調子丸古墳(ちょうしまるこふん)は、駒塚古墳の南約100m水田と民家に挟まれてあります。 情報マップご参照
古墳は裾を削り取られていますが、径約14mの円墳と考えられています。古墳の被葬者は、聖徳太子の黒駒の丁である調子丸だと言われています。数年前の調査では馬の埴輪の頭部が見つかり話題になりました。
この調子丸古墳と駒塚古墳および、宮内庁の冨郷陵墓参考地(聖徳太子の皇子山背大兄皇子の墓所)を直線で結ぶと真北より20度西に振った「聖方位」になっています。
写真 調子丸古墳
古墳は裾を削り取られていますが、径約14mの円墳と考えられています。古墳の被葬者は、聖徳太子の黒駒の丁である調子丸だと言われています。数年前の調査では馬の埴輪の頭部が見つかり話題になりました。
この調子丸古墳と駒塚古墳および、宮内庁の冨郷陵墓参考地(聖徳太子の皇子山背大兄皇子の墓所)を直線で結ぶと真北より20度西に振った「聖方位」になっています。
写真 調子丸古墳