女を捨てず・女に甘えず・らしさを活かす

女性スタッフがビジネス社会で実際に体験したことを中心に「見たこと」「聞いたこと」「感じたこと」をありのままお伝えします。

★人材業界で生きていく覚悟!? 

2007-10-17 | 日記・エッセイ・コラム

入社時、当時の部長から「中村さんには心理学を活かして新商品開発の仕事をしてもらいたい。よって半年後から東京勤務。専門機関での教育も考えている」と言われた。私にとって願ってもない好条件。一からやり直すためには東京勤務も魅力的だった。ところが、入社後しばらくして、会社の状況が変わり、突然の部長交代。当然、私との口約束もなかったことに・・・。せっかく念願の心理学を活かしてスペシャリストとして仕事をするはずだったのに・・・。頭の中の理想がガラガラと音をたててくずれていきました。

ただ、せっかくはいった会社。「何かをつかむまではやめない!」と覚悟を決めて入った業界であり会社だもの。「今回はやめへんでぇ~!!」営業の仕事を通じて一人前になってやろう!!不思議と、前向きに考えることのできる自分がいました。

こうして、人材業界に入り、人材の仕事の面白みを知り、縁あって今の会社に携わるようになるまでの約7年間をこの会社で過ごすことになる。今の私があるのは、間違いなくこの会社との出会いがあったから。

私を採用してくれた当時の部長、いろんな仕事を通じて人材業界のいろはを教えてくれた上司や先輩、生意気な小娘の言うことをいつも受け止めてくれた歴代の部長やお客さん etc...。今携わっている仕事のベースや人的ネットワーク、自分自身の将来イメージや教育に対する基本理念はこの7年間で携わったいろんな人を通じて学び、身につけることができた・・・。そういう意味で本当に感謝しています。

つくづく自分は幸せ者だと思う。

こんなフレーズを人が言っているのを聞くと、空々しくて嫌だった。でも、こうして自分の人生を振り返ってくると、大してとりえのない自分がここまで頑張ってこられたのは、間違いなく周りの人に支えられ、活かされたからこそ・・・。

研修や講演の仕事後の懇親会で、「中村さん、今の仕事天職ですねぇ~」と言われることも多い。私には今の仕事が天職だ!なんて言えないし、もっと言えば、この業界で一生生きていくぞ!と覚悟を決めたわけでもない。

ただ、「40歳」がちらちらしてきた頃から、いろんな人に支えられ、物質的にも精神的にも面倒をみてもらって今の自分があることを考えることが多くなり、そろそろその

「恩」に報いる恩返しをする時期

にきていると思うようになった。

で、「何をすれば?」「私にできることは何か?」と考えた時

・自分が携わっている分野の仕事で社内外問わず、自分が関わっている人達に、想いを伝えていくこと。

・自分がしてもらってうれしかったことを後輩に受け継いでいくこと。

・こうして、先輩から受け取ったバトンを自分で途絶えることなく、後輩に渡し、後輩からその後輩に受け継いでいくよう働きかけること。

ちょっとキザだけど、先輩から受け取ったバトンを後輩につないでいくことが社会における自分のミッションなのではないかと思う今日この頃。で、たまたま自分の携わっている仕事が「教育」という仕事だから、私はこの仕事を通じてこの仕事を通じて知り合った人を通じてこのミッションを果たしていくことが大切なんだと思う。

こんなことを思えるようになったのも、人材という業界に入って、自分も含めた「人」と対峙するようになったからこそ。感謝の気持ちを込めて次回に続く。。。


★そ・し・て、人材業界へ 

2007-10-09 | 日記・エッセイ・コラム

大学進学予備校では、本当にいろんな仕事をやらせてもらった。生徒募集、カウンセリング(これがやりたくて転職したから生徒との真剣勝負はやりがいがあり本当に楽しかった!)、広報担当としてラジオ番組のパーソナリティ(つぼいのりおさんというパーソナリティと金曜日深夜15分程度の番組。マイナーなだけどクラスの子は毎回聴いていて、プライベートなことを話した次の日は、「中村先生、あんなことは公共の電波を通じて話すことじゃない」と説教されたりしてました・・・)、講座企画(アイデアだけは豊富で「こんなんやったら面白いんとちゃいますか?」といろんな企画を提案!いっつ放しで終わった企画も数多くありますが・・・)などなど・・・。

でも一生懸命働けば働くほど、会社の方針や待遇に対する矛盾が見えてくる。今考えるといろんな意味で「若かった」。生徒のことより「利益ありき」の企業姿勢が(今思えばあたりまえのことも多いのだけれど・・・)どうしても理解できなかった。納得いかないことがあると「納得いきません、説明してください」と正面から体当たり。会社に言っても無駄だと悟ると今度は自分達だけでなんとかしようと、早朝や仕事後(だいたい、21:00ぐらい以降)に同僚達で集まって、生徒用のプリントを刷ったり企画を考えたり・・・。それなりに楽しかった。でも本筋じゃないことは長く続かない。

結局、体調不良を理由、いや言い訳に退職し。その後、安易に知人の紹介で社長秘書の職についたけど、それも約半年後にリタイア・・・。今思えば「秘書」という仕事は自分に最も向いていない仕事の一つ・・・。でも当時はそんなこと考えもせず、秘書という仕事が自分に向いていると思い込むための材料を必死に集めていたように思う。でも、半年足らずで逃げるようにその会社をやめることになったことが全て。

何をやっても中途半端、何をやっても続かない自分に本当に嫌気がさした。離れて生活している母親にどこに勤めているかも言えない情けない自分。「あんた、何してんのさ!」と自分に問いかけても、どこに勤めても長続きする気がせず、もともといい加減な人間やったんとちゃうのん???と自己不信に陥りかけていた自分にはそれにこたえる気力もなかった。

当時26歳。自分が大嫌いになりかけていました。

3回の転職を通じてようやく気づいた。仕事が続かないのは、就職した職場に問題があるのではなく、自分自身の中に問題がある。

自分の中途半端なプライドと、困難に立ち向かう勇気のなさが引き起こしているのだと・・・。

私には大学進学のため三重の実家を出る時、心の中に決めたことがある。「もう2度とここには戻らない」と。仕事がないからと言って実家に引き返すわけにはいかない。何よりも、父親亡き後、私を無事に大学を卒業させて、娘を信用して自由にやらせてくれている母親に心配をかけるわけにはいかない。「私ってなんでこんなんなんやろう・・・」といつまでも落ち込んでいる時間はなかった。

よし!もう一回やり直しや!! 次の就職先を真剣に考えはじめまた。考えるにあたって決めたことがある。

「もう、やめない!!」

やめないために、

①納得できる就職先を見つけるまで活動する。安易に決めるのではなく、長引くようであれば、バイトをして生計をたてる(実際、通販の電話受付、この仕事を通じて知り合いになった派遣会社から子供服メーカーの総務事務の仕事を体験)

②次の就職先は、大手企業の正社員か、手に職をつけられる仕事に絞る

という方針を決めて就職活動を始めた。そこで見つけたのが、ある大手企業が100周年の記念事業として打ち出した人材開発事業のスタッフだった。心理学を活用した適性診断とその適性診断を組み入れた教育システムの企画と営業の仕事。

とらば~ゆでこの企業の募集記事を見つけたとき、「ここで働くことになる!」とピンときた。かくして大阪採用2名に選ばれ、人材業界に入ることになったのでした。

(続く)