昨日「ロベルト・デヴェリュー」をアップした際、演出についてふれなかった。
演出のデヴィッド・マクヴィカーはこれでテューダー朝三部作すべてをメトで演出したことになる。
今回の特徴として言われているのは、劇中劇の形にしていることで、史劇はとかく広い舞台で、時代、地位(城など)を説明するものになりがちだからということである。それを緊迫した心理ドラマとするために、劇中劇にして空間を絞ったといえなくもない。
劇中劇にしなくても、装置、照明などでそういう効果を出すことは出来るだろうが、メトのような大きい舞台だと、実際に見ている人は違和感があるかもしれない。ビデオならカメラワークでなんとかなるが。
衣装、メイクは、エリザベッタが特別目立っていて、いかにも69歳の老醜、その恋慕、嫉妬をどぎつく出すのをいとわないのは、ラドゥヴァノフスキーの歌唱・演技ならではである。
それにしても、イタリアオペラでイギリスの話はよく出てくる。これがうけるのかと思っていたが、ドニゼッティをはじめイタリアの作者にとって稼げるのはパリでの上演という要素も多かったかもしれない。今でもフランス語版がよく使われる作品は結構ある。
そうなると王朝・宮廷ものとしては、反発もありうるフランスそのものよりも、よく知られているイギリスの話がいいのかもしれない。
そのなかでもドニゼッティはよくもこの三つに目をつけたなと思う。エリザベスは、母が断頭台、戦ったメリー・スチュアートを処刑、恋した相手を処刑、なんとも壮絶な人生を送った人だから。
演出のデヴィッド・マクヴィカーはこれでテューダー朝三部作すべてをメトで演出したことになる。
今回の特徴として言われているのは、劇中劇の形にしていることで、史劇はとかく広い舞台で、時代、地位(城など)を説明するものになりがちだからということである。それを緊迫した心理ドラマとするために、劇中劇にして空間を絞ったといえなくもない。
劇中劇にしなくても、装置、照明などでそういう効果を出すことは出来るだろうが、メトのような大きい舞台だと、実際に見ている人は違和感があるかもしれない。ビデオならカメラワークでなんとかなるが。
衣装、メイクは、エリザベッタが特別目立っていて、いかにも69歳の老醜、その恋慕、嫉妬をどぎつく出すのをいとわないのは、ラドゥヴァノフスキーの歌唱・演技ならではである。
それにしても、イタリアオペラでイギリスの話はよく出てくる。これがうけるのかと思っていたが、ドニゼッティをはじめイタリアの作者にとって稼げるのはパリでの上演という要素も多かったかもしれない。今でもフランス語版がよく使われる作品は結構ある。
そうなると王朝・宮廷ものとしては、反発もありうるフランスそのものよりも、よく知られているイギリスの話がいいのかもしれない。
そのなかでもドニゼッティはよくもこの三つに目をつけたなと思う。エリザベスは、母が断頭台、戦ったメリー・スチュアートを処刑、恋した相手を処刑、なんとも壮絶な人生を送った人だから。