甲塚古墳(かぶとずかこふん)は、藤ノ木古墳の西約100m御坊山の東斜面にあります。大きさ形は約10mの方墳かと見られています。近在の古老の話では、聖徳太子が着用した甲(かぶと)をここに埋めた、また聖徳太子の皇子を埋葬したとのことで国が管理をしているそうです。
【最近の発掘調査結果】 2019年4月25日斑鳩町教育委員会と奈良大学は、同町龍田北1丁目の甲塚古墳で竪穴式の埋葬施設が確認され、古墳時代中期(5世紀)の小形青銅鏡1枚が出土したと発表した。同古墳は、後世の盛土説もあったが、古墳であることが確定。築造年代も当初の想定より古い5世紀から6世紀中ごろの可能性が高くなった。(奈良新聞より)、右の杜は子守神社
【最近の発掘調査結果】 2019年4月25日斑鳩町教育委員会と奈良大学は、同町龍田北1丁目の甲塚古墳で竪穴式の埋葬施設が確認され、古墳時代中期(5世紀)の小形青銅鏡1枚が出土したと発表した。同古墳は、後世の盛土説もあったが、古墳であることが確定。築造年代も当初の想定より古い5世紀から6世紀中ごろの可能性が高くなった。(奈良新聞より)、右の杜は子守神社