「ブランドの条件」(山田登世子 著)(岩波新書)
岩波新書も随分変わったものである。
と、冗談はさておき、これはブランドのなりたち、それが続いていく条件を、ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネルについて、比較しながら説明したもので、同じことをくどく繰り返しているという気味もあるが、わかりやすい。
そんなに書くべき内容はないのかもしれない。
王から与えられた権威、そしてヴィトンだから、、、というところまで、通常なら品質を「約束する」「焼印」という解釈だが、著者もいうように発生論的に叙述されるとなるほどというところもある。
また、日本の着物にはブランドがなく地名くらいという指摘はそのとおりで、このあたりは今の地域振興におけるブランド論でも考えなければいけないことだろうか。
シャネルが他の二つとことなり、ここからモードの世界に入ってきたというのは納得できる。がしかし、著者がライセンス・ビジネスでブランド価値を薄めてしまったというカルダンやサン・ローランなどのデザインに関する革新性にふれてないのはブランド論だからとはいえ、ちょっと誤解を与えかねないのではあるまいか。
一方、このように少しずつ革新を加えながらその品質、物語を確認させる、またその遊戯をわかっていながら多くの人々がそれに参加するということは、人間というものの不思議である。 まあ、悪いことではない。
ルイ・ヴィトン、そしてエルメスは旅行のイメージ作りがうまい。特にエルメスの広告はいつも秀逸である。
でも、映画での露出となるとルイ・ヴィトンだろうか。
この本でもヴィスコンティの「ヴェニスに死す」に触れている。
でも私的に一番記憶に鮮やかなのは「ジュリア」(1977 監督:フレッド・ジンネマン)で、ジェーン・フォンダ扮する作家リリアン・ヘルマンがモスクワのホテルに入ったときの、衣装、化粧用品など一式の、トランクというより縦に立てて横に二つに開く箪笥とでもいうべきあのモノグラム!
へえー、贅沢とはこういうものなのね、と認識したものだった。