一昨日、昨日と南島原市口之津町を舞台にお届けしています。
今回、口之津町に行った主目的が写真の山「富士山」です。
え?冗談はもういいって?
とんでもない!正真正銘の「富士山」です。
山頂には富士山神社だってあります。
上り口の案内板に富士山神社の由来が書いてあったのでご紹介します。
「1670年代、島原藩主 松平忠房が参勤交代の時、駿河の国(現在の静岡県)の宿で熱病に侵され、富士山浅間神社に平癒祈願のため家臣を代参させたところ、薄紙を剥ぐように(この表現がイマイチ分かりません)全治したそうです。
以来、毎年そのお礼参りをするようになりましたが、費用がかかり過ぎたそうです。(そりゃそうだw)
そこで島原藩領内で富士山に似た山を探したところ、山の形が似ているこの山が選ばれました。
1687年(貞享4年)、早々に山頂に神社を造営して富士山神社として、時の庄屋 本多次郎衛門宅に藩主自ら、または代参の家臣が滞在してお礼参りを行いました。」
登るためのコースが3つ程用意されていましたが、ほとんど登る人もいないのでしょう、2つのコースは手入れされておらず、登るのは危険なように思われました。
正規ルート(?)1本がかろうじて通れたので、登ってみました。
片道約15分かかりました。
後から調べましたが、標高は173.5mです。
日本一小さい富士山?
山頂には休憩のための東屋と古びた木造の建物がありました。
注連縄をされているところを見ると、その木造の建物が富士山神社なのでしょう。
最後に山頂からの眺めを解説すると、眼下に口之津町の町並みと口之津港が見え、早崎半島と早崎瀬戸が臨めます。
海のむこうには熊本県天草の下島が見えました。
ひょっとすると鹿児島まで見えるのかな?
今回、口之津町に行った主目的が写真の山「富士山」です。
え?冗談はもういいって?
とんでもない!正真正銘の「富士山」です。
山頂には富士山神社だってあります。
上り口の案内板に富士山神社の由来が書いてあったのでご紹介します。
「1670年代、島原藩主 松平忠房が参勤交代の時、駿河の国(現在の静岡県)の宿で熱病に侵され、富士山浅間神社に平癒祈願のため家臣を代参させたところ、薄紙を剥ぐように(この表現がイマイチ分かりません)全治したそうです。
以来、毎年そのお礼参りをするようになりましたが、費用がかかり過ぎたそうです。(そりゃそうだw)
そこで島原藩領内で富士山に似た山を探したところ、山の形が似ているこの山が選ばれました。
1687年(貞享4年)、早々に山頂に神社を造営して富士山神社として、時の庄屋 本多次郎衛門宅に藩主自ら、または代参の家臣が滞在してお礼参りを行いました。」
登るためのコースが3つ程用意されていましたが、ほとんど登る人もいないのでしょう、2つのコースは手入れされておらず、登るのは危険なように思われました。
正規ルート(?)1本がかろうじて通れたので、登ってみました。
片道約15分かかりました。
後から調べましたが、標高は173.5mです。
日本一小さい富士山?
山頂には休憩のための東屋と古びた木造の建物がありました。
注連縄をされているところを見ると、その木造の建物が富士山神社なのでしょう。
最後に山頂からの眺めを解説すると、眼下に口之津町の町並みと口之津港が見え、早崎半島と早崎瀬戸が臨めます。
海のむこうには熊本県天草の下島が見えました。
ひょっとすると鹿児島まで見えるのかな?