伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

きれいな水を守る。ドラマの言葉に納得と同時に使命感

2024年05月16日 | 憲法

 今、現在の「虎に翼」の時代背景は、戦前の時代、日中戦争から太平洋戦争に向かう時代だ。戦前の法体系のもと結婚した女性は「無能力者」とされていた時代に、女性の法律家への道が開かれていくが、その背景では日中戦争(1937年・昭和12年)が開戦し、太平洋戦争へと戦争が拡大していった。

 物語の場面には、「贅沢はできないはず」だったかのスローガンが入ったポスターが挿入されたり、鉄材供出の呼びかけや供出場面が挿入されるなど、拡大する戦争が庶民の生活に深く浸透し、不自由な社会になりつつある社会が映し出されている。

 そしてはっとさせられるのは、未婚の女性だからとなかなか弁護の依頼が成立しない中、虎子と同じ年に女性弁護士となった大学の先輩・久保田の初めての法廷で薄笑いを浮かべる判事がいるなど嫌な雰囲気が満ちた場面だった。

 法廷が終わり、初の法廷に立った久保田に群がる記者の1群から離れた記者・竹中が、虎子たちの前で吐き捨てた。

「あんたらもさすがに感じてんだろ? 世の中の流れに自分らが利用されてるって。男どもは徴兵されてどんどん戦争に行く。社会機能を維持していくためには、これから女性がさまざまな役割を担わなければならなくなる。挙国一致の総動員体制。お国のために輝かしく法廷デビューしたご婦人弁護士様。ハハハハハ」

 今ならば女性の社会進出は当たり前の感覚で見ているが、「無能力者」とされた女性がこの時代に社会進出していった背景に戦争の拡大という事情があったことを喝破した。

 女性も弁護士になることができるようになったのは、女性の社会進出という社会進歩の側面ではなく、戦時体制を整えるための当時の政府・社会にとっての苦渋の選択だったと気づかせた。

 竹中は、その以前、虎子の父など政財界の16人が捕まった共亜事件(帝都事件がモデルで全員無罪)が、当時の内閣の総辞職をねらった冤罪だということを、虎子たちに漏らしていた。

 戦争にひた走る当時の権力者たちに批判的視点を持っていた記者だが、国民がなだれを打つように戦争に協力していく社会に嫌気がさし、斜に構えて眺めていることが分かる。

 その彼の立ち位置を端的に表したのが、今でいう弁護士試験豪快の祝賀会での虎子の演説を、ただ一人記事にしたことに現れていた。

 祝賀会の席上、記者の発言に反発した虎子は堰を切ったように話し始めた。

「昔から私は、自信過剰、負けず嫌い、ひと言多いと言われてきましたが?

この場に私が立っているのは私が死ぬほど努力を重ねたから。でも、高等試験に合格しただけで自分が女性の中で一番なんて、口がさけても言えません。志半ばであきらめた友。そもそも学ぶことができなかった、その選択肢があることすら知らなかったご婦人方がいることを私は知っているのですから。

でも今、合格してからずっとモヤモヤとしていたものの答えが分かりました。私たち すごく怒っているんです。ですよね?(うなづく久保田たち)

法改正がなされても結局、女は不利なまま。女は弁護士にはなれても裁判官や検事にはなれない。男性と同じ試験を受けているのにですよ? 女ってだけで、できないことばっかり……。

 まあそもそもがおかしいんですよ。もともとの法律が私たちを虐げているのですから。生い立ちや、信念や、格好で切り捨てられたりしない。男か女かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います。いや、みんなでしませんか?

しましょうよ!

私はそんな社会で、何かの一番になりたい。そのためによき弁護士になるよう尽力します。困ってる方を救い続けます。男女関係なく!」

 この“演説”は恩師の穂高と桂場判事を除いて会場をしらけさせ、もちろん記事にする記者はいなかった。その中ただ1人竹中だけが記事にした。社会を変えなければならないという彼のうちに秘めた正義感を、虎子の言葉を借りて報道したのかな。

 そんな物語の中、憲法記念日の5月3日放送の第30話では、虎子の法律家論が語られた。

 その前段は、虎子の父も逮捕された共亜事件の被告の全員無罪に至る虎子たちの奮闘が描かれた。被告は政財界人16人、その中に父・直言も含まれていた。なかなか見つからない直言の弁護人には、虎子の恩師・穂高教授がついた。「君でなければできない事がある」という穂高の後押しで、虎子は検事側の証拠の矛盾を暴く証拠を集め、学友たちと無罪を求める署名活動を進めた。裁判の結果は全員無罪。その判決文は桂場判事が書いたものだった。

 お礼を言おうと待ち伏せた虎子に「裁判官として当然のことをしたまで」という桂場に、虎子は次のように話す。

「私は法律って守るための盾や毛布のようなものだと考えていて。私の仲間は戦う武器だと考えていて。今回の件でどれも違うなって……。法律は道具のように使うものじゃなくて、法律自体が守るものというか。例えるならばきれいなお水が湧き出ている場所というか」

 「私たちはきれいなお水に変な色を混ぜられたり。汚されたりしないように守らなきゃいけない、きれいなお水を正しい場所に導かなきゃいけない。その場合、法律改正をどうとらえるか微妙なところではりますが、今のところは、私の中では法律の定義が、それがしっくりくると言いますか・・」

 憲法記念日にこの言葉を語らせるとは、このドラマなかなか頑張っていると思う。今の憲法をめぐる状況に、あまりにも寄り添った言葉と感じるからだ。

 日本国憲法は、この時代に進められた戦争の反省の上に制定された。日本が中国、韓国や東南アジア諸国に侵略戦争を進め、アジアで2,000万人、国民に310万人が犠牲にったと言われている。

 こうした惨状を反省し、再び繰り返さないという反省のもとに「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(前文)し、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とともに、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」(弟9条)という憲法を策定した。

 憲法にはアメリカが押し付けたものだという批判があるが、こうした考え方は、日本の在野の憲法研究家らが積み上げた日本生まれの規定とする指摘がある他、1946年6月26日衆議院帝国憲法改正本会議で当時の吉田茂内閣総理大臣は次のように答弁している。

 「自衛権についてのおたずねであります。戦争放棄に関する本条の規定は、直接には自衛権を否定はしておりませぬが、第9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります。満州事変然り、大東亜戦争また然りであります。・・・ゆえにわが国においてはいかなる名義をもってしても高戦線県はまず第一自ら進んで放棄する。放棄することによって全世界の平和の確立の基礎をなす。全世界の平和愛好国の先頭に立って、世界の平和確立に貢献する決意をまずこの憲法において表明したいと思うのであります。」

 また28日には次のように答弁した。

 「戦争放棄に関する憲法草案の条項におきまして、国家正当防衛件による戦争は正当なり登勢らるるようであるが、私はかくのごときことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります。ゆえに正当防衛権を認ることが隅々戦争を誘発するゆえんであると思うのであります。」

 吉田首相が表明したこの憲法のそもそも論から考えた時に、現在の憲法をめぐる状況はどうなのだろうか。

 憲法は集団的自衛権を認めているという憲法解釈変更の安倍政権の閣議決定を受けて与党等の多数で制定された安保法制は、自衛隊の海外での活動の幅を広げるとともに、米軍との共同作戦を世界的規模で展開できるようにするなど、自衛隊の海外活動の幅を大きく広げた。

 さらに北朝鮮のミサイル発射実験が頻回とったり、ロシアがウクライナに侵略戦争を始めたことなどを受けて、敵基地攻撃能力を高めるとして国内から他国を攻撃できる巡航ミサイルトマホーク(射程1,600km)を配備したり、空母の整備と搭載機F35B(垂直離着陸)の装備やオスプレイの配備など、装備の面でも私の目からみれば海外での作戦を容易にする兵器の購入などを進めている。

 また、以前は武器輸出の禁止あるいは慎重対応を定め輸出の歯止めになってきた武器輸出三原則が、武器輸出を前提にして例外規定を設ける防衛装備移転三原則に変えた。

 最近の報道を見ていて思うのだが、この後、武器輸出に積極的な日本の姿勢が目立つように思う。武器の国際見本市への日本企業出展の報道を見るようになった。

また、日本、イギリス、イタリアで共同開発を進めている次期戦闘機の第三国への輸出容認が政府で決定された。

さらに、日本経済新聞は、カナダが計画する次期潜水艦の候補に日本のたいげい型潜水艦があがっており、実現のためには日本の政府と企業が一丸となることが必要という記事を掲載したようだ。政財報道一体で武器輸出拡大を図るかのようだ。

こうした事態の進展に、日本国憲法に盛り込まれた当初の理念が生きているのか。吉田茂元首相の発言から見れば、決して生きているとは言えないだろう。

 憲法記念日を前に、報道機関は憲法に関する世論調査を行った。それぞれのマスコミによる結果の前後の違いはあるが、総じて改憲に関する賛否の意見は拮抗しているようだ。

 このうちNHKのアンケートに注目したい。

 アンケートでは、改憲と憲法9条に絞った改憲について継続して問うている。

 その結果では、改憲については2020年以降改憲は31.6%から36.2%に増加している一方、必要がないは24.4%から18.7%に減少し、賛否の格差が拡大している。

 9条に関しても改憲が20年の26.2%から23年の31.5%となり、必要ないが37.4%から29.7%に減少している。

こらの結果の背景には、憲法を時代に即して見直すべきとした世論の一定の浸透とともに、北朝鮮の相次ぐミサイル発射とロシアのウクライナ侵攻や中国と一体となった日本近海での軍事演習、中国の尖閣諸島周辺の日本の主権を侵した活動などがあるものと思う。

 しかし、これらの結果は基本的に拮抗している。やはり現在の憲法の規定の歯止めが、行きすぎた憲法の解釈改憲に歯止めをかけている結果と思われる。

 「私たちはきれいなお水に変な色を混ぜられたり。汚されたりしないように守らなきゃいけない、きれいなお水を正しい場所に導かなきゃいけない」とした虎子の法律 観は、現在の憲法論議の中で、その歯止めとなっていることは間違いない。その法律感を発言としてドラマ化したことには、制作陣の良心を感じる。

 こうした法律観や憲法観がこれからも守られていくのか。それは現在を生きる私たちにかかっているのだろう。「きれいな水を守る」。この言葉を今の社会に活かすために、自らをりっしていきたいものだ。



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