バブルのときに出来た、駅西口を含めた西南開発。あれから20年経ってどうなっているのか。検証するまでもなく、まあどこにでもある町になっています。
植物育成用蛍光灯を買いに、西南開発にあるホーマックに出かけました。なのでサラっと紹介。
まずは夕顔瀬橋から、ずっと行くと陸橋が。ここを渡ります。
駅前再開発に伴って出来た風景。右の洋館は理容師学校。ちょっと盛岡らしくないけど、ここにはあっています。マンション群とマックスバリューはよくある光景。でもなんか薄っぺらに感じるのは私だけでしょうか。
盛岡駅西口に向かいます。左に見える盛岡駅ですが、この陸橋から見える所に床屋の看板があります。かなり気になっています。
陸橋を渡って、城西町に入りました。歩道橋から今来た道を見ます。右側は城西中学校です。
この反対側は太田橋です。昔豪農が建てて、今はコンクリートの橋に変わっています。ここから少しウロウロしますが、あまり突っ込まない事にします。
太田橋のたもとには、太鼓屋さんがあります。さんさの季節はよく太鼓の皮が張り直されています。
盛岡駅西口は、昔は無くって広大な操車場がありました。それと民家が並んでいたのですが再開発でかなり変わりました。
広大な操車場跡なので、盛岡らしからぬ道路が一杯です。
ただ再開発地域との境目はこんな具合。
駅裏開発は、かなりうまくいっていません。目玉の建物のマリオスと、県立図書館のアイーナが見えます。それではこの高層ビル?のマリオスに向かいます。
マリオスのエレベーターの案内。いやかなり改善されました。出来た当初はバブルがはじけた頃で、第三セクターばっかりが入居していました。
本来駅裏開発は、大型商業地域として考えられていたものでした。マリオスはその中核となる建築だったのですがバブルがはじけて、このビルに入居する法人が無くって、計画変更して1階から4階まで盛岡市民ホールと展示場に作り替えられた上、そのホールに疑惑のパイプオルガンがあったりして、その上入居者が無くって給湯室共同の分割オフィスまであったという有様。完全商業地域なのにアパートの建設まで認めてしまった。
マリオスの4階には操車場にあった大正時代の車庫の壁面が残されています。これを壊すのに反対運動があった名残です。
誰だったか、エッフェル棟を見たくないからそのレストランが好きだと言っていた作家がいたような。マリオスから見た盛岡の西側の風景です。
マリオスから南を見た風景。
マリオス最大の思い出と言えば、ソフトウェア開発支援の公的なインキュベーター施設があったこと。シリコングラフィックスのオニキスがありました。ワークステーション超充実、モーションキャプチャーのシステム、CGをとり込めれるビデオ編集スタジオなんかありました。私はもっぱらプリント出力に使っていましたが、パチンコのCMを作っている人がよくいました。まあ何億と言ったシステムでした。全く有効利用されていなかったのは確かです。オニキスなんて2回しか使わなかったという伝説を残して消えました。
マリオスから東側を見ます。このゴチャゴチャ感が盛岡です。服に関してはすべてがあるが、全部が無いという評価がありました。標本箱のようにありとあらゆる種類があるし、その専門店もいっぱいあるのだが決定的なものが無い状況でした。今でもそうだと思います。
マリオスから見た北側はこんな具合。正直な所この景観以外は、この建物には愛着が持てません。バブル崩壊後で無理矢理作ってしまったのはよかったのかどうか。西南開発まで含めて疑問に思っています。
ほんと、市税を年間8000万よけいに負担かけた赤字建築でしたから。
さてラウンド1とかいろいろあるのですが、基本的には閑散としています。なのでゆとりをもって県立図書館と多目的施設のアイーナを写せます。この建物はなかなか良いのでそのうち紹介したいとおもいます。
赤字を出すなら、面白い方が良いです。
雫石川を渡る橋にはこんなトンネルが。県立美術館を中心に先人記念館や子供科学館などの設備があるので、それらを結ぶ大きな公園を作って、道路はこうしたという感じ。デザインは面白いのだが、面積が大きいんですよ。ちょっとこの山を登って歩くのは辛いかもしれない。
トンネルを抜けるとドカーンと空き地があります。盛岡市役所はここあたりに移転する予定だったのですが、財政的にムリとなってしまいました。左に見えるのはホテル建設途中で止めてしまった名残。
そこからちょっと離れるとよくあるロードサイドが出現します。ただよくあるのと違って、歩道と自転車道がゴージャスです。これはすごい事なのですが、人間は最低労力で最大効果を考えるという事を忘れているようです。広すぎます。とりあえず歩行者には不便。
とってつけたような感じがします。
さてホーマックで蛍光灯を買って、向かいにはイオンが。この狭い商業エリアに2店舗イオンのモールがあります。この異常さは何でしょうか。歩道と自転車道の感じもイオン臭いし。この都市計画はイオンなのかと思います。
ちょっと外れて昔からの本宮地区の中心に来ました。なんかホっとします。この開発以降この地域で焼き肉屋が増えたのはどうなのかとも思っています。
10年前に開発の終わった地域はかなり落ち着いています。でも私は相当違和感があります。ここは50年前に開発されるべき土地だったはずです。なんでイマサラという感じがあります。
農地法もそうですし複雑な利権もあったでしょうが、街をどうしようかという哲学の無さがすべてなのかなと思います。
西南大橋を渡って、旧市内に向かいます。
さんざん都市計画の悪口を言っていますが、これだけは言っときます。駅裏から雫石川に渡る橋を新しく作るだけでこの西南開発は出来たはずです。ただ国の基準で利用者がどの程度見込めれるのかというのがあって、回りくどく計画を進めた結果、バブルにあって計画がギリギリになってしまったフシもあります。
そしてバブルがはじけた時点で計画を見直したのでしょうが、保身に走ったように見える、不味さがあったようにも思います。
川を挟んで両極端な町並みです。解りにくいと思いますが、この新しい街には濃厚に盛岡の歴史が張り付いています。
植物育成用蛍光灯を買いに、西南開発にあるホーマックに出かけました。なのでサラっと紹介。
まずは夕顔瀬橋から、ずっと行くと陸橋が。ここを渡ります。
駅前再開発に伴って出来た風景。右の洋館は理容師学校。ちょっと盛岡らしくないけど、ここにはあっています。マンション群とマックスバリューはよくある光景。でもなんか薄っぺらに感じるのは私だけでしょうか。
盛岡駅西口に向かいます。左に見える盛岡駅ですが、この陸橋から見える所に床屋の看板があります。かなり気になっています。
陸橋を渡って、城西町に入りました。歩道橋から今来た道を見ます。右側は城西中学校です。
この反対側は太田橋です。昔豪農が建てて、今はコンクリートの橋に変わっています。ここから少しウロウロしますが、あまり突っ込まない事にします。
太田橋のたもとには、太鼓屋さんがあります。さんさの季節はよく太鼓の皮が張り直されています。
盛岡駅西口は、昔は無くって広大な操車場がありました。それと民家が並んでいたのですが再開発でかなり変わりました。
広大な操車場跡なので、盛岡らしからぬ道路が一杯です。
ただ再開発地域との境目はこんな具合。
駅裏開発は、かなりうまくいっていません。目玉の建物のマリオスと、県立図書館のアイーナが見えます。それではこの高層ビル?のマリオスに向かいます。
マリオスのエレベーターの案内。いやかなり改善されました。出来た当初はバブルがはじけた頃で、第三セクターばっかりが入居していました。
本来駅裏開発は、大型商業地域として考えられていたものでした。マリオスはその中核となる建築だったのですがバブルがはじけて、このビルに入居する法人が無くって、計画変更して1階から4階まで盛岡市民ホールと展示場に作り替えられた上、そのホールに疑惑のパイプオルガンがあったりして、その上入居者が無くって給湯室共同の分割オフィスまであったという有様。完全商業地域なのにアパートの建設まで認めてしまった。
マリオスの4階には操車場にあった大正時代の車庫の壁面が残されています。これを壊すのに反対運動があった名残です。
誰だったか、エッフェル棟を見たくないからそのレストランが好きだと言っていた作家がいたような。マリオスから見た盛岡の西側の風景です。
マリオスから南を見た風景。
マリオス最大の思い出と言えば、ソフトウェア開発支援の公的なインキュベーター施設があったこと。シリコングラフィックスのオニキスがありました。ワークステーション超充実、モーションキャプチャーのシステム、CGをとり込めれるビデオ編集スタジオなんかありました。私はもっぱらプリント出力に使っていましたが、パチンコのCMを作っている人がよくいました。まあ何億と言ったシステムでした。全く有効利用されていなかったのは確かです。オニキスなんて2回しか使わなかったという伝説を残して消えました。
マリオスから東側を見ます。このゴチャゴチャ感が盛岡です。服に関してはすべてがあるが、全部が無いという評価がありました。標本箱のようにありとあらゆる種類があるし、その専門店もいっぱいあるのだが決定的なものが無い状況でした。今でもそうだと思います。
マリオスから見た北側はこんな具合。正直な所この景観以外は、この建物には愛着が持てません。バブル崩壊後で無理矢理作ってしまったのはよかったのかどうか。西南開発まで含めて疑問に思っています。
ほんと、市税を年間8000万よけいに負担かけた赤字建築でしたから。
さてラウンド1とかいろいろあるのですが、基本的には閑散としています。なのでゆとりをもって県立図書館と多目的施設のアイーナを写せます。この建物はなかなか良いのでそのうち紹介したいとおもいます。
赤字を出すなら、面白い方が良いです。
雫石川を渡る橋にはこんなトンネルが。県立美術館を中心に先人記念館や子供科学館などの設備があるので、それらを結ぶ大きな公園を作って、道路はこうしたという感じ。デザインは面白いのだが、面積が大きいんですよ。ちょっとこの山を登って歩くのは辛いかもしれない。
トンネルを抜けるとドカーンと空き地があります。盛岡市役所はここあたりに移転する予定だったのですが、財政的にムリとなってしまいました。左に見えるのはホテル建設途中で止めてしまった名残。
そこからちょっと離れるとよくあるロードサイドが出現します。ただよくあるのと違って、歩道と自転車道がゴージャスです。これはすごい事なのですが、人間は最低労力で最大効果を考えるという事を忘れているようです。広すぎます。とりあえず歩行者には不便。
とってつけたような感じがします。
さてホーマックで蛍光灯を買って、向かいにはイオンが。この狭い商業エリアに2店舗イオンのモールがあります。この異常さは何でしょうか。歩道と自転車道の感じもイオン臭いし。この都市計画はイオンなのかと思います。
ちょっと外れて昔からの本宮地区の中心に来ました。なんかホっとします。この開発以降この地域で焼き肉屋が増えたのはどうなのかとも思っています。
10年前に開発の終わった地域はかなり落ち着いています。でも私は相当違和感があります。ここは50年前に開発されるべき土地だったはずです。なんでイマサラという感じがあります。
農地法もそうですし複雑な利権もあったでしょうが、街をどうしようかという哲学の無さがすべてなのかなと思います。
西南大橋を渡って、旧市内に向かいます。
さんざん都市計画の悪口を言っていますが、これだけは言っときます。駅裏から雫石川に渡る橋を新しく作るだけでこの西南開発は出来たはずです。ただ国の基準で利用者がどの程度見込めれるのかというのがあって、回りくどく計画を進めた結果、バブルにあって計画がギリギリになってしまったフシもあります。
そしてバブルがはじけた時点で計画を見直したのでしょうが、保身に走ったように見える、不味さがあったようにも思います。
川を挟んで両極端な町並みです。解りにくいと思いますが、この新しい街には濃厚に盛岡の歴史が張り付いています。
国鉄からJRになって、操車場の土地を売却する事になり、岩手県と盛岡市が購入する事になったのですが、既にバブル末期。大変高い買い物になってしまいました。なので駅裏開発と西南開発は平行して進む予定だったのですが先行してマリオスの建設になりました。ところがバブルがはじけていたので、建設途中でテナントが集まらない事が判明。一階部分はこれで大部分が市民ホールになりました。建設の大義名分のためです。
なお盛岡には県民会館と、合併した旧都南村にあるキャラホールがあり、河南公民館には盛岡劇場というホールがあります。他にも中央公民館・上田公民館にはホール機能があり、もともとホールが多すぎる状態です。
まあこの市民ホールは、いいホールですがやっぱり施設維持費は効いてきます。特に小ホールのパイプオルガンなんて、毎月調整修理だった時期もありほめられたものではありません。本体のテナントも初期の第3セクターばっかりで、しかも家賃を激安販売していた事もあります。現在も似たようなものなのではないのでしょうか。
更にそのバブルの頃の計画を、あまり手直ししないで西南開発を進めてしまいました。これが旧市内にえらいインパクトを与えたのは解ると思います。地価の下落です。それと同時に西南開発の土地も売れていません。
あと、西南開発の道路なのですが、いろんな所で旧道との取り付き具合がうまくいっていないように感じます。まあカーナビがあるから良いのでしょうが。
私としては、旧市内を活かす形で開発を進めるべきではなかったのかと、考えています。
その辺では、青森の都市計画が最近面白いなと感じています。拡大を目指すのではなく、縮小を考えているようです。新幹線の新青森駅に何も無いのもそのせいなようです。
秋田の場合は…、利用しやすい平地がありすぎたのではないのでしょうか。盛岡の場合利用しやすい平地が多くなかったのでマンション建設が進んだ向きもあります。ただそれでも駅前のタワーマンションなのですが、あれを景観が悪くなったという市民もいますが、私は駅前がかっこ良くなったと思う口ですが、投資用に買った人が多いようで、空き室が多く夜になるとなんかやっぱりと思います。
にしても秋田のイオン、なんであの場所なのでしょうか。これは解せない場所ですね。
そうですか?
東北という広範囲の中の北東北において
仙台市を除いて、東北的には超高層な20階前後のビル、
マリオスやタワーマンション等が数棟並んで見える光景は盛岡市のみではないですか?
結局それは盛岡市だから可能なことであって、そのことだけを取っても
近隣の中における個性となっているのではないですか。
もちろん城下の面影を残す中心街東部や川沿いの街並み等や
近代的街並みと情緒的街並みのコントラストも含めて。
イオン秋田
http://www33.tok2.com/home/m35rx4/P52620321.jpg
盛南地区パノラマ画像
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a3/f4/kfuji_taxi/folder/1510105/img_1510105_60227125_1?1253678322
見ての通り、秋田市のイオンはド郊外の辺鄙な立地にあり、
同じ巨大イオンを建てるにしても盛岡市の場合は十分に都市計画として成功例といっていいでしょうし、
公的文化施設が集中その他、盛南エリアというこの街並みも、
仙台市を除けば盛岡市くらいではないでしょうかね。
秋田市は駅前にせよ浮いたようなタワーマンションが1棟あるのみ。
それからマリオスですが、数年前にテナント入居が100%に達したわけですから
オフィスビルとしては成功例。市民文化ホールにせよ、これまでに数千回ですか?
あらゆる歌手やなんかがライブを催し大勢の広域地元民を楽しませているのです。
まぁ私が盛南エリアに注文を付けたい事といえば「しまむら」や「ゼビオ」ではなく
目新しい店舗を誘致してほしいといった事ぐらいでしょうか。