少し前に「シン・仮面ライダー」を観てきました。公開封切直後にはSNSでは微妙な煮えきらない反応でした。ネタバレを見ないように注意しながらも、聞こえてきたのは観た人によって0点か100点にクッキリ評価が分かれる内容とのこと。正直、自分はたいして仮面ライダーへ興味もないし、怪人フィギュアを発売する口実の宣伝番組くらいにしか考えていません。なので初代・仮面ライダーにも思い入れないし、そもそもロクに見たこともない。今回も幼い頃に見た仮面ライダーにもう一度会える、なんて期待はゼロで、昭和のライダーをどうアレンジするのか変更具合のほうに興味がありました。
1.これは正義と怒りの物語ではない
昭和特撮ではヒーローの「許さん!」という物言いか多かった気がします。あれ子供ながらに苦手なセリフで、改造人間や超能力でものすごい暴力性能持った人が他人を「許さん」と断ずるのすげー傲慢だなと思ってました。今作では敵も味方も「許さん」動機で動いてる登場人物はいません。主成分は哀しみや目標と手段の噛み合わない救済意識のすれ違いです。
主人公の本郷猛もTV版とは全く別人で、体力知力ともに高スペックなのにコミュ障ゆえ無職引きこもりという、いかにも現代的な人物設定に変更されています。劇中の彼は終始自信なさげな曇り顔で、感情をあまり表に出しません。他人へ感情を向けるのすら憚るような、実に気の弱い繊細な人物として描かれています。とてもじゃないが昭和調に「許さん!」などと吠えることなど出来そうになく、実際に彼は戦闘員をブチ殺しまくった後に動揺するし、最後まで「正義」も口にしません。昭和に産まれた子供達は、その後に「失われた30年」を生きてきたため、実感として「悪を許さない正義」など信じていません。なんなら自分達が散々に「許さん」と叩かれ責められた側です。ここに50年前の本郷猛がそのまま現れても、時代錯誤の生きた化石にしか見えないでしょう。だから自分達と同じ30年を生きた人間が仮面ライダーになったなら、今作のような頼りない人物になるのも当然だと思います。ただし、外見が頼りないから中身もひ弱とはならず、強力な力を得てもそれに溺れずに自制でき、危険な場面でも打って出る胆力もあり、やはり仮面ライダーにふさわしい強メンタルはそこかしこで伺えます。
今作が旧TV版と最も異なるのはショッカーの性質です。旧TV版では安直に「世界征服を企む悪の秘密結社」でした。あれから50年経ち、子供たちはとうに大人となり、世界征服などまったく割にあわないことを理解できています。独裁権力者が強権的に財産を収奪してもすぐに枯渇します。征服した世界を支配する組織にも運営・経営コストがかかります。世界征服=世界全部が自分の物=世界全部の世話をする、です。だから汚れた大人になると昭和の「世界征服の野望」が雑なお題目であり、リアリティのない組織だったことに気づくのです。
そこで令和のショッカーは大胆に理念変更しました。活動目的は「絶望を乗り越える力を与える」というもので、運営も高度なAIが行っています。つまり福祉組織なんですね。しかも通常の福祉では救済が届かない、深い絶望を抱える者を救済するため、対象個人に専用化した特殊能力を与えてオーグ(いわゆる怪人)に改造してしまう。その結果、社会不適合を起こしている者が人外の力を、自己の欲求のために振るう事態が頻発することに。
地獄への道は善意で舗装されている、を地で行く組織になっちまいましたね。人間が福祉と行政ではカバーしきれない、実際やろうとしたら担当者の胃にストレスで穴があく理不尽な現代の歪みを、血の通っていないAIでカバーすると、当初の目的に沿いながらも盛大にはみ出した致命的な行き違いが起きた例です。
なので一部怪人を除き、仮面ライダーは「悪を許さぬ正義の怒り」で戦うのではなく、これ以上巻き込まれる犠牲者が出る前に力づくで倒す、お節介な親切心で戦ってます。相手によっては救済の意味もあります。今作の大ボス・蝶オーグも目的は人類の救済だしな。手段は全人類のプラーナ(魂)を集めて一つにするという強引極まる方法だが、それによって争いのない平和な世界が作れると本気で考えているらしいです。それ知ってるよ「人類補完計画」ってんだよ。動機は救済でもすげー迷惑だからやめて欲しい計画です。
この映画は、敵にも味方にも悲しい過去があり、互いに憎くも怒りもないけど戦う事になってしまう、そんなやりきれない物語です。私はこのショッカー新解釈や、現代世相を反映したような人物達の性格描写に納得したし、素晴らしいアレンジだと思いました。大満足です。けれど、昔の仮面ライダーに思い入れ強くて、昭和の劇場版のように怪人軍団と大決戦みたいなアクション要素を期待してた人には刺さらないでしょう。
2.命を捧げるに足る主人
今作では本郷猛があまりアクティブに動く主人公ではないため、手綱を握って指導する人物が必要です。それが緑川ルリ子さん。ライダーに改造した緑川博士の娘さんですが、TV版にいたっけ?コミュ障で引きこもりだった本郷猛へ、キビキビと指示を出し「言ったでしょ、私は用意周到なの」と次々に事態を解決していきます。彼女も生身の人間じゃないけど、情報コントロール型の能力なので戦闘は銃火器頼みだし、オーグ達相手の格闘戦は無理なのでそこは仮面ライダーが代わりに戦います。つまり、物語の中盤くらいまで、作戦立案から実践までほぼ全て彼女が担い、生身で捌くには危険過ぎる対オーグ戦だけを仮面ライダーが担当しており、各オーグ殲滅作戦の8割方はルリ子さんの手柄です。本郷猛は普段オロオロしてるんだけど、彼女の言う通りに従っていたらしっかり勝てるので深く信頼してる様子です。
決め台詞「言ったでしょ、私は用意周到なの」は伊達じゃなく、序盤~中盤のルリ子さんは諸葛孔明ばりの天才的作戦参謀で、間違ったことを一つも言いません。観客と本郷猛へ与えられてる情報量がほぼ同じなため、妙に自信なさげにオドオドしている態度も含め、彼への感情移入度が高いほどルリ子さんへの信頼度も急上昇していきます。そのルリ子さんも序盤こそ完璧クールビューティーキャラですが、だんだん普通の女性らしき感情面の揺らぎも現れて来るので、女性的可愛らしさを感じてますます彼女が好きになりました……なんてことはまったくありません。私は序盤の天才作戦参謀時点で好感度がカンストしていたので、以降のルリ子さんが不機嫌になったり嘆いたりといった感情的仕草を完全に他人事として見ていました。
そんな部分が無くても、彼女は完璧です。戦う改造人間として命を捧げるに足る主人です。あなたが戦えと言えば戦います。あなたが引けと言えば撤退します。自爆しろといえば?するだろうさ。賢い彼女が今後の展開を見据えて最善の方法として選んだ策に疑問など持ちません。困難な目的のために最適解を示してくれるリーダーキャラが個人的に大好きです。たぶん私は根深いところがドMで、崇高な目的と高潔な主人に憧れがあるんだよ。そういう高貴なもののために殉ずる美を尊ぶ感性がある。忠犬のように命を賭けてお仕えしたい欲がある。ただし、その対象には徹頭徹尾高貴高潔であることを要求するので、少しでも幻滅すると主人の手を噛み千切るバカ犬だけどな。SMプレイでも言うじゃない。Mの望む通りに責めてあげないと即ハラスメントで訴えられるからSMのSはサービスのSだって。
3.あんたが2号で本当に良かった
中盤まで順調にショッカーのオーグ達を倒していく本郷猛とルリ子さんですが、最後に残った蝶オーグは手強いので一筋縄では行きません。一旦出向いたところで登場するバッタオーグ2号。本郷猛に施した改造手術よりも技術が進歩しており、ポーズ取るだけで変身できます。旧1号はベルトに風受けないと変身できないのが不便です。同じバッタオーグ対決はドラゴンボール的に空中でバシバシ叩き合う戦いでした。あれ近隣の建築物を壊さないから周辺環境に優しい戦法なんだとか。ほんとかよ。そして本郷猛の足が折られてしまい勝負あり。2号の勝利です。
でもここでまたルリ子さんがファインプレーを魅せて、2号の洗脳を解きます。
変身前からの言動からも伺えるが、2号の中身は正々堂々フェアプレイを好む性格らしく他オーグ達のような攻撃的な言動もありません。残念ながらルリ子さんの活躍はここまでで、彼女は新型のKK(カメレオン+カマキリ)オーグに殺されてしまいます。そのKKオーグも洗脳の溶けたバッタオーグ2号に即倒されるので仇はすぐ取れるのだが、見ている私の関心はそこじゃありません。この先ルリ子さん無しでどうやって戦えばいいの?正直、本郷猛では今後のショッカーとの戦いを任せるにも余りに不安。主にメンタルや作戦立案能力的な意味で。バッタオーグ2号は単独行動が好みらしくすぐに去ってしまったし。
頼りない先輩ライダーと気ままな後輩ライダー、チームどころかコンビも成り立たないんじゃ、と心配になりました。
杞憂でした。そもそも先輩後輩とか意識する必要もありませんでした。再び大ボス蝶オーグの元へ向かう本郷猛が量産型バッタオーグに苦戦する中、2号が駆けつけてくれます。
量産型は基本能力値は仮面ライダーより低いらしいんだが、人数が多いうえに乗るバイクは同じだしおまけに銃火器を使うので、1人で戦うのキツイんだよね。
そしてバッタオーグ2号こと一文字隼人が、自ら首に赤いマフラーを巻いて仮面ライダー2号になってくれます。出番は後半からだし、過去の掘り下げも無いのだが、一文字隼人にも現代的なアレンジが加わっており、良い意味で彼は後輩ぽくない。普段から自信なさげに見える本郷に対し、一文字は堂々としており思っていることをハッキリ口に出す。しかし口調は常に落ち着いており、激昂したり言葉を荒げる場面は無い。これは一文字隼人という人物が理性的で落ち着いた人格であり、もしかすると本郷よりも年長者の可能性もある。つまり、本郷猛が不向きなリーダーシップを発揮せずとも、一文字隼人が自発的に行動するのに任せて良いわけです。本郷猛だけ見てるとルリ子さん無しで大丈夫かなと心配でしたが、最初から完成された仮面ライダーの一文字隼人が加わるなら、即席ダブルライダーでも十分に能力発揮できるように思えました。
これから大ボスと決戦に行くんだけど大丈夫?心の準備はお済みですか?と思って観ていたけど
「ありがとう一文字くん」
「くんじゃない!ここは呼び捨てだ」
心配要らなかったですね。とっくに覚悟完了してましたね。
あんたが仮面ライダー2号で本当に良かった。
では決戦。大ボス蝶オーグがお待ちです。
この仮面ライダー0号こと蝶オーグ、属性盛り過ぎに思えます。名前のイチローは「キカイダー01」の主人公?蝶モチーフの変身は「イナズマン」から?
戦闘開始は互いに生身状態から至近距離に近づいて、変身ポーズを取ってから始まります。1画面に3人が入った状態で3人が同時に変身ポーズを取る、冷静に見れば近すぎ・変身ポーズとか笑いどころになりそうな絵面なのに、私が連想したのは能楽でした。舞台の上で三者三様な舞と仮面。背景がどこか和風かつシンプルなセットだったせいもあると思いますが、50年続いた「仮面ライダー」とはもはや伝統芸能であり、今観ているのはバリバリの様式美の極地に思えました。
そして、古典芸能様式美の変身の舞が終わると、昭和東映TV番組のような殴り合いシーンに突入します。カメラフレーム内で派手に両手両足を振り、右へ左へ飛んで回って走って殴り合う、これも様式美です。
そうこうしてる間に2号の両腕の関節が極められました。外す間もなくへし折られる両腕。マズい、2号はもう戦えない。1号だけで倒せるのか。だが蝶オーグだってボロボロだ、だいぶ弱ってる。そこへ1号が「一文字!」「おう!」
蝶オーグの頭へ2号が渾身のヘッドバットを打ち込み、両者のヘルメットが割れました。
メットが無けりゃ蝶オーグの変な強化効果は消えます。ここで1号が蝶オーグのプラーナを放出させるギミックを作動させます。ヘルメット内に残されたルリ子さんの記録に教えてもらった戦法です。最後までルリ子さん頼りだったな、おめーは。しかしこの技は本郷のプラーナも大きく消耗するようで、一文字へ後を託し本郷も消滅してしまいました。
ここまで壮絶な戦闘場面が続いていましたが、その動機に正義や怒りは入っていません。蝶オーグ・イチローも本郷もルリ子さんも相手を救うために行動していました。そして、現状で最大最強の相手だった蝶オーグ・イチローに対し、ルリ子さんという支えを失った、性能スペック的には不利なバッタオーグ1号が、救済という最上成果をあげられた、ここで物語が区切られるのが妥当でしょう。本郷猛がここで死に、彼の物語が終了したのもちょうど良い位置だったと思います。
最初から思ってたけど、本郷猛と緑川ルリ子さんは一蓮托生で、どちらかが欠けたなら一方も長くは持たないように見えていました。劇中で2人は恋愛関係になることなく、どういう関係かの質問にも「信頼」だ、と答えています。私が感じた関係性は該当する言葉が見つかりません。脳と心臓は恋愛するでしょうか?信頼しあっているでしょうか?当たり前に互いが機能し、片方が潰えたらもう片方もやがて止まる、それだけの関係では?
そしてエピローグ。生き残った一文字はこれからも仮面ライダーとしてショッカーと戦い続ける決意を固めました。新しいヘルメットには「+1」が刻印され、込められた本郷の意思も共に戦い続けるようです。そしてこれまで思わせぶりにチラチラと画面内に登場していた政府関係者も協力すると約束してくれました。名前はそれぞれ役職の高そうな方が「タチバナ」銃火器を持った実行部隊らしき方が「タキ」だって。これでようやくショッカーと戦う役者が揃った気がします。
仮面ライダー2号こと一文字隼人、おやっさんこと立花藤兵衛、FBI捜査官の滝和也、昭和仮面ライダーのレギュラー達が顔を合わせ、従来の仮面ライダー世界に収束していくのでしょう。この映画は主人公がぐいぐい動く展開ではないせいか、終盤まで雰囲気が重いのだけどラストはすげー爽やかに終わるのよ。なぜかグウの音も出ないほどハッピーエンドに感じるのよ。劇中描写的に、仮面ライダーが世間に認知される前に起きた、誰にも知られていない2人の戦いの物語としてキレイにまとまってるせいだと思います。ここまで書けば歴然ですけど「シン・仮面ライダー」に対する私の評価は100点です。
仮面ライダーに限らず、昭和の懐かしいTV番組が平成後期~令和にかけていくつもリメイクされてるけれど、どれも滑って当時の視聴者層に見向きもされていない現状で、この映画は一つの方向性を確立したと思います。私が観た昭和特撮TV番組リメイク映画で面白かったのは、この「シン・仮面ライダー」と「電人ザボーガー」だけです。両者の方向性は真逆だけど、元ネタに対するリスペクトは非常に強く感じました。
50年前の子供向けTV番組をそのままリメイクしても陳腐にならざるを得ません。そこを「電人ザボーガー」では陳腐であることを否定せず、馬鹿馬鹿しい内容を大真面目に作りました。しかもそこに不純物を極力混ぜず、元ネタにある素材をふんだんに使いながらも忠実に再現することで、どっからどう見てもザボーガー以外の何者でもない懐かしTV番組のお祭り映画として完成しました。全編ギャグ満載だけど、そのギャグは当時のものを今の視点でみたらギャグに見えるだけであり、実際本編はギャグ描写を大真面目にやるので、見どころ山盛りのうえに所々やたら格好良かったりと、振り切った傑作になっています。
一方、今回の「シン・仮面ライダー」は元ネタから抽出する要素を初期部分に絞り、50年の時差で陳腐化する設定を現代社会に照らして組み直し、現代で起こりうるショッカーの脅威とそれに立ち向かう者の小さな戦いに凝縮しました。ここに現代の客層を意識した「ウケる」要素を取り込まず、元ネタにある設定材料を活かす方向で精緻に物語を再構築したのが良かったと思います。例え本郷猛の性格が今風なリアリティを持たせたとしても、初期仮面ライダー的な世界に放り込めば、やはり仮面ライダーとしてショッカーと戦わざるを得ません。その戦いの過程や戦闘ギミックを50年間の蓄積から盛り込めばいいわけで、仮面ライダーの設定だけを使い、仮面ライダーとして戦った今作は「シン・仮面ライダー」にふさわしい内容でした。しかしこれは50年の差により、旧TVシリーズの世界が再現できなくなった証明でもあり、昔の仮面ライダーの展開そのままに視覚効果を現代技術で強化した劇場版を観たい人には合わないのも当然でしょう。だからこの映画の評価は0点か100点と言われるほどに大きく乖離するのだと思います。