6月20日に開催される「副島隆彦講演会」で、氏が芸能界のゴシップなども話すそうです。
何故藤原紀香なのかと不思議に思っていましたが、日本は中国並みに言論統制された社会であるため、芸能界のゴシップさえも統制されていて、民間では知ることもできないということのようです。
今まで日本が中国並みに言論統制されているなどどは、全く考えてみたこともありませんでしたから、この指摘にはびっくりです。中国は共産党が言論統制をしている非民主的な国家で、日本は言論の自由が保証されている民主的なよい国だと考えていましたが、まさか中国並みとは驚きです。副島氏には、いつもびっくりさせられます。
<記事転載>
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私は、「どぎつく社会の裏側を語る」と宣言しました。約束した以上はちゃんとやります。徹底的に話します。この国で隠されていて、訳(わけ)知りの人々(業界人や情報人間)が、ひそひそと話しているだけのことをどんどん、私の知る限り、遠慮しないで、話します。
私は、そこらの低級国民の間に広まるべき、ゴシップなどの簡単な真実さえが、ほとんど世の中に知れ渡らないことを、不愉快に思っています。日本は情報が統制されているくにです。「日本は自由主義国家で、何でも報道される」というには、大ウソだ。日本は、中国と丁度同じぐらいの情報統制国家です。中国のことを、馬鹿にして見下げていると、もうずぐおいぬかれるでしょう。
ですから、私が、まず何をしゃべりたいことは、藤原紀香という女優がいて、この女性が4月でしたか、騒がれて離婚すると言い出した。陣内何とかという漫才師の男と2年前結婚した。私がちょうど、インドに調査に行っていたときに、タージ・マハルが見えるこちら側のお城の入り口あたりで女優の藤原紀香(ふじわらのりか)が、新婚衣裳の赤いサリーを着て通るのを見かけた。
・「藤原紀香、インドへ」(放送日:2007年4月14日、BSジャパン。再放送は2008年1月1日)
周りにいた日本人観光客の中から、「あっ、藤原紀香だ」と誰かが言ったら、藤原紀香の周りにいた、テレビ局の威張った変な連中が、「カメラで写さないでください」と言って彼女を隠しました。日本人は、世界中のどこにでも観光旅行で出ています。
日本の若い女性たちの間では、陣内君が浮気するから藤原紀香がかわいそう。ということになりました。藤原紀香がいい人で、男の方が悪いということになっている。これが日本のほとんどの女の子たちの反応です。ところが大して知恵のない若い男たちを含めて、男はみんな黙りこくりました。
若い男たちはすべて、最初から大きな格の違う紀香と陣内が結婚するなんてこと自体が、あり得ないことだとわかるからです。ただ、この若い男たちでも簡単な真実がわからない。私はこの講演会で真実をいろいろとぶちまけてやる。
日本の最大の組織暴力団 がどのように、ゴシップ週刊誌さえにも、本当のことを書かせないぐらいに脅威であろうが、私は構わない、私は、紀香の離婚の裏側の真実を話します。陣内のお父さんが『週刊文春』で、「真実はそのうちわかる」と発言して黙った。
それ以上は、どこの週刊誌も本当のことを書かない。週刊誌や、あるいは芸能界やスポーツ系の、一番ゴシップやスキャンダル情報を流したがる人たちであっても、たった一つのわかりやすい真実を語らない。私はそれが不愉快である。
ここから始まって、美空ひばりのことや、それから今もまだシャープやJRの宣伝で一生懸命登場している、国民的な女優で、中年以降の女性たちから見たらすばらしく女優である吉永小百合(よしながさゆり)さんの大きな歴史的な流れでのこと等も真実として全部話す。話さなければ気が済まない。
私は、この連休に、体調不良のままで、『マリア・カラス 最後の恋』(原題:CALLAS E ONASSIS、2005年、イタリア、117分、監督:ジョルジオ・カピターニ、出演:ルイーザ・ラニエリ)というDVDを見ました。これは2005年の映画(言葉はすべてイタリア語)です、私はどうしても見たかった映画だけど、見る機会がないままに今までなっていた。
・『マリア・カラス 最後の恋』
この中に、マリア・カラスという、今世紀最大の歌姫(ディーヴァ)で、アリストテレス・オナシスという“海運王”と呼ばれた、1950年代、60年代に世界最大の船持ちであり、海運業界の大親分だった男が出てくる。 マリア・カラスという今もアメリカ、ヨーロッパ世界最大のソプラノのオペラ歌手で、素晴らしいアリアをたくさん歌った女性だ。
「王女メディア」とか「トスカ」とか「椿姫 ( つばきひめ。誰がこんな呼び名にしたのか。本当は、 ラ・トラヴィアータ で、「道を踏み外した女」という意味だ) 、「カルメン」(やはり最高のオペラだ)、「蝶々夫人(マダム・バタフライ)」などなど、五つのアリアを歌うシーンがこの映画の中に出てきて、イタリアの女優を使った映画であるが大変すばらしかった。
私は、ドイツに渡っていった、ヴァークーナーの民族叙事詩のオペラは、ドイツ・ナチズムに繋(つな)がった弱点を抱えていると考える。やはり、オペラはイタリアで、すべては、男女のドロドロの三角関係の話だ。これ以外にはない。
私は、この映画を見て、それから、つい最近まで東京・渋谷の「ユーロ・スペース」でやっていた、『マリア・カラスの真実』(原題:CALLAS ASSOLUTA、2007年、フランス、98分、監督:フィリップ・コーリー、出演:マリア・カラス(アーカイヴ映像))というドキュメンタリー・フィルムを集成した映画も見た。 アリストテレス・オナシスという男が、1950年代から60年代にかけて世界最大の金持ちだったのではないか。
今のビル・ゲイツが世界最大の金持ちになっているのと同じだろう。オナシスの背後に大きな世界史規模の秘密がある。 オナシスは、だから、ロックフェラー家と、やがてぶつかるようになって、潰(つぶ)されたのだろう。
このアリストテレス・オナシスがクリスティーナ・オナシス号で、すでに引退してたチャーチル夫妻までを乗せてクルージングというのをやっていた。やがてヨーロッパのすべての金持ちや貴族たちが同じことをまねするようになったのだ。それから、私たち観光客までが、ギリシアに行けば観光用のクルーザーに乗るようになった。
この背景には、1956年のスエズ動乱で、大英帝国がエジプト(その奥にサウジアラビア)がある) の植民地支配を失い、決定的な没落をはじめた。 スエズ運河を握った青年将校団のナセルと、それを応援したソビエトの力があった。そしてこの紛争を仲介したアメリカ(ロックフェラー石油財閥)の覇権が、ついにことき地中海でも成立した。
サウジアラビアの石油をジェッダやアカバの港から、スエズ運河を通って運んでいたのだが、そのときエジプト大公(国王待遇)のカレミ殿下という人物が出てくる。
これらの話から、50年代、60年代、そしてマリア・カラスが死んだ1977年、その2年前にアリストテレス・オナシスが死んでいる。このあたりのヨーロッパの王侯貴族たちの没落と、アメリカ、ロックフェラー帝国との戦いや、内部の妥協の話を私はしなければいけない。
だから、日本人の音楽好きやオペラ好きの人たちほど、私は音楽やオペラの知識もうんちくもないけれども、大きな流れとしての、人間の芸術や文化や教養というものの話をしながら、それがやはり大きく政治権力とつながるのだという話をしたい。
ヨーロッパ・アメリカ世界ではマリア・カラスだが、日本でいえば、時代からいってもディーバ(歌の女神)として登場してきた美空ひばりとそっくりである。 日本国内水準では美空ひばりである。
ひばり を死ぬほど愛した最高暴力団の親分がいた。その組織暴力団が、アメリカによって育てられ、だからこそ全国制覇を許されたのであり、日本の裏社会を支配するということが、そのまま日本の政治権力のあり方と重なるのである。
警察が暴力団を押さえつけているように見えながら、さらにその警察の上に、国家公安委員会があって、そこが、顔ぶれからして、暴力団とつながっているという仕組みの恐ろしさを、日本国民は、そろそろ知った方がいい。 この構造は、もっと大きな規模となって、ヨーロッパ、アメリカ世界にもある。
地中海世界(メディタレーニアン)は、南仏のプロヴァンス地方(アルル地方)と、コートダジュールと呼ばれる超高級の、1泊10万円みたいなホテルが並んでいる地区がある。モナコ公国(モンテカルロはその一部)や、ニースやカンヌ、これらの地区に19世紀末から世界じゅうの大金持ちたちが別荘をつくった。
それは1880年代、90年代、そして1914年に、第1次世界対戦が勃発するまでである。その時に世界経済のバブルが、頂点を作っていた。 19世紀末から20世紀の初めまでの、この時期にヨーロッパのすべての大金持ちや貴族たちが、超豪華な別荘群をこの南仏に作ったのである。今の、バブル経済とその破裂(ニューヨーク発の世界恐慌)と全く、同じことが、当時、起きたのである。
この地域に、豪華な別荘を一番最初に建てたのは、大英帝国の力を背景にしたイギリス人たちである。彼らが、ナポレオン戦争に勝ってそのあと、地中海を支配した。これが南仏の華麗な文化を生み、かつ、パリから南にまっすぐ下って、マルセイユ(プロヴァンス地方の中心都市)まで、TGV(テ・ジェ・ヴェ)が真っすぐ来ている。
それが一つ手前のエクス・アン・プロヴァンスという町の駅から、東に向かってモナコのほうに走っている。
プロヴァンス地方(南仏)に、西暦40年に、渡ってきた、イエス・キリストの遺児サラ と、その母親、マグダラのマリア (彼女が、本当の聖母マリアだ) たちの話も私はしたい。それが、小説・映画「ダヴィンチコード」に描かれた聖杯伝説(ホーリー・グレイル)の真実だ。
世界最高の政治権力は、世界最高の暴力装置、汚い裏の暴力団(マフィア)の力を背景にする。それと同時に、その当時の世界最高級の女優やオペラ歌手たちが必ず絡むのである。日本でいえばそれが、藤原紀香程度ということになる。
この大きな構造体として暴かなければいけないし、もっと泥臭く大阪の芸能界ということであれば、それは吉本興業の関西派と東京・関東進出組との内部抗争や中田カウスという芸人、漫才師の話にもなる。
この辺から、一番、泥臭い日本の歴史のことも話さなければいけない。私が近作『日米「振り込め詐欺」大恐慌』(徳間書店刊、2009年4月)で書いたとおり、年金テロの真犯人を隠している日本の官僚たちの内部抗争、日本国民の年金が吹き飛んでしまっていることをしゃべろうとした厚生官僚のトップを内部抗争で殺してしまったことなどを、警察や検察が覆い隠している。
それは、江戸時代の日本でいえば、浅草弾左衛門(あさくさだんざえもん。(エタ)左衛門、あるいは 矢野(やの)弾左衛門という)の歴史にまでつながる。
・"最後の弾左衛門"13代目・弾左衛門直樹
あの「御用だ」「御用だ」「御用だ」と言って、犯罪者を取り囲んで押さえつけた、あの「御用だ」と言った、ちょうちんを持ってチャンバラ映画の中に出てくるあの人間たちは、一体、何者なのだという話もしなければいけない。 頭(かしら)・車善七(くるまぜんしち)と、弾佐衛門の闘いのことも。の頭たちが、(ちょうり)とも呼ばれたことも。そこに日本史の真実があるのだ。
「半七捕物帳」(はんしちとりものちょう)や「銭形平次」(ぜにがたへいじ)たちは、岡っ引(おかっぴき)とか、「十手(じゅって)持ち」と呼ばれるけれども、あの捕物帳(とりものちょう)の中に出てくる、あの親分衆というのは、本当の職業は何であり、どのような出自の人間たちであるかということを徹底的に書かなければいけない。
それが徴税人、税金取り立て人間や、番小屋(ばんごや)にいた人間たちだ。ここに本当の歴史がある。人類のすべての歴史、苦しみは、戦争(子供を兵隊に取られること)と、税金 である。これらの生々しい真実を、徹底的に、一切の表現規制をしないで、すべて語らなければ、副島隆彦ではない。
日本の最高暴力団会議(暴力団最高幹部会)と日本のゴロツキ実力政治家たちが絡み、それに財界人たちも絡み、そしてそれの下働きとして官僚制度というものが存在し、それがまさしくヨーロッパでいえば徴税請負人としてあらわれたユダヤ人たちの本当の姿である。
私がこれまでずっと書いていたとおり、ただの強欲なシャイロックのような金貸し業の人間が、ユダヤ人で、だからヨーロッパ人に激しい憎しみを買い、そして差別されていったのではない。 彼らは、王様にお金をたくさん貸した宮廷ユダヤ人たちだ。王様という残虐な人間は戦争が大好きだ。
王様は、戦争やら国家の運営をしなければならないので、常に借金状態になり、お金を返せなくなる。その時、宮廷ユダヤ人たちが、王様に囁(ささや)く。「王様、私が、お貸ししたお金は返さなくてもいいです。そのかわりに、新しい税金、税目をつくってください。そして、その税金を取り立てる権限を、どうか私たちに与えてくだい」とやったわけです。そして、過酷な税金の取り立てが、行われた。
この時、王様たちが書いて発行した、宮廷ユダヤ人への借用証書、借金証書が、現在の国債(こくさい)だ。国債(ナショナル・ボンド)そのものだ。国家の借金証書である。どうせこのお金は民衆から取り立てなければ済まない。
日本でもヨーロッパでも、どこの国でも同じことだ。徴税請負人たちが、貧しい百姓たち、農民たちの家に押し入って、隠している小麦や米を穀物倉から引きずり出して、泣き叫ぶ農民たちを殴りつけ、蹴倒しながら年貢を取り立てていったであろう。この人類の真実の歴史をこそ、私たちは考えなければいけない。
大事なのは税金の話なのだ。無理やりお金を取り立ててゆく国家がどれぐらい凶暴で残酷で汚らしいものであるかを、私たちは考えなければいけない。今は、福祉国家(フェルフェア。ステイト)を名乗り、「福祉のためにお金がかかる」という、言い訳と、お題目(だいもく)を掲げて、税務署(国税庁)が、税金を取り立てる。
しかし、「福祉のための国家」というには欺瞞であり、偽善であり、嘘八百だ。すべての税金は、悪である。絶対的に悪(あく)である。 税金を仕方がないもの、と考えることさえが、民衆への洗脳だ。
公務員を食べさせるために国家という悪が存在するのだ。私たちは、公務員の数を、今の10分の1に減らさなければならない。 今の日本は、国家公務員が100万人、地方公務員が360万人で、その他に、特殊団体や、それが、化けの皮をかぶった、独立行政法人とかで、すべて合計で一千万人の公務員がいる。その家族まで入れると、3千万人である。
1億2千万人に、3千万人の公務員一族が、食らいついている。
フランス革命のときの、僧侶や貴族、地主たちの、ものすごい数の多さと同じだ。日本では貴族(旧華族さま)というのは、ものすごくすくなくて、2万人ぐらいだった。ヨーロッパには、ものすごい数の貴族、土地貴族(封建領主)がいた。だから、革命が起きたのだ。
私たちのこの世の中に、国家というものと、社会(実社会)というものがあることになっている。しかし、国家なるものは、幻想にすぎなくて、目に見えないものだ。国会議事堂の中で政治家たちが何かを議論していようが、あれらは幻想だ。国家というのは、私たちの頭の中にある、観念に過ぎない。
ところが社会というのは、私たちの周りにあって私たちが現に生きている世界だ。実社会(じっしゃかい)として存在する。そしてこの国家なる「幻想の共同体」と、実社会を取り結んでいる、唯一のものは税金だけである。
税金だけが、実体(じったい、サブスタンス)だ。実質のあるものだ。だから税金だけが国家の実体であり、税金の取り立て、そして集められたその税金をどのように使うかというところにしか、国家、あるいは政治(行政)というものの実体はない。
だから私は税金はすべて悪であると言う。私は、税金は社会福祉や国家が存立するために必要だという考え方にも真向から反対する。すべての税金は悪である。税金を少しでも減らすということが何よりも善であるという考えに私は立つ。
だから金持ちや資産家、経営者たちに税務署が襲いかかっていく。国税庁・税務署(財務省の下部組織。全国の、一番、下っ端の税務署員でも「財務事務官」と、名刺に刷っている) との激しい闘いに、副島隆彦は自分の思想の中心を置いている。
税金取り立て業に身を挺している、汚らしい人間たちとの戦いこそは、副島隆彦の思想の完成に至る問題であるとはっきりと認識している。
だから人種差別や階級差別の問題、あるいは差別用語を使うなどという攻撃との闘いこそは、言論の自由を守るための、最大の戦いである。私ももう騙されないし、ここにおいて少しもひるむことがない。これらのことをもっと具体的にはっきりと次の講演会では話します。
検察、警察、国税 こそは、歴史的な、(エタ)弾左衛門 の正統の嫡子(ちゃくし)であり、現在の姿である。
我らが「学問道場」は、会員たちと共に、本気で日本国における言論の闘いの最前線を闘い抜きます。その際に、重要なことは、敵たちの策略に乗せられないために、私たちは、絶対に犯罪に手を染めないし、ほんのわずかでも、違法な行為には加担しない、ということです。
私たちは、徹底的に注意深く、かつ慎重でなければならない。敵たちが仕掛けてくる罠(わな)に、引っ掛かってはならない。日本の国民運動、民主運動も多くは、罠に嵌(は)められて、内部から攪乱(かくらん)され、分裂を起こされ、破産させられていった。私たちは、過去の歴史から徹底的に学びましょう。
次の6月20日の講演会では、そういう歴史の真実を皆さんと一緒に共有したく思っています。ぜひ、ご参加ください。
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「副島隆彦を囲む会」主催・定例会、副島隆彦講演会
「どぎつく社会の裏側を話す講演会~言論は無制限に自由であるべきだ~」
講師:副島 隆彦 先生
開催日時:2009年6月20日(土)
開場:11:45 開演:12:30 終了:16:30
(開場、開演時間以外は、あくまでも予定です。終了時刻はお話の延長などで変わる場合もございます。)
会場:社会文化会館 三宅坂ホール
場所:東京都千代田区永田町1-8-1
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●今日のぼやき
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi