メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

小倉昌男 祈りと経営 (森 健)

2016-04-18 14:56:46 | 本と雑誌
小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅急便の父」が闘っていたもの
森 健 著 2016年1月 小学館
 
こういう本が書かれたことは驚きであった。ここでえがかれている人にこのような人生があったのか。
小倉昌男がいかにして宅急便を発想し、既成の業界、官界と闘いながらあのレベルまで持ってきたかは、程度の差はあれ知られていることである。日経の「私の履歴書」にはそれに加え、会長を退いたのちに障害者のための福祉財団設立に私財をつぎ込み、障害者がそのために計画されたパン屋で働いて十万円の月収を得るという目的を達成した、という驚くべき事実も紹介されていた。
 
著者は財団設立に感心はしたが、それにしてもなぜという問い、そしてクリスチャン(救世軍)であった小倉が妻のカトリックに改宗、また妻とは俳句、旅行をよくともにした、というところに、単なる愛妻家だけでない何かがある、と感じたのか、会社・業界関係、親族など、取材を進めていった。
 
その取材の過程も明らかにしながら読み進めていくと、小倉昌男が仕事とは別に闘ってきたもの、そのたいへんなものが明らかになってくる。その中心は妻と娘であり、妻は小倉がまだ60代の時に亡くなっており、取材は小倉の逝去の後、仕事の関係者からはじまり、その中で彼の私的な面を少しずつ集めていき、最後は娘にたどりつく。丁寧で、むやみに乱暴には踏み込まない取材が、時の運も引き寄せて最後に娘から解に近いものを得た。
 
壇一雄に「火宅の人」という小説があるが、小倉は自ら火宅を作ってしまうような、たとえば浮気、道楽をしたわけではないけれど、別の意味で彼の家庭は火宅であった。それにたいして、優しさとどうにもできない無力感の間で、あの業績であるからすごいとしかいいようがない。
 
このような、家の、夫婦の、親子の、一部病気がからんだ関係は、小倉ばかりでなくかなり多くの家庭にもありうることである。その普遍性を感じさせる読後感は、この本の高い評価(ノンフィクション大賞など)も当然と思わせた。
 
なお、宅急便の話でいえば、あのスタイルはもっと狭い地域(関西)で、法制度などを無視し抜け駆けでやっていた「佐川」のやりかたをヒントにした、ということをこの本で初めて知った。「私の履歴書」のたしか初めの方で、「佐川」もいい会社になったと書いていたのは、小倉のそれなりの仁義だったのだろうか。私は当時の職場で、出入りの佐川の人によくしてもらっていたから、妙に納得したのだが。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする