島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

写真展準備中

2012-12-16 16:48:26 | 雑談・その他
昨日までの雨で白く雪化粧していた平成新山も、一気に雪が溶けて黒い岩肌が見えています。
昨日書くはずだった文章が書けました。w

さて、昨日の記事にもしましたが、年末年始特別企画展の準備真っ最中です。
メインになる大きいサイズの写真はプリントアウトが終了しました。
あとは周りを飾る小さいサイズの写真の飾りつけで、一応は完成です。
去年までは以上の行程で完成だったのですが、今年はもう少しイベントの中身が分かりやすくならないかな?と思い、附属の資料を準備しようかと考えています。
写真展の開催は今週土曜日22日からです。
間に合わないかも知れませんが、ちょっと工夫してみます。
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雨のたるき台地

2012-12-15 13:29:23 | Weblog
昨日から気温が上がり、暖かいたるき台地です。
今朝の気温が13度ありました。
お山雲仙でも暖かく、雪ではなく雨が降っています。
「この雨で白く化粧をしていた平成新山も、一気に雪が溶けて黒い岩肌が見えています。」
という記事を書こうとしたら、雲で何も見えません。
昨日、お休みでしたが、期日前投票に出掛けていたため新しいネタも撮り貯めてきていないんですよね~。
今は来週末から開催予定の「イベント写真展」の準備で大忙しです。
詳細はHPにアップしていますので、ご覧になって下さい。
あ、あと1月の野鳥観察会も予約受付開始しましたので、こちらも宜しくお願いします。
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三方向からの平成新山

2012-12-13 15:14:09 | 平成新山
久しぶりの青空です。
白く雪化粧した平成新山が、青空の下、大変映えていたので出勤中に車を停めながら撮影してきました。

まずは旧大野木場小学校から少し下った場所から。
溶岩ドームを正面から捉えています。

次はまゆやまロードの途中から。
溶岩ドームから流れた火砕流・土石流が裾野に広がっているのが見えます。
ちょっと斜めからの撮影になります。

最後に当センターの駐車場から。
いつも見ている景色ですが、澄んだ朝の空気は違いますね。
真横から見ている形になります。
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雪化粧の平成新山

2012-12-12 13:29:34 | 平成新山
初冠雪を記録してから、ずっと白塗りの平成新山です。
気温も上がらず、雲も取れず、一度積もった雪がなかなか溶けないようです。
また、積もるほどではない程度ですが、新たな雪も降っています。
下界で小粒の雨が降っていると、雲仙は小さな雪になっています。
垂木台地も例外ではないらしく、

シェルターの外壁に使われている島原石の凹みに雪が残っています。
帰宅後、もしくは出勤前に雪が降っている証拠です。

さて、先日諏訪の池に1月観察会の下見に行ってきました。
今回は諏訪の池に渡ってくる冬鳥の観察に行きます。
詳細は、明日中にホームページなどにアップしたいと思います。
下見だけでも約30種類の野鳥が記録出来ました。
もちろん、講師をお願いする先生方のお力が大きく、私自身が目視で確認できたのは20種類でした。
それでも垂木台地では植生回復の過程上、野鳥の観察には向かないので、ちょっと足を伸ばしただけでこれだけ数多くの野鳥が観察できたことは驚きでした。
(正直、初めて見た野鳥もいました。)
寒い時期の開催になりますが、部屋の中に閉じこもってばかりいないで、冬の自然観察を楽しみに一緒に出掛けませんか?
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サルトリイバラ(実)

2012-12-09 13:41:07 | 植物
午前中までは雪化粧を施したお山の姿も見えていました。
垂木台地の今朝の気温は3度でした。
今現在、垂木台地は白い雲(霧)に包まれ、視界が利かない状態です。
気温も2度と、朝より下がっています。
さて、この数日雪や霜柱など色味に少ないものの掲載が続いていたので、ちょっと色の濃いものをご紹介します。

園内で見つけた「サルトリイバラの実」です。
サルトリイバラは、昨年(2011年)の4月21日の記事で紹介しています。
その時の記事では「秋にこの場所で赤い実を見つけたことがないので、これは雄株かな?」と書きました。
場所が違うので同じ個体ではないでしょうが、赤い実を見つけることが出来ました。
雌雄どちらも垂木台地に成育していることが分かりました。
少しづつ植生が回復していっているのが感じられます。
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本日の平成新山

2012-12-08 13:23:54 | 平成新山
本日は「眉山登山会」の予定でした。
残念ながら雨天中止です。
昨日の夕方の天気予報で、「昼前から雨か雪、降水確率50%」だったので安全のため中止の決定をしました。
出勤時、雲仙では小粒の雨がパラパラと降る程度。
57号線を下ってくると雲の隙間から晴れ間の見える天気に・・・。
「中止の判断は間違っていたか!?」と思っていましたが、開始予定時間には垂木台地で本格的な雨が降り始めました。
「ただでさえ寒いのに、雨に濡れての登山会を実施しなくて本当に良かった。」とホッとしました。
お昼から少し雨があがって、お山が見えるようになりました。
麓では雨でしたが、雲の中に隠れていたお山は雪だったようですね。
昨日より少しだけ白い部分が増えています。
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長崎甚左衛門居宅跡

2012-12-07 14:34:06 | 歴史・史跡
思ったよりも延びた横瀬浦紀行も最後のアップになります。
本当は丁度お昼の時間になったこともあって、食事に立ち寄った「海の駅 船番所」なども紹介したかったですが、食事に夢中で撮影し忘れました。(外観など1枚もなし、横瀬浦に歴史散策に行く時は是非お薦めします。w)
表紙の写真にはなんだかモダンな建物が写っていますが、ちょい左端に注目して下さい。
史跡を示す石柱があります。
ここは「長崎甚左衛門居宅跡」です。
覚えておいででしょうか?長崎甚左衛門。
時津出身の私と少なからぬ縁のあるお人です。
2011年2月20日の記事に「長崎甚左衛門の墓」を掲載しています。
長崎の領主14代目です。
奥さんがキリシタン大名 大村氏18代当主 大村純忠の娘(三女)です。
大村純忠と共に横瀬浦で洗礼を受けたと考えられています。
秀吉によって長崎を追われ、筑後柳川の田中吉政に一時仕えて、その後横瀬浦に戻り、1621年に七十年余りの生涯を時津で閉じました。(横瀬浦→長崎→筑後→横瀬浦→時津?)
長崎港と横瀬浦港の両方の開港に関わったのが長崎甚左衛門です。
それで横瀬浦には長崎市と共通した地名が残っているのです。
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季節の便り

2012-12-07 13:03:21 | Weblog
昨日の初冠雪と初雪に目をとられ、見落としていたかも知れません。
今朝、園内で霜柱を見つけました。
昨日から今日にかけてたるき台地がいかに冷え込んでいるか分かると思います。
さて、平成新山の麓の雪はほとんど溶けてしまいましたが、山頂付近の北西方向はまだ白く雪が残っています。
宜しければご覧になりに、温かくしておいでください。
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平成新山初冠雪2012

2012-12-06 13:03:25 | 平成新山

本日(12/6)、平成新山に初冠雪を確認しました。
昨晩、島原半島は荒れた天気で、強風や雷が鳴っていました。
おそらく雹か霰も降っていたのでしょう、外からはバラバラと物が叩きつけられる音がしていました。
今朝、出勤してくると垂木台地にもうっすらと雪が残っていました。
昨年は12月10日に初冠雪・初雪を確認しているので、4日早い初冠雪・初雪になります。

「初冠雪日を予想しよう!」は36名のご投函があり、うち1名“のっく”さんが的中していました。
的中おめでとうございます!
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天主堂(教会)跡

2012-12-05 11:41:09 | 歴史・史跡
歩いていると横瀬浦が小さな港町であることが分かってきました。
しかし、その小さな町が一所懸命 450周年記念を盛り上げているのが分かります。

観光地にある顔出しパネル。

街灯にも450周年を記念する垂れ幕がありました。
さて上の写真、中央に撮影した小高い丘が「天主堂(教会)跡」です。
11月26日にアップした港を上から撮影した写真はここから撮りました。
「前庭から四段ほどで大きな門に至るが、その内側に奥行きと幅が8ブラサあまりの方形の庭があり、それを真正面にして奥行きが9ブラサ、幅が5.5ブラサの教会が建つ。」(1562年10月25日付横瀬浦発信修道士ルイス・デ・アルメイダの書簡より翻訳要約)
※1ブラサは約2.2m。1間あるいは1尋と解した場合、約1.8m。
港に入ってきてすぐに小高い丘があり、その丘の上に教会が建っていた地理的条件は、口之津港と共通しています。
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