浄慶寺(じょうけいじ)は竜田神社の北東、(龍田小字北浦)神社前の旧奈良街道を東に歩いて2~3分の所にあります。情報マップをご参照。
西国三十三所観音霊場の第13番、大工棟梁の中井大和守正清と縁が深く小さいながらどっしりとした感じのするお寺です。南門の三猿は日光東照宮の三猿より古いのでは ?
中井正清の祖父巨勢正範は筒井順昭に敗死、正清の父正吉は西里村の大工棟梁中村家に6歳で養子、後、中井に改名。この正清の父中井孫太夫正吉が浄慶寺を建てたと言われています。なを、正清は1614年に徳川家康と法隆寺阿弥陀院で会見し、大阪城決戦に参戦しました。その為豊臣方に西里村の家を焼かれたと言われています。
写真 浄慶寺南門の見ざる・言わざる・聞かざる
西国三十三所観音霊場の第13番、大工棟梁の中井大和守正清と縁が深く小さいながらどっしりとした感じのするお寺です。南門の三猿は日光東照宮の三猿より古いのでは ?
中井正清の祖父巨勢正範は筒井順昭に敗死、正清の父正吉は西里村の大工棟梁中村家に6歳で養子、後、中井に改名。この正清の父中井孫太夫正吉が浄慶寺を建てたと言われています。なを、正清は1614年に徳川家康と法隆寺阿弥陀院で会見し、大阪城決戦に参戦しました。その為豊臣方に西里村の家を焼かれたと言われています。
写真 浄慶寺南門の見ざる・言わざる・聞かざる