156. どこに行ってしまったの !? アジアのゾウたち (新村洋子著 2017年9月)
私がこの本を紹介しますのは、森(熱帯雨林)が地球をつくり、ゾウが森(熱帯雨林)をつくってきたからです。現在地球上には、三種類のゾウがいます。
アジアゾウ、アフリカゾウ、マルミミゾウです。マルミミゾウは、アフリカのアフリカゾウの居住範囲の中心部にすむ、小型のゾウです。アフリカの森(熱帯雨林)の植物は、マルミミゾウによって散布されたものが、多数あるそうです。
ゾウは草食動物なので、頂点捕食者ではありませんが、食べる植物の量とその排出されるフンの量、その賢さからいって、森(熱帯雨林)の頂点に位置する動物です。
ゾウの食事によって、森(熱帯雨林)の代謝が維持されます。森(熱帯雨林)は、地球の肺とも言われています。
地球は、今、森(熱帯雨林)からゾウが消え、地球から、熱帯雨林やサンゴ礁や、マングローブの森が消え、地球の生物環境が消える方へ、私たちは歩いています。
この本での話は、二頭のアジアゾウのお話ですが、そこには私たちの未来を教えてくれているように感じられます。
『 「あ、ここならよい写真が撮れそう」、と車を止めてもらいました。急いでシャターを切っていると、ファインダーの中に突然、ゾウが飛び込んできました。「あっ、ゾウだ」
少女たちの背後にあった農園をゾウが横切ったのでした。あわてた私はドライバーのコンさんに「カメラバッグを取ってきて」と叫びましたが、間に合いません。
手持ちの短いレンズで3枚撮っただけでゾウは視界から消えました。望遠レンズで撮れたらと悔しい思いをしました。
私は近くにいた女性に「いま、ゾウがいましたよね。どこへ行ったのでしょうか」と聞いたら、「そうですか、山へ帰ったんじゃないですか」 「えっ、山ってどこですか?」
突然、目の前に現れさっと姿を消したゾウの姿がまぶたにこびりついていました。女性は「近くにゾウ使いの親方の家があるから、そこへ行って聞いてごらんなさい」と言って家を教えてくれました。
親方の家に行きましたが、家には誰もいませんでした。ドライバーのコンさんが車でゾウが消えたあたりをあちこち探し回ってくれましたが、とうとう人家が消え、森に続く草原に出ましたが見つけることができませんでした。 』
『 最初からコンさんは知っていたかどうかわかりませんが、気がつくと車はヨックドン国立公園のゲート前にいました。事務所でゾウがいるかと聞くと職員の方が、ゾウを見たければ明日の朝早くいらっしゃい、と案内してくれました。っ
早朝、ゾウに会えると期待してヨックドン国立公園のゲートをくぐりました。ヨックドン国立公園の門から管理事務所までの道は未舗装でごつごつしていました。
雨水が溜まってできたと思われる水溜まりでは牛が一頭悠々と水浴びをしていました。私はこの素朴さが大変気に入りました。
職員の出迎えを受け、ゾウ使いのイマさんを紹介されました。公園でのゾウ探しは、イマさんのバイクの後ろに乗ってするというのです。イマさんは30歳代後半くらいの少数民族の男性で、国立公園の職員とのことでした。
ヨックドン国立公園の美しい熱帯の森を15キロは進んだでしょうか、突然、頭上に青空が見える場所に出ました。少数民族の村人が国立公園になる前から耕作している田んぼで、ちょうど稲刈りの終わったときでした。
ゾウ使いのイマさんが「ここで待っていてください」と言い残して森の中に消えました。待つこと30分、イマさんがゾウの背に乗って現れました。2頭の子ゾウを連れていました。大人のゾウの名前はイクーンでした。
このとき出会った2頭の子ゾウとは、その後長くつき合う縁で結ばれていますが、だいぶあとになってからこの子ゾウの名前が、トンガン(銀くん)、トンカム(金くん)ということを知りました。
私が近づいて子ゾウに触ろうとすると、「それ以上近づかないで」と止められました。子ゾウは野生のままなのでなにをするか予想がつかず、危険だからというのです。
その日はそれだけでしたが、子ゾウは私をジッと見つめていました。子ゾウの目には私の姿がやきついたようです。それからというもの、私を警戒する様子は見られませんでした。 』
『 2頭の子ゾウが生まれたのはヨックドンの森ではありません。ヨックドンの森から400キロほど離れたピントゥアン省にあるタイリン山だと聞きました。「百聞は一見にしかず」です。
私は子ゾウたちが生まれたその山の森へ行ってみたくなりました。私がその森へ行きたいと言うと、ゾウ使いのイマさんや国立公園の職員の方が「そこへ行ってももうゾウはいませんよ」と言います。
「ゾウはいなくても行きたいです」 「もう森はないですよ」 「森はなくても行きたいです」という押し問答でした。
とにかく、山の森で何が起こったか、2頭の子ゾウがヨックドン国立公園にきた理由を知るためには現地へ行くしかないと思ったのです。
翌日、コンさんの運転で公園のガイドに同行してもらってタイリン山に向かいました。朝の8時にヨックドン国立公園を出発して7時間、約400キロの道のりを車を走らせて午後3時にタイリン山のふもとに着きました。
タイリン山の周辺には人家はなく、見晴らしのよい丘陵地でした。一面がキャッサバとバナナで、よく手入れされた畑になっていました。
ベトナム戦争で家や職場を失った人びとがこの山に移住して開拓した土地でした。畑ではキャッサバの収穫作業をしていました。
森だった痕跡を探し回ると、直径40センチ以上はある切り株が至る所に残っていました。森を焼き払ったあとに残った灰が切り株の周りに残っていました。
さらに森があったことを証明するものがありました。1メートルほどの川幅でしたが、いまさっき、森の中から流れ出たようにきれいに澄んだ小川でした。
突然、目の前に巨大な岩が現れました。「あ、これぞゾウがすんでいた森の痕跡だ」と一瞬思いました。大岩をとりかこむように数本の大木が残っていました。この巨岩だけは取り除くことができなかったようでした。
私の目の前に現れました。この巨岩をはさんで山に住む野生のゾウとゾウ使いが操るゾウが戦って、山のゾウが負けて公園に連行されるシーンでした。山のゾウと人間に飼いならされたゾウの物語がくり広げられました。
でも、あとになってイマさんに聞いたら「そんなことはしていないよ。麻酔銃で眠らされたゾウたちをトラックまで運ぶ仕事をしただけだよ」と一言で否定されていまいました。
山の森を見たことで、山の森のゾウが消えてしまった状況がおぼろげに見えてきました。 』
『 私がヨックドン国立公園を訪れた前年の2001年のことです。タイリン山では野生のゾウたちが畑に現れ、畑を守ろうとした村人と衝突する事件がありました。
それも8月と10月の2回にわたって起こったのです。その事件で、村人21人が死亡するという痛ましい事故になりました。ゾウの事情からすると森の木が切り倒され、畑にかわってすみ処を失ったことが原因のようでした。
この事件を知ったダクラック省政府は野生ゾウを捕獲して、まだ野生ゾウが生息しているヨックドン国立公園に移住させる決定を下しました。
この捕獲作業には、8人のマレーシアからの技術者、ベトナム人の作業員22人、ヨックドン国立公園の家ゾウ(使役ゾウ)3頭、ゾウ使い3人が動員されました。
山で発見されたゾウ9頭、1頭は隣の山に逃げ、2頭が麻酔銃の事故が原因で死亡、6頭が捕獲されトラックで約400キロ離れたヨックドン国立公園に移送されました。
この6頭のその後ですが、4頭はすぐヨックドンの森の奥深く姿を消しましたが、2頭の子ゾウは群れから離れ、村人の畑に迷い出てしまいました。
私の想像ですが、麻酔銃が原因で死亡した2頭が子ゾウたちの母親だったのではないかと思っています。
2頭の子ゾウは、森から出て村人の畑でトウモロコシを食べているところを村人に発見されました。村人から知らせを受けてイマさんが迎えに行き、2頭はヨックドン国立公園に戻りました。
2頭の子ゾウをどうするかダクラック省政府の方針が決まらず、その間にゾウ使いさんたちがひそかにトンガンとトムカムと名づけてかわいがっていたのです。
子ゾウは、2頭ともオスゾウです。いつ密漁者に牙を狙われて殺されてしまうかわかりません。
しかし、密漁の恐れがあるからといって、野生ゾウを保護下におくにはクリアしなければならないさまざまな難問があります。そんな悲しい物語が進行しているときに、私はトンガンとトムカムに出会ったのでした。 』
『 トンガンとトムカムの話を聞くと、無性に野生ゾウたちに会いたいという気持ちがつのりました。
ハノイ動物園の園長チュック氏に相談したところ、私が熱帯雨林での過酷なキャンプに耐えられるかどうかチェックした上で、ヨックドン国立公園ユン園長から野生ゾウ探しの許可を得てくださいました。
2004年3月、ヨックドンの森の中に入って、野生ゾウに会いに行くことになりました。国立公園の職員の方たちが装備を整えてくださいました。
イムさんはまだ積み込むものがあるからと先に出発し、5キロほど離れた分岐点で合流することになりました。私は分岐点まで歩いていきましたが、イムさんとブンカムは現れませんでした。
なにか突発的なことが起きたのだろうと思い、決められていた野営地までおよそ16キロを歩き通しました。道は小型自動車が通れる整備された道でしたが、途中森林管理の農民3人の自転車隊に会った以外は誰にも会いませんでした。
途中、中小の川は干上がり、林は完全に枯れていました。農民に分担管理させている林は、焼き払ったのか自然発火なのか、すっかり落葉はなくなっていて、灰の下からピンクや黄色のフヨウに似た花が咲いていました。
森林地帯を抜けて疎林地帯に出ると直射日光が肌を刺し、汗と砂ぼこりで化粧が流れ、顔はひどいことになりました。やっとの思いで野営地にたどり着きました。
行く手はセレポック川の支流、ダッケン川で遮られています。乾季でありながら葉をつけた高木の下は涼しく、生き返る思いでした。私が冷たい水を飲んでいる間にブンカムに乗ったイムさんが到着しました。 』
『 イムさんは休むまもなくブンカムの背から荷物を下ろしはじめ、2人の男性が手伝いました。
イムさんはブンカムを水場へ連れていき背中から足までくまなく洗い、自分も一緒に腰まで浸かって水浴びをしていましたが、面倒見のよさには感服しました。ブンカムは、もうすぐ35歳になるメスゾウです。
村のどのゾウ使いにも馴れない暴れゾウで、飼い主が6人も代わり、10歳のときイムさんのところにやってきましたが、イムさんが調教に成功して以降は、ゾウ使いなら誰でも乗れるようになったということでした。
イムさんのゾウの扱い方を観察していると、手鉤が他の人のものとは違っています。手鉤は人それぞれ形が少しずつ違いますが、共通しているのは手鉤の先が尖っていて、その鋭い先でゾウの急所を突き、言うことを聞かせるのです。
でも、イムさんの手鉤の先にはピンポン球くらいの鉄の玉がついていました。ですから、手鉤の先が皮膚に突き刺さることはありません。イムさんは手鉤さえもたずにゾウに乗っていることもありました。
その鉄の玉がついた手鉤は私の家にあります。イムさんから「また、作るからあげる」と記念にいただいたものです。
平日のイムさんの献身的とも言えるブンカムに対する世話ぶりを見ていると、ゾウはゾウ使いの愛情に応えているのだと感じ入りました。
私たちがおやつで一服していてもイムさんは加わりません。かいがいしくブンカムの寝場所作りをしていました。私たちが夕飯を食べはじめる頃、イムさんは両手に葉っぱをたくさん抱えて現れました。
夕飯のメニューを知っていたのでしょう。その木の葉で塩コショウして焼いた豚肉を包むと見事な香りを発し、豚肉の臭み抜きハーブとなりました。
熱帯の森が闇に覆われ、指先さえみえない漆黒の闇になりましたが、焚き火は燃え続け、不安はありませんでした。天窓から見上げた天空にはすばらしい星空がありました。
朝、大変な騒々しさで目を覚ましました。さまざまな鳥の声が熱帯の森から聞こえてきました。姿は見えず、鳥についてのなんの知識もない私は、ただひたすら鳴き声を片仮名で書きとりました。
30種類ほど書きつけて根がつきました。ヨックドン国立公園のユン園長にお聞きしたらヨックドンの森では最大351種の鳥が確認されたが、いまはだいぶ減っているという話でした。 』
この後、ブンカムに乗って、野生のゾウを探しにいくのですが、今回はここまでに致します。ゾウが生きるには、森が必要ですが、人間と共存するためには、ゾウ使いがいなくてはならないようです。
ゾウや馬にかえて、ブルドーザーによって森林伐採をおこなうと、伐採した樹木だけではなく、森林を破壊することになる多くの事例を私たちは見てきました。
豊かな森には、三百数十種もの鳥類が生存し、それらの支える何百種類の樹木、さらには昆虫の生物多様性の豊かな熱帯雨林は、アジアから、地球から、消えないことを祈ってペンをおきます。(第155回)