「いくさんのお部屋」つぶやきNo.3

日頃の何気ない日常をつぶやいています。

梅雨の真っただ中

2006-07-12 20:02:16 | 映画
じっとしていても汗がしたたるほど蒸し暑い。こんな時期の、クライミングはしんどい。かといって、雨の中山を歩く気力も失せている。一応、先週末も、金、土曜日はホシダへ暑いのに登りに行く。日曜日は、ホシダは講習の日なので久しぶりの宇治の志津川へいった。
半ば義務感で今日の水曜日も、ホシダに行かなくちゃと思いながらも、出そびれて昼前になってしまった。すると雨が降ってきたので、もうクライミングへの意欲は萎え、さっさと中止してしまった。最近は、クライミングを止める理由ばかり探している気がする。そして急遽、映画ダ・ヴィンチ・コードを見にいってしまった。
この映画、キリスト教を冒涜しているとか信者から批判されて、TVニュースになっていたが、私には知識があまり無いのでその点は深く理解出来ない。私の印象に残ってるのは、「キリストは神ではなくて、人間である」という前提で、これが大きな問題となるのだろう。信者にとっては、ありえないことなのだろう。「キリストが人間であった」としても、信者でない私には「そりゃ、そうかもしれななぁ~」というぐらいのものである。
ダヴィンチの最後の晩餐からの分析から展開されるサスペンス風のストーリー展開は、どうもとってつけたようでしっくり来なかったのは、私がキリスト教に対して無知だからという理由だけでもなさそうだ。しょせん、無関係な話なんだろう。
高校生の頃、宗教に興味を持ったが、そのとき宗教家に欺瞞的なものを見て、拒否反応を示してしまった。自分では宗教にのめり込むタイプではないと思う。子供の頃には「宗教心を持った人=善人」と信じていたが、それは今では嘘だということも分かってる。だからといって、宗教心を否定する訳ではない。極楽の話や悪いことをしたら地獄に落ちるとか、嘘をついたら閻魔さんに舌を抜かれるとか、子供の頃にさんざんおばあさんに聞かされながら育ったので、今でもその教育は生きていると思うことがある。
「いわしの頭も信心から」という諺もある通り、盲信すると本質が見えなくなるのは宗教だけではないとおもう。なんでも一方的に見て決めつけてしまうのはよくないと思った。
そういう意味では、こんな捉え方もあるのかと面白くこの映画を観た。