メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

悲しみは空の彼方に

2022-01-30 10:19:00 | 映画
悲しみは空の彼方に ( Imitation of Life、1959米、125分)
監督:ダグラス・サーク、原作:ファニー・ハースト
音楽:フランク・スキナー、歌唱:アール・グラント
 
ラナ・ターナー(rローラ)、ファニタ・ムーア(アニー)、ジョン・ギャヴァン(スティーヴ)、サンドラ・ディー(スージー)、スーザン・コナー(サラ・ジェーン)、トロイ・ドナヒュー(フランキー)、マヘリア・ジャクソン
 
タイトルはなんとなく知っていたが、想像とはかなりちがっていた。
大戦後から10年くらいの間の豊かなアメリカ。夫をなくし幼い娘(スージー)を連れて海水浴場に来たローラ、スージーが迷子になり、近くにいたカメラマンのスティーヴに助けてもらい探すと、娘はやはり夫と別れたアニーと娘(サラ・ジェーン)と一緒だった。
アニーは黒人だが娘は白人の夫に似て肌は白い。そして彼女は手伝いとして娘と一緒にローラの家に住み込むことになる。
 
ローラは女優志向でニューヨークで役にありつきたいと広告モデルからはじめ、次第に成功していく。
しかし二人の娘は成長するにが成長するにしたがい、スージーは男の子とのつきあいに、サラ・ジェーンは母が黒人であることをに悩みながら、いくつか事件がおきる。
 
サラ・ジェーンが母から離れ、ナイトクラブの踊り子でやっていく中で、トラブルが続き、ローラとスティーヴの仲がどうなるか。
アニーが病で次第に最後が近づくが、敬虔深い彼女は自分の葬儀は立派にとお金を貯めていた。
 
この時代、ショー・ビジネスの成功をめざす女性、人種差別それも明に見えるところと隠しているところ、若い娘の男性との交際(この時代はまだかなり規制が強かった)など、欲張って詰め込んだ感じはある。
 
そしてヒロインは大戦中にピンナップガールとしてNO.1だったラナ・ターナー、今でいえばアイドルのサンドラ・ディー、アンバランスなところはあるのだが、それを最後はきわめて立派な葬送行進、サラ・ジェーンの回心、教会で歌うのはなんとマヘリア・ジャクソン、見せるメロドラマとして仕上げたのは、さすが当時のハリウッドだけはある。
 
アニーのファニタ・ムーアとその娘サラ・ジェーンのスーザン・コナーはこれで助演賞ノミネートされたようで、それは納得できる。特にコナーは内面的なところと踊り子としての目立ち方など、見事だった。
 
そして私の世代としてはやはりサンドラ・ディーがなつかしい。この映画では端役のトロイ・ドナヒューとともに1960年前後の若い世代を象徴する存在だった。ボビー・ダーリンと結婚したが、その後二人とも不幸だったのは悲しい。


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ハスラー

2021-12-30 09:33:19 | 映画
ハスラー ( The Hustler、1961米、134分)
監督:ロバート・ロッセン
ポール・ニューマン(エディ)、ジャッキー・グリーソン(ファッツ)、パイパー・ローリー(サラ)、ジョージ・C・スコット(バート)、マイロン・マコーミック(チャーリー)
 
ビデオで一度見ているはずだが、よく覚えてはいない。この時代でモノクロだから地味な印象があったかもしれない。
玉つきでビリヤードとプールの違いもわからないが、まだ若いが腕がたつエディは賭博師らしいチャーリーと一緒に,賭けとして競技をしながら旅を続けていたが、願望は伝説の名人、通称ミネソタ・ファッツに勝つことだった。この「ミネソタ・ファッツ」という言葉で見たことがあるのを思い出した。
 
エディはファッツと出会い勝負する。初めは勝ち続けたが、昼夜を経ていくうちに、ファッツの持続力に歯が立たなくなり敗北する。
 
その後、出会った若い娘サラと暮らすようになるが、ファッツとの闘いの場にいたt賭博師バートにそそのかされ競馬が開催されているルイ・ビルに行く。
バートによればエディは腕が立つが、ファッツには勝てない、それは相手にある気骨がないからだ。
 
ここにくるまでの金稼ぎで指を傷つけられたり、サラとうまくいかなかったりしたあと、その過程で何かを得たのか、ついにファッツに勝ち、バートの腕の中からも抜け出す。ファッツともわかりあって終幕。
 
ドラマの起伏としてはよく出来ているが、おそらく軸になるエディの成長ということからすると、もの足りない感もある。チャーリー、バートの二人からの独立、サラとも人間同士のつきあい、これらの課題の描き方がもう少し。
 
ファッツとのやりとりは最後に効いてきたが、もう少し見たかった。
カメラ、場面転換は優れている。
 
ポール・ニューマンの演技は今から見ればまあ普通、ローリーのサラは途中まで謎の部分が多すぎ、どうかなと思ったが、終わってみるとこれでよかったか。
スコットはここではまだ後の存在感は出ていない。
 
やはりジャッキー・グリーソンだろうか。この名前、私が若いころよく流れていたムード音楽の楽団にあったが、たまたま同じ?と思っていたら、どうも同一人物だった。こういう人がいた時代だったのか。

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山猫

2021-11-17 14:33:57 | 映画
山猫(完全復元版)( Il gattopardo、1963伊・仏、187分)
監督:ルキノ・ヴィスコンティ
原作:トマージ・ディ・ランペドゥーサ
音楽:ニーノ・ロータ、ジュゼッペ・ヴェルディ
バート・ランカスター(サリーナ公爵)、アラン・ドロン(タンクレディ)、クラウディア・カルディナーレ(アンジェリカ)
 
記憶をたどって探してみたら10年ほど前に見ていた。
 
作品としての印象は特に変わらない。この時も完全復元版だったようだ。ただ、今回の方がTV画面が大きいせいか、あの有名な最後のダンス場面はより印象が強かったように思う。
 
登場人物の感情を強く表現したドラマ性は少なく、どちらかといえば叙事的な群像劇である。
それでも中心になるのは、ガリバルディらによるイタリア統一の動きの中で、葛藤しながらもそれを認めざるを得ない苦渋するサリーナ公爵、一時は赤シャツ隊に入ってしまう甥のタンクレディ、元ははるか下の階級から成りあがったものの娘だが限りない美貌でタンクレディと結ばれていくアンジェリカ、この三人を追っていくと大体はわかるように出来ている。一方、司祭や軍人など、細かい話も分かる人には面白いのだろう。
 
アラン・ドロンの役柄は表面的に見える以上は抑え気味な方がいいのだろう。ドロンはそれをよくわきまえた好漢になっている。
前に観た時もまいってしまったクラウディア・カルディナーレ、飛び切りの美貌と下層階級から上がってきた下品な活力、他の誰がこれを演じられただろう。
 
それでもやはり主役は公爵で、バート・ランカスターが大柄で繊細な演技を見せる。こういう人だったかなとも思った。ただ、これを演じているときのランカスターは意外に若く、体力はあったようだ。
 
アンジェリカからダンスの相手を求められ、最初はもう若くないからと辞退するが、マズルカは疲れるけれど、ワルツならと応じる。マズルカがこの時代のシチリアでも普通に踊られていたのかと、これは一つの発見。
 
全体として、イタリアというところ、これだけの激動期に変化はしていくが、旧体制も完全に抵抗はせず、また新興勢力も妥協して一体となるところもある。あまり一色にならないところが興味深い。
 
その後も、短期的ではあるが一つになってしまったのはムッソリーニの時で、これは;相当珍しいことではなかったか。最近NHKの「映像の世紀」(多分再放送)で、ムッソリーニとその時代の映像をはじめてかなりの量見た(ヒットラーと比べあまり機会がなかった)。最期イタリア人たちから断罪されたし、今後こういうことはあまりないだろう。
 
イタリアというところ、政治的にも、社会的にも、まとまらないというイメージがあるが、そうして経済的に心配されてもなんとかなっている、という印象がある。「山猫」を見ていてそういうしぶとさはあるのかなと感じた。以前ある人から聴いたが、イタリアは表面的な経済で破綻しても、裏の闇の経済が動いていて(マフィアもその一つ)、生きていられるということだそうだ。
あと一つ、街路、野原などの撮り方、なんとなくマカロニ・ウエスタンに通じる感があった。この映画あたりが影響を与えているかもしれない。脇役でジュリア―ノ・ジェンマもここに出ている。
 
ニーノ・ロータの音楽は期待通り、またヴェルディがうまく使われている。例えば確か「椿姫」の舞踏会の部分など。




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ノマドランド

2021-11-08 17:22:01 | 映画
ノマドランド ( Nomadland、2021米、108分)
監督:クロエ・ジャオ
フランシス・マクドーマンド
 
定職につかず、定住もせず、車で寝泊まりしながら移動していく人々の話で、ドキュメンタリータッチのところもある。
2,010年ごろ、リーマンショックの影響が大きいネヴァダからアリゾナが舞台、中高年の女性ファーンは勤めていた石膏工場が閉鎖され、仕事を求めてくるまで移動する生活を始める。以前は臨時教員をしていたこともあり、結婚していたのだが夫は病死、それが心の中に重く残っている。
 
同じような境遇の人たちが駐車し集まっているエリアがあり、そこで情報交換したり、悩みを話し合ったり、必要なものを物々交換したりしていて、なんとか凌いではいけているようだ。あまりひどい争い、暴力沙汰はない。
 
あえてドラマを作らず、映画は淡々とあまり緑のないしかし夕暮れなどきれいな景色の中で、観るものに少しずつ語りかけていき、しばらくするとなかなかうまいなと感じられてくる。
 
ファーンを演じるマクドーマンドは製作にもかかわっていて、全体のテーストは彼女のアイデアでもあるのだろう。彼女の夫はジョエル・コーエンだそうだ。
 
しばしの勤め先の中に、アマゾンの倉庫配送センター、国立公園の施設清掃などがあり、現代米国の象徴のような感があるが、アマゾンもよく協力したなと思う。ここに最先端のアマゾンが姿を見せるというのは意味があるわけで。
 
終盤の30分位でファーンの家族と彼女が一人になった経緯が明かされるが、比較的さらりとしていた。
 
ノマドワーカーという言葉で、おそらくもう少しハイクラスの人も含め、今こういう形態が目立ってきているということは、きいたことがある。
  
ノマドは遊牧民の意だが、たしかもともと仏領北アフリカあたりが起源で、私が知ったのはアルチュール・ランボーとかアラビアのロレンスという文脈でだったと思う。
 
厳しい現実を淡々と描いていて、救われるというか評価できるのは、生きることに対する肯定感だろうか。それがアカデミー賞の主要部門の独占につながったのかもしれない。


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勝手にしやがれ

2021-09-17 14:35:06 | 映画
勝手にしやがれ (A BOUT DE SOUFFLE、1959仏、90分)
監督:ジャン=リュック・ゴダール、原案:フランソワ・トリュフォー
ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ
 
ベルモンドが亡くなって急遽TV放送され、録画して観た。かなり以前一度映像で(劇場ではなく)観たと思うが、あまりよく覚えてはいない。
原題は「息の果てに」、「万策つきて」といった意味。
 
いいかげんに生きているミシェル(ベルモンド)がマルセイユで車を盗み追いかけられている時に警官を射殺してしまいパリに逃げてくる。知り合いになっていた記者志望のアメリカ人パトリシア(セバーグ)と会うが、お尋ね者になる。その後あいかわらず車を盗んだり、金をちょろまかしたりしながら、きわどく逃れていく。パトリシアも新聞で知ってしまうが、すぐに感情的に激するということにはならない。
 
これがこの映画の話題になったのだろうが、台詞がとぎれなく続き、場面や登場人物たちの説明場面、その時間はなく、連綿と続いていく。ちょうど真ん中あたりで初めてミシェルが画面から離れ、パトリシアが一人で行動する場面が少しあるが、そのあとアパートで二人になり、なんともかみあわないが何か理解してほしいことも少しはあるような会話が続く。そのあとは、ついに予想された終盤。
 
ドライというと表面的すぎるが、こういうストーリー、「おれたちに明日はない」(ボニーとクライド)のようにならないのは、単にヌーベルバーグだからというわけではないだろう。むしろフランスだからともいえないが、個人というものに対するある考え方が根底にあるからだと、考える。そう思いたい。
これで愁嘆場では見てられない。
 
ベルモンドのこういう役を見るのは初めてだった。アクションも含め、また悪役でももっと立派な役が多かったかもしれない。父親が高名彫刻家で、パリのオペラ座の周囲にその作品があり、観光ガイドがその説明をするのが定番だった。
 
セバーグがうまいというか見事だったのは意外で、これより前の「悲しみよこんにちは」にくらべあまり痩せていないように思った。細かいやり取りはなかなかセンスがあるがいかにもインテリではないのがなかなか。
中盤と終盤でそれぞれレコードをかける。ショパンのワルツとモーツアルトの「クラリネット協奏曲」、後者はこれが好きだというミシェルの最後を暗示しているだろうか。
 
出てくる車はアメリカの大型が多く、特にオープンが好まれていたようだ。これも時代。
もう一つ、ミシェルがおそらくシャンゼリゼを逃げ歩いているとき、道の中央を楽隊が通っていく。これ戦勝記念日に凱旋門で大統領が献花する前ではないか。そうあの「ジャッカルの日」のドゴール登場の場面、フォーサイスが書いたのはこの映画の後。

11月16日
偶然、10年近く前にこの「勝手にしやがれ」をアップしたのを見つけた。


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