どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

忙しかった

2015-07-05 01:19:50 | 日記

 

忙しすぎてブログの更新もままならなかった。というか忙しいとネタすらも思いつかないものだ。ささいなネタでも料理法ではなんとかなるものだが、考える時間が少なすぎて全くまとまらない。平凡に着地して終わりというのはどうもいただけない。

自民党の大西議員の件なぞは、平凡すぎた。その上本人がさらに議員資格剥奪されてもおかしくない発言をしたのに、それ以上の突っ込みもしなかった。できなかったのではない。平凡な答えしか出なかったからだ。「馬鹿だね。」それ以上はでてこない。

 

 

ただここに、「人は感情でしか動かない」という項目を入れると変な感じになる。特に朝日新聞を名指しで糾弾しているところなど、記者会見の場でやれば、記者にとっては「美味しい」ネタであって、さらに突っ込まれて撤回したはずの発言を蒸し返して墓穴を掘った。

朝日新聞はなぜそんなに右翼傾向のある人から嫌われるのだろうか。左翼的だったからというのはある。だが従軍慰安婦問題では第一報は北海道新聞だった。北海道新聞は一回倒産したというのはあるが、続報した朝日新聞が嫌われるのは、確かに大マスコミであり知識人への影響が強かったと言われていた。だがよく考えれば読売より発行部数は少なく、知識人は考え方が多様化しており朝日の報道だけを鵜呑みにしているわけではない。権威があると一般が信じていただけだ。岩波ブックレットの方がよほど過激だと思う。だが岩波に関してはひ弱な知識人の集まりだと、右翼は関心を持たない。

一番考えられるのは、朝日は裏切り者だというところだろう。朝日新聞は2次世界大戦のプロパガンダに協力した。紙が欲しかったからだが、左翼的な立場を捨てて右翼に走った時期があった。その反省から戦後左翼的になった。特に政府批判では急先鋒に立った。この身代わりのはやさを許せない人はいただろう。多分これが一番大きいと思う。

 

 

まあその前に、マスコミというのは真実を伝える前に、商売だというのを誰もが忘れている。建前は真実そのもの100%だ。だが書き方とか見出しでいくらでもセンセーションにできる。朝日の吉田調書事件は見出し以外は平凡なものだった。ただ見出しだけでセンセーションになっただけだ。そのあおり文句を見ただけで捏造というのはどうなのかと思う。

変な話だが、真面目と言われる新聞は真面目な記事にセンセーショナリズムを使う。そして日刊スポーツとか不真面目と言われる新聞ほど真面目な記事には気を使っている。芸能ネタとかに成ると真逆になるの、そこが面白いところだ。

なぜ右翼的な人たちが朝日を叩くのかといえば、弱っていると考えているからだろう。その上で、逆恨みに近い感情があるのだろう。そういったものは以外と伝わりやすい。

 

 

大西議員の件で、自民党の石破氏が「嫌な党と思われるのではないか」と危惧していた。そしてそれは正しい。

最近の投票率から言っても、国会議員の多くは組織票で決まっている。浮動票の比率は下がっている。正確に言えば少数の組織票で決まるが、空気が変わって浮動票が少し動いただけで結果が変わるくらいに、投票率が低い。

その中で失言が何をもたらすのかわからない議員が増えているというのに、驚きを感じる。確かに1期か2期の議員だから仕方がないのかもしれないが、大西議員のように県政等で議員生活が長い人だと違うことも考えられる。

 

 

どう考えても、こういった率直な人間が支持されてしまう何かがある。そう「人柄」という項目だ。いい人そう、だから投票する、そういった事例は多い。それではそれが良かったためしはない。

逆に悪い人の代表例の小沢一郎だが、失言はとても少ない。そして中選挙区時代だが、小沢というダークな人物を輩出していたが、椎名素夫という高潔な政治家も出していた。椎名素夫は小選挙区になってから参議委員に移る。高潔過ぎたが。

 

 

失言の多い議員ほど人気があるという、わけのわからない現象がある。本来ならば失言の多い議員は、議員として出すべきではない。言葉を使えない人は議論できないからだ。議論する場が議会である限り、これは必須項目だ。そして選挙演説でも人を説得する言葉を費やすべきだ。

ところが言葉を使えない議員が多い。多分日本社会は言葉を使う必要がないからなのだろう。

 

 

端折るが、どうもこの辺りとかイロイロ考えてゆくと、「人は感情でしか動かない」に至るわけだ。その過程は選挙という過程で大西議員が出てしまったことだけだはなく、ネット界隈もある。

 

 

 

山の上に山があった。

それは雲だけど。


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