いやあ、楽しかった!
月山筍採りの場合、採り場に辿り着いて帰ってくるだけでも喜びだ。こうして無事に帰還出来たこと自体が嬉しいのだ。
じゃあ、なんでそんな苦労をしてまで出かけるの?と問われれば、昨日書いたように、『自分の健康と体力を確認したいから』というのが一つの答え。そして、もう一つの答えが、これですよ。
本日の収穫物
妻曰く、
「良いタケノコね!末端価格は一万円を軽く超えてるわ!!」
なるほど、そういう褒め言葉もあるか、と思いつつ心の中で「その通り!良いタケノコでしょう。」とほくそ笑むマタギ。
では、何をもって『良いタケノコ』になるのかという基準だけれど、幾つかある。
1つ目は新鮮さ。マタギみたいに採ってきてすぐ食べる家では、当たり前になっているけど、タケノコも他の山菜と同じように時間の経過と共に切り口(折り口かな?)から劣化して硬くなっていく。だから、早めに下ごしらえをする。
2つ目は成長の具合。出始めは、硬くて短くて食べる所が少ないし、伸びすぎると繊維がこわばって『竹化』してしまう(結構な長さまで『ウラ折り』できるけど)。これは、情報収集と、山の神様のご機嫌次第。
3つ目は色。別にどうでもいいじゃん、とも思うのだが、こうして赤味の入った個体に出逢うと、青味の強いものが安っぽく見えてしまう。これは、遺伝子と環境の問題なので、どうしようもない。
そうして4つ目だ。それは、太さなんですね。実は、このネマガリタケと言うか、チシマザサという植物、山形県内の至る処に生えている、言い方が悪いかもしれないけど雑草のような植物なんです。だから、東西南北どちらの山に行っても見ることが出来るし、春から初夏にかけてどこでもタケノコを伸ばす様子を見ることができます。
そんな中で、『月山筍』だけが特別に珍重される理由は、この太さと美しい色があるからだと思います。
ちなみに、タケノコのサイズを表現する時に、業界人(?)は、『鉛筆サイズ』『一円玉サイズ』『十円玉サイズ』などと呼び分けています。これは、勿論、タケノコの中でも直径ね。
そして、最高級品が、
デーン!
『五百円玉サイズ』です。こういうのに出逢うと心が躍るんですよ。そして、月山では、こういうサイズのタケノコに出逢える確率が、他の山よりも遙かに高いんです。下世話な話ですけど、こういうタケノコは、特別な値段で取り引きされるみたいですね。
前置きが長くなりすぎました。それでは、本日の料理を始めましょう!本日作るのは、
≪タケノコ尽くし定食≫
せっかくの最高級品、一番美味しいうちに一番食べたい料理で食べたいじゃないですか。
そうなると、これまでも紹介している料理ばかりになるんですが悪しからず。
下ごしらえの部
・今回は、全てのタケノコをお米入りの熱湯で20分間茹でてアク抜きしました
※焼きタケノコにしなくても十二分に楽しめると判断したから
茹で始めです
この美しい赤味は茹でると消えてしまうけど、ノープロブレム。
タケノコご飯
・米4合に対して、タケノコ300g、鶏もも肉250g、ニンジン1/2本、油揚げ2枚
・お米4合に対して醤油50ml、酒60ml、顆粒だし小さじ1に水を加えて『4合』のラインまでうめます
※いつもの割合です。「うまくいっていることは続けろ」
・ここに、先ほどの具材を入れてスイッチON
果報は寝て待て。
タケノコの天ぷら
美味しいに違いないから始めたんだけど、家族のリクエストにより『エビ天』も追加します。
さすがに、そんなに手早く準備出来る自信はないので、ご飯の具材が準備出来たら、下ごしらえにかかりました。
・海水と同じ濃度の塩水を作って、冷凍エビを解凍(約20分)
・殻を剥いて、背わたを抜いて筋を切っていきました
※腹と脇の筋をしっかり切ったつもりなんだけど甘かったみたい(後半の画像参照)
・タケノコは20㎝ぐらいのものを選んで皮を剥いておきます
ここまで来れば、何とかなるでしょう
すみません。調理は続くんですけど、書くことにくたびれてきました。本日は、ここまでにさせていただきます。
続きは、また明日。
To be continued!
貴重なネマガリダケ。それも太いのにはびっくりです。
こちらで手に入る(頂く)ものは鉛筆の太さです。
それでも貴重なタケノコですもの有難くいただきます。
で、大昔、取り立てをお味噌汁で頂いたことがあるのです。
山の中へご招待で(*^^*) あの新鮮なお味は忘れられません。
それをこうして調理ですものね。
美味しいでしょうね。
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、美味しいんです。
採ってきた本人はもちろんなんですけど、料理を食べる家族の表情が変わる。
そのうち、採ってくるのを待ちかまえるようになる。
そうして、下ごしらえや調理の手伝いを自主的にやってくれるようになる。
なんともありがたい山菜だと思います。
基本は、新鮮な素材の旨みにどれだけ親しむか、ということかなあ。