メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ワイルド・バンチ

2006-09-18 21:22:40 | 映画

「ワイルド・バンチ(The Wild Bunch)」(1969米、146分)
(オリジナル・ディレクターズ・カット)
監督・脚本: サム・ペキンパー
ウイリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ロバート・ライアン、ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン、エドモンド・オブライエン
 
スローモーションをうまく使ったヴァイオレンス・アクション場面の美しさが語り草、サム・ペキンパー伝説の最高傑作と言われている。今回初めて見た。
これだけ丁寧に美しく撮った西部劇、アメリカのアクション映画も稀だろう。焦点深度の深いカメラ、大スクリーンで見たらどんなにと思わせる。そこはヴィスコンティに匹敵するといってもおかしくない。
 
1910年代のテキサス、メキシコの社会・政治情勢が不安定な中で、ギャング、賞金稼ぎ、軍閥などが交錯する。ウイリアム・ホールデン率いるならず者、それを追うものたち、大きな力に動かされていると言うより、一度入り込んだら止められない流れの中で動いていく、それはいい。場面から場面へ、乾いたトーン・タッチで説得力はある。見ていて退屈はしない。そしてメキシコ音楽の使い方、細かい音のひろい方も効果的だ。
 
しかしいいところはそこまで。最後の20分、このアクションが映像として最も素晴らしいのは確かなのだが、そこに入る動機がなんとも甘い。見つめる視線が弱い。それがいい、男のなんとかという人もいるだろうが、この映像2時間の後がこれでどうするのか。センチメンタルになってはいけない。
 
ウイリアム・ホールデン以下のならず者たち、演技は皆いいが、一番雰囲気あるのはわけありの追手を演じるロバート・ライアン、体、顔つきの疲労感など、彼の結末にも納得である。
 
女性の扱い方には30年以上前でも批判はあったに違いない。ストーリーの必然性を考えてもちょっとひどい、まったく絡みがないほうがまだしもだろう。
 
冒頭、恐ろしいサソリが多数の蟻(?)に襲われて弱っていく、それに火がつけられ子供達が見ているところが意味ありげに何度か出てくる。何かわかりやすい予言的な場面だが、センスは悪くない。


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イン・ザ・プール

2006-09-17 21:49:16 | 映画
「イン・ザ・プール」(2005、101分)
監督: 三木聡  原作: 奥田英朗
松尾スズキ、オダギリジョー、市川実和子、田辺誠一、岩松了、ふせえり
 
「亀は意外と速く泳ぐ」の三木聡 監督作品。同じ2005年、こっちの方が少し先に公開されたようだが、製作はどっちが先か知らない。
 
松尾スズキ演ずる神経科医を中心に、強迫観念にとらわれておかしなことを繰りかえすいろんな人たち、そしてその一つ一つの場面を楽しんでください、ということだろう。
 
しかし、ギャグが多いコメディ映画としては「亀」の方が上である。本作は松尾スズキをいかそうとしたのだろうが、どうも面白くしようしようと常に気配りしすぎるところがあって、こっちもそういう注意のしかたをしてしまう。
 
「亀」は主人公達の過去の物語が今にあまり反映していないところがコメディとしてはいい感じになっていたのが、ここではあまりに過去がありすぎる。
 
その中では、外出するときに火の元・戸締りなどの確認をしたかどうかいつまでも気になってしまう症状(程度の差はあれ誰にでもある)の市川実和子がなんともその場だけの感じをうまく出しており、本当にこっちが入っていって笑ってしまうのは、この人の才能だろう。
 
オダギリジョーは特別うまい演技というほどではないが、ここでもやはり変化の妙を出していた。

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ぼくのプレミア・ライフ

2006-09-16 22:01:24 | 本と雑誌
「ぼくのプレミア・ライフ(Fever Pitch)」(ニック・ホーンビィ 森田義信 訳)(新潮文庫)
 
ニック・ホーンビィのデビュー作(1992)。しかしこれに続いて書かれ、映画化されヒットした「ハイ・フィデリティ」(1995)、「アバウト・ア・ボーイ」(1998)等とはことなり、小説ではなく、フットボール(サッカー)を中心とした自伝・評論となっている。
イングランドのトップ・リーグがプレミア・リーグとなったのは1992/1993 シーズン、つまりこの本が出たころであるが、この地域チームとそのファンをベースにしたサッカー文化の理解、ある意味では誤解のまま終わるのかもしれないが、そういう認識を読むものに作ってくれる。
 
ヨーロッパ、アジア、そして世界のカップ戦というのはナショナル・チーム単位でありそれへの思い入れのものであるが、これらは予選リーグ数試合をのぞけば負けで終わりの連戦であり、試合数はあらかじめ不定である。
 
それに比べリーグ戦というのは一年の試合数、相手は決まっており、勝ちが多かろうとどうだろうと決まった数の試合が行われる。これが実は本質的だ。
 
どんなに強いチームを応援していても、結構負けたり、ロスタイムに同点にされ引き分け、絶望の淵ということが多いのがこのリーグ戦である。反対に弱いチームにもチャンスはある。
 
そしてどんなに驚くような負けの結末でも、それは泣こうがやけになろうが受け入れざるを得ないものである。これは人生の受け入れなければならない様々なことと同様いやそれ以上かもしれない事柄であり、著者はそう言ってはいないが、こうして人は大人になりまた子供に少し帰っていくのかもしれない。
というような話が、小さい頃から中年に差し掛かるまで、いろんなパターンで延々綴られる。著者のひいきチームはアーセナルだから、各節ほとんどはアーセナルとどこかのホームまたはアウェイの試合と日付がその題名となっている。
 
もちろんここからかの有名なイングランド・フーリガンの土壌も読み取れるわけだが、それに批判はしつつも著者は、そんなに厳しい処置をしなくても次第に経験的に何とかなっていくと考えているようである。ここらがイギリス的なのだろうか。
 
20年以上まえから、目立つ働きをするアフリカ系の選手には猿の鳴きまねやバナナの投げ込みが行われていたそうだから、よくなるのは相当先かもしれない。
 
ところでこの作品をもとに著者も加わって映画が作られ、あのコリン・ファースが主演したそうである。煮え切らない感じはぴったりかもしれない。
ツタヤで探しているけれどまだ見つからない。いずれWOWOWあたりで出てくるのを期待しよう。
 
これをボストン・レッドソックスに移して映画化したものが「2番目のキス」(2005米)だが、作者自ら製作に参加している。家庭環境、シーズン・チケットを手に入れるに至った経緯はかなり違うけれども、あるチームが好きでというより、何か生活の一部になっているという習慣の表現は同じように良くできている。 
 
子供の頃、まだテレビもないころ、ラジオで大相撲の実況を聞いていると、ひいきの力士が負けそうになったとき、自分でも打っちゃりをうとうとして思わず体がそのように動いてしまった。ファンとはそういうものだろう。

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僕たちのアナ・バナナ

2006-09-09 23:00:21 | 映画
「僕たちのアナ・バナナ(Keeping The Faith)」(2000、米、129分)
監督・出演: エドワード・ノートン
ベン・スティラー、ジェナ・エルフマン、アン・バンクロフト、ミロス・フォアマン
 
幼馴染の男の子2人と女の子1人、長じて再開、さて3人の恋の行方は、というところはそんなに珍しくないのだが、エドワード・ノートン初監督で何を思ったか、ちょっとない仕掛けである。男の子2人は、アイリッシュのカトリック神父(エドワード・ノートン)とユダヤ教のラビ(発音はラバイ)(ベン・スティラー)だった。
日本人から見ると、余計にこの二つの宗教は?という興味で見てしまう。しかし深刻にならずに、それぞれの宗教の理解も少し出来て、初監督の手際がちょっと悪く、進行がまだるっこいが、全体としてはまずまず。
 
やはりカトリックの女の子で、西海岸に引っ越した後バリバリのキャリア・ウーマンとしてニューヨークの2人の下に戻ってきたアナ・バナナ(バナナの方は渾名)のジェフ・エルフマンはそれらしくスタイルも抜群だが、惜しむらくは主役としては目の表情があまり豊かでない。
 
ノートンとスティラーは本人たちもおそらくアイリッシュとジューイッシュなんだろう。考えてみればニューヨークはユダヤも多いのだろうが、「ギャング・オブ・ニューヨーク」(2001、マーチン・スコセッシ)はまさにニューヨークのアイリッシュ受難であった。
 
そういう背景で、なんとかコメディとしてまとまっているのは見る方としてうれしい。
 
ノートン自身カトリックなんだろうが、告解室の場面をうまくコミカルに使っている。IRAのサスペンス映画なら、ここが連絡場所に使われる。
ノートンが恋の悩みを話すのはアイリッシュパブ、ここではブライアン・ジョージ扮する店主が告解室のにわか司祭になるのが笑える。
それに比べるとユダヤ教ならではの場面は「割礼」をうかがわせるところくらいであった。ベン・スティラーは顔立ちからいっておそらくユダヤ系だろう。
 
ラビの母親を演ずるアン・バンクロフト(1931-2005)、亡くなる1つ前のスクリーン。そんなにたくさんの作品を見ていないが、本当にこの人は映画に出るのが好きな人であった。
「奇跡の人」(1960)の情熱、「卒業」(1967)の妖艶、そして晩年の「冷たい月を抱く女」(1993)とこの作品のような頑固と知恵、生涯さまざまな姿でなくてはならないポジションを見せてくれたことに感謝。
 
ミロス・フォアマンはノートンの上司神父だが、身の上話としてフォアマン自身と同じくプラハの春の後、米国に逃れてきたことを語っている。
 
音楽はこれまたクラシックなエルマー・バーンスタイン。
 
二人が下町の子供達のためにユダヤ&カトリックセンターを開き、カラオケの催しを企画するのだが、カラオケセールスのドンというアジア系を演じる Ken Leung が傑作。
 
今回初めて見たのがラビ・カード。ベースボール・カードのようなもので、有名ラビらしい人の肖像がプリントされている。神父からラビへ、子供のころからほしかったカードがラミネートされた未使用状態でわたされ、ラビは大喜びする。
こんなカードがあること自体、ユダヤ教が他の宗教より生活密着型ということなのだろうか。

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ラフ

2006-09-07 22:41:25 | 映画
「ラフ」(2006年、東宝、106分)
監督: 大谷健太郎  原作: あだち充
長澤まさみ、速水もこみち、阿部力、市川由衣、石田卓也
 
原作のコミックをまったく知らないため、長澤まさみを見ることしか頭になかったが、同じ原作者の「タッチ」より映画としては丁寧に出来ている。水準には達した青春映画。
 
親の代には敵同士の和菓子屋だった長澤と速水が、水泳部では飛び込みと自由形で一緒になる。長澤には幼馴染で兄のような婚約者のような大学生阿部がおり、長澤のライバル市川が速水を好き、というよくある構造。
若さゆえに相手に正直になれないもどかしさと、競技に集中出来るか出来ないか、これらがからんでいく。
 
原作がコミックだからかどうかはわからないが、話の進行、場面転換は唐突だったり淡白すぎたりする(「タッチ」はドラマの筋としては盛り上げやすかったが)。そうなると個々の場面がどうかが映画としての決め手だが、これはきれいでよく出来ている。特にこんなに水泳を正面から撮った映画があっただろうか。
 
長澤まさみはより力が抜けて自然体、そして男から見た時の女のどうにも動かせないところがしっかりある。水着姿、特に高飛び込み台の上に立つ姿はきれいだが、他の作品同様、主演女優でこんなに走る姿が美しい人は他にいない。
 
冒頭のタイトル場面、競泳が始まるところでいきなり「君といつまでも」(加山雄三)が流れる。東宝ではじめて撮る大谷監督によれば、東宝マークへのオマージュだそうだが、上の世代としてはすぐになんとなく感じた。
スキマスイッチの挿入歌もよくマッチしている。

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