女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

★当たり前のことに感謝

2008-11-27 | 日記・エッセイ・コラム

突然ですが、今年で結婚して15年になります。そんな私達に今年最大のピンチ(なんとおおげさな?)がやってきました。

昔「亭主元気で留守がいい」というCMがあったのご存知ですか?ウチの旦那さまは結婚後、風邪をひくことはあっても寝込んでしまうほど体調をくずすこともなく、仕事に遊びに(休日もゴルフ、野球、サッカーへと出かけていってほとんど家にいません)元気に飛び回りまさにこのCM通り。

ところが、ところがです。今年の夏、ある夜帰宅したらリビングテーブルの上に何やら紙が置いてある。見てみると「診断書」。しかもその病名が「小脳腫瘍」。「今週検査行ってくるわ。最近ちょくちょく頭痛いし、見てもらってくるよ」と言っていたのが日曜の夜。検査に行って診断されたようなのだが、本人はいたって普通に「恐らく良性なので心配無用」「緊急を要するわけではないけどいずれ必要になるので早いほうがいい」などを説明。さらに、既に入院と手術の予約をいれてきたと言うのです!聞いている私のほうが「ふ~ん」と平静を装いながらも心の中で動揺が激しく「そんな重要なこと勝手に決めんといてよ!」と文句を言いつつその日はあまり眠れませんでした。かくして、今年の8月に入院、検査、手術にふみきりました。結果は、手術も成功、腫瘍も良性で1ヵ月後には仕事に復帰、今ではサッカーや野球も復活して何事もなかったような生活に戻っています。  

                             

今までうちの旦那さまは健康が当たり前。と思っていた(と言うよりそんなこと考えもしなかった)けど、決して当たり前ではなく彼が健康だからこそ自分が自分のことだけに全力投球できていたことが身にしみた。

また、彼は大手営業系企業の中間管理職、私は小さいながらも会社のとりまとめをする立場として仕事をしていると、お互い忙しく平日夫婦の会話の時間は極端に少ない。少ないどころか顔をあわせることさえない。休日も含め会話と言えば最低限必要な情報交換でお互いに感じていること、考えていることを話し合うことはほとんどない。ところが、今回入院以降手術後1週間まで毎日病室を見舞った。仕事をしているので当然病室には面会時間ぎりぎりにすべりこみセーフの状態で、彼曰く「20:00頃に病院の廊下の遠くから、ヒールのコツコツというせわしない音が聞こえてくると、『きおったな!』と思った」状態ではあったが少なくとも毎日顔をあわせて会話した。病室にいるのはせいぜい30分。だけど、そこで雑談も含めていろんなことを話した。彼の部下の女性新入社員女性の話。私自身の仕事の話。お母さんの話。などなど・・・。その中には「へぇ~そんなこと考えてたんや」「そんなふうにみてくれてたんや」ということもあり、改めて身近にいて自分を理解し支えてくれていることを実感。当たり前のことがあたりまえではなく活かされていることの感謝の気持ちを再確認できる貴重な体験でした。

                                                                                   感謝


★ことばを定義する『力』

2008-11-20 | 日記・エッセイ・コラム

この仕事をしているといろんな人との出会いがあり、そのいろんな人から様々なセミナー、勉強会、交流会などの誘いを受ける。

先日久しぶりにある研究会に参加した。この研究会は人材開発に関わる人を中心に1ヶ月に1回開催されている。いろんな分野の人の講演を聞きそのテーマについて考える真面目な会。私自身以前に講師として招いてもらったこともあって年に何度か参加している。そこで、教育に携わる「伝え手」として「ことばを定義する『力』」の重要性を改めて考えさせられた。

今回の講師は大手企業を退職後コンサルタントとして活躍されている人。自らの体験をもとに「社会人の心構え」についてまとめて出版した著書の内容がテーマでした。その心構えの中の一つに「品格を身につける」というものがあり、参加者の一人が質問した時のこと

質問者「ここでいう品格というのは、身だしなみのことですか?」

講師 「身だしなみもありますが、教養と言いますか・・・」

このやり取りを聞きながら私だったらどのように答えるだろうか?と考えた。伝え手に求められるのは、このような場面でその言葉を的確に定義する(=伝え手の主張)力。しかもプロの伝え手であれば、その定義を「なるほど、そうですよね!」と相手に納得させる力が求められる。ここでいう定義は辞書的な意味ではない。「品格」の辞書的な意味は、品位と風格のこと。その人やその者に感じられる気高さや上品さとある。そうではなくて、自らの経験から「品格とはこういうことである」「品格を身につけるのに必要なのはこれと、これと、これと・・・」という自らの定義すなはち解釈のこと。乱暴な言い方をすれば伝え手にとってこの定義すなはち解釈が全てではないか。教育者にとっての教育観、経営者にとっての経営理念、ビジョンも同じこと「これだ!」と思うことを一般的に伝えるのではなく、自分で解釈し、自分の言葉で定義して伝えること。そこにしか言霊は宿らない。自分の言葉で定義するとそこにはリスクが伴う。「異議あり!」「そうは思いません・・・」という意見が必ず出てくる。でもそのことを恐れていては自分でしか伝えられない想いは伝わらない。うちの会社には「成長とは」「会社とは」「仕事とは」に関して社員全員が共有している考え方がある。それらは必ずしも一般的ではない。でもその考え方を主張するからその主張に共鳴してくれるお客様や仲間と出会える。

独善的にならないように気をつけながら、中村にしか伝えられないものを追求していきたいと自問自答に答えをだしたところで研究会が終了した。大切なことを再考させられた貴重な時間だった。   

                                   感謝