島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

眉山登山会60

2014-11-22 15:41:19 | 眉山
記念すべき60回目の「眉山登山会」を開催しました。
が、開催している私自身がそのことをすっかり忘れていました。
まあ、私に限って言えば下見も含めて100回以上登っているので、もう何回目であろうと驚きもありませんが。
それはさておき、気候的に見るべき植物も少なく、渡ってきていたはずの冬鳥も今日に限って暖かい日和にどこか行ってしまい、解説するものに非常に苦労させられました。^^;
しかし、山頂からの見晴らしだけは良かったです。
昨日の午後から雨が降ってくれたおかげで、すっきりとした空に、対岸の熊本、諌早湾の干拓堤防まで見渡すことが出来ました。
地元島原からの参加者が多かったので、ご自宅を探している方もいました。
自然観察にはむきませんでしたが、登山には持ってこいの日でした。
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上井牟田の歴代庄屋の墓

2014-11-21 13:15:37 | 歴史・史跡
昨日の「唐比展望公園」へ行った日とは、また別の日に井牟田周辺の文化財を散策しに行きました。
この日は天気が非常に良かったです。
以前から「井牟田の集落」と紹介していましたが、よく調べてみると井牟田は上(かみ)と下(しも)の二つに分れている事が分かりました。
今回散策したのは上井牟田の集落で、農業研修所に車を停めさせていただいて歩き回ってきました。

案内に従って、坂道を登っていきます。
(表紙写真)
諌早市指定の史跡「上井牟田の歴代庄屋の墓」です。
「上井牟田は、島原から長崎へ通じる交通の要衝です。この地には仏禄寺(ぶつろくじ)や蓮光寺(れんこうじ)など複数のお寺が存在していたことからも多くの人が住み、栄えた所でありました。
 その頃、この地を治めていた庄屋の古い墓石(江戸中期から後期までのもの)が残され、歴史の古さを示しています。
 このように庄屋11人の墓を並べて建ててあるのは全国的にも珍しく貴重な遺跡と言えます。
2002年4月3日 諌早市教育委員会」

流石に庄屋さんのお墓がある場所です。
眺めが良く、上井牟田を見渡すことができます。
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眉山の紅葉情報

2014-11-21 09:25:50 | 眉山
明日の眉山登山会のために、昨日の午前中下見に登ってきました。
結論から言いますと、すでに紅葉は散り始めています。
雲仙・仁田峠は勿論のこと雲仙の温泉街も散り始めています。
今年はあまり色づきは良くなかったです。
夏の長雨で、日照不足だったことが大きな影響を与えたのだと思います。
やっぱり夏は暑く、冬は寒くなくちゃ自然もキレイな姿を見せてくれませんね。
この冬は寒くなるかな~?
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唐比展望公園

2014-11-20 18:13:43 | 観光・施設
昨日アップする予定だった記事です。
3枚の写真がアップデートできずに、急遽「センターの女帝」に記事を差し替えました。

休みの日ごとに諌早市森山町を訪問しているような気がします。
今回訪れたのは「唐比展望公園」です。
以前から名前は知っていたのですが、至る道がまったく分からずにいました。
今回、ようやく道を見つけましたが、軽自動車でも離合できないような狭いうえに急な坂道でした。
天気がいまいちでしたが、晴れていれば絶景の展望を楽しめます。

島原半島、普賢岳方向ですが、平成新山などは雲の中に隠れています。

もう少し南の橘湾です。
「春から秋までは季節の花が咲き、芝生広場では草スキーを親子で楽しんだり、バーベキューをするグループも見かけます。
家族連れやグループで爽やかなひとときが過ごせるスポットです。」(もりやま散策マップ より)
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センターの女帝

2014-11-19 17:14:11 | 野鳥
鏡を覗き込む、ジョウビタキの雌。
「私、キレイ?」と、自分の美貌にうっとりしているかと思いきや。

「しゃ!んなろー!!」とプロレスラー並のボディアタック炸裂!
ジョウビタキは日本には冬鳥として渡来し、主に雪の少ない地方で越冬します。
越冬期は、オスもメスも1羽ずつ縄張りを持って生活します。
このボディアタックも鏡に映った自分の姿を、縄張りに侵入してきた敵だと思っているわけです。
今冬、センターの近くでオスのジョウビタキを見かけないのは、このメスが全部追い払った結果だと推測されます。
「女帝誕生」です。
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森山西小学校のアベマキ

2014-11-17 11:19:07 | 植物
明治三十年(1900年)、内田格(さきた)氏が台湾での教職を辞め帰国し、森山西小学校に勤務することになって、持ち帰って植えたものです。
幹周りは地上55cmの高さで3.65m、樹高は約17mです。
ブナ科の落葉高木で、クヌギによく似ています。
大陸系の植物ですが、対馬や中国山地にも多く、樹皮からはコルクが採取されることから「コルクの木」とも呼ばれます。
この種の独立大木は九州では珍しく、文化財としての価値が極めて高いとされ、昭和五十六年三月長崎県文化財審議会において、長崎県指定天然記念物として指定されました。
このアベマキは、森山西小学校の校庭にあり、子供たちに憩いの場を提供しています。
が、部外者である私が入っていくにはドキドキしました。
ちょうど校庭の清掃をされている方がいたので、声をかけ、許可を得て撮影してきました。
学校はいつからこんなに敷居の高い場所になったのでしょう。
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陣野家墓地

2014-11-16 13:32:04 | 歴史・史跡
諌早市の指定史跡「陣野家墓地」を探しに行きました。
地図で示されたあたりに案内板がありました。
それには「この史跡は、お寺の裏側にあります。右側石段をご利用ください。」と書いてある。
え?お寺の裏?(お寺はすでに廃寺になっているようでした。)
寺の裏に入っていけそうなスペースはないぞ?
それに右側石段?
石段どころか右は民家だぞ?
?ばかりだ。
一度この入口から離れて右へ右へ歩いて行ったが、それらしきものは何も見当たらない。
丁度人がいたので聞いてみたが、「分からんもんね~」の一言で教えてくれない。
もう一度探して見つからなかったら諦めるか、と戻って民家の庭を突っ切ってみた。

あった!が・・・これを登れってか!?
崩れかかった石段を注意して登ると解説板があった。
以下、解説板より(解説にあわせて写真を入れ込んでみました。)

この高台から見下ろす水田地帯は、かつては有明海の一部であり、天然の良港として船の出入りも多かったと伝えられています。
江戸時代にこの地を治めていた諌早藩は財政状態が貧弱であったので、その対策として干拓事業を積極的に進めました。
森山地方の干拓に先鞭をつけたのが有力な士族であった初代陣野甚右衛門徳昌(じんうえもん のりまさ)であります。代々陣野家では先祖の意を継ぎ、耕地の拡大(約15.6ha)に尽くしてきました。
寛文十三年(1673年)に万灯籠(まんとうごもり)の完成を期に弁財天を、それから26年後の宝永六年(1709年)に父母並びに祖父のご恩に報いるため、六喩庵(ろくゆあん)

と三重宝塔を

第三代陣野与四右衛門信秀(よしうえもん のぶひで)の手によって建立されました。
2002年4月3日 諌早市教育委員会

文章中の万灯籠がよく分かりませんが、一番最後の写真の一番左に写っているものだろうか?
弁財天は、一番最後の写真の右に写っている小さな社の中にいるようです。
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森山図書館とみそ五郎の石

2014-11-15 14:09:22 | 民話・伝承
体調不良の昨日の午前中(朝からはまだそんなに悪くなかった)、諌早市立森山図書館まで行ってきた。
前回諌早市役所へ行った時は、火曜日で休館だった。
役所では分からなかったことでも、案外図書館だと分かることも多いのだ。
開館は10時からで、少し早く到着し過ぎた私は周辺の文化財を見て回ることにした。(後日紹介します。)
時間になったので入館し、来館した目的を説明する。
さすがに「みそ五郎の石」について直接知っている人はいなかったが、森山町(諌早市と合併する前)の町史について書かれた『森山町郷土史』を紹介された。
早速目次に目を通してみると、「みそ五郎の石」の項目があった。
現代の人は知らなくても、昔の人はこうして書物に残してくれるから助かる。

以下、私が読んだ文章をうろ覚えに記載します。w
「みそ五郎の石は元々道を挟んで2つあった。もう一方は道路整備のために撤去されたという。
(柿のおじさんが言っていたことと一致する。)
2つの石には同じ位置に手の平の形が残っていて、みそ五郎が石を割った時についたものだという。
さらにみそ五郎は石を割る時に蓮華石岳(読みが分かりませんが、森山町にある山です。)と温泉岳(現在の雲仙岳)に足をかけて踏ん張ったそうだ。
ところが勢いあまって獅子喰岳(同じく読みが分かりませんが、森山町に・・・)の山頂を蹴飛ばしてしまったそうだ。
その時に蹴り飛ばした土砂で出来たのが、諌早湾に浮かぶ三ツ島(大島・中ノ島・沖ノ島)」とのことだった。
最初の一文以外はおじさんの話には出てこなかったな。w
島原半島と熊本の三角半島の間に浮かぶ「湯島(別名;談合島)」も、みそ五郎が作った島だ。
みそ五郎・・・、島ばっかり作っているな。
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福田渭水(いすい)

2014-11-15 11:16:00 | 人物
急に寒くなったので、体調を崩してしまい、昨日(休日)の午後からずっと寝ていました。
今朝起きると、かなり回復していたので、普通に出勤しています。(少し鼻声ですが)
皆様もくれぐれご自愛下さいますように。

さて、諌早市役所へ行った時のお話です。
道を挟んだ向かいに市役所の駐車場があるのですが、駐車場に2基の頌徳(しょうとく)碑があります。
頌徳とは、功績・徳行を褒め称えることです。(国語辞典より)
土橋貞恵(ていけい)と福田渭水、お二人の頌徳碑ですが、土橋貞恵は今後も紹介する機会がありそうなので、今回は「福田渭水」についてご紹介しようと思います。
「福田渭水は、幕末の諌早領の学者・教育者です。
文政元年(1818年)、商家に生まれ、七歳で高柳家塾に入門したあと、学問に親しみ、やがて諌早の郷校である好古館の先生となり、子供たちの育成につとめました。
長崎に出て洋式兵学を学び、外国船来航にあたり長崎警備の任を果たしました。また、好古館の教育改革を提言し、私財を投げ出して推進しました。」(諌早市教育委員会)
幕末の人らしく、1866年に49歳の若さで亡くなっています。
撮影した時には気づいていなかったが、一番右の石柱に「好古館跡」と刻まれている。
ここに「好古館」があったのか。
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本日の平成新山

2014-11-13 12:27:13 | 平成新山
久しぶりの平成新山です。
今朝のたるき台地は冷え込んでいます。
気温は9.5℃、この冬初めて2桁を切りました!
天気も曇天模様で、日が射していたのは朝のうちだけでした。

追記;午後2時現在の情報です。
仁田峠で初雪が観測されたそうです。
しかし、麓(たるき台地)からの積雪は確認できません。
初冠雪日予想は継続します。
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