メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

粟津潔展(金沢21世紀美術館)

2008-02-02 19:14:30 | 美術
「荒野のグラフィズム 粟津潔展」(金沢21世紀美術館 11月23日~3月20日)
 
この1500点を一挙に見せる展覧会を2時間近くゆっくりと見ていると、一人のグラフィックデザイナーについて何かを頭の中でまとめるには、相当数多くのものを見ることが必要だ、ということがわかる。これまでにも、横尾忠則、田中一光、大竹伸朗などがそうだった。
この1500点は、作家からこの美術館に寄贈されたもののようだ。
  
考えてみれば、通常一点一点に注文者がいて、それに応じて作る部分があるわけである。つまりポスターとか装丁とか。だから、作者が描きたいから描くという部分は必ずしも大きくはない。
 
それでもそういった多くの機会を通して粟津はいくつかのテーマで色、形、タッチ、コンセプトなどを繰り返し追求している。
こうしてここで見ると、一点の完成までの習作にもそれはあるし、また完成作品の流れにも、次から次へと連関し発展していくものがある。そしてそれらは多くの場合、最後には余分なものをそぎ落とし、抽象化され、シンプルな形象になっている。それがデザインといってしまえばそうなのだが。
 
描かれている対象にはいくつかの分類があって、虹のような縞、頭、口そのほかの身体の部位、鳥、男と女のからみなどに集中しているともいえる。横尾忠則と比べると淡白かなという印象をこれまで持っていたが、そうでもない。かなり土着的なところもあり、いくつかの趣味への執着もしつこい。
 
また粟津はこういうものの形象に血を通わせること、描いた後もその先に動いていくことを意図したのか、甲骨文字を描く練習を繰り返した(おそらく)。それがこの人の長い活躍を支えているであろうことは、展示でこちらに伝わってくる。
 
また今回はいくつかの映像作品を落ち着いてみることが出来た。
山下洋輔が火がついたピアノを演奏する「ピアノ炎上」(1973)、話には聞いていたが見るのは初めてである。これにかぶっている演奏はそのときのものをシンクロさせているのではなく、別に録ったものであることは音からわかる。
 
しかし粟津のこだわりと、映像の不思議をこれでもかと見せるのは「阿部定」(1969年)である。阿部定の新聞に載った写真、それは拡大すれば当然白黒の網掛けに過ぎないのだが、事件についての彼女の供述朗読にあわせ、それを拡大したり退いたり、ぼかしたりしながら続く20分は、不思議な時間で、最後まで飽きさせない。これはコロンブスの卵以上の、やはり何かなのだろう。

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