本日16時から、高森町商工会地球温暖化対策地域協議会、通称エコプロジェクトチームにより
昨年6月より元気作り支援金事業として半年間製作に取り組んで来た
日本初の小型バイオマスストーブ1号機の完成お披露目会の開催を新聞各社を
呼んで開催する運びと成りました。
エコプロジェクトチームのメンバーと高森商工会工業部会のメンバー約20人が集まる中、
完成披露とデモンストレーション運転を見て頂き、細部から仕組みなどの解説を
しながら新聞各社にプレスを掛けさせて頂く中で説明会を行いました。
約1時間の燃焼運転見学やら説明会を行ったのですが、初回の試験機から
ここに至るまでの完成度の高さや、問題がたくさ有った物がクリアーされていたりを
皆さん感動物で興味深く覗き込んで見て行ってくれました。
初めは持続燃焼すら出来なかった物が、現在の炉では7時間以上の燃焼が可能に成り
燃料の供給も問題無く連続運転可能に迄成りました。
試験機では燃焼問題がメインで、温風を送り出す仕組みはまったく考えられて
居なかったのですが、今回の物は頭の中の構想がいきなりでしたがちゃんと
形を成し機能している状態に迄まとまりました。
私は構想として夢は語れるのですが、技術的な裏付け等全く無い状態で
炉本体はティーウェーブさんに無理難題を押し付ける形で無理やりお願いして。
燃料のストッカーから供給装置一式を三栄鋼機さんに同様に依頼した中で完成。
燃料供給モーターも、少しでもエコを意識して小馬力モーターにこだわり
インバーター制御によって燃料の供給量を調整出来る様に工夫。
押し出された燃料は送風機の風で炉内に送り込まれて燃焼するのですが、
一瞬では燃えない大きさのチップはじょうご状に成った底にたまりながら
今度は底から助燃用の風を吹き込む事で完全燃焼させると言う物です。
送風機からの経路は3口に分けて有り、残る1つが炉本体を取り巻く
空気層から熱を取り出しながら温風を俳風口に送り出す物です。
この3つの口の調整が微妙で、炉内に入れ過ぎると火の粉を吹いてしまい
少な過ぎると投入管の中に燃料が詰まってしまったりとくせ者でした。
そもそも2台の送風機予定だった物を、やはりエコを意識して1台にした結果でした。
総寸法は、長さ1900ミリ、幅が650ミリ、高さが1200ミリと初回としてはまずまず
小型化が出来たかと思え、次回は更に小型化に挑戦したいと思います。
仕上がり色も重厚感の有る黒塗りにこだわり塗装して頂きました。
お披露目会終了後はエコプロジェクトチームの会議を開催し、反省会と意見交換。
今年のテーマ討議と出来上がったバイオマスストーブの更なる改良を視野に入れた
ビジネスモデルへの発展を次のスタイルに置いた活動を確認致しました。
当初夢に描いた大きさと機能、形が完成品と成った事に満足感と達成感を感じ
メンバーの皆さんと関係者の皆さんに感謝して、更なるエコ活動を目指したいと
興奮を覚える事が出来ました。
阪神淡路大震災から17年目と成った今日、映像を見て思い起こす事は。
この震災の翌日から、大阪のお客さんの展示会が予定されており
当社の製品も出展して居たので会場入りする予定に成って居ました。
ただ、この大惨事の中で開催出来るのか、開催出来ても意味が有るのか。
そんな思いが飛び交う中でも会場、製品に被害が無かったので開催されました。
私の記憶の中では最大の災害で有った中、実際には行くのに大変苦労して
何とか会場迄たどり着けたのですが、道中の回りの人達はリュックサックに
物資を詰め、手には段ボール箱をと救援物資を持ち込む方達ばかりでした。
仕事とは言え、なんだか後ろめたい気持ちさえ持ちながらだった事を思い出します。
仮設住宅が出来て、多少落ち着いた頃には、その時の気持ちからか
リンゴを幾度となく、送ったり持ち込んだりして、被災地の方達に
心ばかりの贈り物をしたりしたものです。
昨年の東関東大震災では、津波と放射能という甚大な被害が起きており
阪神の震災をはるかに超える被害が出てしまい、今も今後も数十年規模で
引きずって行く事に成る深刻な状態が続いて居るのです。
昨日から、コンクリートに使われた採石の放射能問題が取り沙汰されて
おりますが、業者はともかく国レベルで原子力に対する捉え方の甘さが
暴露され続いて居る一端がまたあらわに成った物だと感じました。
避難生活を送り続けて来て、やっと普通に戻れるかと落ち着いた先で
またもや放射能による問題が出て来て不安が問題化してしまう。
可哀想なんてレベルではなく悲惨な事だと感じました。
ここまで甘い捉え方しか出来て無い状態に、原子力の安全利用と言う言葉は
意味が無い事だし、今まで否定派では無かった物の、色々が分かれば分かるほど
使ってはいけないレベルなんだと強く思う様に成りました。
贅沢な物を基準にせず、質素な中でも見つけられる幸せを追及した生活環境を。
そんな目標を掲げた国作りをして行けば、エネルギー問題にも解決策は
自ずと生まれ、増税論議や社会保証問題にも明るい物が見えはしないか。
経済活性化を合わせて考え無くては成らないが、昭和の時代だって
それなりにやってこれたはずなんですからやり方は有るのではないか。
私がネイチャーテクノロジーを学んだ折りに感じた自然との共有化と共存。
改めて人類が対面しなくてはいけないターニングポイントに成って居る様に感じます。
この震災の翌日から、大阪のお客さんの展示会が予定されており
当社の製品も出展して居たので会場入りする予定に成って居ました。
ただ、この大惨事の中で開催出来るのか、開催出来ても意味が有るのか。
そんな思いが飛び交う中でも会場、製品に被害が無かったので開催されました。
私の記憶の中では最大の災害で有った中、実際には行くのに大変苦労して
何とか会場迄たどり着けたのですが、道中の回りの人達はリュックサックに
物資を詰め、手には段ボール箱をと救援物資を持ち込む方達ばかりでした。
仕事とは言え、なんだか後ろめたい気持ちさえ持ちながらだった事を思い出します。
仮設住宅が出来て、多少落ち着いた頃には、その時の気持ちからか
リンゴを幾度となく、送ったり持ち込んだりして、被災地の方達に
心ばかりの贈り物をしたりしたものです。
昨年の東関東大震災では、津波と放射能という甚大な被害が起きており
阪神の震災をはるかに超える被害が出てしまい、今も今後も数十年規模で
引きずって行く事に成る深刻な状態が続いて居るのです。
昨日から、コンクリートに使われた採石の放射能問題が取り沙汰されて
おりますが、業者はともかく国レベルで原子力に対する捉え方の甘さが
暴露され続いて居る一端がまたあらわに成った物だと感じました。
避難生活を送り続けて来て、やっと普通に戻れるかと落ち着いた先で
またもや放射能による問題が出て来て不安が問題化してしまう。
可哀想なんてレベルではなく悲惨な事だと感じました。
ここまで甘い捉え方しか出来て無い状態に、原子力の安全利用と言う言葉は
意味が無い事だし、今まで否定派では無かった物の、色々が分かれば分かるほど
使ってはいけないレベルなんだと強く思う様に成りました。
贅沢な物を基準にせず、質素な中でも見つけられる幸せを追及した生活環境を。
そんな目標を掲げた国作りをして行けば、エネルギー問題にも解決策は
自ずと生まれ、増税論議や社会保証問題にも明るい物が見えはしないか。
経済活性化を合わせて考え無くては成らないが、昭和の時代だって
それなりにやってこれたはずなんですからやり方は有るのではないか。
私がネイチャーテクノロジーを学んだ折りに感じた自然との共有化と共存。
改めて人類が対面しなくてはいけないターニングポイントに成って居る様に感じます。
今朝の高森町の最低気温は‐3℃、最近は安定してこの位です。
ただ、まだ真っ暗い中でネコが外に行きたいとニャーニャー言うので
出してやると何と無く枯れ芝の色がいつもより白く感じる。
電気を付けて見るとやはり白い。良く見ると雪がうっすらと積もって居る。
この冬今まででは、枯れ芝の間に入り込んで白っぽく成った事が有った位で
全体が白く成る程積もるのは初めてです。
自宅でこのくらいだと会社では2~3cm位積もって居るかも知れません。
子供達は、スノーブーツを履いて今朝も元気良く登校して行きました。