「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

立山カルデラ見学と縦走

2005-07-19 00:25:38 | 登山
新田次郎の「劔岳・点の記」を読んでから、ず~っと気になっていた立山温泉跡をやっと見てこられた。
最初はザラ峠から下って新湯も見て…、といろいろ考えてはみたが、折立の方に帰るとしたら一日舗装した林道を歩き続けなくてはならないのでうんざりだと思っていた。ネットで調べているうちに、立山カルデラ砂防博物館が夏の間行っている、「立山カルデラ体験学習会」というのがあることを知り、ちょうど一ヶ月前に、健脚コースで申し込んでおいた。
この体験学習会は例年人気があり、特にトロッコでのコースは抽選でなかなか当たらないという人もいるらしい。私は、一番沢山見られる折立からバスで入るコースに最初から決めていた。目的はトロッコにはなかった。
そして、立山温泉跡地を見てこられた。500人もの人が泊まれたという宿泊施設があったとは、とても思えないところだった。タイル張りの浴槽だけがまだ残っていて面影はある。
そして、宿泊者が船遊びをしたという泥鰌池にも行って来た。そこも今は大自然の一部に同化した、緑色の水面が美しい池である。見上げたところが、追分けから登山道が続いていたという松尾峠である。今はかつての登山道もあきらかではなく、立ち入ることを拒むように樹林帯と化している。
現在のカルデラ内は、砂防工事の現場と化してしまっていた。最初に何とか歩いてカルデラに入りたいと思ったが、今回の見学会に参加して、室堂から入ったとしても2泊の行程としては、あまり魅力には欠けてしまっていた。
とても不思議なことだと感じたのは、まるでカルデラ内は観光地のように整備されていたことだ。まずは道標がしっかり付いていて、中に入っても決して迷うことはないだろう。おまけに水洗トイレと休憩所は観光地そのものだった。
これだけ投資していて、一般の人はカルデラに入れないというのはなんだか理不尽なことにも思える。
ここの白岩砂防ダムを最終的には見学してきたのだが、こんなに規模が大きいものは初めてみたが、砂防ダムはどこの山に入っても大なり小なり見かけることが多い。今までは砂防ダムに対しては美観を損なうことはあっても、必要なものだという認識に私は欠けていた。ここの博物館とこの見学会の趣旨は、砂防ダムの必要性を認識させるための存在でもある。
昨年も、河川の氾濫はニュースでも取り上げられてきた。富山平野はこの別名暴れ川と呼ばれる常願寺川の反乱に、人々は苦しめられてきたそうだ。
新田次郎の小説では、明治から砂防工事の関係者が立山温泉に宿泊していてあまり良く書かれていない。
しかしながら、こんな地味な仕事を一世紀もやり続けていたとは、全く私の知らない立山だった。そしてこれからも終わりが無く、カルデラ内での自然との闘いが続いていくことだろう。
決して自然を破壊して人間の利益を生むということなく、上手く共存していってほしいと願う。
立山は、アルペンルートが出来るずっと前から、いろんな人が山にはいって来ていた。それはかつては信仰という形ではあるが、自然に対して人間が求め続けていた共通のものは、今も昔も変わっていないと思う。昔は信仰に結びつけていたからこそ、山に人が入りやすかったのだろう。今はアルペンルートが人を山に導いている。私の山へのきっかけは、アルペンルートでの立山が原点である。
そして、以前別山をピストンして雄山から越中沢岳まで歩いた。今回はやっと大日岳から雄山まで繋がった。
いろいろ、考えさせられる立山だった。