メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

リヒャルト・シュトラウス「エレクトラ」

2022-07-16 16:32:40 | 音楽一般
リヒャルト・シュトラウス:歌劇「エレクトラ」
指揮:ケント・ナガノ、演出:ドミートリ・チュルニャコフ
ヴィオレタ・ウルマナ(クリテムネストラ)、アウシュリネ・ストゥンディーテ(エレクトラ)、ジェニファー・ホロウェイ(クリソテミス)、ラウリ・ヴァサル(オレスト)、ジョン・ダジャック(エギスト)
2021年12月11日 ハンブルク国立歌劇場 2022年7月NHK BSP
 
シュトラウスの歌劇として、比較的初期に評判になったものは「サロメ」だが、そのすぐあとがこの「エレクトラ」で、ここから台本はホフマンスタールとなり、晩年までこのコンビで多くの傑作が生みだされた。
 
ただ私からするとこのエレクトラ、つまりギリシャの話で、トロイア戦争から帰還したアガメムノンが、妻クリテムネストラと不貞の相手エギストに殺される。夫婦にはエレクトラとクリソテミスの姉妹とその弟オギストの、三人の子供がいた。
 
オレストは追い出されており、クリソテミスは不幸な経緯はともかく女として幸せになりたい。ただ一人エレクトラだけが周囲からのけ者にされながら復讐を誓い続けていて、物語の進行はエレクトラと母クリテムネストラのやり取りというかいがみ合いが主となる。
 
ここでまず母親役の存在感、強さが要求されるわけで、メゾの大物が起用されることが多い。それに対抗するエレクトラも、そんなに聴いたり見たりしてはいないがやはりワーグナー作品の主役をやるようなソプラノ、例えばニルソンなどが思いうかぶ。
ただそうなると、これまでの「エレクトラ」印象は激しい、言い方は悪いが疲れるといったこともあった。それが今回のエレクトラ役ストリンディーテは母親よりかなり体躯も小さく、歌も若い女性らしいところもあり、聴いていてこれまでより理解が進むところがあった。
 
母親に対する怒り、怨念ばかりでなく、自分の中に入ってくる父親というものの存在、それが途切れてしまったことの絶望、そういうコンプレックスがうまく表出された歌唱だった。
 
演出のチェルニャコフという人はかなり問題児らしく、母と娘の対決時の道具、動きも大胆だが、終末近くから姉妹、弟の近親相姦的な面を表に出す演出で、通常は復讐を遂げたエレクトラが踊り狂って倒れるところで終わるのが、三人の性的関係が暗示以上の表現になっていた。見ている側として、どこのあたりでフィナーレとするのか、自らどうにかしなければならないのかもしれない。
 
舞台、衣装などは近・現代になっており、ギリシャ悲劇という感じは全くない。オペラとしてはこの方がいいのかもしれない。
 
ケント・ナガノの指揮、激しく雑になりかねない音と流れを、うまくもっていったと思う。この作品、それまでのいくつかの激しいフレーズがまた出てきて後やわらかい音と流れで包まれ聴く者の記憶に残るという、少しあとの「バラの騎士」で聴かれるところが、すでに「エレクトラ」でもあったということに気がついたのも、ナガノの指揮によるものだろう。

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