昭和40年4月27日は私が自衛隊に入隊した日である。もう47年も前かと思うと感慨深いものがある。大学受験に失敗した私には浪人は許されなかった。それは父から最初から言われていたのでやむを得なかった。入隊前の約1カ月、これからどんな道を進もうかといろいろ考えた。外航船に忍びこみブラジルに密航し成功してやろうとかその他いろんなことを考えた。数学が好きなわりには物理や化学があまり好きでなく理系の防衛大学は進学担当の先生から、到底無理と言うことだった。前年の秋に海上自衛隊の航空学生の試験も受験し、それも失敗した。そうか、じゃ・・と言うことで陸上自衛隊の一般隊員(2等陸士)として入隊することを決意し地方連絡部に問い合わせし、下関で受験した。当時の自衛隊の募集は規定年齢の日本国籍の健康な男子であれば<誰でも>入隊できるくらいレベルの低いものだった。母は入隊の前日、二人で草取りをしながら私の入隊のことなどを話しながら私の将来を気遣ってくれたのをよく覚えている。山口の教育隊に3カ月、静岡県駒門戦車教育隊に3カ月、赴任地は北海道札幌市の真駒内11特科連隊~11師団司令部~海自幹候(以後定年まで海自勤務)・・・・と37年間の自衛官としての人生が始まった記念すべき日だ。それにしてもいつも思うのだがこの長い自衛官勤務の間、私自身は勿論、部下も(仮想)敵も含め戦闘などで殺し合うことなく、また、東日本大震災のような悲惨な災害派遣等にも遭わず、おおむね何事もなくリタイアできたことに自分の人生に感謝している。その間の多くの上司、先輩に恵まれ、今でもお付き合いさせていただいていることにも有難いと思っている。わが人生悔いなし。人間万事塞翁が馬だ。【写真:昭和40年8月静岡県御殿場市の駒門戦車教育隊当時:なお、戦車は米軍供与のM4シャーマン中型76mm戦車砲搭載定員5人(これで大型特殊免許を取得した)】