横浜のほほん・続

植物や生き物を見ながら歩いて感じたことなどを中心に日々を綴る。

三千院、わらべ地蔵

2021-12-25 06:23:53 | 日記



三千院。宸殿から往生極楽院え向かう道の両側は苔が広がっている。







左奥は宸殿から眺めた庭園・有清園が続いている。
有清園の一部をなす弁天池の向こうに見えるのは宸殿だ。







こんもり剪定されているのはサツキであろうか。
庭には何体かの仏様が立っておられる。







古びた石灯籠の姿もあった。木の脇に見えるのはシャクナゲの葉のようだ。
三千院はモミジのほかにサツキやシャクナゲも美しいと有名だそうだ。

加えて何やら小さな石仏のようなものが見える。







小さなお地蔵さんだ。わらべ地蔵と呼ばれているらしい。
このあたり苔の上や少し顔を出したり六体のわらべ地蔵があるそうだが、ちょっと取り損ねた。







池の畔にも小さなお地蔵さんのような石仏が見える。
手前に赤い実をつけているのはヤブコウジであろうか。

京都に住んでいれば、季節も変えて何度も訪れたいと思う庭だ。



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庭が楽しめる

2021-12-24 06:04:56 | 日記



京都大原・三千院・・・ちょっと歌のような響きがある。
天台宗のお寺である三千院は最澄の時代に比叡山に建立された庵・円融房が始まりで、
その後あちこちに移転して明治4年に現在の地で三千院という名前になった。
この際に隣接する極楽院(明治18年に往生極楽院と改称)を吸収したそうだ。

比叡山延暦寺の門跡寺院で、青蓮院、妙法院と並び三門跡とされる。







拝観は客殿から上がり宸殿へと回る。
室内は撮影禁止だったので、池泉鑑賞式庭園の聚碧園(しゅうへきえん)を鑑賞する。
ゆっくりするなら薄茶を頂きながらという事も出来る。







宸殿へ向かう廊下から中庭が見えた。「つくばい」が二つ並んでいて珍しい。
立て札には、「清浄水  佛法洗心」と書かれている。







御所の紫宸殿を模して作られたという宸殿から往生極楽院に向かう左手には有清園がある。
自然の傾斜を生かした池泉回遊式庭園で平らな部分には苔が広がっている。
紅葉の頃は違った趣があったことだろう。







有清園を見ながら歩いて行くと、三千院の中で最も古い往生極楽院がある。
寺伝では寛和2年(986)に恵心僧都が建立した極楽院がルーツであるとされている。
国宝・阿弥陀三尊像を安置し、建物は江戸時代に大改修されたものらしい。
明治時代になって極楽院が往生極楽院と改称されたそうだ。







数人の人たちが庭の手入れをしておられた。
紅葉の季節が終り、落ち葉を取り除いたりもしているのかもしれない。







弁財天の脇から紫陽花苑を抜けて上がっていくと金色不動堂がある。
護摩祈祷を行う祈願道場として平成元年(1989)に建立されたそうだ。







さらに奥に向かうと平成8年建立の観音堂がある。
その周りには、縁を結んだ人たちが奉納された小さな観音像が無数に安置されていた。






境内をぐるーっと回った締めくくりは、起源の名を残す円融房だ。
ここでは写経も体験できるらしい。

紅葉の頃は境内一帯が綺麗だったと思うが、人もいっぱいだったに違いない。
今回は静かに歩くことが出来て、これはこれで良かった。


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呂律が回らない

2021-12-23 06:23:16 | 日記



寂光院の後は三千院に向かった。
道沿いには漬物屋さん、お土産屋、カフェなどいろいろな店が並んでいる。







11月だと綺麗だったろうなと思わせる景色もあちこちで見られた。







今は大原女もちょっと寂しそう。







漬物屋さんは漬物樽をいくつも並べているが、平日の曇り空で人通りは多くない。







左手に見える橋で川を渡ってちょっと上がると畑が広がっている。
先の漬物屋さんの赤紫蘇畑らしい。







この道はずっと川沿いを上がって行っている。
川の名は呂川。近くに律川というのも流れているようだが、探しには行かなかった。
どちらも勝林院あたりから流れ出ているらしい。







川向こうに看板が出ていて、呂川と律川それに「呂律が回らない」の説明があった。
上流の魚山大原寺勝林院は来迎院とともに声明による念仏修行の道場であった。
声明の音階に十二律あり偶数の音階を呂(りょ)奇数の音階を律(りつ)というそうだ。

そして魚山から流れ出る二つの川を呂川と律川と名付けたらしい。
帰ってから調べて分った話で、そんな事なら律川も見に行けば良かったと思った。







三千院の境内に小さな六地蔵たちが並んでいるところがあった。
その傍を流れる小さな川・・・後になって律川であることを知った。
現地では、なんともまあ呂律が回っていなかった、ようなものだ



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寂光院

2021-12-22 06:00:55 | 日記



寂光院へ向かっているとセンニンソウが咲いていて驚いた。
大原は京都市内よりは寒いと思ったのだが・・・仙人は都会より山の方が好き?







寂光院の門前には階段が続いていた。







門からすぐに本堂が見える。
寂光院は推古2年に聖徳太子により創建され、本尊は六万体地蔵菩薩だ。







21年前、本堂が放火により焼失し本尊もほぼ焼けたが胎内の小さな地蔵菩薩は無事であった。

本堂は5年後に再建され、新たな本尊も作られた。また焼けた本尊も手当を施し収蔵庫にあるそうだ。








回遊式四方正面の庭。人の少ない季節で静かなものだ。
寂光院は壇ノ浦で平家一族が滅亡した後、建礼門院徳子が第3代住持となったことでも知られる。
建礼門院は清盛の娘で高倉天皇の中宮、安徳天皇の母である。







平家物語の大原御幸(後白河法皇が建礼門院を寂光院に訪ねた)に出てくる姫小松だそうだが、
この松も先の火災により甚大な被害を受けて幹の下部だけが残されている。

向こうの鐘楼は江戸時代に建立されたものだが、平家物語に因み諸行無常の鐘と呼ばれている。







続いて三千院を目指してバス停付近に戻ってくると一本の椿が気になった。







枝分かれした幹が成長したと思ったら、またくっついたり枝分かれしたり、
よほど離れがたいのだろう。








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大原で愛宕

2021-12-21 06:01:38 | 日記



京都に用事があったので大原にも立ち寄った。
紅葉の頃は賑わったと思うが、今は静かなものだ。

少し曇っているが、向こうに見えるのは滋賀県境・比叡山辺りの山だ。







大原は柴漬けでも有名で季節によっては赤紫蘇がいっぱい植えられているが、今はそれもない。







寂光院や三千院への道を歩いていると、あちこちで愛宕大神の灯籠を見る。
京都嵯峨の愛宕山にある愛宕神社との関係は調べ切れなかったが、
この近くに愛宕郷(於多岐)という郷があったそうだ。
明治12年には今の左京区全域に北区、東山区の一部を含めて愛宕郡ができた。
あたご郡ではなく、おたぎ郡と発音する。むかし京都に住んでいたのに初耳の事柄だ。

この灯籠の愛宕大神は「おたぎおおかみ」だろうか。その社はどこにあるのだろうか。







寂光院への道すがら、ある屋敷の植え込みの草の間の青色の実と奥に橙色の実とが見えた。







このきれいな青色はジャノヒゲの実だろう。久しぶりに見た。







立ち上がったマンリョウの木のまわりに植えられているのはオモトのようだ。







そういえば万年青の花を観察した記憶がない。いつかどこかで見たいものだ。



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