国道57号線を小浜から雲仙へ登ってくる途中に表紙写真のような開けた場所があります。
島鉄バスのバス停もあって、バス停名は「籠立場(かごたてば)」と言います。
江戸時代から長崎は出島で外国との交流があったため、明治になると多くの外国人が長崎を訪れました。
しかし、外国人にとって日本の蒸し暑い夏は大変過ごし難く、長崎から近い雲仙が避暑地としてよく利用されていました。
なにせ長崎から茂木にぬけて、茂木から船で小浜まで渡れば目の前が雲仙です。
雲仙の標高は680m~700m、下界とは約4~5℃気温が違います。
ただし、金持ちの外国人は自分の足で歩いて登るなんてことはしません。
バカンスは長ければ2~3ヶ月、滞在期間中に必要なものは全て荷車や人足によって運ばせ、自分は列の先頭で牛車に乗っている当時の写真も残っています。
※なかにはお抱え料理人を引き連れて来る方もいたようです。
まあ、そこまでではなくても「チェア駕篭(かご)」と呼ばれる乗り物で登ってくるのが一般的だったようです。
「チェア駕篭」とは文字通り、椅子(チェア)に棒を通して駕篭のようにした乗り物です。
広場に再現した物があります。
椅子の前後を人が抱えて登って来るわけです。
ところが海抜0mから一気に標高700mまで、人一人を乗せて登れるわけもなく、必ずここで駕篭を立てて休憩しました。
そこで「籠立場」という地名がつきました。
島鉄バスのバス停もあって、バス停名は「籠立場(かごたてば)」と言います。
江戸時代から長崎は出島で外国との交流があったため、明治になると多くの外国人が長崎を訪れました。
しかし、外国人にとって日本の蒸し暑い夏は大変過ごし難く、長崎から近い雲仙が避暑地としてよく利用されていました。
なにせ長崎から茂木にぬけて、茂木から船で小浜まで渡れば目の前が雲仙です。
雲仙の標高は680m~700m、下界とは約4~5℃気温が違います。
ただし、金持ちの外国人は自分の足で歩いて登るなんてことはしません。
バカンスは長ければ2~3ヶ月、滞在期間中に必要なものは全て荷車や人足によって運ばせ、自分は列の先頭で牛車に乗っている当時の写真も残っています。
※なかにはお抱え料理人を引き連れて来る方もいたようです。
まあ、そこまでではなくても「チェア駕篭(かご)」と呼ばれる乗り物で登ってくるのが一般的だったようです。
「チェア駕篭」とは文字通り、椅子(チェア)に棒を通して駕篭のようにした乗り物です。
広場に再現した物があります。
椅子の前後を人が抱えて登って来るわけです。
ところが海抜0mから一気に標高700mまで、人一人を乗せて登れるわけもなく、必ずここで駕篭を立てて休憩しました。
そこで「籠立場」という地名がつきました。