日本ヨーガ学会

ヨーガ的生活

夢の謎解き

2020年08月08日 11時39分39秒 | 思うがままに

先日見た夢が気になって仕方がありません。ひとりで夢の謎解きをしてみました。

 

夫が野球の選手でピッチャーを引退するという夢のことです。

 

私が「引退したら旅行ができるわね」

と言ったのは、今生が終わったから生まれ変わるのね?の問いかけではなかったのか?

 

彼は「家でぶらぶらしたい」と言ったのは、まだ生まれ変わらず、本当の故郷(あの世)でしばらくのんびりしたいと言ったのではないか?

 

彼は自分のお葬式も見ていた。

私が築地本願寺にお墓まいりに行っているのもちゃんと見ていると言いました。つまり姿は見えなくてもちゃんといるよ!と言うことではないか?

 

夢は、潜在意識の投影以外何もない、と思っていましたが、実は夢は何かのメッセージではないかと強く思うようになりました。夢の不思議はまた後日。

 

コロナ禍でトラブル続出。

判断は誤ってはいないだろうか?と、自問自答しながら処理しています。身体は疲れませんが神経が疲れます。

 

疲れ過ぎると思考停止に陥ります。

 

あの夢は「キミが信じた道を進めばいい」と言う夫からのメッセージではなかったのかとも思っています。

 

大いなる宇宙の流れの中で、個性を持った魂は永遠に生き続けると私は信じています。

 

今生はその中のほんの一瞬。

自分で選んで生まれ、人生も選んでいる。

つまり、生まれる前に自分に自分が与えておいた問題集があり、それを解きながら成長するのが人生。死ぬ時期もちゃんと選んでいるように思えてなりません。

 

夫の母親は九州にひとりで住んでいました。夫は毎日、朝夕電話をしていました。

 

朝、元気に話をしていた母が夕方電話に出なかったのです。暑い夏の日でした。

 

夫は胸騒ぎを感じお向かいのお家に電話をして、鍵の置き場所を伝え、中に入ってもらいました。

亡くなっていました。

 

葬儀の時、近所の方から衝撃の発言を聞き、血が引きました。

 

亡くなったその日の午後、母はお散歩をしていたようです。ご近所さんにこう言ったそうです。

 

「今日も暑かねぇ。明日私はここに来る」と指さしたと。

 

指さした場所は祭儀場だったそうです。

 

「博ちゃん、私は今年の夏は越せないかもしれない」と、盛んに話していた義母。

 

「夢でお父さんが正装をして現れた。迎えに来ているのではないか?」とも言っていました。

特に疾病があったわけではありません。

 

人は何となく死ぬ時期もわかるのではないでしょうか。

 

人は死を怖がり、その話を避けようとします。しかし、死を離れて生はない。誰もが必ず人生の幕を閉じます。

その時にヘルマン・ホイヴェルスの詩にあるように、

 

「古びた心に、これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行くために」

 

と、心底思えるようになれば、少しはヨーガが身についたと言うことでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
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