物客が減った中心商店街には、商売をたたんだ跡地にできる駐車場が年々拡大している状況だと説明します。中心商店街にあったユニーの閉店は客が減って、経営を維持する限界以下になったことが原因でした。後日、「あれば何でも買い物できて便利だったのに、閉店して残念ね」という客の声が聞こえてきたといいます。お店を支えるだけの客が集まらなくなった時に残ったお客さんが商品を買い支えてくれればいいのですが、実際にはそうならない事例だといいます。
大型SCの出店は、ただちに市内の小売業等に影響を与えることがなくても、地元の小売業者をじわじわと弱らせていくものだということが、視察の中から見えてきます。これまでの大型店の立地などで、商店街や小売はすでに打撃を受けており、これに続く大型SCの進出は立て直しをいっそう容易ならざるものとしていくことは明らかです。
同時に、これまでいわき市がすすめてきたまちづくりとの整合性の問題も出てきます。水戸市でユニーが中心商店街に進出したのは、買い物客を誘引・回遊させ商店街に活気をとりもどすことが目的の一つだったと思われます。本市でも中心商店街に立地したイトーヨーカドーやサティー(現イオン)などは、同様のねらいをこめた進出であったことは間違いなく、また、平一丁目再開発事業やいわき駅前再開発事業も、中心商店街に回遊性とにぎわいづくりをねらって実施をされ、そのために莫大な財源が投じられてきました。別の地にあらたに大型SCを誘致することになるならば、買い物客をはじめとした市民の行動に大きな変動をもたらす可能性があります。このことによって、平をはじめとした本市中心部への市民の流れが減少すれば、当然、これまで投資した財源をドブに捨てるようなことになりかねません。
一方、消費者には大型SCの出店に歓迎の声もあるのは事実です。これまで市内では望めなかった買い物が、市内でできるようになるかもしれないのですから、当然の声ともいえましょう。
小名浜港背後地への大型SCの進出は、本市まちづくりにとって重要な問題です。今回、イオンモールが開発事業協力者に決まったことが報道されると、市内各界から「そんな動きがあることは、全く知らなかった。新聞報道で初めて知った」と驚きと不安の声が上がりました。現状では本市の小売店をはじめとした事業者と消費者の間には、そのまちづくりをめぐって意見の相違があります。その時に大切なのは、「本市復興のシンボル事業」という錦の御旗を振りかざして開発計画づくりを遮二無二にすすめることではないはずです。
市は、経済界の声を、いわき商工会議所や観光まちづくりビューローを窓口に広く聞きながら、計画づくりをすすめたいと市議会で答弁してきましたが、その取り組みは緒についたばかりです。他地域の事例にも学びながら、震災と原発事故からの復興という観点から見たまちづくりにとって、小名浜港背後地の開発計画はどのようにあるべきかを市民的に議論をすすめ、市民の大多数が納得できる内容とするよう、あらためて求めていきたいと思います。
事業主のヤル気をうばう巨大資本の進出――イオンモール進出事例を水戸市で視察
いわき市は株式会社イオンモールと、「小名浜港背後地(都市センターゾーン)開発事業協力者に関するパートナー基本協定」を結びました。この協定は、小名浜港背後地の開発計画作りにイオンモールが協力するという内容のもので、計画が出来上がった後の開発事業者がイオンモールに決まったというものではありません。イオンモールの担当者も、「正式に出店が決まったわけではなく、双方が知恵を出しあって、良い物が出来上がれば、出店したい。しかし、出店のためには用地などの条件があって、その問題を解決しなければならない」(視察時の回答)という趣旨で話します。市の担当者も同様です。しかし、計画作りの段階から参加し、開発計画の内容を熟知するばかりでなく、計画づくりの段階で、計画に盛り込まれる事業が実施できるかどうかを判断することになるイオンモールが、最有力の開発事業者になっていくのは、自然の流れです。おまけに、「10年前から背後地の問題で市からヒヤリングを受けていた」(同)というのですから、イオンモールも満を持して、開発事業協力者に名乗りを上げたということでしょう。
仮にイオンモールが提案してきたショッピングセンター構想を下地に、小名浜港背後地の開発計画作りがすすむと、市内の1,000㎡以上の売り場面積が合計で約275,000㎡に対し1施設で35,000㎡の売り場面積を持つ、超人クラスの小売施設が誕生することになり、市内商業に与える影響ははかり知れません。水戸市には、イオンモール水戸内原ショッピングセンター(以下水戸内原SC)が営業しています。この水戸内原SCが商店街にどのような影響を与えたのか、日本共産党水戸市議団のお世話になり、4月26日、いわき選出の日本共産党県議と一緒に視察してきました。視察先は水戸内原SC、水戸市商店会連合会、水戸市の3ケ所です。
水戸内原SCが立地するのは、常磐自動車道水戸インターチェンジから車で3分、JR常磐線「内原駅」から徒歩10分、水戸市と群馬県前橋市を結ぶ国道50号線バイパスに面した交通の要衝地です。水戸駅からも車で20分から30分程度。水戸市中心部からも気軽に出かける事ができる距離であり、広範な地域からの集客にも、絶好の立地状況です。
説明にはイオンモール株式会社開発本部東日本開発部の担当部長と水戸内原SCのオペレーションマネージャーがあたりました。ただし市議団は冒頭の説明を聞くことができませんでした。説明は午前11時からでした。県議らは時間通りに到着していたのに対し、市議団が乗った列車は常磐線日立付近で人身事故が発生した影響で運行が遅れ遅刻、予定通りにイオンモールの説明を開始してもらったためです。
冒頭の説明では、旧内原町(合併したため現在は水戸市)からの打診があり出店を検討し、最も苦労したのは土地区画整理の対象地が農業振興地域であったため、その区域の解除等に8年間を費やしたことだったという説明からはじめ、水戸内原SCの概要を説明しました。
水戸内原SCは、商圏を約14万世帯41万人(自動車で30分圏内)で想定し、2005年11月にオープンしました。総事業費は160億円。敷地面積125,992㎡に、延べ床面積151,688㎡の鉄骨造り地上5階建て(一部塔屋)、4,000台を収容する駐車場を備えた広大な施設です。商業施設の面積は71,710㎡で、イオン(旧ジャスコ)を核店舗に、180の専門店、レストラン、診療所(整形外科、眼科、小児科、歯科、整体)、薬局、理美容店、保育所に加え、郵便局、シネマ・コンプレックスを備えた陣容。施設内を歩いてみると、文字通り一つの町が丸ごと入っているという印象でした。開業から6年を過ぎ、新たな魅力の構築に向け増床するために、地元説明会を開始しています。
さて、こちらの関心のひとつは、イオンモールが進出する際に、地元の商業者を3割入れると言っていることの実現性です。
この地元3割は、小名浜に限らず、どこでも掲げる目標のようで、水戸内原SCでも同様でした。現実の出店は2割程度だとモール側は説明します。しかし、同行した日本共産党水戸市議団の実感では、レストランが1店、理容店2店など片手で数える範囲でしか分からないといいます。この数の把握の違いは何か。イオンモールの後に話を聞いた商店会連合会の副会長は、「地元のとらえ方が違うのではないか」と話していましたが、この点の確認はできていません。
出店を希望する事業者もあるようです。しかし実現できないケースもあります。その理由は、①営業時間が午前10時から午後10時と長いため、家族経営のような小規模な個店は業務がきつく出店しにくいこと、②賃貸等で出店するため費用面での折り合いがつかない、などとなっています。
費用負担はどれだけあるのか聞きました。テナントの賃料(歩合制で10%を基本に、テナントの状況に応じて話し合いで決定)の他、端末料(イオン専用のレジ)、消火器、共益費を継続的に負担することになり、ヘルメットを購入してもらうといいます。説明では不明な点もありますが、2011年5月号の雑誌「選択」には、次のような記事が掲載されました。
(以下引用)
(イオン泉南ショッピングセンター出店の)募集要項を見て驚くのは、テナント側の負担が異常に大きいことだ。まずは地代だ。地元市会議員が呆れながら話す。
「もともと埋立地で企業が集まらず、イオンは大阪府から坪500円で借りている。それを物販テナントに坪1万5,000円で貸している」
さらに月に坪当たり1,000円の「営業補償費」や、売上の1.2%が徴収される「販売促進費」などがある(ただし、金額は物販やサービス、飲食など業態により異なる)。加えて、レジスターはイオン指定機種を使用することが決められており、売上金はイオン指定の金融機関で一括して預かり、共益費(坪当たり8,900円)などを差し引いた上、各テナントへ翌月か翌々月に振り込まれる。また、駐車場負担金が坪当たり2,500円、出店者協議会費7,000円(1ヶ月)、ロッカー使用料一扉1,000円(同)など、あらゆる名目でテナントから金を巻き上げる仕組みになっている。
(中略)
そして驚くことにテナントの負担金はこれだけではない。(中略)出店の際には「初期費用」が別にかかる。当初、イオンへの出店を検討していた別の飲食業者が話す。
「オープンの販促費だけで50万円にプラス坪当たり1,000円や。これだけでもうあかん」
この上、共用スペースの内装費が坪5万円、現場管理費が坪11,500円、内装管理費が一区画20万円と坪当たり3,300円。さらには「レジスター工事費」や「消化器設置費用」「電話施設料金」など、テナントの負担は積み重なる。この飲食業者は憤る。
「内装費や駐車場料金は、分からんでもない。でも、なんで消化器に7,500円もかかって、一般駐車場代の他に従業員駐車場代も取られるんだ。さらに電話1台5万5,000円や。営業補償費とか、協議会費もわけわからん」
(引用終わり)
視察時の説明では、イオンモールの契約内容はSCごとに異なると説明していました。内原店はこの記事の内容と同じかどうかは分かりません。仮に小名浜にイオンモールがSCを設置することになった場合、どうなるかも分かりません。しかし、先に紹介した商店会連合会副会長は、テナントとして入ることについて「地元は手を挙げない。ついていけないだろう。一般に固定家賃に変動家賃、共益費などが発生することを考えると、資力、気力、財力、商品、人材に優れていないと難しい」と話しました。
以上のことから考えると、この計画が地元の事業者にプラスになるようにするには、少なくとも地元テナント(地元と判断する基準も明確にする必要もあります)を目標通り3割、永続的に入れさせることが必要になります。そのためには、地元枠を固定的に確保したり、地元テナントが出店できるようにする特別の優遇策をとらせることが、必要になるでしょう。この点が、巨大SC進出を考える際の一つのポイントになるように思います。
二つ目に、営業の長期継続の問題です。
水戸内原SCの建設場所は、内原町から引き継いで水戸市が土地区画整理事業をすすめている用地です。水戸市役所内原支所都市整備課の説明によれば、合併前、旧内原町の時代、1993年12月に事業の調査に着手、1998年に内原駅北地区まちづくり研究会の提言を受けて、2000年9月に都市計画決定。必要な手続きを経て事業がすすみ、2005年2月に水戸市と内原町が合併し、同年11月に事業計画地東側の用地にイオンモール水戸内原SCがオープンしました。
敷地は購入した用地と借地。区画整理事業による保留地はイオンモールが購入したものの、換地により個人等の地権者が所有する分については借地となっています。日本共産党の水戸市議によると、当初、イオン側は購入するつもりだったものの、地権者側の意向があって借地になったと聞いているということでした。いずれにせよ借地となれば、イオンモール側を物理的に縛りつける要因が少なくなることから、事業の進退を判断がしやすくなります。
イオンモールは、「出店後、30年は営業することが目標」と話していました。水戸内原SCで増床を計画しているのも、「6年が経って、客のニーズの変化しており、30年、40年営業を続けるためにショッピングセンターにも変化が必要」と、長期営業への努力のためであることを強調していました。しかし、本市のエブリアでおこったことを思い起こしたい。エブリアの中核店だったダイエーが、営業は黒字だったにもかかわらず、水戸店の閉店にともない撤退した苦い経験があります。この時は、水戸店、いわき店と連続して伸びることで抑えられていた物流コストが、いわき店だけになることで、割高になってしまうための撤退だったと記憶しています。大型店は、地域や住民のニーズよりも、自身のニーズによって事業の進退を決めることがあるということです。こうしたことを繰り返さない、長期営業の継続にとって必要な、最良の出店方法を求める必要があるでしょう。
三つ目に、巨大SCが出来た場合の周辺への影響です。
水戸と旧内原町が合併する前、イオンモール出店が持ち上がりました。水戸市の商店街連合会はこれに反対し、運動を展開したそうですが、いかんせん隣の町の計画。15,000程の反対署名を集めたものの、「隣町のこと」と実を結ばず、「商店街も放心状態の中、イオンができた」といいます。
一方、希望もありました。京成百貨店が中心市街地に移転し、ほぼ同じ頃に完成しました。これを見て「商店街も大丈夫かな」という思いもあったものの、イオンモール出店は、「じわりじわり影響した」といいます。
一つの例は、若い世代が開いた商店が、崩壊してきたことでした。
人出が良くない場所でも、低廉な店賃に魅力を感じて中心商店街に出店した若い世代があったそうです。インターネット販売なども手がけるので、条件が良くない場所でも構わなかったのだそうですが、これが一昨年前位から崩壊し、半分強が「売れなくなった」と店仕舞してしまったといいます。震災の影響もあると思われますが、ファミリー層をターゲットにするイオンモールとの競合が考えられるようです。
また、「通行量が歴然と減少してきた」ともいいます。しかし、これがSCの進出に伴うものと直接裏付けるデータは乏しいと言わざるをえません。
用意された資料には、水戸市中心街での日曜日の歩行者通行量の調査結果がありました。2003年を100とした比較で06年度は89%となり、その後、基本的に減少を続け11年には65%まで減少をしています。05年が水戸内原SCのオープンですので、この原因にイオンモールの影響を見てとりたいところですが、副会長は「それは難しい」と話します。
副会長は、周辺の市町村の中心市街地で、年1回程度ヒヤリングをしていると言います。その際、40代後半以下の世代は、街中で買い物をしたことがないと答えるケースが多いといいます。その理由を、「買い物をするところがない」と率直に答えたといいます。人出が減る一番の問題は、消費者が商店会に魅力が感じられていない点にあります。魅力の創出がすすまない原因にこそ、大型店出店の影響があると見ています。副会長は、大型店の出店の最大の問題は「商店街のやる気が失せてくる」ことにあると話します。「やる気が失せた」一つの例として、近年、本来であれば小売店の掻き入れ時である年末から正月にかけて、店を閉める商店まで出てきていることを紹介しました。
また、京成百貨店の中心市街地への移転も、必ずしも、商店街にプラスにはなりませんでした。ある時、同百貨店の関係者が、「すまないね。車でうちにきて車で帰っちゃうんだよな」と話しかけてきたそうです。回遊が発生していないのです。ここにも「やる気が失せた」という大型店出店の負の影響を見てとることができます。
巨大な組織を持つ巨大資本と家族中心で経営する弱小個人資本のたたかいでは、最初から勝負が見えている。巨大資本なら24時間闘うことが出来るかもしれないが、そんな資本に個人資本では対抗できない――副会長の言葉には、そういう悔しさがにじんでいるように感じました。
小名浜港背後地を大型SCとして開発する計画の背後に、いわき市の小売商業吸引力(人口あたり商品販売額の対全国比)が1を下回る0.932(2007年)となっており、市外に買い物客が流出しているため、これを食い止め市内に呼び戻したいという考えがあります。
これに対し水戸商店会連合会副会長は、群馬県太田市の例を紹介しました。
同市でイオンモール太田がオープンしたのは水戸内原SCに先立つ2003年12月でした。同市にあった寝具工場が閉鎖したことから、市長の肝いりでイオンモールが進出したそうです。市長は〝年間小売額が上がり、市外から客を呼んでいる。市外に買い物に行っていた分散型から、吸収型になった〟と胸をはったそうです。しかし、一方で総合小売業のユニーの店舗が閉鎖し、個人商店も店じまいが続いたといいます。結局、イオンは栄えたものの、その他にはかなり大きなマイナスの影響があったということです。
本市のSCの進出にともなう雇用が2,000人生まれると期待する声もあります。
このことに関しても副会長は、一方では旧来の個人経営の小売店などの倒産・閉鎖が想定されると話します。また、水戸市の繁華街とされる南町の商店などでは妻がパートに出ているといいます。商売の売り上げだけでは、生活を維持することが困難になっているあらわれと見ることができます。大型店で雇用が生まれても、既存小売業で失業が生まれては、何にもなりません。
また、既存のスーパー等には影響が小さいと見る見方に関しては、絶対数の問題があると話します。問題は、大型SCが進出をして買い物客の底上げがされるのか、底下げがされるのかにあると話します。副会長は、現状は限界集落ならぬ「限界商店街」になっているといいます。買い物客が減った中心商店街には、商売をたたんだ跡地にできる駐車場が年々拡大している状況だと説明します。中心商店街にあったユニーの閉店は客が減って、経営を維持する限界以下になったことが原因でした。後日、「あれば何でも買い物できて便利だったのに、閉店して残念ね」という客の声が聞こえてきたといいます。お店を支えるだけの客が集まらなくなった時に残ったお客さんが商品を買い支えてくれればいいのですが、実際にはそうならない事例だといいます。
大型SCの出店は、ただちに市内の小売業等に影響を与えることがなくても、地元の小売業者をじわじわと弱らせていくものだということが、視察の中から見えてきます。これまでの大型店の立地などで、商店街や小売はすでに打撃を受けており、これに続く大型SCの進出は立て直しをいっそう容易ならざるものとしていくことは明らかです。
同時に、これまでいわき市がすすめてきたまちづくりとの整合性の問題も出てきます。水戸市でユニーが中心商店街に進出したのは、買い物客を誘引・回遊させ商店街に活気をとりもどすことが目的の一つだったと思われます。本市でも中心商店街に立地したイトーヨーカドーやサティー(現イオン)などは、同様のねらいをこめた進出であったことは間違いなく、また、平一丁目再開発事業やいわき駅前再開発事業も、中心商店街に回遊性とにぎわいづくりをねらって実施をされ、そのために莫大な財源が投じられてきました。別の地にあらたに大型SCを誘致することになるならば、買い物客をはじめとした市民の行動に大きな変動をもたらす可能性があります。このことによって、平をはじめとした本市中心部への市民の流れが減少すれば、当然、これまで投資した財源をドブに捨てるようなことになりかねません。
一方、消費者には大型SCの出店に歓迎の声もあるのは事実です。これまで市内では望めなかった買い物が、市内でできるようになるかもしれないのですから、当然の声ともいえましょう。
小名浜港背後地への大型SCの進出は、本市まちづくりにとって重要な問題です。今回、イオンモールが開発事業協力者に決まったことが報道されると、市内各界から「そんな動きがあることは、全く知らなかった。新聞報道で初めて知った」と驚きと不安の声が上がりました。現状では本市の小売店をはじめとした事業者と消費者の間には、そのまちづくりをめぐって意見の相違があります。その時に大切なのは、「本市復興のシンボル事業」という錦の御旗を振りかざして開発計画づくりを遮二無二にすすめることではないはずです。
市は、経済界の声を、いわき商工会議所や観光まちづくりビューローを窓口に広く聞きながら、計画づくりをすすめたいと市議会で答弁してきましたが、その取り組みは緒についたばかりです。他地域の事例にも学びながら、震災と原発事故からの復興という観点から見たまちづくりにとって、小名浜港背後地の開発計画はどのようにあるべきかを市民的に議論をすすめ、市民の大多数が納得できる内容とするよう、あらためて求めていきたいと思います。
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