チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「選択から投資へ」

2015-05-15 14:48:42 | 独学

 75. 選択から投資へ  (五十嵐玲二談 2015年5月)

 今回は、選択の科学(The art of Choosing) シーナ・アイエンガー著(Sheena Iyengar)に触発されて、「選択から投資へ」という題にしました。

 

 『 シーナ・アイエンガーは、1969年カナダのトロント生まれ、両親はインドからの移民でシーク教徒。1972年にアメリカに移住。彼女は3歳の時、眼の疾患を診断され、高校生になる頃には、全盲になる。シーク教徒の厳格なコミュニティが反映され、両親が着るものから結婚相手まで、すべて宗教や習慣で決めてきたのをみてきた。

 そうした中、アメリカの公立学校で、「選択」こそアメリカの力であることを教えられることになり、大学に進学して後、研究テーマにし、20年以上にわたり「選択」に関する広範な研究を行なってきた、現在、コロンビア大学教授。

 「自分で選ぶこと」こそ、アメリカの力であり、どんな環境にあっても、自分の選択によって、道は開けると信じた彼女の人生の物語でもある。人生は、運命、偶然、選択という3つの観点で語ることができる。 』

 

 「選択」と「投資」と「ギャンブル」(投機)という三つの言葉を、本稿で述べる意味を定義しておきます。この三つの言葉の共通点は、誰も知ることのできない未来についての決定をするということです。まず、「投資」とギャンブルの違いを、考えてみます。

ここで言う「投資」は、自分で仕掛けを作り、自分でその仕掛けの確率が上がるように、その仕掛けを工夫し、自分の時間、自分の労力、自分のお金を投入し、より多くの自分に対する利益をえることである。この投資は、どんなにささいな仕掛けでもよい、どのように小さな利益でもいい。ここでいう利益とはお金である必要はなく、自分にプラスになるのものであれば、なんでもいい。

 しかし、どんなに小さな仕掛け(投資)でも、自分で考え、いくつかのマイルドストーンを決めて、それによって得られた利益を評価し、継続するか、断念するか、さらに発展形にするかを選択する。

 「ギャンブル」は、他人が自分に都合のいいように、創り上げた仕掛けができあがっています。従って、リターンの確率や全掛金にたいする全リターンの割合も低いものです。例えば、宝くじや競馬でも、その半分以上は、税金や経費に費やされ、高額なリターンを得る確率は非常に低く、掛け金を失う確率は、非常に高い。

 一方、「投資」は、自分で、自分の時間、自分の資金、自分の労力を何の目的で、どのような仕掛けで、投資すれば、自分に利益をもたらすか。そのためには、小さな仕掛けから始めて、成功体験を積み重ねて、成功する確率を高めていくことも重要です。

 未来は、投資と言えども、自分の都合のいい未来とはならないものです。そのためには、丁寧に、謙虚に、そこに潜む落し穴について、考えをめぐらさなくてはいけない。常にその仕掛けの弱点を狙って、さまざまな事態が発生し、自分の都合の良いようには、事は運ばないものです。(どんなに小さなことでも、単に考えたのと、実際に実行したときは、さまざまに異なるものです)

 それは、悪意のある他人ばかりでなく、さまざまな法の制限だったり、税金であったり、書類の不備であったり、中途半端な仕掛けのために、空中分解するものであったり、約束通り仕上がりでないものが、納品されたり、期限が守られなかったり、経費の算出が甘くて、予算をオーバーしたり、為替レートの変動のために、赤字に追い込まれる、……様々なことが、発生するものである。

 「選択」は、「投資」に於いても、「ギャンブル」に於いても発生する。「ギャンブル」は、一般に負け出して、それを取り返そうとして、破綻するケースが一般的であり、選択の余地のない「選択」を迫られる。このように選択という言葉の中にある、窮地に追い込まれて、選ぶという要素を取り除き、未来の自分に対して、周到な準備と努力によって、ポジテブな選択をするための、「投資」について考えてみたい。

 ここでの投資とは些細な仕掛け、例えば、自分の健康のために十五分間柔軟体操をするという投資を考えて見ましょう。そのためには、自分にとってベストな柔軟体操とは何か、現在の自分の身体でどこが、ボトルネックであるか、……を考えて仕掛け(投資)を行い。これを一週間、一か月、半年、3年とマイルズストーンを決めて、評価してみる。

 更には、昼食に何を食べるか、お弁当を作るのか、麺を食べるのか、お米は、白米か、胚芽米か、麦飯か、玄米か、……を考えて仕掛け(投資)を行なう。人間は何を食べてきたのか、栄養学とは本当に真実を語っているのか、自分の食事を問題点は何か、そもそも動物の体とはどうように造られているのか、……と実行すると色々なことが見えるものです。

 もう一つ小さな投資の例として、英語の本を毎日十五分読むように、自分の時間を投資する。どのような英語の本を読むべきか。小説か、生物学か、経済学か、雑誌か、マンガか、どのようなレベルの本か、日本語訳の本がある本か、ない本か、辞書は何にするか、電子辞書にするか、読むスピードを重視して、辞書は極力引かないか、ノートをとるか、単語帳は作るか、何の目的で英語の本を読むのか、1年間実践して、どのような効果を期待しているのか、……楽しみながら、実行できるれば、続けられるかも。

 もう一つ、ベランダにプランターに、果樹の苗を植えるという投資をする。ベランダの空にあわせて、あまり大きくならないで、果樹が収穫出来て、四季を楽しめるものが、何かないか。病気や害虫に強いもの、……は、少なくも三年以上の時間を必要とする。投資には、継続というか時間のベクトルを必要とします。

 最後に、通常使われる投資という意味で、自分で貯めた百万円のお金があるとします。これをどのように運用すべきかを考えてみます。通常、定期預金を考えますが、最近まで各国通貨に対して円高に推移していたので、ほぼ正解でしたが、円と言えども、ドルや金や原油や小麦やトウモロコシに対し変動してます。

 ここでポンドと円のレートを簡単に見てみましょう。1949~67年1008円/ポンド、67~71年864円/ポンド、1980年526円/ポンド、1990年257円/ポンド、2000年163円/ポンド、2010年126円/ポンド、現在(2015年)188円/ポンドと大きく変動してます。

 ここで言いたかったのは、たとえ定期預金でも、未来を知ることはできませんので、賭けの要素があるものです。百万円を株式に投資するとして、上場会社約3500社の中から、選択するわけですが、まず企業として技術(ノウハウ)を持っていて、利益を安定して計上し、社会的信頼があり、配当、自社株買い付け、株価に見合った利益剰余金があり、社長の人相がよいこと、これらを考慮して、長期運用で投資すれば、投機性はかなり減少します。

 投資した会社の経営者が、考えて、社員が働けば、会社の利益があがり、株主にも利益がまわってきます。どのように分析し、シュミレーションした投資と言えども、選択するとき、「賭け」、「占い」の要素は存在するものですが、この結果が思わしくなかったとしても、次回に投資を行う時にこれらの分析やシュミレーションは活かされるものです。

 

 日本語で「選択」という時、二つの問題が内在する。一つ目は、窮地に追い込まれての選択、その選択肢には、前門の虎、後門の狼のように、どれを選んでも助からない。一七歳でノーベル平和賞を受賞した、パキスタンのマララ・ユスフザイは、つぎのように話してます。

 『 You all may know that in Swat Valley there was Talibanization, and because no one was allowed to go to  school.  (知っての通り、スワート渓谷はタリバーンの支配下にあり、学校に行くことが許されていませんでした。)

 I had really two options. One was not speak and wait to be killed. And the second was to speak up and then be killed. And I chose the second one. (私には二つの選択肢がありました。一つは声を上げずに、殺されるのを待つこと。もう一つは声を上げ、そして殺されること。私は二つ目を選びました。

 Because at that time there was terrorism, and woman were not allowed to go outside of their houses, and girl's education was totally banned, and people were killed. (当時はテロの恐怖があり、女性は家の外に出ることは許されず、女子教育は完全に禁じられ、そして人々は殺されていたわけです。

 At that time I needed to raise my voice because I wanted to go back to school. I was also one of those girls who could not get education. (学校に戻りたいがために、私は声を上げる必要があったのです。自分もまた、教育を受けられなかった女の子の一人でした。)

  I wanted to learn. I wanted to learn and be who I can be in my future. (学びたかった。勉強をして、将来の夢を実現したかった)』 とあります。

 

 「選択」に内在する二つ目の問題点は、その選択肢に自分が介在できる余地が少ないないことです。その点「投資」には、自分で仕掛けを作って、自分の運命に対し積極的に介入し、工夫し、努力する余地が残されています。パキスタンのマララ・ユスフザイは、究極の選択をおこない、学問という最大の「投資」に賭けたと考えます。

 この投資という選択において、自分の能力を発揮し、自分の人生を意義あるものにするために、二、三個のテーマを持つ必要がある。あるテーマを追求するために、それに沿っていくつかの投資(仕掛け)を実行する。このテーマを持つことによって、自分の投資や選択に統一性が生まれます。

 ここで、テーマとは、前々回の坂井シェフの例でいえば、「人を喜ばす、西洋料理を追求する」がテーマであり、前回の石城教授の例でいえば、「種とは、進化とは、適応とは」が、テーマのように考えます。そのテーマの実現に向かって、お店を持ったり、本を書いたりという投資があるように考えます。

 アイエンガー教授も、The Art of Choosing と原題をしているように、占いや宗教的判断や家族的判断や人相や手相と言った従来の選択についても、言及しそれらも含めて、アート オブ チューズイング (選ぶことの芸術)としたように、考えます。

 アイエンガーは、自分の両親がシーク教徒で、二人の結婚に於いて、花嫁の顔を新郎は、結婚式の二日目に初めて見たとインドでの両親の結婚について、誇らしく書かれています。さらには、自らの結婚について、夫と私が結婚を決意したとき、両家は手放しで喜んだわけではなかった。

 南インドのバラモンのカーストに属する、アイエンガー家の一員であるかれは、当然アイエンガー家のものと結婚するものと思われていた。わたしはアイエンガー家の一員でないばかりか、信仰さえ違っていた。両家の親戚に言わせれば、この縁談は不釣合いで、失敗を宿命づけられていた。

 まもなくわたしの義理の母になろうとしていた人は、信頼する占星術師のもとに急いだ。ところが、彼女が部屋に足を踏み入れたとたん、まだ質問さえ口にしていないのに、占星術師はこう告げたのだ。「二人は七回前の前世から夫婦で、七回後の来世まで夫婦でいるでしょう」このようにしてわたしたちは結婚した。

 「選択」や「投資」を自分の力をいくら注いでも、未来を確実に知ることはできない。そこで「自力本願」だけではなく、「他力本願」の力を借りることも時には、必要なのではないでしょうか。(第74回)