どうでもいいこと

M野の日々と52文字以上

いきなり静かになるのがクリスマス

2015-12-26 01:00:35 | 日記

 

クリスマスに雪がないというのも久しぶりだ。だが明日から雪になるようだ。おまけに寒くなる。ようやく冬らしくなるのだ。

コンビニに行ったら、サンタとトナカイがいなくなっていた。コンビニの店員は「いや良かったです。日勤の人達だけなんですけどね」まあトナカイの帽子をかぶって仕事をするのは大変だったろう。

 

 

なんとロシアがアフガニスタンでタリバンとISISの情報交換しているという。凄い時代になったものだ。アフガニスタンでソ連時代敵対したのがタリバンで、ソ連が撤退した後に支援していたアメリカが今度は北部同盟という民族派のゲリラに資金を出し、タリバンと北部同盟の内戦になり、タリバンにアルカイダが協力、北部同盟はほぼ消えてしまった。

そして現在、アフガニスタンではタリバンとアメリカが敵対、ロシアとアメリカは冷え切っており、タリバンとISISが敵対、ロシアはチェチェンとカフカスのイスラム問題を抱えている。敵の敵は味方とも言うが、ここまでわけのわからないことも起きるのだ。

そしてだ、今現在シリアもイラクも部族主義に戻りつつあるという。もともとアラブでは部族主義が強い。例えばシスラムの指導者はムハンマドのクライッシュ族がなるとか、今は流石にないが、そういったことがあった。イエメンの混乱も各部族をまとめ上げられるだけの人物がいなかったからだとされている。そこにISISとイランにつけこまれたフシはある。それがシリアとかだと自身の安全に直結する問題になる。その部族の長が刻々と変わる情勢に対して判断を下し、部族の安全を図ってゆく。なんで宗派から過激派の思想だろうが全てを超えたところで、判断してゆく。だからISISを受け入れたがアメリカ優勢になれば、ISISを裏切る。そういったことが起きているようだ。

イスラム後のアラブはそれなりには安定してきた。それは宗教の力であり王の力でもあった。それが国家と宗教という形に変わっても、形式的な二原論と捉えられていた、つまり宗教は王の盾であり王は宗教の矛であるという考え方、サウジアラビアとイランが特にそうだ。だが今シリアやイラク、イエメンで起きているのは、その二原論の崩壊なのかもしれない。

だが部族主義が強くなっているというのに少し不安を感じる。ファクターが多くなりすぎるのだ。そこから始まる混乱がどういったものなのか、コーランにおける無明時代が到来するのだろうか。

過激派たちによって、旧来の宗教権威は否定され分裂してしまった。国家の枠も内乱で崩壊した。少し厄介なのはサウジアラビアで、王族が多すぎることとその腐敗がある。その上このゲームに参加している大国の、各国の問題が多すぎる。核分裂のようにどこまで細かく細分化されてゆくのか、全くわからない。

 

 

ちょっとこの二日間酒を飲みすぎた。うつ病の表現に、二日酔いの気分というのがあるが、今日1日まさしくそうだった。

一日中自己嫌悪だった。本当なら泳ぎに行くつもりだったのだが、もうやる気が起きない。NHKFMで近衛秀麿特集があって、これが実に面白いものだったが、どうも気持ちが散漫でそれもなかなかに聞けない状態だった。

ただ幾つか聞いた演奏は、結構いいレベルのものだ。近衛秀麿がかなり優秀だったというのがよくわかった。この時代のアメリカ人指揮者と比べても多分かなりいい。あとフルトヴェングラーと知り合いになるための作戦とか、マーラーの交響曲4番の世界初録音は実は近衛で、たまたまエーリッヒ・クライバーの奥さんがそれを持っていて近衛を知っていたことから一気に近ずいて、当時赤ん坊だった、カルロス・クライバーにミルクを与えていたとか、そういった中から彼の音楽性が磨かれていったという。

ただこの裏には優秀なドイツ人マネージャーがいたともいう。まあ近衛家だからヨーロッパで言えば公爵になるのだろう。その上財力もある。ヨーロッパの一流の人物と付き合うためにはありとあらゆることをしなければいけなかった。

何か本が出ているようだから、そのうち読んでみよう。

近衛秀麿は、ちょっとネガティブイメージがあった。なんか権威すぎたし、日本のクラシックを山田耕筰・近衛秀麿で、ドイツものに決定したイメージが強かった。いくつかディスクがあってもいいかもしれない。あと録音が悪かったというのはある。最近ではリマスター盤があるようなので、その音楽の片鱗がわかりやすくなっているのかともう。

彼は「音楽には、歌とダンスしかない」と言っているようだ。これは全く同感できる。だがその言葉には、そこを乗り越えた高みを目指した作曲家の苦悩を知った上での発言だと思う。でないと、交響曲なんて指揮できないわけで。

 

 

人に会わないとまあウツというのは、逆説的に改善されない。響にいってコーヒーを飲む。

オイゲン・キケロのリストの曲をジャスにしたものがかっかっていた。とても愉快な演奏。なんというかクラシックで慣れ親しんでいれば、ある感情が全くない。ものすごく絶妙なバランスでリストをジャズにしている。

ウツは少し治った。

 

 

どうも38年ぶりの満月のクリスマスだったらしい。

だから何といいたいところなのだが、やはりクリスマスは特別でありたいものだ。

全くなかった。


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