78. 生命の跳躍 (ニック・レーン著 斉藤隆央訳 2010年12月)
Life Ascending The Ten Inventions of Evolution (進化の10大発明)by Nick Lane Copyright©2009
『 本書は、「ミトコンドリアが進化を決めた」で、極微の細胞小器官ミトコンドリアが生命進化において意外なほど多岐にわたって重要な役割を演じている事実を克明に語ってくれたニック・レーン氏が、今度は題名のとおり、生命進化においてこれまでに起きた主要な革命を10個取り上げ、それを「発明」と称して幅広い視点から解説している。
彼の挙げた発明は、生命の誕生、DNA,光合成、複雑な細胞、有性生殖、運動、視覚、温血性、意識、死であり、選んだ基準は、地球全体を一変させ、今なお非常に重要で、文化的な進化でなく自然選択による進化の直接的な結果で、さらになんらかの「象徴性」がなければならないものだという。
本書は、権威あるイギリス王立協会によって2010年の科学賞に選ばれている。名うてのサイエンスライターであるマット・リドレーは、「チャールズ・ダーウィンが墓からよみがえったら、私はこの好著を読ませて知識をアップデートさせる」とまで言った。
訳者自身も、これは生物学の解説書として幅広く詳細に記されているだけでなく、そうした濃密な知識のバックグランドをもとに著者の説得力豊かな生命観が、個別の現象に着目する虫の目と、全体を俯瞰する鳥の目と、水面下の流れを追う魚の目の視点を効果的に使い分けながら綴られているという意味でも、長く読み継がれる名著となることを確信している。
ただ、高度な思考力を必要とする内容ゆえに、決して簡単に読める代物ではなく、一度ですべてを把握することは難しいかもしれない。だが、読み込むほどに味わい深く、何度となく読み返して理解を深めていくべき書物ではなかろうか。
各テーマについてさまざまな仮説を紹介しながら、それらに私案もからめて大胆かつ有機的に関連づけ、ひとつのありうべき明快なストーリーに仕上げる天才的手腕を発揮している。たとえば、「半分だけできあがった眼に何の意味があるのか」という眼の進化の不自然さを指摘しておいて、そうした眼の利点を熱水孔のエビで説明するなど、ミクロな事実とマクロな進化を結びつける発想がすばらしい。
あるいはまた、細胞の核膜が存在する意味を、タンパク質合成工場であるリボソームをDNAから遠ざける必要があった点から語るところも鱗が落ちた。そのほか、光合成機構の進化、減数分裂が生まれたプロセスなど、一般のテキストなら初めから前提で済ませてしまいそうな点まで深く掘り下げる姿勢には頭が下がり、コドンの形成過程の議論には、DNAの基礎が生まれた歴史にここまで科学が迫れていたことに対して、新鮮な驚きを覚えた。
とくに、意識の章は、読むほどに新たな発見がある。脳内の離れた領域が同期して振動する「位相固定」というもので意識の各要素が区別されているとする議論や、感情をうまく言葉で言い表せない理由の推定など、物理的に解明しにくそうな意識のプロセスがこんなにも明らかになりだしているとは、私は思ってもいなかった。
感情を電波のような未知の物理的特性で説明しようとする仮説を紹介するくだりは、まるでSFのようでもあり、斬新で衝撃的だった。おまけに精神と物質の二重性と見事な類比をなす。さらに、そんな大胆でありながら緻密な理論が展開される一方、レーン氏の文章にはある種の気品すら感じられる。
それは、登山、化石採集、バイオリン演奏、文学、歴史、旅行、写真、料理、ワイン、教会めぐりなどといった彼の多彩な趣味を背景とした、豊かな教養と巧みな表現力の賜物ではないかと思う。
細胞分裂による染色体の動きを「華麗なガボットを踊ってから、舞台の両袖にさがっていく」とか、方解石の結晶の特別な軸に沿って入った光が「レッドカーペットを歩く貴賓のように何の妨げもなく直進する」とか、意識をもたないロボットについて「家を離れて過ごすクリスマスの切なさもない」などと優美なたとえで説明する生化学者は、相当稀有な部類に入るのではなかろうか。
意表を突く比喩で鮮やかに現象を表現してみせるその芸当は、さながら生物界の村上春樹とでも呼びたくなる。(「訳者のあとがき」より) 』
本書を読んで、華麗なガボットを感じられる人は、生物学、医学、地球物理、生化学、物理化学の本を歯を食いしばって読んできた人だと思います。私も読みはしたが、何となくしか理解できませでした、それは、これまでの生物学では、タブー(歯が立たなかった)とされたテーマであり、現在でも生命科学の謎である壮大なテーマなのですから、仕方ないと思います。
「生命の跳躍」は、チャールズ・ダーウィンの進化論と現実の生命の世界のギャップを埋める壮大なテーマであるので、チャールズ・ダーウィンの「種の起源」は、まず読む必要あります。(Charles Darwin 著「The Origin Spieces」)
二冊目は、化学元素、化合物、有機化合物(炭素化合物)、タンパク質、酵素、DNA、RNA,ウィルス、細菌、真核生物と無生物と生物と化学平衡論について、知る必要があります。福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」は、日本人の書いた分子生物学の名著ですのでお勧めします。
三冊目は、本書の参考文献でも、われわれの時代を決定づける一冊、必読とある。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」(Richerd Dawkins 著 「The Selfish Gene」)で、生物は遺伝子の乗り物に過ぎず、その根拠として、遺伝子は種として、永遠に生き続けており、遺伝子は利己的であると逆説的に主張する。
次に私は、「生命の跳躍」の10個のテーマと訳者がつけた小見出しを列挙致します。これらを見て、ある程度の察しがつかなければ、読み切れないと考えました。まず、英語でも、日本語でもそこに出てくる、言葉の意味をほぼ理解できる人は、相当の達人です。では次の華麗な跳躍に進みましょう。
『 第1章 生命の誕生 ―― 変転する地球から生まれた (1)初期の地球 (2)原始スープのアイデア (3)熱水噴出孔の世界 (4)ロスト・シティー ―― 生命の孵化場 (5)クレブス回路の逆転 (6)鉱物の「細胞」 (7)化学浸透とプロトン勾配
第2章 DNA ―― 生命の暗号 (1)DNA複製と変異 (2)遺伝子コードのパズル (3)コドンに秘められたパターン (4)コードの進化 (5)RNAの起源 (6)DNAの複製は二度進化した?
第3章 光合成 ―― 太陽に呼び起こされて (1)酸素と生命 (2)酸素の大気を得るには (3)なぜ「酸素発生型」が生まれたのか (4)Z機構 (5)シアノバクテリアの起源を探る (6)光化学系の進化 (7)電子を流す方法 (8)マンガンクラスター
第4章 複雑な細胞 ―― 運命の出会い (1)真核生物という革新 (2)化石記録と遺伝子の記録 (3)ウーズの系統樹 (4)「原始食細胞」説と「運命の出会い」説 (5)ミトコンドリアゲノムの秘密 (6)ジャンピング遺伝子
第5章 有性生殖 ―― 地上最大の賭け (1)有性生殖のコスト (2)有性生殖の利益 (3)有益な変異を広める (4)個体の利益と集団の利益 (5)遺伝子間の「選択的干渉」 (6)有性生殖の起源
第6章 運動 ―― 力と栄光 (1)運動性のメリット (2)筋収縮の謎 (3)フィラメント滑走説 (4)スイングする架橋 (5)筋肉の進化 (6)歩行型モーター (7)モータータンパク質のルーツ (8)動的な細胞骨格
第7章 視覚 ―― 盲目の国から (1)眼の発明 (2)半分だけできあがった眼 (3)眼は急激に進化できたか (4)レンズの形成 (5)驚くべき類似性 (6)オプシンの祖先
第8章 温血性 ―― エネルギーの壁を打ち破る (1)「温血」と「冷血」 (2)有酸素能仮説 (3)温血性の起源 (4)心臓と呼吸器の進化 (5)大量絶滅の影響 (6)草食性と窒素
第9章 意識 ―― 人間の心のルーツ (1)科学で意識を探る (2)意識という現象 (3)神経マップ (4) 神経ダーウィニズム (5)意識のハード・プロブレム (6)ハード・プロブレム解答へ向けて
第10章 死 ―― 不死には代償がある (1)進化の不可解な発明 (2)死に見合う利益 (3)なぜ「老いる」のか (4) 長寿と生殖 (5)フリーラジカルのシグナル (6)健康な期間を伸ばす 』
以上が目次と訳者の小見出しです。このように本書は壮大なテーマで且つ難解です。そのために全体像を捉えてから、細部を眺める方が、理解しやすいと思います。さらに言うと小見出し一つで本が一冊書けるテーマだと考えます。次に私が面白いと感じた部分を見て行きます。
『 ATPは、普遍的な通貨というよりむしろ、値の融通が利かない10ポンド紙幣のようで、小銭などというものがないのである。ATP分子に5分の1個などないのだから、水素と二酸化炭素の反応で取り込む場合、いわば10ポンド単位でしかたくわえられないことになる。
すると結局、本来なら2ポンド払うだけで反応が進んで18ポンドの見返りが得られるところが、10ポンド紙幣しか使えないと、10ポンド払って10ポンド得るだけとなる。
細菌もこの方程式から逃れられない。ATPだけを使った水素と二酸化炭素の直接的な反応では、生育できないのだ。それなのに生育しているのは、10ポンド紙幣を小銭にくずす巧みな手法のおかげである。
この手法は「化学浸透」といういかつい名前で知られ、これをいち早く説明したイギリスの一風変わった生化学者ピーター・ミッチェルは、1978年にノーベル賞を受賞している。この受賞によってようやく、数十年にわたる激しい論争が幕引きへ向かった。
ところがいまや、新たな千年紀の見通しとともに、ミッチェルの発見が20世紀で最高に重要な発見のひとつと評価されている。それでも、長いこと化学浸透の重要性を訴えている数少ない研究者にさえ、そうした特異なメカニズムが生命に偏在するわけはなかなか説明できない。
遺伝子コードが共通なのと同様、クレブス回路やATPや化学浸透も全生命に共通しており、最後の共通祖先(LUCA)がもつ特性だったように思われる。その理由をマーティンとラッセルが説明している。
非常に大ざっぱに言って、化学浸透とは、プロトン(陽子)が膜を通り抜けて移動する現象のことだ(だから、水が膜を通り抜ける移動を意味する「浸透」という言葉が入っている)。細胞呼吸ではこれが起きている。
電子が栄養物から剥ぎ取られ、一連の運搬体を経て酸素に渡されるのである。数カ所で放出されるエネルギーは、膜を通してプロトンを汲み出すのに使われる。その結果、膜をはさんでプロトン勾配ができる。
このとき膜は、水力発電用のダムにも似たふるまいをする。高所の貯水湖から流れ落ちる水がタービンを回して発電するように、細胞では、プロトンの流れが膜内にあるタンパク質のタービンを通ってATPの合成をおこなわせるのだ。
このメカニズムはまったく予想外のものだった。2分子間でうまい具会にそのまま反応を起こすのではなく、特異なプロトン勾配が仲介するのである。
化学者は、整数で考えるのに慣れている。一個の分子が2分の1個の分子と反応することはできないのだ。ひょっとしたら、化学浸透でなにより面食らうのは、分数がよく現れる点かもしれない。1個のATPを生みだすのに、何個の電子を運ぶ必要があるか? 8個と9個のあいだだ。
ではプロトンは何個?これまでの最も正確な見積もりでは、4.33個である。そのような数は、勾配の中間段階が知れれるまで、まったく説明がつかなかった。実のところ、勾配の段階は無数にある。整数に分けられないのだ。
そして勾配のもつ大きな利点は、一つの反応を何度も繰り返し1個のATP分子ができるところにある。ある反応で、ATPを1個生み出すのに必要なエネルギーの100分の1が放出されるとしたら、その反応を100回繰り返せば、勾配は少しずつ大きくなり、ついには1個のATPを生みだせるほどのプロトンがたまる。
細胞には貯蓄ができ、小銭でいっぱいになるポケットがあるのだ。これはつまりどういうことだろう? 水素と二酸化炭素の反応へ話を戻そう。細菌がこの反応を開始するのにATPが1個要ることは変わらないが、今度はATPを1個より多く生み出せる。
2個めのATPの生成に向けて貯蓄ができるからだ。贅沢な暮らしはできないかもしれないが、つつましくは暮らせる。もっと率直に言えば、これは生育の可能性があるかないかの分かれ目だ。
マーティンとラッセルが正しくて、最初期の形態の生命はこの反応によって生育したとしたら、生命に深海の熱水孔からの離脱を可能にした唯一の手だては、化学浸透だったことになる。
確かに、今日この反応によって生きる生命は、化学浸透を利用しており、またそれなくして生育できない。それに、地球上のほぼすべての生命が、この同じ興味深いメカニズムを持っていることも確かだ。なぜなの? それなくして生きられなかった共通の祖先から受け継いだためにほかならないのではなかろうか。
しかし、マーティンとラッセルの主張が正しいと思う最大の根拠はプロトンの利用にある。じっさい、なぜナトリウムやカリウムやカルシウムのイオンではないのだろうか? われわれの神経系ではそれが使われているというのに。勾配を設けるのに、ほかのタイプの荷電粒子よりもプロトンを選ぶべき明白な理由はないし、プロトンではなくナトリウムの勾配を生みだす細菌も、まれにではあるが存在する。
主な理由はラッセルが主張した熱水孔の特性までさかのぼることになると思う。熱水孔が、二酸化炭素の溶存によって酸性なっている海に、アルカリ性の流体が吐き出すことを思い出してもらいたい。
酸はプロトンの存在をもとに定義される。プロトンが多い酸で、少ないのがアルカリなのだ。したがって、酸性の海にアルカリ性の液体が吐き出されると、天然のプロトン勾配が生ずる。言い換えれば、ラッセルの言うアルカリ熱水孔にある鉱物の「細胞」は、自然に化学浸透の状態になっているのである。
ラッセル自身、何年も前にこれを指摘していたが、細菌が化学浸透なしには熱水孔を離脱できなかったと気づいたのは、微生物のエネルギー特性を調べたマーティンとの協力の賜物だった。
すると、こうした電気化学的な反応装置は、有機分子やATPを生みだすだけでなく、熱水孔からの脱出計画――10ポンド紙幣の問題を回避する手立て――も提供してくれるわけである。
もちろん天然のプロトン勾配は、生命がその勾配を利用できその後それ自身の勾配をも生みだせる場合のみ、用をなす。ゼロから勾配を生みだすより、既存の勾配を利用するほうが簡単なのは確かだが、どちらにしてもすんなりとはいかない。
このようなメカニズムが自然選択によって進化を遂げたことは間違いない。現在なら、遺伝子によって指定される多数のタンパク質が必要だが、そんな複雑なシステムが、タンパク質も遺伝子――DNAで構成された遺伝子――もなしに誕生できたと考えられるわけがない。
するとこれは興味深い堂々めぐりとなる。生命は、それ自身の化学浸透による勾配の利用法を身につけるまで熱水孔から離れられなかったわけだが、それ自身の勾配の利用は、遺伝子やDNAを使って初めて可能になったのだ。それでは熱水孔からの離脱は不可能に見えてしまう。生命は、石の孵化場のなかで驚くほど複雑さを生みだしたのでなければならない。
こうして、地球上の全生命にとっての最後の共通祖先が、途方もない姿として描ける。マーティンとラッセルが正しいとしたら(私は正しいと思うが)、この共通祖先は自由生活性の細胞ではなく、石の迷路のような鉱物の「細胞」で、触媒の役目を果たす壁が鉄と硫黄とニッケルででき、天然のプロトン勾配がエネルギーを与えていることになる。
最初の生命は、複雑な分子やエネルギーを生みだす多孔質の岩石で、すぐにタンパク質やDNAの生成にまで至ったのだ。すると、この章では話の半分しかたどれていないことになる。次の章では、残る半分について考えよう。あらゆる分子になかで最高に象徴性をもつ、遺伝子の素材たるDNAの発明である。 』(第1章 生命の誕生 「科学浸透とプロトン勾配」より)
『 細菌と古細菌におけるDNAの複製を体系的に調査する過程で、たまたまその着想を得た。遺伝子配列の細かい比較によって、クーニンらは、細菌と古細菌が同じタンパク質合成のメカニズムをほぼ共通してもつことを見いだしたのである。
たとえば、DNAがRNAに読み取られ、RNAがタンパク質へと翻訳されるプロセスは基本的に同様であり、細菌と古細菌は(遺伝子配列から)明らかに共通の祖先から受け継いだ酵素を用いている。ところが、DNAの複製に必要な酵素についてはそうではない。
その大多数はまったく共通していないのだ。この奇妙な状況は、細菌と古細菌が遠い昔に分岐していたとして初めて説明できるのだが、そうだとするとこんな疑問が浮かぶ。DNAの転写と翻訳もやはり遠い昔に分かれたのに、なぜこのように大きな違いをもたらしてないのか?
一番単純な説明は、クーニン自身が提示した画期的な仮説だ。DNAの複製は二度進化を遂げ、一度は古細菌で、もう一度は細菌で起きたとするのである。このような主張は、多くの人にはとんでもないものに思えたにちがいないが、ドイツで働く聡明で憎めない「癇癪持ち」の”テキサス男児”にとっては、まさに望みどおりのものだった。
第一章で紹介した生化学者ビル・マーティンは、すでにマイク・ラッセルと手を組んで、熱水噴出孔における生化学反応の起源を探っていた。一般の通念に逆らって、2003年に彼らは独自の考えを書き上げた。
細菌と古細菌の共通先祖は自由生活性の生物ではなく、多孔質の岩石に収められた、ある種の複製装置だったとする考えである。それはまだ、熱水孔の丘にびっしりとできた鉱物の「細胞」から抜け出していなかったのだ。
その主張を裏付けるべく、マーティンとラッセルは、細菌と古細菌のあいだではほかに見られる甚だしい違いを並べ立てた。たとえば両者の細胞膜や細胞壁はまったく違っており、これはふたつのグループどちらも岩石の小部屋からであっても別々に誕生したことを意味している。
この案は、多くの人には過激に見えてが、クーニンにとっては、知見とぴったり合っていた。ほどなく、マーティンとクーニンが共同で熱水噴出孔における遺伝子とゲノムの起源の検討をおこない、このテーマにかんするふたりの刺激的な考えが2005年に公表された。
ふたりは、鉱物の「細胞」の「ライフサイクル(生活環)」が、HIVなどの現代のレトロウイルスと似たものだった可能性を指摘した。レトルトウイルスには、DNAでなくRNAにコードが記された微小なゲノムがある。
このウイルスは、細胞内に侵入すると、「逆転写酵素」という酵素を使ってみずからのRNAを転写しDNAを作りだす。こうしてできたDNAがまず宿主のゲノムに組み込まれ、宿主自身のゲノムと一緒に読み取られる。このように、レトルトウイルスはみずからのコピーをたくさん作るにあたり、DNAを足がかりにして働く。
しかし、次の世代のために自身の遺伝子情報をまとめて伝える際には、RNAを利用するのだ。なにより欠けているのは、DNAを複製する能力であり、これには一般にかなり煩雑なプロセスで多数の酵素を必要とするのである。
そうしたライフサイクルには、利点も欠点もある。大きな利点はスピードだ。DNAをRNAに転写し、RNAをタンパク質に翻訳する宿主細胞の仕組みを乗っ取ることによって、レトルトウイルスは大量の遺伝子をもつ必要をなくしたため、多くの時間と手間を省いている。
反対に大きな欠点は、そのレトルトウイルスの生存に「適した」細胞に全面的に依存していることだ。そこまで明白ではない第二の欠点は、RNAがDNAにくらべて情報の保存を苦手とすることである。RNAはDNAよりも化学的に不安定で、つまり反応性が高い。
なにしろ、そのためにRNAは生化学反応の触媒になるのだから。しかし反応性が高いのなら、大きなRNAのゲノムは不安定で壊れることになり、そのおかげでサイズの上限は、独立して生きるのにはとうてい足りないものとなる。じっさいレトルトウイルスは、RNAでコードを定められるものとしては最大に近い複雑さをもっている。
だが、鉱物の「細胞」では、そうならない。鉱物の「細胞」にはふたつの利点があり、そのおかげでさらに複雑なRNAの生命が進化できる。第一の利点は、独立して生きるのに必要な特性の多くが、熱水孔ではただで手に入るから、この「細胞」に有利となるというものだ。
数多くできる鉱物の「細胞」が、物質を収める膜や、エネルギーなどを、あらかじめ提供してくれているのである。すると、ある意味で、熱水孔にいて自己複製をおこなうRNAがすでに「ウイルス」だったことになる。
第二の利点は、RNAの「群れ」が、つながり合った「細胞」のあいだでしじゅう混ざり合い、結びつくというものだ。そしてよく「協力する」集団は、一緒に広がって新たな「細胞」へ入るなら、一緒に自然選択されやすいことになる。
そこでマーティンとクーニンは、協力するRNAの集団が鉱物の「細胞」にでき、個々のRNAは相互に関連し合う少数の遺伝子のコードをなると考えた。もちろん、このようになっていると、RNAの集団が混ぜかえされて、別の――場合によっては不適切な――組み合わせになりやすくなるという欠点がある。
協力するRNAの集団を1個のDNA分子に変えて「ゲノム」をまとめ上げることのできた「細胞」は、先述の利点をすべて所持しているだろう。すると、その複製はレトルトウイルスと似た具合になり、またそのDNAが転写されてできるRNAの群れは、隣り合う「細胞」に感染して、DNAというバンク(保管所)にまた情報を預ける能力を付与する。
こうして断続的に生じるRNAは、このバンクからその都度新たに作りだされるので、エラーだらけにはなりにくい。こうした環境で鉱物の「細胞」がDNAを「発明する」のは、どれほど難しいのだろう? きっとそれほど難しくはないだろうし、じっさい、(RNAではなく)DNAを複製するシステム全体の発明よりは易しい。
RNAとDNAのあいだには、たったふたつの小さな化学的差異があるだけだが、そのふたつが合わさって、大きな構造上の差異が生じている。RNAはコイル状の触媒分子だが、DNAは象徴性豊かな二重らせんなのだ。
ふたつの小さな化学的差異はどちらも、熱水孔ではほぼ自発的に生じるのを阻むことは難しいだろう。ひとつめの差異は、RNA(リボ核酸)から酸素を1個取り除いたものがDNAすなわちデオキシリボ核酸(デオキシは脱酸素の意味)になるという点だ。
このメカニズムは今でも、熱水孔に見つかる反応性の高い(専門用語で言えばフリーラジカル)中間体のたぐいに関与している。ふたつめの差異は、RNAのウラシル(リボ核酸を構成している4種類の塩基のひとつで、ピリミジン塩基のこと)に「メチル」(CH3)基が加わって、DNAではチミンになっていることだ。
メチル基も、メタンガスから水素が1個とれた反応性の高いフリーラジカルで、アルカリ熱水孔にはふんだんにある。すると、DNAを作るのは結構容易だったかもしれない。RNAは、熱水孔で「自然的」形成されたにちがいない(単純な前駆体からの形成が、鉱物、ヌクレオチド、アミノ酸などを触媒としてなされたということ)。
もう少し難しい技は、コード化されたメッセージを維持すること、つまり、RNAの文字列の正確なコピーを作ってDNAの形にすることだ。だがここでも、足りないものはなんとかできなくはない。RNAをDNAに変えるには、ひとつだけ酵素があればいい。
今日のHIVなどのレトルトウイルスがもっている、逆転写酵素だ。分子生物学のセントラルドグマ(中心教義)――を「破る」酵素が、ウイルスのRNAだらけの多孔質の岩石を今日のわれわれの知る生命に変えた酵素だったはずだとは、なんとも皮肉な話ではないか。
細胞の誕生そのものが、卑小なレトルトウイルスのおかげかもしれないにだ。生命のコードには実際にパターンがあり、そのパターンは化学反応と自然選択の作用を示唆している。
深海の熱水孔における熱の流れは、確かにヌクレオチドやRNAやDNAを濃縮して、謎に満ちた鉱物の「細胞」を、理想的なRNAワールドに変える。
そして事実、古細菌と細菌のあいだには根本的な差異があり、この差異はちょっとしたトリックでは説明しきれない。生命がレトロウイルスのライフサイクルからはじまったことを、間違いなく示唆しているのだ。 』(第2章 DNA 「DNAの複製は二度進化した?」より)
これから、第3章光合成、第4章複雑な細胞、第5章有性生殖、第6章運動、第7章視覚、第8章温血性、第9章意識、第10章死 と続きます。ここでは、生命体が共通に持っているものが、生命体の祖先が持っていたのではないかと考えて、クレブス回路、ATP,化学浸透、DNAがどのように化学反応と自然選択で生まれたかを推理してます。
私も良く解からない本書を紹介することを躊躇しましたが、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。最後に、単語の意味を書きますが、広辞苑程度で、生化学としての説明はできませんので。
◎ LUCA (Last Universal Common Ancestor) 全生物の共通祖先
◎ クレブス回路 トリカルボン酸回路、クエン酸回路とも呼ばれる。生物の呼吸に於ける、主要な代謝経路で、糖質・脂質・アミノ酸などは、この経路を経て、酸化・分解され生体のエネルギー源となる。
◎ ATP アデノシン三リン酸で、燐酸1分子が離れたり、結合することでエネルギーの放出・貯蔵、あるいは物質の代謝合成に重要な役目を果たし、「生命エネルギー通貨」と形容される。
◎ ゲノム (genome) その生物が生きるために必要な染色体のセット。
◎ 染色体 (chromosome) DNAを束ねた状態 。
◎ DNA デオキシリボ核酸 (deoxyribonucleic acid) 遺伝子、4つの塩基の二重螺旋構造
◎ コドン (codon) メッセンジャーRNAを構成する4種の塩基のうち3個ずつ配列して一単位となったもの。1個のコドンが1個のアミノ酸に翻訳されタンパク質が合成される。
(第77回)