125. 米原万理の「愛の法則」 (米原万理著 2008年8月)
米原万理は2006年5月に亡くなっていますので、本書は生前の講演をまとめたものです。『 第一章 愛の法則、第二章 国際化とグローバリゼーションのあいだ、第三章 理解と誤解のあいだ、第四章 通訳と翻訳の違い 』 の四つの講演をエッセイとしてまとめたものです。
ここでは、第四章の「通訳と翻訳の違い」の一部分を紹介致します、「本書に寄せて」と題して、生物学者の池田清彦が序文で以下のように書いてます。
『 第四章は「通訳と翻訳の違い」。プラハでの子供時代から超一流の同時通訳になるまでの自伝と言ってよい内容だ。どうしたら語学ができるようになるかという方法論にもなっている。
言語を理解するとは、記号と概念のあいだの変換プロセスを体験することだ、と米原は述べる。外国語を極めたいと思っている者たちにとって、これは本質的アドバイスである。
治る見込みのない転移がんに冒されて、泣きたいときもあったろう。怒りたい時も、怨みたい時もあったろう。しかし、表現者としての米原は最期まで読者へのサービス精神を失わなかった。あっぱれと言う他はない。 』
『 これは私自身の苦い経験からきています。私は小学校三年のときに、九歳でしたけれども、まったく言葉の通じないチェコスロヴァキアのプラハに一家が移住しました。
チェコスロヴァキアですから、いちばんいいのは地元のチェコ語の学校に通うことだったのですが、親たちは考えたわけです。チェコに滞在するのは三年から五年である。
だから、この三年から五年間には、日本語とか日本の勉強に空白ができるわけです。ところがその代りとしてチェコ語を勉強したとしても、三年や五年で、ある国の言葉をちゃんと身につけることは不可能ですよね。
そして日本に帰ったときにチェコ語の勉強を続けられるためには、本や教科書を入手できなくてはいけないし、先生が必要だけど、そういう人は日本ではたぶん見つからないだろう。
だからロシア語のソヴィエト学校に入れられたんです。なにもわからない、いっさい言葉の通じないところに毎日毎日通わなくてはいけないのは、もう、苦痛を通り越して恐怖でしたね。
先生の話すことがなにもわからない。そこに一日中座りつづけていなくはならない、拷問以外のなにものでもありませんでした。それから周りの子どもたちが笑っているときに一緒に笑えない、これも切ないですね。
悲しい、寂しい。それから、理不尽なことをされても、相手に抗議もできないし、相手を罵ることもできない。これも非常に悔しい、辛い。
大人だったら、自分の人生の主人公になれますから嫌だと思ったら、荷物をまとめて出てしまう、通うのをやめてしまうことができたはずですが、私は子どもで、あくまでも被保護者ですから、親の言うとおりに通いつづけなければならなかったのです。
だから、私の体はこちこちに堅くなってしまって、九歳だったですけど、偏頭痛と肩こりに悩まされるようになりました。いつになったらこの地獄から抜け出せるのか、あるいは抜け出せないのか、もう胸が張り裂けそうでした。
毎日学校に行くのが怖くて怖くて……。それでも、三ヵ月くらいたってくると、少しずつ薄皮がはがれるように、話されていることがわかってくるんですね。わかってくるけれど話す方はもっと難しい。
わかるけど言えない。このわかるけど言えないというのは、ちょうどアンデルセンの人魚姫の感じと同じです。だから私は「人魚姫」を読むと、自分のことのように涙があふれてくるのです。全部わかっているのに、なに一つ自分で表現できない辛さ悲しさ。 』
『 さらにもう少し時間がたってくると、非常に簡単なことならば言えるようになってきました。例えば、「そのセーター、いいセーターね」、それから「図画の先生ってキザね」とか。
そういう実に他愛もないことなんですが、これがきちんと相手に通じたときの喜び。あれだけ物が通じない地獄を味わうと、通じた瞬間の喜びはおおきいですね。
今までの苦痛がチャラになって、お釣りがくるほど大きいと思いました。だから私が通訳の仕事に就いたのは、お互いを全然わかり合っていない人たちが通じ合った瞬間の喜びを、無限に味わえるからではないかという気がしたからです。
飛躍的にロシア語力が伸びたのは、三ヵ月間の夏休みです。6月1日から8月31日まで、まったく宿題がないんです。このあいだ、ピオニールラーゲリ、強制収容所のラーゲリも同じ言葉ラーゲリを使いますが、学校主催の林間学校みたいなもので、申し込めば参加できます。
そこでは基本的に子どもたちの自治になっています。食事の時間や就寝時間などは全部枠ができているけれど、自由時間に何をするかは、子どもたちが侃々諤々議論して決めていくのです。
そこで毎日ロシア語で生活する中で、だんだんコミュニュケーションができるようになりました。
実は、われわれの日常では、ボキャブラリーは七百語くらいで足りるのです。文型は五つくらいあれば十分です。私の知人でロシア大使館に勤めていた日本人がいますが、この人は動詞は命令形だけで通じたと言います。
基本的に単語があって、疑問文、肯定文、感嘆文、仮定法とか、いくつかの文の形を知っていれば十分です。知らない単語は、相手がそこにいれば手で示すか、指示代名詞か単なる代名詞で済ますことができるのです。
状況に応じて代名詞を使い分けることで、七百語と五つの文型があれば、日常生活の普通のコミュニケーションには不自由しません。ですから、バイリンガルの帰国子女が同時通訳ができるかというと、ほとんどの人はできません。
それは七百語くらいで済ませてきたからです。ところが会議ではもう少し抽象的な話とか学問の話になるので、通訳には膨大な量の語彙が必要ですし、文の形も微妙で複雑なものが必要になります。
そういうものを身につけなくては、お金をもらう通訳はできるはずがないですね。 』
『 そのキャンプに図書館がありました。ある日図書館の本を漁っていたら、その中に漢字で「箱根用水」と書かれていたものがありました。私は日本を離れて六ヵ月くらいたっていたので、異郷で同郷の人に会ったような懐かしさを感じて、その本をがっと握りしめました。
ところが、表紙は漢字だったけれど、中はロシア語がずらっと並んでいました。それなのに私はためらうことなく読みはじめたんです。これは高倉テルという日本人作家が書いた小説です。
富士山麓の人たちの生活が水に左右されていた江戸時代に、地下トンネルで箱根芦ノ湖の水を引いてきて、貯水池や運河を造り、農業に役立てるために、権力と渡り合ったり、いろいろな人の協力をえながら、その事業を成功させていくという話で、私は夢中になって読みました。
読んでいる最中には、それがロシア語であることに気づかなかったのです。実は、キャンプに行く前に学校の図書館で何度か本を借りて読もうとしたのですが、大多数の本は、やはり言葉がわからない。
単語の意味がわからないと、辞書を引きますね。いちいち辞書を引くと興味が薄れて、途中で挫折することが多かったのですが、このとき初めて全部読むということをしました。
それで辞書なしで読む自信がついたのです。なぜこういうことができたのか、後で説明します。そのキャンプでは、気の合う者同士が集まって輪読会がいつも行われていました。
おもしろそうな本を声を出して読む、朗読するわけです。そうすると、おかしいところで一緒に笑ったり、悲しいところで一緒に涙を流したり。人間の心の振動は、別な人間の心の振動と共鳴し合うと、より深くより大きく喜怒哀楽を味わえるという魅力がありました。
それから同じ文章について、人とまったく別な解釈をすることもあります。解釈が違うところでぶつかり合うおもしろさもあって、輪読会はお勧めです。その輪読会に一度、夏目漱石の「吾輩は猫である」がかけられました。
駄洒落なども非常にうまく訳してあったのです。いろいろな国の子どもたち、その学校は大体五十ヵ国の子どもたちが通っていたのですが、みな抱腹絶倒しました。
明治時代の日本人が書いた物語を、こんなにいろいろな国の子どもたちが楽しく自然に受け入れることができるんだ、と大変誇らしく思いました。こういうことを重ねているうちに、ロシア語で文字を追うことが楽になったのです。
それでロシアの作家の本にもどんどん挑戦していくようになりました。それはなぜと今考えますと、ちょうど小学校四年五年生頃って、男女関係の機微とかセックスのこととか、ものすごく知りたくてたまらないけど、親にも先生にも聞けない。
だけど文芸作品にはそれがいっぱい出ている。だから一生懸命読めたと思うのです。とにかく本を読んでいました。 』
『 それでは、なぜ辞書を引かないで読めたのか? と思うと、その理由は、単語の意味というのは前後関係や言葉の構成要素で、自ずと浮き上がってくるからなのです。
だから気づかないうちに語彙が増えていくわけです。ふつう外国語の勉強をするときは、わからない単語をいちいち書き出して、反対側に日本語の訳を書いて、一生懸命暗記していく。
あるいは、本を読んでわからない単語があると辞典を引いて、その意味を知って、またその言葉が出てくるとまたわからなくて、もう一度辞典を引いて、と二回も三回も引くということをしますね。
辞典を引かないで読むと、もちろん二十パーセントくらいの単語はわからないのです。けれども、物語の中の重要な粗筋、本流に関係している大事な言葉は何度も出てくるんです。
そうすると、前後関係からわかってくるんですね、意味が。たぶんこういう意味だろうとわかっていって、終わった後で辞典を引いて、やっぱり私が思ってた意味と同じだったとなると、なんだか自分は天才じゃないかと元気が出るでしょ? 嬉しくなるでしょ? こういうふうに自分で見つけた言葉の意味は、絶対に忘れないですね。
ところが安易に辞書を引いて、辞書に意味を教えてもらうと、苦労しません。自分が一生懸命どういう意味だろうと考えて、言葉の前後関係から類推していくプロセスがあって辞書を引く場合と違って、単にわからないからすぐ辞書を引くというのでは、その言葉に関する関与度、関心度が低いので、なかなか覚えられないのです。
しかし、辞書を引かないで本を読んでいくと、そういうふうに自然に意味が浮き上がってくるんです。さらに本のよいところは、日常語にない抽象的な概念、複雑な文型などが自然に入ってくることです。
もちろん本を読むのはそれが目的ではなくて、あくまでもおもしろいから読むのです。魅力的な主人公、あるいは、おもしろい筋に乗せられて読むわけですけども、結果的にそれで語彙や文の形が非常に増えていくわけです。 』 (第124回)