島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

深江町妙行寺

2019-01-11 11:41:54 | 寺社・仏閣
こちらも深江町の住宅街の外れ付近に建っています。(キリシタン墓碑とは反対側)
 「馬場名八立にある。慶安元年(1648年)僧 開然(かいねん)の開基。本尊は阿弥陀如来。万治元年(1658年)に創建された。もとは東本願寺だったが、宝暦六年(1756年)に第五世住職正好の時、西本願寺に転属した。
 昔は壮大雄麗な堂宇、堂塔、楼門などがあったが、島原の乱の時焼失したと伝えられるが年代的に疑問がある。現在は尊厳で、しかもモダンな堂が完成している。その前の建物は庄屋元にあった庁舎だったと伝えられる。」(深江町郷土誌)
今回参考にしている「深江町郷土誌」は昭和四十六年(1971年)発行のため、現在とは違っているかも知れない。
大きな黄葉する樹木が目印になる。(イチョウかな?確認して来なかった。)

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更新忘れてた!ごめんなさーい

2019-01-09 16:23:37 | Weblog
午後から来客の嵐で、ブログの更新忘れてた。ごめんなさい。
仕事も1つ片付ける筈のものを忘れてた。w
明日1日休みなので、明後日やります、ブログも更新します。
ああ、もうそろそろ閉館の時間だ。
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深江町木野神社

2019-01-08 13:17:28 | 寺社・仏閣
深江町内の住宅地を歩いていると立派な樹木を見つけた。
葉っぱを全部落としてしまっているので樹種は分からない。(落葉樹だって事は分かる。w)
神社境内の一本なので、御神木なのだろう。
神社の正面に回ってみる。

「木野神社」というらしい。
郷土誌を調べてみたが、詳しい事は掲載されていない。
「諏訪名下市場にあり、祭神は“タカオカミノミコト”(漢字が難しくて書けません。)で、祭日は旧九月二十九日。タカオカミノミコトは雨を司る神である。」
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深江村庄屋屋敷跡

2019-01-06 13:14:55 | 歴史・史跡
ここは南島原でも有名な結婚式場「ウェディング石川」です。
その一角にこんな石碑が置いてあるのをご存知でしょうか?

「肥前国島原藩 深江村庄屋屋敷跡
 江戸時代、島原藩主より命ぜられ 深江村の納税・その他の事務を統轄した吉田家の屋敷跡地です。吉田家は代々吉田助衛門を名乗り、天保十一年(1840年)◯13代続いています。安永七年(1778年)時の当主 吉田助衛門矩景が“古江名”出ノ川にある観音堂に供養塔を建立しているのが現在も尚立派に残っています。」
もうちょっと詳しい事は調べなければなりませんが、庄屋の屋敷跡という広い敷地だったからその後に結婚式場が建ったんだな。
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深江町(井手口)のキリシタン墓碑

2019-01-05 12:53:48 | 歴史・史跡
深江町内を歩き回っていると、住宅街の外れ(というほど外れてもいない、近くにはJA島原雲仙深江支店もある)に墓地を見つけた。
興味本位で近寄ってみると見覚えのある看板が見えてきた。(表紙写真)
へぇ〜、ここは深江町のキリシタン墓碑だったのか。
「キリシタン墓碑は、1549年のキリスト教伝来から迫害の強まった十七世紀前半にかけての西洋式墳墓で、県下では島原半島が最も多く残り、百三十基が確認されている。
 深江町のキリシタンについては、深江城主安富氏が、深江を去った天正十二年(1584年)以降盛んになったと思われる。(※沖田畷の戦い;安富氏が寝返って味方した龍造寺軍が敗走した。)
 当井手口墓地では、昭和十一年(1936年)五月、寺田猛氏が調査した結果、八基(現在中学校に一基)を発見した。
 この墓碑はいずれも安山岩の地元の石(平型六基、平庵型二基)で建てられ、本来伏碑であるべきだが、立碑として地元の人に祀られたり、中には放置されていたのもある。それで保存のため集め整備したものである。
 県下のキリシタン墓碑の中、全石文でひらがなが初めて用いられ、漢字の草書も非常に珍しい。又年代の確認できるものが十三基中三基、銘が確認出来るもの十一基中三基、特に埋葬人の洗礼名・氏名・死亡月日の名が刻まれているのは、文化財として貴重な墓碑である。」(昭和六十三年三月建立 深江町教育委員会)
一部文字がかすれ消えかかっているが以上のような文章だ。
合併前の町の時代には文化財に指定されていたようだが、今では国・県はおろか、市の指定文化財からも外れているらしい。
市町村合併の際に文化財枠から落選したのだろう。
世界遺産登録で脚光を浴びる一方、こうして日陰に堕ちて行く史跡を見るのは非常に残念なものだ。
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深江漁港

2019-01-04 11:35:33 | 南島原
深江町内をぐるぐると歩き回っているのだが、これといった名勝・史跡を見つける事が出来ない。
(昨日は1月3日で図書館等が休みで調べられなかった。)
地元しか知らないような、面白そうな神社や石碑があってもよさそうなものだが。
そして行った事の無い場所、入った事の無い道に入ってみると「深江漁港」に行き着いた。
「へぇ〜深江に漁港なんてあったんだ。」
そう言えば、深江町は山手ばかりで海端には来た事なかったな〜。
なかなか良い風景だったので、撮影してきた。(表紙写真)
正面の小高い山は眉山だ。
左側の高い山が平成新山・普賢岳になる。
噴火当時は夜中になると赤く焼けた溶岩が見えただろうな。
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廃深江駅

2019-01-02 12:47:03 | 南島原
休みの日でも用事があって多良見町まで出掛けられない時もあります。
そんな時は身近な半島内のネタ探しに出掛けます。
今回は深江町内を歩いてきました。
正月早々あまり縁起は良くありませんが、廃線になった島原鉄道南線の深江駅を見つけました。(表紙写真)
懐かしい・・・のかな?
自分の母親が深江町出身だった事もあって、幼少の頃からよく深江町には来ていました。
一度だけ島鉄で里帰りした記憶があるのですが、その時に下車した駅なのかな〜?

平成20年(2008年)、島原外港駅以南の南目線が廃線になった時、深江駅も廃止になりました。
あまり記憶に残っていませんが、ノスタルジーを感じる駅舎です。
駅構内まで入れたので撮影してきました。

線路に使用されていた鉄材などは高くで売れるため、廃線になるとすぐに撤去されました。
一時期「廃止された南目線を観光に活かせないか」との話もありましたが、全く何も利用される事無く今に至っています。
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2019年新年のご挨拶

2019-01-01 12:42:06 | Weblog
新年あけまして おめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりました。
本年も宜しくお願い致します。

妙見岳に霧氷が着いていると言うので、朝から撮影に行ってきました。

しかし、仁田峠から上は雲の中。
仁田峠でも霧氷が着き始めていたのですが、そこはそれ、妙見岳までは行かなければと妙な使命感で行ってきました。

ですが、雲の中なので勿論、普賢岳・平成新山はおろか麓の仁田峠・雲仙温泉街もさっぱり見えませんでした。
観光客の姿は混雑するほどではありませんでしたが、そこそこ見られ、なかには登山の格好をした人も見受けられました。
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