4月5日(木)晴のち曇
春の嵐が過ぎて、やっと春らしくなったような気がします。仕事場近くのもくれんの街路樹は白い花で満開です。背景の中に白のモザイクをちりばめたようで、その中を歩くのが好きです。桜は一瞬のみごとな豪華さで我々を魅了しますが、もくれんの白い花が木に散らばって咲いている風景も自分は質素でつつましやかで気に入ってます。
昨日は社内の歓送迎会でしたが、ちょっと疲れ気味です。帰りにネギだけラーメンを食べて帰ろうとしましたが、同僚に誘われておいしいうどんを食べに行くことになりました。場末のカウンター6席ぐらいの小さなうどん屋でしたが、おいしかったのです。讃岐風のスープに北関東風の腰のあるうどんは中々でした。東京に勤務していた頃、良く食べに行った北関東のうどんを思い出しました。都会にはいろいろ探すとあるものなのですね。
ところで今日は最近ちょっと考えていた話をすることにしましょう。700万年前に類人猿として出現した人類の祖先は長い長い時間をかけて進化してきました。そして250万年ぐらい前には石器を使うことを覚えました。それから更に長い時間をかけて進化を続け、20万年前ぐらいに我々の先祖となる現世人類が出現し、1万年前ぐらいに農耕定住生活をするようになりました。そんな大きな時間間隔で進化してきた人類がこの1千年ぐらいの間に新しい技術を発見し加速度的に進化して来たのはなぜなのだろうか?何がそうさせたのだろうか?と言ったことを考えてみました。いろいろ考えられることはあるのですが、その始まりとなる発明は何か考えたことありますか?
つまらない疑問ですが、真面目に考えると悩んでしまいそうです。多分人類として独自の歩みを始めた最初は「火」を使うことができたことだと思います。でも「火」を使うようになったのは数万年前であり、人類を生きながらえさせた要因ではあっても加速度的な技術の進歩にはつながりません。農耕定住できる栽培作物の発見も人口を急激に増やす要因ではありますが、それも急速な発展にはつながらないような気がします。
では何なんでしょうか?
僕は多分「文字」の発明ではなかったかと思っています。シュメール人がくさび文字を発明したのがおよそ3千年前ぐらいです。それ以降の歴史を我々は知ることができるようになった訳ですが、それまでの知識は口頭でしか伝えられなかっただろうし、正確には伝わらないために行きつ戻りつのような進化であったと推測できます。「文字」の発明は知識の継承と言う意味で我々に大きな進化をもたらしたのではないでしょうか?もっとも「文字」を理解する人は最初はごく限られた人だったものがだんだん一般化されたことにより、印刷機の発明につながり、やがて大航海時代のような冒険心を煽り立てることになり、世界中の知識が集められることにより更に加速度的な発明、発見を次々と生み出すことになったような気がします。
でもあまりにも早すぎる進歩は結局地球の寿命を縮めることになりはしないかと心配でもあります。いずれチップに詰め込まれた知識を失った人類は過去に逆戻りするかもしれません。そう言う意味ではあまりコンピュータ技術に頼り過ぎない生活も一部取り入れる教育が必要なのかもしれません。
それではまた。