メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

脳内ニューヨーク

2009-11-17 22:50:47 | 映画
「脳内ニューヨーク」 (Synecdoche,New York 、2008米、124分)
  
監督・脚本:チャーリー・カウフマン
フィリップ・シーモア・ホフマン、サマンサ・モートン、ミシェル・ウイリアムズ、キャサリン・キーナー、エミリー・ワトソン、ロビン・ワインガード、セイディー・ゴールドスタイン、トム・ヌーナン
 
「マルコヴィッチの穴」(1999)、「エターナル・サンシャイン」(2004)などの脚本で、衝撃を与えたと同時に頭をかかえさせたカウフマンが、今回は初監督である。
他の脚本同様、一回見た今の時点では多分消化不良だろう。
 
ニューヨークで活動している劇作家・演出家ケイデン(フィリップ・シーモア・ホフマン)、どうもうだつがあがらなくて、画家である妻は愛想をつかし、娘をつれてベルリンに行ってしまう。
そんな彼が突然大きな賞をとり、その莫大な賞金をすべてつぎ込み、倉庫の中に彼のイマジネーションでもう一つのニューヨークを作り上げ集めた俳優たちに人生を生きてもらう、という試みを始める。 
 
これを始める前から場面は錯綜し始め、ケイデンと現実に彼とかかわる人たち、そしてその人たちを演ずる俳優たち、が入れ子構造になって動いていく。
 
おそらく、頭の中で求めるものとそのイマジネーション自体が動き出し、本人に反動を与えていく、という構造を作者は作りたかったのだろう。
それにしても、ここに登場する人たちは、頭の中で、人生の真実を求め、作り上げ、現実と他人に敗北し、ぼろぼろになって、結局自分は自分、歳をとってから何気ないものに気づく、というプロセスに、どうしてこんなに苦労するのだろうか。
 
見ているこちらは、あまり身につまされるということも、感情移入もないのであるが。
 
それでも、作劇としては、途中わからなくなっても、全体としての理解にそう困らないようにはできている。
脚本家自身が監督しているから、全体の流れに破綻がないのだろうか。
ただ、他の作品では、監督は見るものが多少困ってもよりめりはりの効いた調子を出していて、それが何回か繰り返してみるうちに、一つ突き抜けた印象を与えていた。特に「エターナル・サンシャイン」。
今回も、いずれDVDで見てみれば何かわかってくるのだろうか。
 
フィリップ・シーモア・ホフマン、もちろん悪くはないのだが、そんなに追い詰められそうに見えない。他作品でのジョン・キューザック、ジム・キャリーなどに比べると、情けないところが似合わない。
 
原題にあるSynecdocheとは、日本語で提喩、代喩という修辞法の言葉で、例えばbladeでswordをbreadでfoodを示すように、一部で全体を、またはその逆をあらわす方法のこと、だそうだ。群像劇の意義ということなのか。
 
冒頭の夫婦と娘三人の部分は快調で気持ちがいいのだが、洗面の配管がこわれ、父が娘に「パイプが、、、」というとそれをタバコのパイプと間違えられ、必死に説明していくのを見ていると、何度も出てくる「パイプ」から思わず「マルコヴィッチの穴」を連想してしまった。
多分関係ないのだろうが。

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