中村です。
「股関節が痛い」「腰が痛い」などなど…。身体の
あちこちが痛んでメンテナンスが必要なやっかいなお年頃
で、
痛みが激しい時は毎日。
特に何もなくてもできれば週2~3回。少なくとも1回は
接骨院でメンテナンスしたいと思う今日この頃。
いきつけの接骨院はしおのせっこつ院
担当してくれるのは梅木先生(通称うめちゃん)
昨日
いつものようにうつ伏せで施術を受けていると、向かいで
施術している院長先生と女性の会話が聞こえてきた。
身体や日常生活の状況についての話をする女性に対して、
「そうかそうか、頑張ってるやん」
「うんっそれでいい」
「やればできる子やから」
※ちなみに女性は子供ではなく、れっきとした成人女性です。
発言を一切否定することなく、受け止め、承認を与え続ける。
先生の承認を彼女がやんわり否定しても、「い~やっ、やれ
ばできる子やから」と承認して元に戻す。
※ちなみに院長先生、誰に対しても承認し続ける天使ではない
ことを付け加えておきます。悪しからず!
それを聞きながら、梅ちゃん先生に
中村「『やればできる子』って。私も言われたい…」
と言ってみた。
梅ちゃん先生「・・・」※聞こえてないのではない。しっかり聞こえている。
中村の心の中の声「無視かい」
しばらく施術が続く。
施術の最後はいつも股関節をぐぐっ~と開く。梅ちゃん先生
の容赦ない攻撃。これが利くぅ~
自分では到底無理な体勢まで「しっかり」「よ~く」開いた
(と自己評価)。思わず、
中村「おぉ~っやればできる子や」
に対して
梅ちゃん先生「やれることをやりましょ」
やればできる子の押し売りを承認することな
くやんわり返す。「やれることを(全力で)やる」確かにそ
の通り。さっすが~梅ちゃん先生
改めて思う。
接骨院は体のゆがみや痛みをとるための場所。当然求められ
るのはそれらを解消する施術力。これがなければ話にならな
い。でも、問われるのは施術力だけではない。施術力は必要
条件ではあるが十分条件ではない。接骨院に通う人たちは、
施術を受けながらする先生との会話他+αを求めている。
もちろん+αの中身は人それぞれ違う。より詳しい専門的な
知識を知りたい人もいれば、他愛のない話をしたいだけの人
もいる。だから、その日のその人に応じた会話が求められる。
そうでないと「そんなこと聞きたいないねん」とか「今日は
そんな気分じゃないねん」と思われて足が遠のいてしまう。
いずれにしても、もくもくと施術してハイ終わりではない。
そうでなければ調子が悪い時しか通わない。
しおのせっこつ院に行くと施術中はほぼ喋っている。こちら
からしゃべりかけなくても、
梅ちゃん先生「最近どうっすか?」
「『どうっすか』ってか❓」…と思いながら、ゴルフや最近お
気に入りのパンの食べ方などたわいのない会話が始まる。
改めて思う。しおのせっこつ院は、
自分がここにいていいと思える場所
だから、みんな通ってくる。痛みのある人もない人も。承認
されてもけなされても…。みんな笑顔で通ってくる。
個食。個住。お一人様などなど人との接点を持たずに生活する
ことができる世の中。コロナ禍でリモートワークが推奨され会
話をしながら外食する機会もなくなって否が応でも一人でいる
時間は増えた。先行き不透明な状況下で
自分がいていいと思える場所=居場所
があることがいかに安心感につながるか。その大切な役割を
せっこつ院が果たしている。
随分以前、接骨院の受付担当者(コンシェルジェ)対象のコ
ミュニケーション力向上プログラム作りに携わっている人に、
「せっこつ院は人間系の情報発信基地であり、地域住民のつ
ながりにおける最後の砦になる」と聞いたことを思い出した。
ここにいていい場所があれば一人暮らしのお年寄りも淋しく
ない。
そう思えるのは、院長先生や梅ちゃん先生の人間力によると
ころが大きい。個々の抱える課題解決を商売にしている以上、
課題解決に必要な技術力があるのは当たり前。でも技術力だ
けで通ってくる人は必要がなくなれば離れていく。
技術力+人間力
人間力があるから人が集まってくる。技術力が当たり前だと
すると、人間力でしか差がつかない。ネイルサロンも美容室
も歯科医院も接骨院も同じ。