㈱イイダアックス 相談役日記

長野県は南信州の自然豊かな下伊那郡高森町から日々の経験、感じた事、気が付いた事などを日記として発信しています。

太陽光発電、固定買取り制度

2012年10月02日 | 日記
7月からスタートした再生エネルギー固定価格買取り制度、本日4社目の企業から説明を受けました。



設置容量によって諸条件が異なり、経費も価格も変わって居るので、正直良くわからなく成ってしまいます。
設置導入するにあたって、どのくらいの規模が良いのか、費用対効果から考えた望ましい姿はどうなのか?
8年程度で初期投資費用が回収出来ると言われて居るが実際の所はどうなのか?
聞けば聞くほど分かった様なわからない様な、不安感は増すばかりの状態に成ってしまいます。
企業として設置する場合、個人で設置する場合、色んな手法が考えられる事もわかって来ました。



高森町商工会地球温暖化対策地域協議会ではこれらの不安不明等の解消と、知らない方たちへの広報活動を合わせて勉強会を開催すべく企画を立てて居ます。



設置した周りで同様にたくさんの設置が行われると供給過多の状態に成って、設計通りの売電が行われない事が有るんだとか、やはり落とし穴的な
問題が中には潜んで居るような話も聞こえて来ています。



いい話ばかりで浮かれるのではなく、実態に合った現実性を帯びた内容を聞く上で導入を検討する事が大切で、多方面に声を掛けて情報収集して居る状態です。



協議会と言う団体で、投資設置を模索出来ないかとか、場所を借り貸しするような手法は考えられないかとか、ビジネスモデルとしての環境活動の
場がここに存在して居るように感じています。
今回の一連の勉強を踏まえ、仮に設置をしない事に成ったとしても学んだ知識は今後に生かせ、次の機会の比較情報として活きるはずです。



こんな事を繰り返しながら広報活動にも繋げ、環境意識の高揚が図れればまさにビジネスモデルとしての環境活動がここに存在するのだと思います。
しっかり勉強して、次につなげられる知識を習得して置きたいと考えています。



この勉強会の日程は現在まだ未定ではありますが、出来れば来週中にでも開催出来ればと段取って居ます。

長野県議会議員の後援会会長職、辞職辞任

2012年10月02日 | 日記
4カ月半前、正確には5月19日だったかと思いますが、長野県議会議員下伊那選挙区吉川彰一議員の後援会長職を辞任する旨連絡致しました。



当職を受けて約2年強に成るのですが、その間に選挙戦が2回行われ、いづれも開票開始と同時に当確発表されて当選という結果で来れました。
この結果は、県議本人の実力ではなく、後援会の役員の皆さんを始めとする後援会の皆さんと、民主党、労組を始めとする各応援団体の皆さん
並びに応援して下さった地元の皆さんをはじめとする有権者の皆さんのお陰だと思って居ます。



そんな中でなぜ私が当職を辞退辞任することに成ったのか、これは細かに公表出来る物では有りませんのでさらっと流したいと思います。



実はこの2年間に何度辞めると言った事か分からない位なんですが、それはいくらなんでも一般常識が無さすぎるからの一言に尽きるからです。
それがこの4カ月半前に有ったゴタゴタで完全に切れ、辞任辞職に至ったわけなんです。



理由は今までと全く同じ事なんですが、余りの常識の無さは非常識のレベルを超え、人間性を疑う程のものかと確信しています。
良い例が今回の辞任辞職に至った最後が正にその物で、県議から、私が会長の立場だったら同じ判断をするでしょう。ってメールが入って終了。
補欠選挙の時から回りにずっと言われて来たように、私は彼の選挙戦の道具でしか無かった様です。



まっ、それは受けた私の責任も有るので仕方ないと思って居ますが、最後までの余りの非常識ぶりに私が当職においで後援してきた責任を考えると
いたたまれなくなる思いが込み上げて来ます。
彼を本当に県会に送り出して良かったのか?自問自答する日々が続きました。



昨年の統一地方選に出馬する直前の2月、私は後援会の役員と本人の前で、今回は出馬しないでもらいたいと非常識ぶりを追及したことが有ります。
するとこれが当たり前なんだと口先だけの申し訳ない程度だけなので、これは教育していかなくては成らない物なんだと覚悟したことが有ります。
以来、どれだけ相談に来て、何度話し、何度注意し、何度煮え湯を飲まされ、どれだけ苦労してきたことか分かりません。
紺人袋のおが切れたとか、さじを投げると言いますが、そんな世界は既に超越している現状なんです。



一昨年の補欠選挙に始まり県議本人の結婚問題迄、何かにつけて考えられない行動が有り、その都度問題化し対処法を話し合って来たのです。
個々の問題が出るたび時間をさいて話し合い、方向性から結論だし、事の進め方まで細部にわたるまで詰めた話し合いを済ますのです。
所が彼は打合せ通りには行動に移さないんです、するとそれがまた問題化するので再度話し合い、確認し確約をさせる。それでも動かない。
やっと動いたと思えば打ち合わせとは違うことをする。こうした間に問題が広まり、多方面に迷惑をかけ続けることに成り、その矛先は全て後援会に来るのです。
所が打合せ決めたこととは違うし、それを確認しても確認どころか連絡すらすぐには取れないのだから問題化している先へは責任以前に
満足な返答すら出来ないのが常と成って居たのです。



考えて見れば、今までに県議の携帯に電話を入れてその場で繋がった事は一度も有りません。旨く行けば後から電話が入るレベルなので連絡手段をメールにして居たのです。
所が、その返信もままならない状態で、伝わって居るのかさえわからずで、急ぎの用で有っても、確認が取れなかったり真相が分からなかったり、
きっと彼は自分の都合で時間は止まっているとでも考えて居るのでしょう。でも、世間はすごいスピードで動いていると言うことが解らないのでしょう。
何度も問いただし改善を求めて来ましたが結局は口先だけで、最後のメールでの言い分けは、ペンの一本を取る暇さえ作れない、だそうです。



彼の悪口を上げていても切りがないし仕方無いのですが、県会に送るべく陣頭指揮をしてきた私なりの責任を取らなくてはいけないと思って居るわけです。
それは、私が信じられなく成った人間を、偽りやごまかしで、いつまでも応援しているかのように思われていてはいけないと言うものです。
今後私は決して彼を応援しないしサポートもしない、その事をこうしてブログに載せる事で公に公表して置くことが必要ではないのかと思った次第です。



2度の選挙戦を共に戦い、ここまで耐えに耐えて相談に乗り支えて来たつもりなんですが、辞職通知後も数日経ってからの返信メールだけで終了。
私もそうは言ってもと4カ月間待つ事に決めて居まして、4カ月間何もなかったら責任としてこの件をブログで公表しようと決めて居ました。
あれから4カ月半、全く音沙汰なしで今日迄来て居ます。っと言うことは何も変わっていなし今後も変わらないと言うことだと思います。
つまりは自分には非がない、だから今回の事も仕方無いレベルにしか感じていない表れだと感じています。



たまたま当選してしまい、一般常識も知らないままで下伊那群下の代表として県会に行き、天下をとった様な気持ちで居るのはいかがなものか。
人として責任有る行動を取るためにも、個人的問題からの終息に勤め、人に迷惑を掛けない常識を学んで頂きたい物だと思います。



それが成せればこうは成っていないと思いますので無理だとは思いますが…
こんな思いが理由で、吉川彰一長野県議会議員の後援会長職を辞職辞任する事に成ったわけです。
昨日のブログにアップしたロータリークラブ退会の裏側は、この件とリンクしている訳ですが、退会の挨拶ではそんな事も発表出来るはずもなく
せめてブログでは、私の思いと過去のいきさつを含めて周知しておきたいと思ったわけです。



お力をお貸し下さった皆さんに御礼とお詫びを申し上げ、次回事有るときには反勢力として責任を取りたいと考えて居ますので宜しくお願い致します。