158. 和製英語と日本人 (ジェームズ・スタンロー著 吉田正紀訳 2010年7月)
Japanese English : Language and Culture Contact by James Stanlaw Copyright © 2004
著者は、イリノイ州立大学教授の文化人類学・認知人類学を専門とし、言語と文化の関係について、日本をフィールドに研究を続けているアメリカ人です。
原書は全一二章、三七五ページにおよぶ大著ですが、原著者が日本語の読者のために六章を選択して、翻訳したものです。 私たち日本人も、和製英語については、明確に意識されてませんが、漢字を日本語に取り入れた、奈良、平安時代の変革にも想いを馳せ、日本語と英語を私たちの人生を構成する有効な道具とするための礎になると考え、紹介いたします。
最初に”はじめに”から、読んでいきましょう。
『 成田空港で飛行機を乗りついだり、東京の街をちょっとでも歩いたことのある人なら誰でも、日本では英語が空気のようなものであることに気づくだろう。どこでも英語に遭遇するからである。
この日本で遭遇する英語が、「問題」であるとか、「パズル」であるとか、コミュニケーションの「障壁」であるとか、あるいは「流行の追っかけ」であるとか、ある種の「汚染」であるとか、さまざまな意見がある。
しかし、英語教育家の松本享がかって書いていたように、日本では日常のごくありふれた会話も、英語という言語装置がなければ成立しない。
”私たち松本家もマンション(mansion)に住んでいる。私はテレビ(television)でベースボール(baseball)を観戦していた。
妻はデパート(department store)に買い物に出かけており、そのあとスーパー(supermarket)に寄って、朝食用のパン(bread)やバター(butter)、ジャム(jam)、ソーセージ(sausage)を買ってくるだろう。
娘はパーマ(permanent)をかけてもらうために、ビューティーサロン(beauty salon)に出かけている。……こんにち、私たちはこうした外来語なしには日本で生活できない。
言語純粋主義者はこのような現実を嘆いているが、彼らは日本語から外来語をすべて消し去ることができると思っているのだろうか。
タクシー(taxi)やテレビ(television)、ラジオ(radio)、タバコ(tobacco)、ビール(beer)、シャツ(shirts)、ベルト(belt)、メートル(meter)を使わずに暮らせるというのだろうか。
日本における統計調査によると、日常の日本語のなかには、英語由来の外来語・文章が・五~十パーセントを占めているという。この数字は何を意味しているのだろうか。
歴史家ルイス・ペレスによれば、日本は精神的国家であるという。「日本人の日常生活にみられるリズムは驚嘆すべきものである。……日本人は世界で類をみないほど、文化的伝統に国をあげて尊敬の念を抱いている。
けれども、日本人は非常に長い間、西洋文化を模倣してきた」と。言語は、このような模倣の典型的事例とされるわけだ。
しかし、日本語のなかに英語がたくさん入り込んでいることをたんに模倣であると非難する人たちは、言語接触のダイナミズムという重要な側面をみていないと思う。本書は日本社会における英語利用のダイナミズムに視点を合わせる。
私は、いわゆる単一言語をもち同質的な人びとが、英語のような外国語に対して寛容であるだけでなく、その利用に積極的なのはなぜかを検討しようと思う。
さらに、この日本語と英語の接触のあり方が日本人だけでなく、国際社会に生きる多くの人々にも重要な課題となっている点を検証したい。 』
『 インドや西ヨーロッパ諸国のように、世界には英語を話すバイリンガルがたくさんいる国がある。だが、日本ほど英語が広く使われている非英語圏の国はない。
この現象を説明するために、今までさまざまな議論がなされてきた。
たとえば、英語は上品で威厳のある言葉であるとか、アメリカの大衆文化が日本社会に深く浸透しているとか、日本人は舶来の品々をありがたがるとか、さまざまである。
とくに第二次世界大戦後、日本の文化と社会が大きく変化してきたことが関係するといえよう。
これらはすべて、ある程度、当たっているだろう。しかし、いくら列挙しても、全体を述べたことにはならない。日本語のなかでの英語の使われ方はきわめて多様で、かつ微妙、複雑なものである。
このような現象をとらえるには、洗練された多角的な見方が求められる。本書で私は、そのような試みをしてみようと思う。
まず第1章では、日本の中で英語と英語由来の外来語がどのように使われているかを紹介しよう。そのうえで、日本で使われている英語に対して、「外来語」という概念が誤っていることを示したい。
いわゆる英語とされている言葉の多くは、実際は日本で、日本人によって創造されたものなのである。そのため英語のネイティブスピーカーは、日本で日常生活に使われている多くの英語の意味を理解するのに苦労することになる。
たとえば、「ベビーカー」とは小さい車ではなく実際は stroller だったり、「ヴァージンロード」が未使用の道路ではなく、結婚式で花嫁が歩く道であることを知って、びっくりするのだ。
こうした言葉を本書では「和製英語」と呼ぶことにしよう。私は、こうした和製英語が、どのような文脈と場において、このような表現として日本人に用いられているのかを説明したい。
というのも、和製英語は社会と言語の関係を考えるうえで重要な位置を占めているからである。日本人の多くはバイリンガルではないし、ある程度英語を理解できるが、決して流暢とはいえない。
なのになぜ、日本ではこんなに英語が使われているのか。その疑問に私は、英語が私的あるいは公的な場においてシンボリックな表現としてとり入れられている事例を提示することで回答しよう。
さらに英語と日本語の言語接触におけるいくつかの理論的課題も論じたい。 』
『 第2章では、多くの洗練された女性シンガーソングライターが、日本語では表現しにくいことを表現するのに、英語を採用していることをとり上げる。
重要な点は、芸術の分野で英語が女性に与えた影響である。たとえば、竹内まりやは、女性がボーイフレンドに結婚してほしいと面と向かって訴える場面で、彼女は英語で語らせている。
それを日本語で歌ったとしたら、印象はまったくちがったものになってしまうだろう。このような日本人女性の「新しい声」、新しいレトリックの意味を探求する。
第3章では、英語が会話に利用されているだけでなく、広告、テレビコマーシャル、Tシャツなどさまざまな日用品に広く用いられていること、そしてそれらのさまざまなビジュアルな英語表現が、強い印象を、時としてユーモラスな印象を与えていることを提示したい。
第4章では、英語と日本語の出会いの歴史を述べる。一九世紀後半、幕末にイギリス人やアメリカ人と最初に接触して以来、日本語と英語の言語接触がダイナミックに展開してきたことが明らかになるだろう。
オランダ通詞たちの苦闘に始まり、明治期には日本社会の近代化や日本語の言文一致運動ともからんで英語の受容が展開する。さらに戦時期の禁止や戦後の隆盛がある。
そして、それぞれの時点で、いくつかのピジン語が発展した。英語が多用されるようになった今日までに、ダイナミックな言語接触と多くの人の努力があったのである。
第5章では、日本人とアメリカ人双方が、お互いの言語の優位性と劣等性をどうとらえてきたのかを論じる。
一世紀以上前、日本語は海外であまり使用されないので、日本の政府高官のなかには、英語をとり入れて日本語を廃止することを提案した者もいた。
しかし今日、数千の英語を借用しているにもかかわらず、日本人は日本語へ新たな自負心をもちはじめている。それはややもすると、言語をナショナリズムのなかに埋め込んでしまう危険性があることを指摘しておこう。
最後に第6章では、世界で、またアジアで、英語がどの程度使用されているかをみるとともに、今日、英語を使わなくては日本語が成り立たないことを明らかにしよう。
また、前章からのつながりで、日本語は英語に支配されているという見方を検討していく。異なる文化が接触するとき、そこにはまず、言語の問題が立ちあらわれる。
言語接触を通じて、言葉がどのように変容し、生き残り、新たなものになっていくのか。そのあり方からみえてくるのは、その国・地域の文化と社会の特質ではないか。
和製英語は、日本文化と社会の隠れた特質を明らかにするための格好の入り口なのである。 』(以上は”はじめに”より)
『 初めて日本を旅行したとき、「米」について二つの単語が使われていることを発見し、感心させられた。「ごはん」は伝統的な日本語の言葉づかいで、「ライス」は日本語化した英語の外来語である。
私は英単語が日本人の主食に用いられていることに興味をそそられた。この使い分けには理由があるにちがいないと思い、すぐにいくつかの考えが浮かんだ。
第一の仮説は、ライスは外国人と接しているときにだけ使われるのだと思った。しかし、外国人と接していないときでもライスは使われていた。新聞や雑誌によく登場するのである。
第二の仮説は、ライスはカレーライスのような洋食に使われ、ご飯は栗ごはんとか鶏ごはんのような伝統的な日本料理に使われるという説である。
これはおそらく正しいと思われるが、いくつかの例外があることもわかった。ちなみに、ごはんは朝食、昼食、夕食などの食事自体も意味する。
三つ目の仮説は、飲食店のタイプによって異なるというものである。伝統的な日本の飲食店ではごはんが用いられるが、現代的な、あるいは西洋式の飲食店(レストラン)では、ライスが用いられると。
このような傾向はたしかにあったが、必ずしも一貫してはいなかった。ごはんが茶碗で出される一方、ライスが平らな皿で出されるという事実に気づいたとき、私はやっと問題を解決したと思った。
しかし、西洋的な文化変容を経ていない東北地方で見たある広告は、この仮説を否定するものだった。浴衣を着て、茶碗をもった年配の男性が、微笑みながら、「ナイス、ライス」と言っていたのである!
これはたんなる広告だが、家庭でもときとして茶碗にライスを入れ、あるいはお皿にごはんをのせている。
結局、ライスと呼ぶことに規則などないのである。多くの日本人はそのようなことにまったく無関心であるということが私の発見だった。どちらの言葉を使っても、まちがっていることはほとんどないのである。 』
『 いまから千年前、日本の女性は、公に用いられていた中国伝来の漢語を使用することができず、社会的に差別されていた。
しかしこんにち、音楽、詩、ファッションなど芸術分野で日本女性は、日本に流入している英語を幅広く使用している。英語や英語の外来語をかしこく使って言語表現の幅を広げ、新たな力としているのである。
英語の外来語や言いまわしはポピュラーソング、とくに女性によって作詞された歌のなかでたくさん生み出されている。これは偶然のことではない。
日本の女性作詞家はよく、日本語では表現しにくいことを英語で表現する。軽いジョークをはさんだり、独特の音楽的、抒情的雰囲気を醸し出すために、英語を幅広く用いているのだ。
似たような技法は、短歌の世界に新風を吹き込んだ歌人、俵万智にもみられる。彼女の歌集は多くの女性の心をつかみ、ベストセラーになった。女性をターゲットにする広告や雑誌でも、英語が頻繁に使用されている。
つまり、英語や英語の外来語が女性の「新たな声」として、また技法として存在しているのである。
古代・中世を通じて、日本では男性と女性の言葉が大きく異なっていた。男性は読み書きができ、文芸に通じており、漢語を用いて、公の場で書き物をすることができた。
一方、女性は漢語を学ぶことができなかった。女性は土着の、つまり和語を用いて、もっぱら個人的な想いを書くのみであった。
このような分断された言語生活が幸いして、日本女性は当時、世界でも非常にめずらしい、卓越した文学様式を生み出すことになった。
けれども近年まで何百年ものあいだ、文学と詩の正統のスタイルを独占してきたのは男性であり、女性には許されていなかった。周知のように、日本では依然として言語は性によって明確に二分されている。
日本語になかには、女性にはとても使用しづらい言語表現がある。しかし、英語を使用すれば、詩的表現や創造力、また感情表現に可能性を与えることになる。
日本女性は、英語の外来語を使用することのよって社会言語的な拘束を打破し、自らの考えや想いを表現し、「新たな声」を獲得することになるのである。 』
『 農耕民であった大和人は複雑な政治と儀式の形態を有していたようであるが、四〇〇年ごろに中国と政治的・宗教的関りが深まるまでは書き言葉を持たなかった。
仏教が日本に伝わった五三八年ごろに、中国から漢字が日本へ持ち込まれた。当時、日本人は自分たちの文字を持っていなかったので、国家情勢を記録するときは、伝来した漢字を「そのまま」使っていた。
それも歴史的に、一つの漢語が伝来したわけではなかった、中国大陸の東部には中国起源のじつに多くの言語があり、時期も異なるにしても、それらが日本に伝搬してきた。
現在でも、日本の漢字には漢音・呉音・唐宋音といった複数の読みがあるのはそのためである。日本で最初の文字が漢字になった理由は、文化的に進んだ中国から文字を借りることが現実的だったからだろう。
しかし、言語体系がまったく異なる漢語から漢字を借り、日本独自の文字にすることはきわめて難しいことであった。
名詞であれば比較的簡単に借用できるが、和語に特有の助詞や接辞、時制、語尾変化なども漢字で表現しなければならない。
日本語の最初の書き言葉である四五〇〇首ほどの歌をおさめた詩歌集「万葉集」では、漢字は音をあらわすためにのみ使用された。
それゆえ漢字は万葉集の中で、本来の意味が何であれ、音としてのみ使用された。これらは「万葉仮名」として知られて、本来の意味と音のまま使用されるものは少なかった。
それだけに、この歌集を理解するには何世紀もの間、言語学者の力を必要とした。この結果、言語学者アンドリュー・ミラーがいうように、万葉集は美しい表現を備えた作品として尊ばれるようになった。 』
『 こんにちの日本語になかにも、独特の漢字の使われ方が多く残っている。日本で使われている漢字のほとんどは少なくとも二通りの読み方ができ、日常でよく使われる漢字のなかにはもっと多くの読み方ができるものもある。
日本語は、漢字から多くの恩恵をえているといえる。それらは、洗練、博識、学問、教養といったイメージが付与され、英語のなかのラテン語やギリシャ語の働きと似ている。
しかし、万葉仮名はまるで可能なかぎり複雑な書き言葉を創り出そうと、日本人があえて決意して臨んだかのようなところがある。
とはいえ、再びミラーが指摘したことだが、私たち現代人の簡素で実用主義的な考えで、はるか前の時代の文化や異国の文化を理解しようとするのはまちがいであろう。
さて、万葉仮名を創り出したことが独自の日本語の表記を可能にしたわけだが、その後も数世紀にわたり、依然として多くの書物は漢字によって書かれた。
ここで注目したいのは、この言語的発展が女性に与えた影響である。平安時代(七六四~一一九二年)に、二つの新たな文字が生み出された。どちらも万葉仮名の音韻的特徴にもとづく音節文字である。
一つはカタカナである。ある文字の一部が省略されてできた形をしており、それゆえ速記で使われるような働きをした。
また、カタカナは文章を接続する言葉として使用されたり、漢字の読みを示すために使われたりした。今日でも外来語や他国の事物の名を記すためにカタカナを使用するのはここから来ている。
もう一つはひらがなである。万葉仮名の漢字を草書体にした形からできている。カタカナとひらがなはどのように使われたか。この問いに答える前に、二つのことを書き記しておく必要がある。
一つは、当時の日本では庶民には識字能力がなかったということである。複雑な日本語の書き言葉を学ぶ時間があり、またそうしようと考える人間は貴族階級のみであった。
二つめに、当時の日本語の使用法は大まかにいって二通りあったことである。一つは公的機関で用いれれるような、おもに男性によって書かれ、漢字を用いた日本文である。
これらのなかには役所の文書や布告、史書、その他のあらゆる公的文書が含まれていた。もう一つは、ドナルド・キーンが「大和言葉」と表現したものである。
漢語の影響を受ける以前に、大和の人びとが使用していた言語やフレーズがあった。大和言葉は、おそらく当時の話し言葉を反映した書き言葉であろう。
大和言葉で書き記される文字のほとんどがひらがなで、この筆記法は一般的に女性のものであった。
実際にひらがなは「女手」「女文字」などと呼ばれていた。女性にしてみれば、これが自己を表現するための唯一の言葉であった。 』
『 女性が著した書き物(歌、手紙、日記)の多くは、きわめて個人的なことについて書かれたものであった。しかし、これらの書き物から重要な文学的発展が生まれたのである。
「和文」の誕生である。それらは日本語を基礎にした語彙や構文を使用し、ひらがなを用いて書かれた。
このジャンルの文学的発展は、多くが女性の力によるものであり、平安文学に、ひいては世界文学に偉大な貢献をしたのである。「枕草子」「蜻蛉日記」「和泉式部日記」など日本文学のいくつかの大作である。
女性による新たな文学で特に重要なのが、紫式部の「源氏物語」である。散文形式の物語と八〇〇ほどの歌を含んだこの書物は、世界で最初の小説といわれている。
ドナルド・キーンによれば「日本文学の最高傑作であり、出版から現在まで一〇〇〇年ものあいだ、日本人の美学と感情の世界に影響を与え」、「英文学でいえばシェイクスピアのような位置をしめている」という。 』
和製英語の話から平安文学にまで話は広がりましたが、大和言葉の中に漢語をとり入れ、ひらがなを生んだように、日本語の中に英語をとり入れるための創意工夫の余地は、あるような気がします。
日本語をより国際化し、インターネットや科学技術の英語を自在に使える、橋渡しができる和製英語への工夫をする必要があると考えます。(第157回)