16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その10)
多国籍企業、市場原理による資本主義では、緑の地球のキャパシティの回復力を超える行為が様々に見られる。私たち人類は、水の惑星地球の緑のオアシスで、250万種とも2千万種とも言われる、生命体に支えられて、生きている。30億年の生命進化によって、現在の緑の地球が存在する。
現在、資本主義は、貨幣(ドル)という尺度によって計られ、資本とはドルのことであると捉えられている。しかし、貨幣とは本来、交易をより便利にするためのもので、緑の地球で、現在と未来に(何百、何千世紀の単位)、人類が豊かに生きるためには、緑の地球のキャパシティの回復力を失ってはならず、人類の本当の資産(資本)の守る必要がある。
人類の真の資産は、緑の地球であり、特に、最大の生物種を有する熱帯雨林、サンゴ礁、マングローブ林、ケンプの森、照葉樹林、水田、小麦の農地、大豆畑、トウモロコシ畑、サバンナ草原、とうとうと流れる豊かな河、美しい湖、針葉樹の森、緑豊かな草原である。
これらの生態系は、それ自体が、生物多様性の共生とバランスによって成り立っているある種の大きな生命体と捉えることができる。これらの緑の地球の資産と共生する新しい資本主義をかたちづくる必要がある。
現在、自然資本主義、知識資本主義などの提案がなされているが、私はあえて、地球資本主義と呼びたい。それは水の惑星地球の真の資産(資本)なくして、ドルはただの紙切れにすぎず、真の資産なくして人類は生存できない。
では、地球資本主義の12の方向性を記述する。
1) 地球資産の持続可能性を重視する
2) 緑の地球と共生するシステムを企業活動の基本とする
3) 生物多様性と多様な価値観を共有する。
4) 企業を株式会社とし、企業活動の透明化、社員持株、市民持株を促進し資本を分散化する
5) 自立した地域分散による地域雇用の場の確保する
6) ボランタリー経済の促進、本当にどのような援助が、どのような人々に必要かを個人やグループが工夫する
7) フェアートレードの促進、生産者と消費者が賢く連携し、より豊かな生活を追求する
8) より繊細なより多様な充実した生活のために、プロシューマ型開発、ロングティルマーケッテング、多品種少量生産をネットワークを駆使して実現する
9) オイルピークをより先に伸ばすために、効率良く、その意味を良く考えて選択をする
10) クリーンテクノロジー、自然界にない化学物質を製造しない、リサイクル可能な循環するシステムとする
11) 生命体の遺伝子をいじくり回さない、あらゆる面で制御不能となることを回避する
12) これまで述べてきたように、生命体を形成する物質は、各生命体を循環し、さらに、ホットスポット内を循環し(食物連鎖を含む)、緑の地球を循環している、これに異物を投入したり、その循環を阻止する行為は、緑の惑星地球の自殺行為であり、人類一人一人の自殺行為である。(第41回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その9)
これまで、「都市、貨幣、帝国主義、資本主義」のことを述べてきたが、エントロピー逆走エンジンと関係ないのではとおもわれたのではないでしょうか。
現状の市場原理による資本主義に於いて、緑の惑星地球のキャパシティをすでに超えていて、これらは、エントロピー逆走エンジンではなく、緑の惑星地球のキャパシティに於けるエントロピー破壊エンジンの域にきている。
農耕による余剰農産物によって、古代都市が生まれ、さらに交易を発展させる貨幣が生まれ、科学の知見に基づいて、石炭の熱エネルギーを動力として、イギリスが産業革命と5大陸に跨る植民地を通して、地球規模の大英帝国を完成した。
アメリカは、独立戦争後、綿花、小麦、トウモロコシの大規模栽培、ゴールドラシュ、オイルラシュ、に加えてリンカーン、カーネギー、エジソン、フォードなどの偉人の努力によって国力を高め、第一次世界大戦を通して、1万機単位の戦闘機群の軍事力によって、優位に立った。
さらには第2次世界大戦後、ソ連との軍拡競争を制し、アメリカ資本主義を完成し、さらには、世界通貨としてのドル、コンピュータネットワークでのアメリカ企業群の圧倒的優位に加えて、ネットワーク言語、世界言語としての英語言語帝国主義、さらにはイラク戦争によって、アメリカ資本主義(帝国主義)、多国籍企業、ウオール街の企業が大きな力を持つにいたった。
これらの大きな力は、自然界に於けるエントロピー逆走エンジンとそのベクトルを異にする。自然界に於けるそれは、生命体を構成する物資が、各生命体を循環し、地球を循環するための、エントロピー逆走エンジンある。それとは異なり、多国籍企業、ウオール街の企業の持つ力は、緑の惑星地球のキャパシティを破壊するベクトルを持っている。
第1次世界大戦までは、軍艦や大砲が世界の海を駆け回っても、緑の惑星地球のキャパシティに吸収され、あたかも、緑の惑星地球のキャパシティは無限のように、感じられた。しかし、第2次世界大戦の原子爆弾、ベトナム戦争の枯葉剤、無数の地雷、環境ホルモン(沈黙の春)、フロンによるオゾン層の破壊などの例をあげるまでもなく、緑の惑星地球のキャパシティを破壊へのエントロピー逆走エンジンとしての危険性を持っている。(第40回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その8)
アメリカ資本主義に於いて頭角を現した、多国籍企業について、考察する。
私の多国籍企業の定義について
(1) 地球上の特定分野の資源(農地、栽培作物を含む)を占有し、加工、販売の優位性を確保する企業
(2) 特定の分野で高度な技術と多くの資本を必要とするため、新規参入が困難であり、優位性を確保する企業
(3) 多くの資金と高収益企業群を所有しているため、優位性を確保する企業
(4) ある分野について、崇高な権威を保有しているため、その分野での独占的立場を有する組織
最後の(4)の定義は、多国籍企業の定義では、必ずしもないが、例えば、大英帝国時代のイギリス王室、バチカン市国、IOC国際オリンピック委員会、FIFA(国際サッカー連盟)、IMF(世界銀行)など、大きな影響力を持つ。
次にいくつかの例によって、上記の定義を検証してゆく。
1)ダイタモンドのシンジケート
世界のダイヤモンドは、南アフリカ、オーストラリア、ソ連などの限られた所に資源が存在するため、ダイヤモンド鉱山、加工技術、販売権を占有するため、優位な企業。(人工ダイヤモンドは、現在も工業用のみ生産可能)
2)石油メジャー
石油資源は、豊富な国とほとんど産出しない国に分かれ、石油の鉱区は、砂漠、海上、極寒の地下数千mに存在するため、採掘、運搬、精製、販売に、高度の技術と資本を必要とするため、数社の石油メジャーによって、占有されている。
また、サウジアラビアの王室、ガスプロム(ロシア)は、石油鉱区の所有と開発によってその優位性を確保する。
3) 種子メジャー
種子メジャーは、主要農産物の種子を販売する。トウモロコシの種子は、現在最も優良な種子は、形質のまったく異なる2つの品種を賭け合わせた1代雑種である。単に2つの種子を交互に植えても、一代雑種の種子は、僅かな歩留まりでしか出来ず、それも実際に植えてはじめて、わかる。
そのため、一代雑種の種子の母方の種子は、雄性不稔(ミトコンドリア遺伝子の異常)の形質を遺伝子組換えによって、創る。そして父方の種子と畝別に育てる。これにより、父方の雄しべの花粉が、母方の雌しべに到達し、一代雑種の種子ができる。ここで一番大切な資源は、父方、母方の原種の確保をすることであり、通常のトウモロコシ農家では、種子は買うという選択肢しか存在しない。
4) 医薬品企業
医薬品は、医療技術、有機合成化学、厚生行政の許認可、企業の研究機関、大学、政府の研究機関が、多額の研究費と人材、臨床試験を経て、新薬が実用化され、世界の製薬会社が激しい開発競争を戦ている。ここで医薬品メジャーは、より優れたデータと過去の経験、許認可の人脈などを有する。
5) コンピュータネットワーク企業
コンピュータのマイクロプロセッサーは、集積回路の中に高度な技術とO/Sとのプロトコル有し、インテルのほぼ独走であり、O/Sはマイクロソフト、ルータはシスコ、検索ネットワークはグーグル、端末はアップル、使用言語は英語帝国主義であり、すべてアメリカ企業であり、さらには、コンピュータは、デル、IBM,プリンターはヒューレットパッカードと、この分野では、アメリカ帝国主義の様相を呈している。
5) ジェット戦闘機
この分野は、ジェット機の戦闘機能が優位なもので、より多くの受注台数を確保したものが、優位に立つ、第2次世界大戦で優位にたった米国とソ連は、ミサイル、ジェット戦闘機、原子爆弾でそれぞれ優位を争った。現在は、ロッキド・マーティン社が1歩リードしている。
金融は、ロスチャイルドの家、ロックフェラー家は、IMFとの関連など、多くの高収益企業でその影響力で持つ。さらには、穀物メジャー、農薬メジャー、アグリビジネス多国籍企業、ロシア、中国の企業も多国籍企業として、頭角を現している。(第39回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その7)
1849年にカルホルニアの「ゴールドラシュ」が始まり、1859年ペンシルバニア西部で石油が発見され「オイルラシュ」が始まり、ジョン・ロックフェラーは、1865年に製油所、パイプライン、油井を購入して、スタンダードオイルを設立した。(後にエクソン・モービルとシェブロンに分離した)
このように、アメリカの綿花栽培、小麦栽培、とうもろこし栽培を大規模耕作し、木材、石炭、鉄鉱石、金、石油など豊富な資源にめぐまれて、食料、工業原料の基盤ができた。
1880年には、トーマス・エジソンが、白熱電灯、発電、配電、ソケットの会社を設立し、GEに吸収された。1883年にエジソンの弟子のニコラ・テスラは電動モータの特許を取り、ウェステングハウス社によって実用化された。電動モーターは、小型から大型まで、容易に動力源を工場内のあらゆる所で供給できた。
1908年にヘンリーフォードは、製造ラインの互換性のある部品を採用して、T型フォードを生産し、年間の生産台数は1万台を超え、自動車の大衆化を実現した。自動車工業は、工作機械を発達させ、人工砥料による研削加工によって、内燃機関のシリンダーの精度を上げ、高速度工具鋼によって切削速度を4倍にした。
自動車工業は、タイヤに使用するゴムの需要を作り、燃料となる石油精製工業を発展させた。
1930年代から1938年までに、戦闘機が産・学・軍によって戦闘機を1千機ほど生産された。
1939年から1945年までに10万機以上が、陸軍、海軍に投入された。
第2次世界大戦後は、アメリカの軍事力は、イギリスを上回り、米ドル金為替本位制を中心としたIMF体制に移行し、アメリカは世界一の金保有を誇ったので、ドルは世界通貨となった。さらにアメリカは、大学、研究所、NASA,ペンタゴンを充実させ、世界の人材を結集し、ソ連との軍拡、宇宙開発を制し、ベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の分裂によって、アメリカ資本主義は、ほぼ完成した。
資本主義は、株式会社に代表される企業活動によって、資源、科学技術、資本、人材によって、製品を生産し、市場に供給し、利益を得る。企業は、競争原理によって、市場に於いて、優位に立ったものが、より大きな利益を得てさらに発展する。このためアメリカ型資本主義に於いては、頭角を現したのが、多国籍企業である。
アメリカ資本主義は、アメリカ軍と多国籍企業とウオール街企業によって、エントロピーにさらに逆走(暴走)する手段を手にした。(第38回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その6)
イギリスは、ワットの蒸気機関、自動織機による綿糸布の生産拡大、コークスによる銑鉄の生産性の向上、金融市場の発達、鉄道、工場、運河が建設され、海軍力の増強、植民地経営によって、大英帝国は完成した。
この大英帝国を第一次世界大戦(1914~1918年)まで、イギリスは、海軍力、および世界通貨としてのポンドの時代であった。この大英帝国を第2次世界大戦(1936~1941年)の後、アメリカ資本主義の飛躍的発展により、世界通貨はドル移行するが、何が、その要因を構成するのかをここで考察する。
それは、アメリカの独立戦争(1783年)の後から、第2次世界大戦(1941年)後の150年の間にほぼ達成した。独立戦争後、新政府は強い財産権と固定されない階級構造を造った。
合衆国憲法第1条第8節に「一定期間、著者と発明者にその著作や発見について排他的権利を与えることで、科学と有益な芸術の発展を促進する」とした。
1800年にエバンスが最初の高圧蒸気機関の一つを開発し、製造と修理を行う全米へのネットワークを作った。イーラィ・ホイットニーは、短繊維の綿花の種を綿の繊維から取り除く機械を開発し、必要な労力を50分の1にさせ、南部の綿花生産者の巨大な利益を生んだ。
つぎに、ホイットニーは、政府との契約で、マスケット銃を部品を正確で均一なものとし、部品の互換性を確立した。(大きな市場を背景に、部品の互換性と販売、修理のネットワークによって、さらにはT型フォードのシステム(1908年)までの芽が存在している)
1798年にシメオン・ノースがフライス盤を開発し、1819年トマス・ブランチャードが旋盤を開発し、1808年に有料道路と運河の建設を始めた。南北戦争戦争(1861~1865年)後の時代は、工業化の程度と範囲が急速に拡がり、それに付帯して、鉄道、電信・電話、内燃機関の技術の進歩が起こった。
1840年~1860年にかけて鉄道は、5,320kmから49,000kmまで伸び、1920年までには、406,000kmになり、かつ標準軌道となった。
18世紀に蒸気機関や鉄道および銃などの技術革新が鍛鉄と鋼の需要を高めた。
1850年に「ケリー=ベッセンマー法」によって、溶融鉄に空気を吹き込む方法を開発し、その温度を上げて不純物を取り出すことを容易にした。それによって、鋼価格を劇的に下げた。
1868年アンドリュー・カーネギーはケリー=ベッセマー法と新しいコークス製造法を統合し、鉄道幹線が集まるペンシルベニア・ブラドックに製鉄所を造って、石炭、鉄鉱石を運河と鉄道で運んで垂直統合した、カーネギー製鋼会社は、イギリス一国よりも多くの鋼を生産し、レールを鉄道で輸送し、さらに鉄道は延びた。(ウィキペディア アメリカ合衆国の技術と産業の歴史)(第37回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その5)
エネルギーは、より均一な、すなわちエントロピー増大 ΔS=dq/Tに向かうが、貨幣の流れは、より多くの財のある方に流れる。一つは、貨幣を貸すと利息が付き、米国の5%の高額所得者の所得は、より高い伸びとなっている。
人類は、火をコントロールすることによって、他の動物と比べて優位に立った。紀元前12世紀に鉄器を持った国家と持たないものとは、勝負は明らかである。産業革命で蒸気船と大砲を持った国と持たない国では、持った国が優位である。
イギリスは、産業革命以後、海軍力、綿糸布、製鉄製鋼の輸出、更に東インド会社をはじめとする植民地経営によって、大英帝国を築き上げた。イギリス資本市場の発達は、17世紀に始まり、18世紀に本格化し、19世紀に全面開花する。
ワットとボルトンの蒸気機関が製造業と輸送業の変貌をもたらし、運河や鉄道、蒸気機関で動く工場といった新発明の建設は、どれも巨額の資本を吸収していった。イギリスの紡績工場にある自動織機の数は、1813年から1850年の間に100倍に増え、銑鉄の生産量は、1806年から1873年までの間に30倍以上増えている。
イギリスの資本は、イギリス国内あよびヨーロッパ諸国の鉄道、工場、運河の建設のためだけでなく、勢いよく発展しているものの現金が不足している旧植民地にも注がれた。パジョットは、1873年の主だった金融都市の資金量を表にしている。
ロンドン:1億2千万ポンド、パリ:1300万ポンド、ニューヨーク:4千万ポンド、ドイツ帝国:800万ポンド。
この表で最も衝撃的なのは、当時イギリスのGDPはフランスのそれよりも28%大きいだけだったにもかかわらず、ロンドンとパリの金融市場の規模に、9倍もの開が存在したという点である。しかも、イギリスはロンドン以外にも活発な金融市場をもっていたが、フランスの地方都市に於ける金融活動は無視できる程度のものでしかなかった。ではなぜ、フランスでは、金融市場がこれほどに小規模だったのだろうか。
もちろん、銀行預金は金融市場の厳密な尺度ではないが、フランスやドイツでは、銀行の外にたっぷりと現金が存在するが、だが、その現金は、いわゆる「金融市場資金」ではない。利用出来ないお金なのである。100万ポンドが一人の銀行家の手にあれば、それは強大な力となるだろう。
借り手は銀行家が100万ポンドを持っていると知っていれば、銀行家のもとをおとずれる。だが同じ100万ポンドが国中に10ポンド、50ポンドと細分されてちらばっており、金がどこにあるか、あるいは誰に頼めば貸してくれるのか、誰も解らないのであれば、そこにはいかなる力も生じない。(「豊かさ」の誕生 ウィリアム・バーンスタイン)(第36回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その4)
すなわち、メソポタミア文明に於いては、小麦が何袋、牛が何頭、銀が何グラムという形で、財を表していたものが、都市国家アテナイに於いては、銀貨の単位であるドラクマによって、すべての財を表示し、すべてのものを銀貨の単位で、表現することが可能になった。
これによって銀貨は、都市国家アテナイの活動の血液としての地位を獲得した。さらに銅貨が発行されることによって、少額の取引も対応可能とした。
17世紀には、手形や預金の受取証としての銀行券が発行された。そして国家の中央銀行としての紙幣が発行されるようになった。基本的に、紙幣は要求に応じて、金貨、銀貨に交換可能であった。
産業革命と植民地経営により、大英帝国のポンドが世界通貨としての地位を確立し、世界の交易はポンドを基準とし、銀行業、保険業によって、ポンドの地位は確立した。
第2次世界大戦以後、大英帝国のポンドに代わって、ドルが世界通貨としての役割を果たすようになったが、1971年米国大統領ニクソンは、ドル防衛策として、金との交換を停止した。ドルが金から離れて、自由度は確保したが、危険性は孕んでいる。
例えば、サブプライムローンに於いては、世界経済の拡大に寄与したが、価値の低いソザツな住宅を、支払い能力のない市民に売り、住宅ローンを債券化し、多くの住宅債券を混ぜ入れ、その所在を不明確にし、利息だけを一人歩きさせ、格付け会社と組んで、ヨーロッパと日本の金融機関に売り抜けた。
それらの金融機関は、住宅の一つも査定することなく、その利率を買い、大きな損失を被った。貨幣は贋金と発行元である銀行、保険会社の倒産というジレンマを抱えている。しかしながら、人類は紙幣、債権、先物取引、スワップ取引、オプション取引によって、エントロピーに逆走する更なる可能性を手にした。(第35回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その3)
都市の要素として、余剰農産物と交易が挙げられる。交易の仲介媒体として、価値の質の高いもの、普遍性の高い物として、金、銀、宝石、貝、毛皮、布などであり、単位容積当たりの価値の高いものは、交換の手段として使用された。
エントロピーは、エネルギーの質を表し、貨幣的なものは、価値の質を表す。この貨幣的なものは、よりエントロピーに逆走して、それらは価値あるものとして存在している。
例えば、金は、川底に砂金として1g未満の形で、砂に紛れて分散して存在するので、川底の砂を砂金板に乗せ、注意深く砂をゆすりながら、砂を水に流しながら、残った砂の中にあるかなしやの砂金粒を、多くの人工を動員して、十数gにまとめ、権威の象徴する芸術的なデザインを刻印して金貨は造られる。
従って、金貨は価値を高めるために、エントロピーに逆走した結果でもある。紀元前24世紀のハンムラビ法典には、銀によって支払うことが明記されており、メソポタミア文明は古代銀本位体制によって、余剰農産物を始めとして、交易を支えていた。交易に於いて銀を仲介媒体とすることによって、交易の巾と交易ルートの長さを拡大し、交易の回転率の向上に寄与し、メソポタミア文明が発展し、多くのものを歴史に残した。
紀元前7世紀のエジプトに於いて、金と銀の自然合金であるエレクトロンに、ライオンのデザインを刻印した金貨が造られている。しかしながら、エレクトロンは非常に貴重でありすぎるために、貨幣としての利便性は持ち合わせていなかった。
紀元前6世紀末にギリシャの都市アテナイ、エギナ島のように強い「交易バランス」に恵まれた都市国家によって、銀貨が製造され、この2つの都市の銀貨は国際通貨となり、地中海の多くの地域でこれらの銀貨が発見せれている。
銀貨は、以前の金貨に比べるとその価値は低いが、その品質及び重さが一定であり、都市国家が、国家の象徴をデザインして刻印することによって、4ドラクマ銀貨は造られた。(これによって、重量を計ることも、斧で削って品質を確かめる必要もなくなった)
その銀貨は、その地金の価値よりも、高い価値を生み出し、銀貨を製造することによって、アテナイは財政的利益を得て、発展に寄与し哲学や概念を生み出した。そして周辺諸国は、その銀貨によって、都市国家で交易されるあらゆるものに、いつでも、交換可能であることによって、銀貨を蓄積し、未来に対する可能性を計画することが可能になった。
それによって、この銀貨の単位によって、資財帳、会計簿、税金を記述するが可能となった。(お金の歴史全書 ジョナサン・ウィリアムズ)(第34回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その2)
文明に寄与した、歴史上の8都市を分析し、都市のあるべき条件を考察する。
1) シュメールの都市(ウル、マリ、ウルク) 前頁参照(都市の誕生、農業、鉄、数学、文字の誕生)
2) ギリシャ文明の都市(アテナイ) 哲学、概念
3) 唐の都(長安) 仏教文化、国際都市、シルクロードの東端
4) サッサン朝ペルシャ(ペルセポス) ペルシャ文明、シルクロードの西端
5) 天平文化の奈良(平城京) 仏教美術、木造建築
6) ルネッサンスのイタリア(フェレンッエ) キリスト教美術、バロック音楽
7) 印象派の画家の町(パリ) 印象派の絵画
8) 大英帝国(ロンドン) 蒸気機関、微分積分、大英博物館
都市は文明に寄与し、市民の能力を発揮させ、近隣の地域、交易相手にも、利益のなることが望ましい。強大な略奪都市では、意味なく、単に人口が多いだけでも都市とは言えない。(私の定義)
都市の条件
1) 余剰農産物(穀物)により、「食料生産活動」以外の仕事に専念する集団を支えられること
2) 交易が盛んであり、周辺諸国から、多様な物資、情報、人々が流入すること
3) 都市住民の活動の自由度が確保されて、政治的、軍事的に安定していること
4) 寺院、教会、市場、大学、サロン、広場などの核となる施設があり、オープンマインドであること
5) 衛生面での配慮がなされ、周辺に豊かな自然が存在し、市民の飲水と食料と燃料が確保されていること
6) 河川や海(湾)に面し、交通の要衝であり、より遠方のルートから産物を運び込まれること
7) 都市に新しい文化の波があり、市民に活気があり、職業的技術の向上、市民間の活発なコミニケーションがあること
8) 周辺の過去の文化を学習する意欲があるリーダーがいること
先の8つの都市は、都市の条件を満足していると考えられます。優れた人物も優れた都市によって、生まれる。熱帯雨林は生物多様性によって、エントロピーに逆走したように、都市の活性化によって、市民はエントロピーに逆走する文化を創造する。(第33回)
16.4 都市、貨幣、帝国主義、資本主義(その1)
人類最初の都市は、メソポタミアのシュメール文明(前3500~1800年)の諸都市である。灌漑農耕によって、大麦、小麦などの穀物、野菜や果物の生産が高まり、山羊や羊の牧畜も行われ、余剰農産物を生み、都市人口を支えることが可能となった。
シュメール時代最盛期のウルのジュクラット神殿は、3層の城壁の囲まれた南北1030m、東西690mの都市で、神殿、王宮と王墓、住宅地の遺構で、この都市には、3万4千人が暮し、神官、書記、宝石、木材の加工技術者たちで、「食料生産活動」に直接関わらない人々だった。
さらに、植民地を各地に持ち、出先機関を置いていた。こうした交易などの経済活動、また神殿への奉納など富みの管理の必要性から、それまでのトークンだけでは補えず、楔形文字、数字、60進法、土木技術、青銅器、鉄器を発明した。
シュメール文明の繁栄を伝える「ウルの秘宝」の出土品の中に、紺碧に輝く石、ラピスラズリがあった。この石はアフガニスタンの最北のパダクシン渓谷が古い鉱脈でウルから3千キロも離れている。このことは遠大な交易路がすでに完成していたことを意味する。
京大の前川和也が大英博物館に20年足を運び楔形文字を解読し不思議な事実を発見した。紀元前2350~2100年にかけて、シュメールの都市国家の1つラガシュで1h当たりの麦の収穫量が4割減っているのだ。もう一つ不思議な現象は麦の生産高のうち小麦の収量が激減しているのである。
シュメール初期は二割が小麦であったが、末期になると2%まで減少している。収穫高の減少と小麦から大麦への転換。この二つの不可解な変化の原因を、前川教授は西アジアの乾燥地帯に特有な自然現象「塩害」に求めた。また小麦と大麦を比べると、小麦は塩害に非常に弱く、大麦は比較的強い。従って、二つの現象は塩害によって説明される。
この4千5百年前の現象は、今世紀にナイル川にアスワンハイダムを建設し、ナイルデルタの灌漑によって豊かに実った小麦が、3,4十年の後に塩害によって耕作不能に陥ているのは、考えさせられる。(四大文明 メソポタミア 松本建)
イギリスの歴史家ギボンは、「文明がその頂点にあるとき、すでにその滅亡の種子が芽生えている」と書き残している。シュメールの都市は、我々に多くのものを残し、我々がエントロピーに逆走する多くの手段を与えた、非常に賢い人々であったが、灌漑とレバノン杉などの伐採によって、砂漠化と塩害によって、メソポタミア文明も衰退した。(第32回)