島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

島原城下を歩く 終 (石垣修復)

2014-05-08 14:03:00 | 歴史・史跡
長かった「島原城下を歩く!」観察会の報告も、いよいよ今回で終わりです。
4月19日に実施したのに、報告が今日までかかってしまいました。
明後日には5月の自然観察会が実施予定です。w

先程「城下を歩く9」では、「島原城から出まして、武家屋敷へ向かっていきます。」と冒頭始まっていますが、その間に今回のメインである「石垣の修復跡」を見学しました。(表紙写真)
島原城の石垣には植物がはびこっているのですが、修復が完成した一角だけ、まっさらの岩石がむき出しになっています。
今回の石垣崩壊が引き金になって、島原城や石垣への関心が高くなったようです。
石垣も調べ直してみると、

所々に赤丸で示したように、飛び出して今にも崩れそうな場所があちこちにあるのが見て取れました。
そしてずっと以前から、崩壊しては修復してを繰り返していたのでしょう、明らかに元の石垣と違った並びの石垣も発見できたそうです。
現在では、また違った形に修復するわけにもいかずに検討を重ねているそうです。
島原城や武家屋敷は、何度も行ったことのある馴染の場所でしたが、視点を変えて見るとまだまだ新しい発見が出てくる不思議なところでした。
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島原城下を歩く9(武家屋敷)

2014-05-08 13:37:14 | 観光・施設
島原城から出まして、武家屋敷へ向かっていきます。
表紙の写真は、島原城七門のうちの一つ「西虎口門跡」です。
観察会では東虎口門から入って、お城をぐるっと一回りして、西虎口門から出たことになります。

さあ、こちらは武家屋敷の並んだ「下の丁(しものちょう)」です。
武家屋敷の通りとして観光地になっています。(訪れた方も多いのではないでしょうか。)
城内に住める上級武士と違って、一般の武士達が暮らした場所です。
お城に近い方から「下の丁」「中の丁」「古丁」とあって(町名)、築城時に一緒に建設されました。
その後、松平忠房入封時に人数(石高)が増えたこともあって、「下新丁」「上新丁」「新建」と街が拡張しました。

『篠塚邸』や『山本邸』など一部の屋敷が公開されていますが、それ以外は一般の方が普通に生活していますので、のぞき込んだり庭の草花を採取したりは絶対にしないで下さい。
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