チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「英語で話すヒント」

2015-10-31 09:37:54 | 独学

 93. 英語で話すヒント  (小松達也著 2012年1月)

  また英語に関する本ですので、読者の方々も、私のような今もって英語の劣等生に、英語について言われる筋合いはないと言うのではと思いますので、私がまた、なぜ英語なのかを、お話しします。

 第一の理由は、英語の全体像を自分なりに捉えたい、自分は象の鼻を触って、これが象か、耳を触ってこれが象か、脚を触って、これが象かと思っているのではないか。

 英語とは、十数個の基本動詞で成り立っているとか、英語は、語幹となるラテン語を数百語をマスターすれば、十分であるとか、英語は、a と the の使い方をマスターすれば、良いとか、英語は Be 動詞であるとか、英語は前置詞であるとか、英語は、主語と動詞を捉えれば十分であるとか。

 英語の発音はフォニックス(Phonics)で、完璧とか、英語は自動詞と他動詞であるとか、英語は、that(関係代名詞)の使い方をマスターすれば、良いとか、英語は、NO をはっきり言えれば、いいとか、様々に言われますが、一体、全体像は、どのようなものなのでしょうか。

 しかし、じゃあ日本語の全体像は、どのようなものかと聞かれると、心もとなく、さらに世界の言語の全体像となると、言語の数が6千とも3千ともいわれており、多くの言語が消滅しつつあり、全体像となると言語学者でも、心もとないものです。

 第二の理由は、なぜ私の英語はいっこうに進歩しないのであろうか。私の努力も、頭も、不足していることは認めるけれども、学校での教え方と教科書や先生にも、何か納得できないものを感じます。

 日本人が第二外国語として、英語を学ぶための幾通りかの、マイルドストーンを用意すべきではないか。(約半数の者がその道筋をたどれば、ある地点まで到達できるというような。)

 第三の理由は、私の目標は、英語の名著を、ある程度の速度で、おおよその意味を捉えて、楽しく読めるレベルまで、行きたい。  このように感じているのは、私一人でしょうか? では、通訳者が教える上達法を一緒に学びましょう。

 

  『 英語の学習法にはいろいろな方法があります。英文を読むことと文法の学習を中心とした「訳読法(Grammer-Translation Method)」、あるいは学ぶ対象である英語だけを使ってスピーキングに重点を置く「ディレクト・メソッド(Direct Method, 直接教授法)」などです。

 本書で私がおすすめしようとするのは、通訳訓練法を活用した英語の学習法です。通訳はもちろん言葉と密接に結びついていますが、通訳の技術や通訳者を養成する方法を言葉の学習に応用しようというアプローチは、世界でも新しいものです。

 そこで、なぜ通訳訓練法が英語学習に役に立つのか、特に日本人の学習者にとって、なぜこの方法が適切だと考えるかについて、お話ししたいと思います。

 通訳の作業を簡単に要約すれば、「相手の言うことを正しく理解して、その内容を聞く人に分かりやすく表現する」ことです。これは通訳だけではなく、全てのコミュニケーション行為に共通する原理です。

 英語の学習という見地からも、「理解する力」と「表現する力」を向上させることは学習の目的そのものでもある、ということができるでしょう。

 この場合の「表現する」というのは、ある言葉を別の言葉に置き換えることではありません。理解した内容を自分の言葉で表現することです。

 ことに単語を一つ一つ訳していたのでは、総合的な言語力の向上にはつながりません。私たちが話す時には、必ず考えや意味が先に頭にあります。そしてそれを言葉として表現するのです。

 通訳も原則としてこれと同じ行為でなければなりません。通訳と言えども、人間の自然な言語活動の一環なのですから。ただ通訳の場合は、「他の言語で」が入ることです。

 通常の言葉によるコミュニケーションでは、理解と表現は同じ言葉で行われますが、通訳ではこの2つが違う言葉で行われます。これが通訳という作業の特色であり、通訳が作り出す全ての言語的、技術的問題の根源でもあります。 』

 

 『 詩の翻訳に関して、ロシアの詩人エフトゥシェンコ(Yevtushenko)が言ったとされる次のような句が知られています。

 Translation is like a woman.  If it is beautiful, it is not faithful.  If it is fatithful, it is most certainly not beautiful.  (翻訳は女性のようなものだ。美しければ忠実ではない。忠実なら、おそらく美しくない)

 この通訳者の英語表現の工夫は、一般の人々にとっても役に立つと思います。コミュニケーションで大切なのは、何と言っても「意味」、言いかえれば伝えたいと思っているメッセージです。

 何を言いたいかをはっきりさせ、それを無理のない簡単なセンテンスで表現することが第一歩です。流暢で美しい表現はさらに腕を磨いてから、と考えた方が賢明でしょう。

 通訳技術を応用した英語学習では、このように聞いたことのポイントを正確に捉えた上で、英語らしい自然な構文で分かりやすく表現することを目指します。

 通訳の特徴は、「話し言葉」を対象としているということです。話し言葉は「一時的(temporary)」だということです。この特色は、通訳研究では「消失性(evanescence)」と呼ばれ、通訳の技術を考える上で重要な要素です。

 もう一つの話し言葉の特徴は、「自発的(spontaneous)」だということです。自発的というのは話している人の考えが自然に言葉に表れるという意味です。

 英語を聞いて理解しようとする場合、一般の学習者はどうしても一つ一つの単語にこだわります。長年通訳を教えていて、これは全ての初心者に共通する問題点です。

 これを克服するためには、意味に集中するという意識的な努力を一定期間続けることが必要です。その過程では、この話言葉の「消失性」と「自発性」を意識することが役に立ちます。 』

 

 『 英語の教育法から見ても、通訳技術の英語学習への応用はこれまでどちらかと言えば継子扱いでした。というのは通訳と英語学習というとどうしても伝統的な「訳読法」と結びつけて考えられてしまうからです。

 訳読法は19世紀の終わり頃まで、ヨーロッパで支配的な外国語の教授法でした。この方法はギリシャ語やラテン語といった古典言語の学習から始まったと言われていますが、文法の知識と母国語による解釈を重視し、話言葉より書き言葉に重点が置かれてました。

 この流れに対する反動として、19世紀の終わり頃、外国語教育についていわゆる「改革運動」が起こり、書き言葉ではなく話し言葉と話すこと(speaking)を中心とする新しいアプローチが提案されました。これが先ほども少し触れた「ディレクト・メソッド(Direct Method, 直接法)」です。

 ディレクト・メソッドの特色として次の3つを挙げることができます。

 ① 読むこと、書くことより話すことを第一とし、特に発音を重視する。

 ② 学習は対象言語(例えば英語)のみによって行ない、母国語の使用は極力避ける。 

 ③ 文法は実際のスピーチ例から帰納的に教える。

 この方法は、特にアメリカを中心に採用されて、急速に主流となりました。その中で最もよく知られているのが、1878年に設立された「ベルリッツ・スクール」です。

 アメリカに移民した多くの人たちやヨーロッパでビジネスをする人たちなど、短期間に英語やその国の主要言語を身につける必要に迫られていた人々に、この方法は歓迎されました。 』

 

 『 通訳の英語学習への応用はこれまで効果的でない、むしろ弊害があると考えられてきました。これは通訳に関する誤解に基づいています。通訳というとどうしても「言葉を訳す」と考えられがちです。いわゆる「逐語訳(word-for-word translation)」です。

 逐語訳とは、例えば日本語を英語に訳す場合、日本語の文章構造や使われた日本語の表現をそのまま英語に移そうとするやり方を指します。私が多くの通訳志望者を教えた経験でも、初心者にはこの傾向が強く見られます。

 しかし、言葉を一つ一つ英語に訳そうとしていたのでは、とても自然ないい英語にはなりません。日本語と英語のように構造が大きく違う言語の場合は特にそうです。

 これは通訳では最もやってはいけないことの一つなのです。通訳の訓練はこの傾向からいかに脱するか、ということに尽きると言ってもいいくらいです。

 通訳では話し手が言わんとしたことの意味を捉えて、それを相手にわかりやすい形で表現します。分かりやすいように話すためには、自分の言葉では話さなければなりません。「自分の言葉で(in your own words)」ということが大切です。

 私は訓練生に何度も「原文にこだわるな」と言います。「意味を捉えてそれを自分の言葉で話す」――これが通訳の要諦なのです。私たちが母国語で話す場合は、まず頭に話したいアイデアを浮かべ、それからそれを言葉にします。

 そのアイデアがはっきりしていてまとまっているほど、話は明瞭になります。そんな時、どういう単語を使おうか、何を主語に何を目的語にしようかということはほとんど考えません。

 このように頭にある考えを優先して自由に話すからこそ、分かりやすい表現になるのです、原文に捉われた「逐語訳」からは、いい通訳はうまれません。 』

 

 『 もう一つの通訳の英語学習への応用に関する誤解は、通訳ではいちいち頭で考えるから時間がかかって自由に話せるようにならない、英語で話す時は英語で考えるべきだというものです。

 しかし日本語を英語に同時通訳する時、私たちは日本語を聞いてそれを直ちに英語で表現します。日本語をアイデアのレベルで捉え、時間をかけずに英語で表現するのです。英語で考えるという意識はありません。

 同時通訳には確かにかなりの訓練が必要であり、誰もができることではありませんが、言葉の働きとしては同じだと考えられます。こうした同時通訳の過程は、通訳が外国語教育に役立つ一つの裏付けとして、応用言語学者の間でも最近注目されつつあります。

 英語を話す時はできるだけ日本語を忘れ、英語で考えて英語で話すべきだとよく言われます。先に述べたディレクト・メソッドもこの考えに基づいています。

 しかし私は英語を話そうとする時、母国語である日本語を意識することは避けられないことだし、決して悪いことではないと思います。むしろ日本語の中で暮らす私たちにとって、まず日本語が頭に浮かぶのは自然なことではないでしょうか。

 不自由な英語で考え、それから英語で話そうとすると、かえって時間がかかるだけでなく思ったことが言えなくなります。これは初級者に英語のディスカッションをさせてみるとよく分かります。乏しい英語力が思考力そのものを縛ってしまうのです。

 まず日本語で考え、その考えを整理してから英語にしようとした方がいい結果が出ます。私も英語のクラスでやってみましたが、まず日本語でディスカッションさせ、その後で同じテーマを英語でやらせます。

 話す前に考えをまとめることが大切です。考えをまとめる過程は日本語の方が自然です。それから英語で表現しようとした方がスムーズに話せるのです。 』

 

 『 また認知言語学では母国語と第2言語(あるいは外国語)の違いを意識することは、第2言語を習得する上でしばしば有効だと言われています。ボキャブラリーの習得においては特にそうです。

 日本語との違いに注目することによって、対応する英語の表現を見つける過程により注意がむけられ、その結果として記憶力が高まり忘れにくくなるのです。

 日本語に直ちに英語にしにくい表現が数多くあります。これらを英語にするには日本語と英語の表現の仕方の違いを知ることがいい結果をもたらします。そしてその上で覚えた英語表現はなかなかわすれません。

 このことは言語習得では最も中心的な要素だと言われる文章構造(syntax)の習得にも当てはまります。通訳を応用した英語学習法では、英語と日本語の構文の違いに注目して、自然な英語のセンテンスを作ることを目指します。

 主語がしばしば省略され、動詞や否定が後にくる日本語的な構文から、主語をはっきりさせ動詞、目的語へとつないでいく英語らしい文章の作り方です。

 第2言語習得研究では1990年代の中頃から、「気づき(noticing あるいは attention)」の大切さが指摘されています。「意識」あるいは「注目」とも言われています。

 特に文章構造に対する注目は「言語形式の焦点化(focus-on-from)」と呼ばれ、今や文法学習の中で最も効果的なアプローチとして注目されています。

 このように通訳を応用した英語学習は近年の第2言語習得研究の進展に照らしても、学問的に矛盾しないものだと言うことができます。 』

 

 『 通訳を応用した英語学習法が望ましい学習法であるもう1つの理由があります。それは世界で進行するグローバリゼーションとの関連です。グローバリゼーションは経済を中心に広まりつつありますが、それは決して自国の文化を軽視するものではありません。

 EUでは、言語多元主義(plurilingualism)が提唱されています。これは自国の言語や文化を土台とした上で他国の言語・文化を理解し、お互いによりよくコミュニケーションできるようにしようという試みです。

 アジアでもグローバリゼーションは自国の文化への意識を強める結果をもたらしています。確かに英語の使用は広まりつつありますが、それは自国の言語・文化を大切にする動きと共存しているのです。

 私は国際的に活躍している日本のビジネスマンや、法律家、学者といった人たちを多く知っています。彼らは決していわゆる「英語屋」ではありません。英語はもちろん上手ですが、それ以上に正しい日本語を話し日本人として優れた教養を持った人たちです。

 それぞれの専門分野での知識や能力はいうまでもありません。だからこそ彼らは世界で活躍できるのだと思います。これからの日本人に必要とされる英語力は、日本の文化に対する誇りと深い理解を伴ったものであることが望ましいのではないでしょうか。

 ビジネスの場におけるコミュニケーションでも、自分の会社のことをよく知り、日本のマーケットのことをよく知っていることが必要でしょう。また日本語と英語の違いをよく知っていることは、その人の英語力をより幅の広い、より創造的なものにします。

 この点でも日本人の英語力を高いレベルに上げ、より時代の要請に合ったものにするために、通訳技術を活用した英語学習法は有効なアプローチだと信じます。 』

 

 『 実践的な英語力でおそらく一番大切なのは、相手が何を言っているかを理解することでしょう。話すことももちろん大切ですが、意志を表現することは例えばジェスチャーでも、あるいは”No!”とか”Water!”のように知っている単語を一つ言うだけでもある程度は通じさせることがせきます。

 しかし相手の言っていることが分からなければ、コミュニケーションはそれ以上進みません。コミュニケーションは聞くことから始まります。英語の話を聞いて理解する過程は、2つに分けて考えることができます。

 最初の過程は、英語による音声を聞いて、話し手が言ったことを聞き取ることです。一般によく「ヒアリング」と言われる過程です。ネイティブ・スピーカーの話す英語は慣れない耳にはとても速く聞こえ、”I am going to~” が ”I'm gonna~”のように縮まりますし、話し手の癖などもあって、生の英語を聞き取るのとは容易ではありません。

 こうして英語の音声の中から、いくつかの単語を聞き取り、それによって話し手が伝えようとしていることが分かったら、一応「聞き取り」の作業は完了したとみなされます。

 先ほど「ヒアリング(hearing)」という用語を使いました。これはもう日本語と言っていいでしょう。英語では「リスニング・コンプリヘンション(listening comprehension)」というのが普通です。

 ここで「聞く」ということについて、hearing と listening という2つの単語が使われているのが分かります。この2つはどう違うのでしょう。

 hear は「聞く」というか「聞こえてくる」というのが第一義で、必ずしも聞こうと思わなくても耳に入ってくることを指します。これに対して listen は「意識して聞く」というか「耳を傾ける」というのが近いでしょう。

 したがってこの2つの違いは「意識」あるいは「注意力(attention)」の度合いの違いということになります。hear はあまり意識して聞こうとはしていない。listen は明らかに意識して聞き取ろうとしている、という違いです。

 それでは、ここで耳に入ってくるかなり早い音の流れから、単語を聞き取る上でのヒントをいくつか挙げてみましょう。

 ① まず最初に注意すべきなのが、ストレス(stress、強勢)です。英語では「ストレスでリズムをとる言語(stresstimed language)」と言われ、ストレスによる強弱のリズムが意味を伝える上で重要な役目を果たします。

そして英語の単語の90%は最初のシラブルにストレスが置かれます。したがってストレスに注意していれば、それが多くの場合単語の始まりだということが分かります。

 ② もう一つはポーズ(pause、切れ目)です。英語のイントネーションをよく聞いていると、ところどころにポーズが置かれます。普通はフレーズ(phrase、句)やクローズ(clause、節)の切れ目にポーズが置かれ、これが息を継ぐポーズであるとともに意味の切れ目でもあります。

 ③ 次は単語の最初の子音(あるいは母音)です。例えば[g]で始まる単語はたくさんありますが、前後関係によっていくつかに絞られます。政治についての話ならgovernment、経済についてならeconomic growth など、話の中に登場しそうな意味を考えながら耳を傾けると、だんだん聞き取れるようになります。

 このようにいくつかのヒントによって音声の流れの中から単語を識別することは、リスニングにおける理解の最初のステップとして大切な作業です。しかし、話し手が伝えようとした意味をつかむために、全ての単語を聞き取る必要はありません。

 上に挙げたようにいくつか聞き取りにくい要素のある話し言葉では、耳に入る全ての単語を聞き分けることはネイティブ・スピーカーでも無理なのです。まして外国語話者の私たちには聞き落としがあって当然です。

 事実、「全ての単語を聞き取ろうとする」というのが第2外国語での聞き取りにおける最大の問題点なのです。流れてくる音声の中から2つでも3つでも単語が聞き取れれば、話し手が発した音声以外のいろんな情報を活用してかなりのことを類推できるからです。

 聞き取れない単語があったからといってがっかりすることなく、聞き取れた単語を中心に前後関係から何を言わんとしているかを類推する、という態度が大切です。 』

 

 『 理解の後半では、「意味の把握」が課題だと申しました。この「意味」は通訳研究では、しばしば「センス」と呼ばれます。この「センス」はもともとはフランス語の”sens”で、英語では”meaning”(意味)に当たります。

 セレスコヴィッチは通訳とは理解そのものであり、言葉を捨てて「センス」を抽出することだと強調し、「数百、数千の単語(word)の中から意味を抽出しようとする時、言葉は助けになるよりむしろ障害だ」と言ってます。

 言葉に迷わされることなく思いきって、意味というか話し手が伝えようとしているメッセージは何かに集中するのです。そのためには話し手が、どういう立場の人か、話のテーマは何か、誰に向かって話しているのか、などの知識は必要です。

 セレスコヴィッチと並ぶ通訳研究の第一人者でパリ大学教授のダニエル・ジル(Daniel Gile)が来日した時、通訳について次のように言ってます。

 There is one point I'd like to stress, namely that interpretation is intellectual work, and from the intellectual point of view, I think that an interpreter should be a rocket-driven Sherllock Holmes.

 (強調したいことが1つあります。それは、通訳は知的な仕事だということです。そして知的という面から言えば、通訳者はロケットのように回転の速いシャーロック・ホームズでなければなりません)

 話の中身をよりよく理解するための次のポイントは、話の中で重要な点とそれほど重要でない点を聞き分けることです。英語の場合、単語の次の意味の単位がセンテンス、そしてセンテンスの次に長い単位がパラグラフ(paragraph)です。

 センテンスをいくつかつないでパラグラフを作る。そしてパラグラフを重ねて1つのスピーチ(speech)になる、というのが英語での論理的な話の進め方です。

 事前のスピーカーとの打ち合わせの際、どのくらいの長さで切ったらいいか、と聞かれることがあります。その時は、”A thought unit, about a paragraph length.”と答えます。

 a thought unit というのは1つの考えを表す長さで、これがだいたいパラグラフに相当します。それでは英語のパラグラフの例として、アメリカ人の英語教育専門家、故バーナード・チョシード(Bernaed Choseed)との対話で、「日本人はシャイで話すのが苦手だけど、どうしたらいいか」と聞いたことに対する答えです。

 I know that they are not really shy in Japanese.  Obviously Japanese talk a lot.  They express themselves.  Japanese are not affraid to get up on a stage and sing;  they are not afraid to get up at a bar and pick up a microphone and sing.

 I mean there's a lot of talk going on.  I sit in the subway every day and I listen to it.  But when the foreign language comes in, then suddenly they freeze.

 (日本人は日本語では必ずしもシャイではありません。明らかに日本人はよく話します。自己表現します。日本人はステージに上がって歌うことを恐れません。臆さずにバーで立ち上がりマイクをとって歌います。

 ともかくよく話すのです。私は毎日地下鉄で座って日本人が話すのを聞いています。ところが外国語になると、突然彼らは固まってしまうのです)

 このパラグラフで彼が伝えようとしているポイントは「日本人はシャイでない。ただ外国語を話すとなると何も言えなくなってしまうのだ」ということです。 

 メイン・アイデアは普通センテンスの形で表されます。このセンテンスを「マスター・センテンス(master sentence)」と言います。上の例では、”they (Japanese) are not really shy in Japanese”がそれに当たります。

 英語ではマスター・センテンスは通常(約80%)パラグラフの冒頭にきます。英文を読むあるいは聞く際にはパラグラフの最初の部分に気をつけろ、というのはこのためです。

 英語の速読法のテクニックの1つに、パラグラフの最初のセンテンスだけ読んで、後はとばすとというのがあります。それでも本や論文の大意はわかるのです。速読の達人と言われたケネディ大統領はこの方法で本を読んでいたそうです。 』 (第92回)

 

 

 


ブックハンター「THE RACE」

2015-10-14 14:21:39 | 独学

 92. THE RACE    Copyrigt © 1988   Tim Archbold

 今回は、英語の絵本です。でも名著です。絵本ですが、ここでは文章のみです。絵も躍動的で素晴らしいのですが、文のみでも臨場感 が伝わってきます。

 文のみですので、全体の雰囲気と数語の単語を先に説明します。全部で32ページの絵本です。

 いっぱしのカーレーサー気取りの小さな男の子(a small boy) と、ちょっぴりとぼけた表情(耳の垂れた)の大きな犬(a large dog)が、緑色のゴーカート(go-cart、うばぐるまのような)に乗って、”ぶっちぎり”のレース、それではいっしょに、近所の坂道も、ドロンコも、でこぼこ道も、野原も、我が家のゴールに向かって、「用意、ドン!」。

 dump : ごみの山、 mud : ぬかるみ、 bump : がたがた道、 bend : 曲り道、 mend : 修理する

 

 『 Ready?  

    Steady?

    GO!

    Down the hill

    across the dump

    through the mud

    and over the bump.

    Under the bridge

    around the bend

    there's a bit     I'll have to mend.

    Up the steps

    turn left          turn right

    down again,  hang on tight!

    Nearly there,  we're doing fine

    and up ahead   I see the line.

    First to finish   is the winner!

    And just in time      as mum shouts

    DINNER!           』

 

 dump-bump,  bend-mend,  fine-line,  winner-dinner   というように同じ母音と子音になって、韻を踏んでいます。 (第91回)


ブックハンター「悲喜劇のEU」

2015-10-10 14:36:53 | 独学

  91. 悲喜劇のEU (民主主義とは何か) 塩野七生著 文芸春秋 2015年8月号

 塩野七生(ナナミ)、1937年7月、東京に生まれる。歴史小説家、イタリアを拠点に、主に、ローマ帝国及び地中海世界の歴史小説を執筆。 

 学習院大学哲学科卒業後、1963~68年にかけてイタリアに遊びつつ学んだ。1968年に執筆活動を開始し、「ルネッサンスの女たち」、「チューザレ・ボルジィアあるいは優雅なる冷酷」を出版。

 1970年よりイタリアに住み、1982年「海の都の物語」、1992年よりローマ帝国興亡の歴史を描いた「ローマ人物語」全15巻を刊行、2008年より、「ローマ亡き後の地中海世界」上下を刊行。 私は、読んでませんが、ニコニコ百科に書かれていた、ローマ人物語より、二つのことばを紹介します。

 「歴史には、進化する時代もあれば、退歩する時代もある。そのすべてに付き合う覚悟がなければ、歴史を味わうことにはならないのではないか。そして、「味わう」ことなしに、ほんとうの意味での「教訓を得る」こともできないと信じている。」 ローマ物語 ローマ世界の終焉より

 「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性、説得力、肉体上の耐久力、自己制御能力、持続する意志。カエサルだけが、このすべてを持っていた。」 ローマ物語 ユリウス・カエサル ルビコン以前より   

 

  『 民主主義は結構な考え方だが、その結構な思想から人々の心が離れてしまうのは、実際に問題の解決となるといっこうに機能しないからである。ギリシャ問題、難民問題、と難題が山積みの現在のEUを見ていると、民主主義者の私でも絶望してしまう。

 EUとは、ヨーロッパ諸国の連合体である。第一次と第二次の大戦によってすざまじい打撃をこうむったヨーロッパが、二度とヨーロッパの国々の間では戦争をしない、という一点で始まった共同体だから、今に至るまでの七十年間戦争はしていない以上、当初の目的は成し遂げられたと言ってよい。

 だが、これ以外の課題となると、ガタピシばかり起している。そのヨーロッパに半世紀も住んでいる私の眼から見ると、要因は次のいくつかに要約できると思う。

 第一は、当初の六ヵ国から今では二十何ヵ国かに増えてしまったEUだが、二十数ヵ国がまとまれば相当な影響力を発揮できるはずなのに、一国でも反対すれば、いかなる政策も成立は不可、となっていること。

 多数決でさえもないのだ。全員一致なんて、マンションの管理委員会でさえも不可能なのに。また、人口五千万の国でも人口五百万の国でも、EUの決定に投ずる票数は、一票で同じ。

 マンションでも票数は、各住戸の占める面積によって差がつけられているのである。国内総生産に対する財政赤字の割合も、国別の人口では差をつけてはいけないという理由で、どの国でも同じに三パーセント以下が要求されている。

 人口五百万の国でホームレスをなくすことは、さしてむずかしい話ではない。だが、五千万の国では、ホームレス全廃は不可能だ。

 すべてがこのような具合で、一国だけでは影響力がないから一緒になったのに、その中の一国が反対しているので一緒の行動もとれない、という笑うに笑えない状態でニッチもサッチもいかなくなっているのが、EUの現状なのである。

 民主主義、その根元である権利の平等、を堅持したいのはわかる。だが、民主主義を機能させるには誰かが指導力を発揮しなければダメなのだが、それを率先して引き受ける胆力の持ち主が、人口五千万クラスの国の政治家にさえもいない。

 民主主義をとなえていれば民主主義は守れると信じている善男善女は、羊の群れを柵の中に入れるには羊一匹ずつの自由意思を尊重していてはいつになっても実現せず、羊飼いが追い込んでこそ現実化するのだという事実を、考える必要もないし考えたくもない、と思っているのであろうか。

 ギリシャは、救済する必要はあるのか。歴史的・文明的・文化的に見れば、答えは「イエス」である。ギリシャが入ってないと、ヨーロッパ連合とは言えなくなるからだ。

 なにしろ「ヨーロッパ」と言う言葉からして、二千五百年昔のギリシャ人が発明したのである。言葉を創造したということは、理念も想像したということだ。

 古代のギリシャ語を受け継いだ古代のローマ人がラテン語に直し、そのラテン語を語源にして生まれたのが、英語・仏語・独語の六十パーセントの言葉である。

 理工科系の言語はギリシャ語を直接に語源としたものが多いので、これまで加えれば、現代の欧米人の言語とそれに拠って立つ理念の八割までが、古代ギリシャ人に負っているとしてもまちがいではない。

 とはいえ、二千五百年昔のギリシャ人と現代のギリシャ人が似て非なる民族であるのはもちろんだ。

 われわれの知っている、ゆえに深い敬愛の想いなしには口にすることもできないギリシャは、その文明の象徴であったオリンピックが、キリスト教化したローマ皇帝によって四世紀末に廃止されたときに死んだのである。

 あの国では、歴史は中断されたままつづいている。産業も、観光以外は事実上存在しない。この国を助けることは、永久に援助しつづけることを意味する。産業がまったくない、京都とでも思って。

 だからこそ、このギリシャを追い出したのでは、ヨーロッパとは言えなくなってしまうのだ。ゆえに、ギリシャ救済とは、経済的な問題ではなく、政治的に処理する問題だと考えるべきなのだが、それを引き受けることに、EUの首脳たちは踏み出せないでいる。

 世論の反対が、具体的には次の選挙が、恐いからである。それで、時間だけが無駄に過ぎ、つまりすべての対策が「トゥーレイト」になり、ギリシャの状態は悪化しつづけるというわけだ。

 メルケルとオルランドが会って、ギリシャはEUに残るべきと公表する。しかし、どうしたら残れるかの具体策は、ブリュッセルに駐在している、いわゆる専門家たちに丸投げする。

 ところがその専門家たちが上げてきた数字を見るや、あまりのひどさに動揺したメルケルは、政治的判断を下す勇気を失い、ギリシャ側に言うのは、ダメよ、これではとてもダメよ、でしかなくなる。

 こうしてギリシャ問題は延期につづく延期で、ギリシャに住む人の唯一の自衛策が銀行からユーロを引き出すことだけ、になってしまったのである。

 政治リーダーに求められる最大の資質は、これこそ古今東西の別なく、胆力ではないかと思うこの頃だ。辞書は、この胆力を、何事にも動揺しない気力であり、度胸であると説明している。 』 (第90回)