南島原市北有馬町にある「原山支石墓群」です。
「支石墓」は、朝鮮で名付けられたもので、“石”で“支”えられた“墓”という意味です。
一般には「原山ドルメン」の名前で呼ばれています。
ドルメンは、フランスの地方語で、ドルは「卓」、メンは「石」を意味します。
もとは3群から成っていたそうですが、第1群は開墾によって失われ、第2群は保護され一般には立入り禁止になっています。
写真の第3群は、「原山農村公園」の一角として整備され見学できます。
(だから解説板には「原山第三支石墓群」と書かれてあったのか~。)
ここには、約40基の遺跡が完在しています。
時代的には縄文時代終末期から弥生時代への転換期の頃と推測され、日本国内の支石墓遺跡としては最古最大級のものと言われています。
実はここを訪れたのは2回目です。
1回目は草が生い茂り、支石墓群を見つけることが出来ませんでした。
今回2回目にしてようやくお目にかかれました。
「支石墓」は、朝鮮で名付けられたもので、“石”で“支”えられた“墓”という意味です。
一般には「原山ドルメン」の名前で呼ばれています。
ドルメンは、フランスの地方語で、ドルは「卓」、メンは「石」を意味します。
もとは3群から成っていたそうですが、第1群は開墾によって失われ、第2群は保護され一般には立入り禁止になっています。
写真の第3群は、「原山農村公園」の一角として整備され見学できます。
(だから解説板には「原山第三支石墓群」と書かれてあったのか~。)
ここには、約40基の遺跡が完在しています。
時代的には縄文時代終末期から弥生時代への転換期の頃と推測され、日本国内の支石墓遺跡としては最古最大級のものと言われています。
実はここを訪れたのは2回目です。
1回目は草が生い茂り、支石墓群を見つけることが出来ませんでした。
今回2回目にしてようやくお目にかかれました。