伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

九条の会連絡会が講演会

2015年11月23日 | 憲法
 いわき九条の会連絡会が、22日、いわき市文化センターで秋の講演会を開きました。



 東京大学の米倉明名誉教授が、「議論の仕方から見た憲法9条論議」と題して講演しましたが、これが面白い視点もあって最後まで興味を失わせないお話。「(新)憲法制定を、天皇も喜んだ。ということは最初は押し付けでも、押し付けは解除されたということ。押し付け憲法だから改定すべきという主張はやめるべきで、制定以来69年も立ってほころびが見えるから変えるべきと主張するべきだ」などというのです。

 なるほどなぁー、と感心して聞いていました。

 「天皇が喜んでいる」というのはどういうことかというと、配布された資料の中にあった「上諭」という文書から説おこしたお話です。この文書は、新憲法の公布を天皇が宣言したものですが、全文はこのようになっています。

 上諭
 朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が定まるに至ったことを、深くよろこび、枢密顧問の咨詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。
 御名御璽


 日本国憲法が制定される前は、戦後であっても大日本帝国憲法下にあり、天皇が主権者でした。その天皇の言葉なので、上から目線で「上諭」、「上」から「諭す」となっているわけですね。

 その主権者天皇が、上諭に「深くよろこび」という表現を入れた。ここには3つの意味があるというのです。

 一つが、天皇も九条制定を喜んだということ。

 二つが、「深くよろこび」の表現はなくても十分に意味は通じるのに、あえて入れている。ここには天皇が本当に喜んだということがあらわれている。

 三つが、主権者の天皇が制定を喜んだということは、最初は押し付けだったのかもしれないが、喜んだ時点で「押し付け」が解除されたということだ。

 こう考えれば押し付け憲法だから変えなければならないという議論は、そもそもおかしいというのです。

 また、安保(戦争)法案が憲法違反でないと安倍政権が主張する根拠とした、砂川裁判の判決についても話が及び、「争点が違う判断で立証することは間違いだ」と断言しました。

 この判決は駐留米軍が日本国憲法九条二項に違反するかどうについて判断したもので、最高裁は駐留軍は戦力に当たらないとする判断を示したものでした。ここでは、安保法案の前提となった集団的自衛権の是非について判断がされていないので、そもそも安保法案の合憲性を証明するものとはなりえないのです。

 安保法案の合憲論者は「仮想敵国が攻めてくるとあおっている」と批判し、そもそも若者が減り、食料自給率も低く、石油もなく、自然災害が多発し、財政も破綻寸前のような国で戦いを続けることは可能なのかと疑問を呈したり、

 国という言葉には政権を指す場合と国民(民族って言ったのかな?)を指す場合があり、太平洋戦争がそうだったように、たとえ戦争に敗れて政権が代わっても国民が残れば良い、とナショナリズムをあおって戦争準備をすすめている安保法制合憲論者を批判したり、

 また尖閣諸島の領有の問題でも「領土問題は存在しない」などと言わずに、両国の専門家で検証したり、国際裁判所に訴えるなどすることが大切なのにそうしない政権の対応を批判したり、

改憲論をめぐる論点に独自の視点から批判を加えていくことが小気味良く、痛快な講演を聞けてお得な時間を過ごした感じです。

 安保法案を強行した安倍政権に対する批判の声は続いており、12月6日に東京で集会が開かれるなど、安倍政を権許さない運動が続いています。あらためてしっかり学んで、安保法制廃止と改憲を許さない世論をいっそう大きなものにしなければならないと思います。 


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