190. 良い句をつくるための川柳文法 (江端哲男著 2017年2月)
本書を読むための前振りとして、俳句と川柳の違いについて、おさらいしておきます。 俳句とは、五・七・五で、季語を含むことを原則とする短詩。
川柳とは、十七文字の短詩で、季語、切れ字などの制約のない世相を風刺し、軽みをもって滑稽(こっけい)に描くことです。
川柳は、なぜ”かわやなぎ”と書くのかですが、 江戸中期の柄井川柳(からいせんりゅう)が選んだ句「俳風柳多留」(はいふうやなぎたる)が江戸でベストセラーになったことによって、川柳と書いて川柳と読み、現在の川柳の道を開いたとあります。
私の好きな俳句を二つ紹介いたします。 荒海や 佐渡に横たう 天の川 (芭蕉) 季語は、秋で、天の川です。
菜の花や 月は東に 日は西に (蕪村) 季語は、春で、菜の花です。
次に、川柳を一句紹介します。 本降りに なって出て行く 雨宿り (江戸川柳)
このように川柳は、世相を描きます。一方俳句は、風景(宇宙)を描きます。
では、読んでいきましょう。
『 文法は難しい、という先入観がある。川柳に関わる以上欠かせなものなのに、何となく敬遠されがちなのが文法だ。基本さえ理解できれば、文法は本来、そんなに難しいものではない。文法の力、つまり文法力を身につけることで、作句技術のバリエーションが広がり、飛躍的に表現力がアップする。
知らないなんてモッタイナイ! そんな思いから筆を執った。川柳と文法。一番対局に位置するもの。そう考えになっている方が大勢おられるに違いない。 川柳=自由闊達 VS 文法=杓子定規 という図式が、固定観念としてすでに摺り込まれているのであろう。だとしたら、それはマチガイ! 本来は、そうではない証明を、本書でしていく。国語教師約四十年のメンツ(笑)にかけても、興味深く分かりやすい講義を展開してゆくつもりである。 』
『 煙草酒塩と医者から 削られる (今川乱魚) 筆者の師である今川乱魚氏四十代の作品。 「煙草酒塩を」ではない。 「―と」になっている。従って「煙草」「酒」「塩」は並列ではない。つまり、病状が進につれて、医者からの「煙草」「酒」「塩」の順に、指示がきつくなってきたという意味だ。
一億の 動悸未だに 収まらぬ (植竹団扇) 東日本大震災の年。筆者が代表を務める東葛川柳会の課題「あれから一年」の秀句作品。 「収まらぬ」という下五が秀逸である。
「収まらぬ」の「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。終止形でない止め方(連体止め)に、「あれから一年」の余韻・余情が深くなる。 』
『 「昔昔あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に‥‥。 ここで「おじいさんとおばあさん ”が” いました。」 で二行目の「おじいさん ”は” 山へ芝刈りに、おばあさん ”は” 川に洗濯に‥‥」の違いです。
なぜ、一行目は、「が」で、二行目は、「は」なのか。 一行目は「未知の格動詞」 ”が” で、二行目は「既知の副助詞」 ”は” だからです。 』
私がこの本を是非紹介したいと思いましたのは、最後の「昔昔おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に‥‥。」の話です。
このフレーズは、いくら国語劣等生の私でも、子供の頃から暗記していました。でも「が」、「は」の違いは、七十二歳のこの年になるまで知りませんでした。もう六十年ほど前に教えてほしかった。(笑)
余談ですが俳句プレバトの夏井いつき先生も元国語教師だそうです。このような優れた国語教師に習いたいものです。英語の本も読めない(勉強しない)英語教師、実用的文法を知らない(勉強しない)国語教師が多すぎるように感じるのは、私のひがみでしょうか。
(第189回)
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