チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「投資バカの思考法」

2016-12-28 19:45:58 | 独学

 121. 投資バカの思考法  (藤野英人著 2015年9月)

 『 ある社長の部屋に、松下幸之助さんからいただいたという「色紙」が飾られていました。色紙に書かれてあったのは、「素直」の2文字です。松下幸之助は、「素直」を次のように解釈しています。

 「何物にもとらわれず、物事の真実、何が正しいかを見極めてこれに従う心の姿勢である。素直になる努力を重ねよう。素直を深くきわめるならば人間は強く正しく聡明になり、限りなく成長することができる」(松下幸之助 成功の日めくり)

投資家として、フラットにマーケットと会社を見極めるためには、「素直」に物事を見るべきです。「主観から逃れることはできない」という宿命の中で、主観から離れる努力をしなければなりません。

 正しい情報を見抜くためには、「素直な心」を身に付ける。では、どうすれば素直になれるか。「素直」にマーケットを見るために、私は、次の3つの習慣を心がけています。

 ① 他人の目になりきる。

 「自分ではどう思うか」ではなく、「相手がどう思うか」をイメージできれば、主観とは別の視点で物事が観察できます。

 ② 関心事を増やす。

 関心事が増えれば、それに比例して、インプットする情報量が増えます。

 ③ 物事を複合的かつ立体的に見る。

 マーケットにおける経験、人生における経験、会社における経験を積むほど、断片の情報から全体を埋めていくことができます。 』

 

 『 投資に関して、決断力は不可欠な力と言えるでしょう。「決断」という漢字には、「断つ」という意味が含まれています。「決めて、断つ」のが決断です。

 何かを「決める」ためには、選ぶものと選ばないものに分けて、後者を捨てなければなりません。決断とは、「しないことを決めること」だと、私は考えています。

 日本株は約3500社ありますが、この中からどの会社の株をどの比率で持つかを決めるわけですが、残りは捨てることになります。


 以前、日本銀行総裁を務めていた福井俊彦さんが、東京証券取引所での基調講演で、「リスクを最小化せれるのは、好奇心の多さである」とおっしゃいました。

 好奇心が旺盛な人は、いろいろな対象にトライするので、結果としてリスクが低くなります。好奇心を分散するほど、リスクが減ります。アジア株、日本株、アジアの債券、ブラジル、アメリカ株などに投資するとき、知識のないまま投資すると、リスクが高くなりなす。

 けれど、「ブラジル株はどうなっているのだろう」 「株はどういうしくみで動いているのだろう」 「アメリカにはどういう会社があるのだろう」と好奇心を分散させれば、たくさんの情報を集めることができます。

 そして、好奇心を持つほど、チャンスも増えるし、リスクヘッジにもなる。「見たい、聞きたい、知りたい」という気持ちがあれば、知識と経験の量が増えるので、さまざまな投資先を「素直」に検討できるようになるでしょう。 』


 『 損を覚悟で値下がりした株を売ることを「損切り」といいます。投資の世界では、株価は上がることがあれば、下がることもあります。もちろん、買った価格以上で売れることばかりではありません。

 個人投資家からは、「損切りは難しい」という声を聞くことがありますが、投資家は、損切りにもしっかりとした哲学を持たないかぎり、勝ち続けることはできません。

 損切りでもっとも大切なことは、「簿価(取得価格)を忘れる」ことです。失敗する人の多くは、投資した金額や、かけた時間、費やした労力をなかなか捨て去ることができません。

 投資の世界では、回収できない費用のことを「サンクコスト(sunk cost)」といいます。「一生懸命に頑張ったから何とか取り戻したい、回収したい」という気持ちのことです。

 投資で大切なのは、簿価を忘れて、「時価」=「今の市場価格」で考えることです。私は、株をいくらで買ったかに、ほとんど関心がありません。簿価に関係なく、「このままもっているのは良くない」と思えば、躊躇なく売ります。

 なぜそんなことができるかというと、投資で大事なのは、「”今”の価格をどう評価するか」であって、「いくらで買ったか」は関係ないからです。

 どの株価で株を買ったかというのはその人固有の事情であって、経済情勢や会社の成長性などとはまったく関係ない話です。だからこそ、今売ると損か得かということよりも、将来成長しそうなのかしないのかを考えることが大事であると考えています。 』


 『 「結婚すれば、相手が自分を幸せにしてくれる」 「私には、自分を幸せにしてくれるパートナーがいない」と考えている人は、結婚相手が見つかりにくいそうです。理由は、「幸せは、相手から与えられるもの」と考えているから。

 「自分が幸せにしてあげたい人」ではなく、「自分を幸せにしてくれる人」を見つけたいと思っているうちは、なかなか相手に恵まれません。そこには、「幸せを求めているうちは、幸せになれない」というパラドックスがあります。

 逆に「相手を幸せにしてあげたい」という気持ちが、結果的に自分をハッピーにします。株式投資も恋愛に似ています。投資先を選ぶときは、「自分が儲けたい」という気持ちが先立つと、不思議と儲からないものです。

 儲けることも大切ですが、それ以上に、「この会社は世の中に役立つ」 「この会社が生み出す価値は、社会に貢献している」と、確信が持てる会社に投資すべきだと私は考えています。

 情けは人のためならず、です。自分の「時価」を上げるためにも、「相手本位で考える」ことからはじめてみてはいかがでしょうか。 』


 『 時は金なり。時間は、もっとも大切な資源です。私は、「お金よりも、時間のほうが絶対に大切である」と信じています。人生は有限です。人ひとりの一生は、長くても100年で終ります。たとえ1兆円のお金を持っていても、200年に延ばすことはできません。

 私の行動原理の中でも上位にあるのは、「時間を味方につける」ことです。投資をするときも、消費をするときも心がけているのは「時間が経つほど価値があがるもの」に時間を使うことです。仕事も、人生も、長く積み上げることがとても大事だと考えています。

 「レオス・キャピタルワークス」という会社も、「ひふみ投信」という投資信託も、時間の経過とともにお客様が増え、信頼が獲得できる方法論を探しています。

 投資では、「時間を敵にしない」ことが重要です。相場は上下動しますし、個別の会社は、相場の影響を必ず受けます。

 しかし、長期的には株価は収益に収斂(しゅうれん)していくので、着々と利益を積み上げていく会社へ投資すれば、大きなリターンが期待できるはずです。

 あなたが投資信託で資産形成できていないとしたら、保有期間が短いことも要因のひとつです。投資信託の平均保有期間は、「3年間」と言われています。

 ですが、相場循環は5~6年程度の動きをしているため、3年で手放してしまうと、「相場のピークの手前で買い、ボトムで売る」ことになります。「高く買って安く売る」ことを繰り返しているうちは、資産形成はできません。

 相場循環を考えると、最低でも「5年間」は保有したうえで、「上昇したか、下降したか」を判断したほうがいいでしょう。長期投資が有効なのは、収益の上がる会社に投資すれば、時間が味方してくれるからです。

 投資で収益を上げるには、時間を味方につけて、「5年間は、ゆっくりじっくり投資する」ことが大事です。 』


 『 地方で上場企業を経営する社長が、「今までIR(投資家に向けて業績に関する情報を発信する活動)をしたことがないので、投資家にアピールしたい」と考えたとします。すると、社長はまず、証券会社に「東京に出張するときに、機関投資家に会いたい」と連絡します。

 連絡をうけた証券会社の担当者は、機関投資家に対して「今度、〇〇という会社の社長が東京に出てくるので会ってみませんか?」と情報を流すわけですが、多くの機関投資家は興味を示しません。

 ムダ撃ちに終わることもたしかに多いので、「会わない」という機関投資家は、とても合理的です。ですが私たち(ひふみ投信)は違います。「どんな会社でも、連絡をいただいたらお会いする」 「どんな会社でも、丁寧に、大切に扱う」

 なぜなら、十中八九はムダに終わっても、「ひとつくらいは、伸びる会社があるかもしれない」からです。また、投資につながらないからといって、社長と会う時間がムダとは思いません。

 なぜなら、その会社の業績のことや、地域のことなど、有益な情報がたくさん拾えるからです。その会社には投資できなかったとしても、業界の情報を得ることによって投資アイデアが生まれたり、新たな投資相手が見つかる可能性もあります。

 どんな会社の社長も、私たちにとっては、「先生」のような存在です。ですから、決して上から目線にならず、「先生」として遇して、「学ばせていただく」 「気持ちよく帰っていただく」という心持で接しています。

 私たちが丁寧におもてなしをすると、社長はどうするとおもいますか?社長は証券会社に電話をかけ、こんな話をするでしょう。「いや~、はじめて東京の機関投資家たちに会ったけど、レオス(ひふみ投信の運用会社)さん以外、みんな偉そうなことを言うんだよね。

 地方の会社を下に見ているところがあってさ。でも、藤野さんにはすごく丁寧にしてもらって、本当によかった」では、この話をきいた証券会社の担当者は、どう思うでしょうか?

 「そうか。レオスの藤野さんなら必ず会ってくれるから、すぐアポとれる。しかも丁寧に接してくれるから、社長も喜ぶ。「機関投資家に会いたい」という社長がいたら、これからはレオスに連絡を取ろう。そうすれば、オレ自身の評価も上がるぞ!」

 ということは、日本の証券会社(の支店)は、「レオスのエージェント」になったようなものです。なぜなら、「いい会社、いい情報があったらレオスに連絡をしよう」と思ってくれるからです。 』


 『 私はある会社に投資して、5年間で60倍以上にまで増やしたことがあります。ある会社とは、アイウェア(メガネ)の「JINS](株式会社ジェイアイエヌ)です。

 かつて、JINSの経営が行き詰まっていたとき、田中仁社長は、ユニクロの柳井正社長に相談にいったことがあります。田中社長が「どうしたら会社がうまくいくでしょうか?」と質問すると、柳井社長はこう言ったそうです。

 「このままだと倒産しますね」 そうして今度は逆に、柳井社長が田中社長に質問してきました。「あなたは、メガネを通じて何がしたいのですか?」 「あなたは、何のためにメガネの会社をやっているのですか?」

 「あなたにとって、お客様とは何ですか?」 明確な返事ができなかった田中社長は、ショックで2日間寝込んだそうです。

 その後、田中社長は社員と合宿して、社員と向き合い、「これからどうなりたいのか」を考え、「世界中のすべての人に、アイウェアで豊かな未来を見せる」という答えにたどり着きました。

 「世界の多くの人がJINSのメガネを好きになってくれれば、商品を作った日本人のことも好きになってくれる。世界にメガネを出すわけだから日本一になるのは当然だし、そうなればおのずと会社も大きくなる。社員もハッピーになるし、やりがいのある会社ができる」そう考えたのです。

 ミッションが決まってから、JINSの躍進がはじまりました。JINSが変わったのは、売上や利益や株価を上げること以上に、「メガネを世界の人に届けて、喜んでもらおう」というメッセージを持つことができたからです。

 私が田中社長にお会いしたには、JINSが変わりはじめた頃でした。柳井社長との一件を知った私は、「この会社に投資しよう」と決めました。「世界中のすべての人にメガネを届ける」という田中社長のミッションに共感したからです。

 私たちは、JINSの株価が上がっても、途中で売り切ってしまうことはありませんでした。60倍になるまで、株を持ち続けました。なぜなら、私は、田中社長が率いる会社の「価値」の変動に投資したのであって、「株価」の変動に投資したわけではないからです。 』


 『 投資を英語で表記すると、「invest」(インベスト)です。つまり、「ベスト(衣類)を着用する」ことであって、「身に付ける」という概念です。一方、日本語はどうかというと、「投資」とは「資本を投げる」。

 身に付けるとは反対の概念ですね。この話は草食投資隊の澁澤健さんから聞きました。 「invest」…身に付けるイメージ。 「投資」…手放すイメージ。 

 「お金を貯めている人」の心の中を覗いてみると、「お金が増えている状態が幸せ」 「手元から現金がなくなるのが怖い」という気持ちが見てとれます。

 本物の「お金持ち」とは、「お金(現金)を持っていない人」のことを言います。「お金持ち」とは、「株持ち」のことです。「お金持ち」とは、「資産家」のことです。

 本物のお金持ちになりたかったら、現金を貯めずに、成長する会社や不動産に投資するしかありません。お金持ちになりたいと思っているかぎり、お金持ちにはなれません。現金をつかんで離さない人は、お金持ちにはなれないのです。 』


 『 個人投資家にとって、無理のない投資のコンセプトは「小さく、ゆっくり、長く」です。初心者の投資の大切な5つのポイントは

 ① すぐにはじめる。

 ② 「手に汗をかかない額」を投資する(小さく)

 ③ 情報をしっかり集める

 ④ 一気に投じない(ゆっくり)

 ⑤ 最低3年間は実践する(長く)


 私の父親は、典型的なネガティブ・シンカーです。「人生は悪い方向に向かっていく」というのが、父の人生観です。常に「最悪の状態」を想定しています。

 試験は、落ちるもの。株は、損するもの。友達は、裏切るもの。病気は、罹るもの。人生に対する期待値がとても低いのですが、だからこそ父は、いつも期待値を上回っています。

 たとえば、「人事異動では、左遷されるもの」だと思っていますから、たとえ昇進しなくても、「現状維持」であれば大喜びできるわけです。


 古代ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスは、「この世にあるあらゆるものは、絶えまなく変化してやまない」という万物流転説を説いた人物です。万物流転説は、投資をするうえでも、自分の成長をうながすうえでも、とても重要な考えです。

 世に中は変化します。 変化するから、対応します。 変化するから、チャンスがあります。 変化するから、失敗しても次の挑戦があります。世の中が変化する以上、ファンドマネジャーは現状に留まることなく、常に緊張感をもって動き続ける必要があるのです。 』 (第120回)

 

 

 

 


ブックハンター「チャンスと選択肢と投資について」

2016-12-24 11:03:43 | 独学

 120. チャンスと選択肢と投資について  (五十嵐玲二談 2016年12月)

 チャンスと選択肢と投資の三つに共通していることは、現在の行為が、未来に於いて何らかの結果を生じることです。ここで、まずこれらの言葉を本稿での意味を定義しておきます。

 ◎ チャンス(Chance)は、運、機会、好機などで、本来の意味と同じです。この運、機会、好機の中には、常に変化していて、それを逃したら、チャンスは、消えてなくなる危険性を孕んでいることです。

 ◎ 投資(Investment)は、一般には、経済用語で、企業が資本を投下して、事業を行うことを指します。ここでは、個人が時間と労力を傾けるすべての行為を投資と考えます。

 例えば、朝の5分間の体操を、自分で考え、実行し、一か月後、半年後、1年後とその成果を観察することも、一つの投資と捉えます。もちろん、50万円で、上場企業の株を買うことも、定期貯金をすることも、投資です。

 貯金も立派な投資です。預金の利息はもちろん変動しますし、円が外国の通貨や、金(ゴールド)についても変動します。一つの例として英国の通貨ポンドとのレートについて、見てみましょう。

 大英帝国時代のポンドは固定相場で、1ポンド=1008円の固定相場時代が、1967年の11月まで続きます。(今の物価に換算すると1ポンド=4,5千円です。) 1967年11月にウイルソンにより、1ポンド=864円に切り下がります。

 1971年8月にアメリカのニクソンショックにより、変動相場制に移行します。1980年には、1ポンド=500円前後に。1990年には、1ポンド225円前後、2000年には、1ポンド=170円前後、2010年には、1ポンド=130円前後となります。

 現在、2016年12月現在は、1ポンド=145円前後です。ここで私が言いたいことは、未来という時間軸に対して、すべては変化していることを、知ってもらいたかったのです。さらには、政治形態やモラルさえも、大きく変化します。


 ◎ 選択肢(Choose又はSelect)という言葉は、最も誤解されている言葉です。その元は、学校教育に於ける、選択問題であると、私は考えます。選択問題の答えはすでに存在し、この選択肢は、変化しません。

 しかしながら、現実の問題に於いては、答えは用意されてません、さらにどこに正解あったのかは、神のみぞ知ることです。現実の選択肢は、自分で用意しますが、その選択肢の結果は、選択するタイミングによっても、結果は異なるものです。

 選択肢には、タグが付いているわけでもなく、自分がいくつかの道のひとつを、選んだ結果、存在するものです。その選択肢の範囲は、昼食に何を食べるか、から結婚相手の選択から、これからどう生きるべきかという選択まで、広く漠然としたものです。


 チャンスには、以下の特徴があります。

 ① チャンスは、そのチャンスが自分の側に来た時は、気がつかず、そのチャンスが消え去った時、人は始めて気づくものです。

 ② チャンスは、来る時は、不思議に重なるものです。なぜか運気があがっている時に、チャンスが重なるからなのかもしれません。

 ③ チャンスは、棚ぼた式に来るものではなく、むしろ本人の努力によって引き込むものです。

 ④ チャンスは、掴み取るものではなく、むしろ、チャンスは育むものです。

 ⑤ ちょっと気づかない小さなチャンスを見逃すことなく、そのチャンスを自分のものにすることは、大切なことです。

 ⑥ チャンスのように見えても、実は落し穴という場合もあります。チャンスをものにするには慎重さと大胆さが必要です。


 選択は、切羽詰まって、一か八かの選択は、必ず破れます。選択はゆとりをもって、選択の巾を持って、選択肢を自分で考えて、用意すべきです。

 すなわち、選択の自由度が高まるように、選択肢を準備すべきです。世の中の動向、自分の現状も常に変化し、未来の状況に対応した、選択をすることが、重要です。

 選択の巾を狭めることは、得策ではありません。戦場に於いては退路を断つことも必要かもしれませんが、日常に於いては、選択の自由度を高めるべきです。

 自分の労力を集中させるために、針路を決めることは必要ですが、それでも選択の自由度は確保すべきです。それでは選択の自由度を上げるためには、どうすべきでしょうか。

 ① 知的自由度を高める。

  様々な角度から、工夫して選択肢をたくさん用意することです。そのために知識や知恵を動員して、紙の上に書きまくるのも、一つの方法です。

 ② 経済的自由度を高める。

  経済的に安定性を高め、さらには経済的拘束をゆるくする。まず種銭を作って、わずかでも利益が得られる仕掛けを工夫する(このとき出費を抑える)。個人でも企業でも、損益分岐点を意識することは、大切です。

 ③ 時間的自由度を高める。

  あせって、物事を行っても、良い結果は得られません。時間的に余裕があるうちに、決定することです。仕掛けや投資を工夫して、時間を自分の味方につけることです。

 ④ 身体的健康度を高める。

  柔軟な体と前向きな心を持って、積極的選択肢を用意し、楽しくくらすことを心がける。

 ⑤ 人間的自由度を高める。

  様々な分野のすぐれた人たちと自由に会話する選択肢を工夫する。本を読んですぐれた人の足跡や思想を学ぶ。

 ⑥ 空間的自由度を高める。

  自分を生かす様々な場面に、選択肢を想定し、空間をより自由に自分の味方に引き込む。

 ⑦ 思考の自由度を高める。

  自然科学、科学技術、芸術、宗教、政治経済、歴史、……すべての分野について、自由に選択肢を工夫して、それぞれのすぐれた思考方法を自分の知恵として活用する。


 仕掛け(仕組み、ビジネスモデル)を組み立てて、そこに用意された選択肢の中から、どれかを選択(決断)して、投資します。このときから、マイルドストーンに従って、その効果を測定します。

 その効果が測定可能なものは良いのですが、測定不能なものは、自分の満足度で判定します。仕掛けは事前にシュミレーションを行いますが、現実に投資してみると、予想通りにはいかないものです。

 この仕掛けや仕組みやビジネスモデルは、自分で何度も経験して、改良して精度を高めるしかありません。そのためには、いきなり大きなリスク(損失)が、予想される投資は避けるべきです。

 そのためには、丁寧に、小さな仕掛けや小さな投資を積み重ねて、精度を高めて、リスクを最小限にする努力はすべきです。負けない(リスクのない)投資は、理想ですが、現実には、予想外のリスクは発生するものです。

 そして、その投資が、想定したマイルドストーンと比較して、続行するか、断念するかの決断をしなくてはなりません。投資に於いては、利益が得られるか、リスクが発生するかは、解かりません。

 しかし、その仕掛けや仕組みやビジネスモデルの中に、自分での意義や自分の興味を発見できれば、成功する確率が高まると考えられます。


 最後に、人の人生のどの地点にいるかで、仕掛けや選択肢や投資についての考え方も異なってきます。私が勝手に人の一生を七つの期に分類します。

 ① 0歳~14歳  幼年・少年期。

  近年は長寿であるため、15年を一区切りとし、幼児期を含めて少年期とします。

 ② 15歳~29歳  青年期。

  青年時代は、時代の流れで、青年期は、一昔前に比べて長くなったと感じます。

 ③ 30歳~44歳  成年期。

  選挙権や成人式は、20歳までに完了してますが、この期間が成年期だと考えます。

 ④ 45歳~59歳  壮年期。

  論語では、40にして、惑わずと言ってますが、広辞苑で壮年とは、血気盛んで、働き盛りとあります。

 ⑤ 60歳~74歳  熟年期。

  広辞苑では、人生の経験を積み、円熟したとあります。私は70歳なので、熟年です。

 ⑥ 75歳~89歳  老年期。

  後期高齢者で、初めて老年期です。年輪を重ねて、ますます充実した実績を上げている人がたくさんいます。

 ⑦ 90歳~104歳  終末期。

  日本人の平均寿命は、83.7歳だそうです。すでに70歳まで、生きた人は90歳を超えて生きなければなりません。自分で食事をし、自分の足で歩き、自分の頭で考え、充実した人生を送りたいものです。 (第119回)


ブックハンター「ヨシダソース創業者ビジネス7つの法則」

2016-12-16 09:34:00 | 独学

 119. ヨシダソース創業者ビジネス7つの法則  (吉田潤喜著 2011年11月)

 『 「 I  love  myself 」 こんなことを言ったら、日本では気が狂ったと思われるだろうか。 「自分のことを愛している、大好きだ!」 上等やないか。僕は自分自身を、自分自身の生き方をとても愛している。

 子どものときは、片目だのチョーセンジンだのと言われいじけてばかりで、こんなことは思いもしなかったが、アメリカに来て、空手を人に教えるようになり、さらにはビジネスをはじめるようになって確信した。

 自分を愛してない人間が、どうしてエネルギーを持てるだろうか。はっきり言ってしまえば、これは言ったもの勝ちだ。思えないから言えないのではなく、言ったら思えるようになる。

 試しに鏡の前に立って「自分の生き方が本当に好きだ」と毎日100回言い聞かせてみるといい。だんだん顔つきが変わり、性格も変わって、人生がいい方向に進んでいくのがわかるだろう。

  心の中でむにゃむにゃと寝言のように不平ばかり言っていると、生き方そのものもはっきりしないものになってしまう。僕が 「 I  love  myself 」 と言えるようになって、大きく変わったことがある。自分のペースに周りの人を巻きこめるようになったことだ。 』

 

 『 日本にいる頃はケンカに明け暮れて、恋愛なんて見向きもしなかった。なんて言うとかっこいいけど、真相は、恋愛に対して奥手だっただけ。「ワシみたいなやつがモテるはずがない」と思い込んでいた。

 そんな僕がアメリカに来て、突然女にモテはじめた。なぜか? 空手がブームになっていたことだけが理由ではない。こちらの気持ちを伝えれば、相手は受け入れてくれることに気がついたからだ。

 それからというもの、気になる女の子を見つけたら「好きや! 結婚してくれ!」と手当たり次第に猛烈アタック。その中で出会ったのが、リンダ(妻)だった。

 恋愛だけでなくビジネスでも、好きな気持ちや感動を伝えることを疎かにしてはいけない。口に出さなくても伝わるだろうなんて言う考え方は傲慢だ。僕は部下を褒めるときは、徹底して褒める。それこそ、キスするのかっちゅうくらいの勢いで褒める。

 面白いアイデアを前にしたときは素直に興奮し、プロジェクトがうまくいったときは素直に喜ぶ。ごく当たり前の感情表現ではあるけれど、その素直さをビジネスの現場ではなぜか抑えてしまう人が多い。

 ビジネスをはじめて以来、「社長」と呼ばれる人に大勢会ってきたが、サラリーマン社長とオーナー社長では、感情表現のしかたが違うように思う。

 自ら会社を立ち上げたオーナー社長は、ある意味子どもぽい部分もあるし、出る杭そのものだし、感情というエネルギーを素直に表現する人が圧倒的に多い気がする。

 そういう人は意外と、学校では手のつけられない問題児だったりするのだが。少なくとも、僕はそうだった。いくつになっても物事に感動でき、それを素直に表現できる大人でいたい。そういう大人こそ、魅力という大きなエネルギーがあるからだ。 』


 『 僕はソースのビジネス以外にも、事業の多角化を積極的に行ってきたが、初期に手がけたビジネスのひとつに、「オレゴン航空貨物」(OIA)がある。OIAの社長には、僕の空手道場の生徒でもあるスティーブ・エーカリーを選んだ。

 彼はもともと地元の空港貨物会社に勤務していて、僕が日本へミル貝を輸出するとき、仕事を頼んだ仲間だった。そこで「独立してOIAの社長をやってみないか?」と、誘ったのだ。

 この会社がのちに、NIKEとの契約を巡って、大成長を遂げることになる。NIKEの本社は、僕が最初に空手道場を構えたオレゴン州のビーバートンという街にある。

 世界のNIKEも80年代はまだ小さい会社にすぎず、現在は大幹部になっている面々が空手を習いに僕の道場に通っていた。その中のひとりが、ある日、困り果てて僕のところへやってきた。

 「先生、ある荷物を3箱ほど韓国の釜山に送らなければいけないんだけど、日系の輸送会社に依頼したらことごとく断られちゃったんですよ」それは1箱10キロほどの、何の変哲もない荷物だった。

 「なんで断られたんや?」 「3日以内に届けることをギャランティ(保証)してほしいと言ったら、1週間や10日ならできるけど、3日以内なんて責任もてませんって……」

 今から20数年前の話だ。ビーバートンから釜山まで荷物を運ぶには、まずロサンゼルスまでトラックで運び、そこからソウル行の飛行機に載せ、ソウルに着いたら、再びトラックで釜山へ運ぶのが最短ルート。たしかに3日はかなり短い。

 しかもこの間に、荷物が紛失してしまうなんてことも、当時は珍しくなかった。日系の輸送会社の駐在員たちは、自らの首を危うくしかねないこんなリスキーな仕事には、関わらないほうが得策だと判断したようだった。

 ちなみに箱の中身は、ただの風船みたいな空気のクッションなので、危険性はないとのこと、それ以上の情報はもらえなかった。なんてことはない。今まで扱ってきた生鮮食品と同じに考えればいいのだ。

 早速、スティーブに話を持っていくと、これがもう大反対。できない理由を延々と並べまくり、勢いづいて空手の師匠(僕)に向かって、「こんな仕事を請け負うなんて無責任だ」とまで言い放つ始末。

 「あのなあ、ワシが聞きたいのはひとつだけや。箱を送れる方法を一つでいいから教えてくれ」 「不可能です。そんな方法ありません」 予想通りの反応。こちらの答えはもう出ていた。

 「ほなおまえ、今からコリアン航空のチケットを買うてこいや」 スティーブは、きょとんとした顔をしている。「箱3つ、お前が釜山まで持って行くんや!」 「そんなやり方プロじゃない!」

 「アホか、プロかアマかなんて関係あらへん。3日以内に箱を持って行くことがすべてなんや! そのかわり、釜山のNIKEの事務所に着いたらな、お前が手持ちで持ってきたことがばれないように、3つ箱を置いたらすぐに逃げてこい。誰にも見つかったらあかんで」

 時間はすでに限られている。チケットを買うとスティーブは翌日、ブツブツ言いながら3つの箱とともに旅立った。さらにその翌日、NIKEの本社から連絡が入った。「先生、箱が無事に届いたようです! だけど一体、どうやって送ったんですか?」

 まさかOIAの社長が、直々持って行ったなんて言えるわけがない。 「企業秘密や。そんなん教えてしもたら、大変やがな!」 実を言うと、この荷物がNIKE大躍進のきっかけとなったシューズのクッション、「エアソール」だった。

 NIKEのシューズは秘密兵器であったエアソールのみビーバートンの工場で製造して、それ以外の部分は韓国で製造していたのだ。この一件を機に、OIAはNIKEのエアーソル輸送を独占することになった。 』


 『 チャンスを逃す人というのは、言い換えればチャンスをチャンスと気づけない人である。宝石の原石をただの石ころと思って捨ててしまうか、磨けば光る石だと気づけるか。分かれ道はそこにある。

 ソースのビジネスも、偶然が偶然を呼んで巡ってきたチャンスだった。遅ればせながらではあるが、僕がソース会社を興した経緯をお話ししよう。

 ある日オレゴン州のビーバートンで空手道場を開いていた仲間が急死して、弟子たちに請われる形で僕はシアトルからビーバートンに移り、その道場を引き継ぐことになった。

 ビーバートンではやがて大学や警察学校でも指導するようになり、弟子たちが手取り足取り動いてくれたおかげで、元市庁舎という好物件を買って、新しい道場を持つことができた。道場経営はかなり順調だった。

 しかし3人目の子どもが生れようとしていた矢先に不況が起こり、道場の生徒数はみるみる減少、ピーク時の3分の1になってしまった。そんな不況の最中、忘れもしない1981年のクリスマスのこと。

 例年のように、生徒たちからたくさんのクリスマスプレゼントをもらった僕は、恥ずかしいことにお返しをする余裕さえなかった。困り果てて頭を抱えていたときに、ふと思いついたのが、母の作るバーベキューソースだった。

 日本を離れる前、母は焼肉屋をやっていた。そこで手作りしていたソース、つまりは焼肉のタレの味を懐かしさとともに思い出したのだ。

 バーベキューソースは多々あれど、醤油ベースはアメリカでは珍しかった。しかもあの甘辛い味つけは、アメリカ人にもきっとウケるにちがいない! 早速、母に電話をしてレシピを聞き出し、準備に取りかかった。

 8時間じっくり煮込んだソースを牛乳ビンくらいの小ビンに詰め、リンダがリボンをつけてくれた。生徒たちに配ったところ、これがなんと大好評。「先生、この前のソース、また作ってくれませんか?」

 「アホか! クリスマスのプレゼントなんやから来年まで待てい!」 「じゃあ、お金を払うからまた作ってくれませんか?」 ——冗談かと思ったが、生徒はどうやら本気のようだ。乗せられるままに何度か作ると、さらにリピートする生徒まで出てきた。

 これは、商売になるんとちゃうか⁈ 道場の下の階に樽を置き、本格的にソース作りをはじめることになった。あのとき生徒の他愛ない申し出を聞き流していたら、「ヨシダソース」はクリスマスプレゼントに恒例のソースにとどまっていただろう。

 クリスマスの手作りソースという原石は、磨いてみたらとんでもない輝きを放つ宝石に変身したのだから。 』


 『 チャンスをつかむために本当に必要なのは、トークのうまさでも、見てくれのよさでもトリックでもない。自分をいかにして相手に売り込むかである。

 僕は自分を売ることでソースを売り、チャンスをつかんできたという事実に、あるときふと気がついた。ソースで商売をすると決めてすぐ、販売場所の確保という問題が立ちはだかった。

 せっかく作っても、店頭に置いてもらえなければ意味がない。そこで地元のグローサリー(食料雑貨店)を片っ端から回って、デモ(実演販売)をやらせてもらえないかと交渉をはじめた。

 アメリカではデモなんてまず見かけなかったが、子どものときに地元、京都の商店街で総菜の実演販売をよく見ていた僕は、あれなら自分にもできると真っ先に思いついたのだ。

 デモはとにかく目立ってなんぼ。そう思った僕は、テンガロンハットに着物、下駄という、けったいな戦闘服で出陣した。 「さあ、寄ってらしゃい、みてらっしゃい!」 グローサリーの一角で、料理をしながら大声を張り上げる。

 買い物客が何事かとこちらを見た。バーベキュープレートの上では、ソースに絡んだチキンが香ばしいにおいを立てている。

 「なんで僕がこんなアホな格好でソースを売っているかちゅうと、実は子供たちが腹を空かしてお父ちゃんの帰りを待っておりまして……。子どもの数は、驚いたらあきませんで。なんと12人!」

 口から出まかせだったが、主婦の間からクスクスと笑い声が漏れた。そしたらもう、こっちのもんや! 試食してくれたお客さんは、7割方買ってくれた。

 おかげでソースは飛ぶように売れ、最初はデモをすることも渋っていたグローサリーから逆に頼まれるようになり、自分で持ち込んでいたチキンも肉屋から提供してもらえることになった。

 あのとき僕は、買い物にきていた主婦の人たちに信頼してもらいたい一心だった。最初はみんな警戒して、遠巻きに眺めている。もちろんサンプルを味見する人なんか誰もいない。

 だけど必死な姿を見せて、こちらから心を開いてみたら、彼女たちのガードがふと緩んだ。その変化を目の当たりにして、「これや!」と思った。 自分をオープンにして、「あ、この人、面白いな」と思ってもらえたときに、初めて相手はチャンスをくれる。 』


 『 ヨシダソースの社屋は、ポートランド国際空港にほど近い場所にある。もともとこの辺りの土地はエアポートの所有物だったのだが、土地をリースしていたとある企業がその権利を手放すことになった。

 それを知った僕は、その土地を手に入れてクラスAオフィスを建設しようと目論んだ。アメリカのオフィス物件はクラス分けされていて、クラスAは最も基準の高い物件になる。

 それを貸しオフィスにしようと思ったのだ。僕の計画に、銀行や周りのスタッフは大反対した。クラスAオフィスを使うのは、資金の潤沢な大手企業と相場が決まっている。

 ポートランドでは、クラスAオフィスがダウンタウンに集中していたため、エアポート周辺の閑散としたエリアにオフィスを構えたがる企業なんてないだろう、と反対されたのだ。

 しかしサンフランシスコもシアトルも、クラスAオフィスがエアポート周辺にたくさんある。ポートランドだってきっとうまくいくはずだ。そう信じて僕は周りを説得し、自分の意見を押し通した。

 当時の副社長が僕の主張を後押ししてくれたおかげで、結果的にプロジェクトは実行された。そしてオフィスができて早々にTOYOTAが入居を決め、TSA(アメリカ運輸保安庁)も入ることになった。

 今ではポートランドにもエアポート周辺に、大きなクラスAオフィスが数カ所存在する。この例は、自分の心に忠実に動いた結果、チャンスを手にしたパターンだが、同時に失敗例も掃いて捨てるほどある。

 それでも自分の信念に対して正直に動いた結果だから、後悔していることはひとつもない。やりたかったのに諦めてしまったら、よっぽど後悔するはずだ。 』


 『 自分は会社からアクノレッジされていない、と不平を漏らす人がときどきいる。「acknowledge」とは、「認める、承認する」という意味だ。アクノレッジの問題について考えるとき、僕はジョン・F・ケネディの大統領就任演説の一部を思い出す。

 「国が何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えてみてください (Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country. )」

 初めてこの言葉を聞いたとき、激しく感動したのを覚えている。国という言葉は、「会社」に置き換えることもできるだろう。文句を言うだけなら誰にでもできる。しかし、自分は会社のために必要な存在であると、胸を張っていえるだろうか。

 一生懸命働いている人は、そもそもそんなことでケチをつけたりしない。評価は自然についてくることを知っているのだ。 』


 『 ビジネスにおいて最も危険なのは、上がり調子のとき。傍目にはうまくいっているように見えるし、自分もすっかり舞い上がってしまている。上ばかり向いて歩いているせいで、落し穴が見えなくなっているのだ。それはちょうど、ローラーコースターに似ている。

 ソースのビジネスをはじめて、2年ほど経った頃のことだ。売り上げが伸びてきて、手狭になった工場を移転して設備を拡張し、僕はすっかり成功者の気分に酔っていた。

 僕はメルセデスベンツを買い、当時高かった携帯電話を持ち、ついでに地元のラジオで、コマーシャルも流しはじめた。そんなとき、ローラーコースターは、カタカタと不気味な音を鳴らしながら頂上に辿り着こうとしていたのに、その音に気づくことができなかった。

 やがて売り上げが順調に伸びていたにもかかわらず、出費がそれを追い越してしまった。成功の証だったベンツだけでなく、リンダにプレゼントした車まで売り払い、創業時にソースを運ぶために買ったオンボロのバンだけが、手元に残った。

 情けないことに、僕は酒に逃げた。深夜に帰宅してガレージでそのまま酔いつぶれていたら、リンダがやてきた。彼女は手に何かを持っていた。フライパンか何かで殴られるかな、とどんよりとした頭で考えた。

 殴られても、しゃあないやろな……。倒産やからな。「ハニー、好きなだけ飲みなさい。そしたら明日、この家を売って、安いアパートをさがしましょう」

 そのときの僕は、どんな顔をしていたのだろう。情けなさと恥ずかしさ、そしてリンダに対する愛情で涙が止まらなかった。 』


 『 ビジネスにおいても、怒りや悔しさから生まれるエネルギーは、時が経ち、いろんなことがうまく回りはじめると、薄れてしまうことがある。しかし、窮地に追い込まれて誰かに助けてもらい「いつか必ずこの恩を返したい」と思うときのエネルギーは、決して絶えることがない。

 結婚した翌年の1974年、長女クリスティーナが誕生した。これまで感じたどんな喜びとも異なる、人生最高の喜びを味わっていた。ただひとつ、リンダの産後の肥立ちが悪く、熱が下がらないことが気になっていた。

 クリスティーナが生まれて4日目。自宅に戻り、リンダの様子が心配だった僕は、ファミリードクターに電話で相談していた。「ところで、娘さんの調子はどうだい?」

 「一日中泣いているし、ミルクを飲むとすぐに吐き出すんですけど、生まれてすぐの赤ん坊なんてこんなもんでしょ、先生?」 軽い受け答えに、先生の声色が変わるのが電話越しにわかった。

 「肌の色はどうなっている?」 「僕みたいな色しとるから、どれかって言ったら黄色かなあ」 「すぐに大きな病院へ連れて行きなさい!」 なんとクリスティーナは極度の黄疸にかかっていた。

 命が助かるかどうかも五分五分という最悪の事態に、目の前が真っ暗になった。「神様、どうか娘の命をお助けください。クリスティーナが助かるなら、僕の命を差し上げます」 病院の礼拝堂で神にすがった。

 5人の専門医が、24時間体制で5日間にわたりつき添ってくれたおかげで、クリスティーナはなんとか快方に向かっていった。祈りは神に届いたのだ! 現実に戻された僕に一抹の不安がよぎった。

 これほど手厚く看病してもらったのだから、治療費は相当な額になっているはずだ。保険にも入っていない僕たちに、払うことができるだろうか……。そう思い、恐る恐る請求書を開くと、「250ドル」という額が書かれている。自分の目を疑った。

 「この金額は間違いちゃいますやろうか?」 受付の人に思わず確認した。 「間違いでないけど、今すぐ払えないようなら分割でも構いませんよ」 「そうじゃなくて、こんなに安いはずがない」

 「困ったときはお互い様。私たちはあなた方のような人のために、チャリティーでお金を集めているのです。それよりも娘さんが助かって何よりですね」 ——僕は涙が止まらなかった。 』


 『 もうひとつの出来事は先の章でも書いたが、僕の見栄からベンツを買ったり、採算が合わないのにコマーシャルを作ったりして、破産の危機に見舞われたときのことだ。

 リンダの冷静なひとことで我に返った直後、義父のブーマーからお呼びがかかった。「リンダを返せと言われるんかいな……」 もともと彼は僕らの結婚に大反対だった。19歳のひとり娘を奪ったのだから、(3人の娘の父親になった今ならなおさら)その気持ちは理解できる。

 翌朝、緊張しながら訪ねると、義父はひとりでリビングに座っていた。 「会社のほうはどうだ?」 「もうあかん……つぶすしかありません(ほんまはもうつぶれとるんやけど)」

 すると彼は、一枚の紙切れをすっと目の前に差し出した。 「マイ・サン、これをつかいなさい」 それは16万ドルという、とんでもない金額の書かれた小切手だった。 「余裕ができたから、退職に向けて積み立てていた金をひきだしたのさ」 

 義父はユナイテッド航空一筋で30年間コツコツと働いてきた技術者だった。余裕ができたなんて、嘘だということはすぐにわかった。そしてこのとき初めて僕のことを「息子」(マイサン)と呼んだ。 』


 『 恩返しというものは、単純にお金を返せば成立するものではもちろんない。娘を救ってくれた病院にしろ、何も言わずに全財産を差し出してくれた義父にしろ、崖っぷちにいた自分を救ってくれた命の恩人なのだ。

 彼らに恩返しをしたいという思いは、ビジネスをはじめる際や、その後のさまざまな問題に直面した際もモチベーションとなりつづけた。

 僕はこれまで、仕事で起こったいいことも悪いことも、すべてリンダとシェアしてきた。彼女の尊敬すべきところは、何が起こってもヒステリックになったり、僕を責め立てたり、口出しをしたりせず、何も言わずにそばにいてくれたことだ。

 思えば僕のおふくろも、家族のためにすべてを捧げてくれた人だった。浮世離れしたアーティスト肌の父親には頼れないからと、7人の子どもを養うために、アイスキャンディ屋、靴屋、洋服屋、マージャン店、お好み焼き屋、焼肉屋、喫茶店など、服を着替えるように次々と商売を替えていった。

 あの頃のおふくろの必死さが、今ならよくわかる。家族を守るという使命は、仕事に対する最大のモチベーションとなり、社会に対する恩返しとなる。 』


 長くなりましたが、最後に本書の目次を紹介いたします。

 CONTENTS  :  the seven laws-make your dreams come true

 chapter 1  LOWS  OF  ENERGY  〔自分の中に熱を持て〕

 chapter 2   LOWS  OF  PASSION  〔情熱をかたむける〕

 chapter 3   LOWS  OF  CHANCE   〔チャンスをつかむ〕

 chapter 4   LOWS  OF  ATTRACTION   〔他人を巻き込む〕

  chapter 5   LOWS  OF  GROWTH   〔成長をつづける〕

 chapter 6   LOWS  OF  PAYBACK   〔恩返しの力〕

 chapter 7   LOWS  OF  SUCCESS   〔成功の方程式〕   (第118回)