概念アラカルト(その4) 概念研究家 五十嵐玲二談
17. 資本主義 キャピタリズム (capitalism)
capital (資本)+-ism = 資本主義
資本主義を辞書で引いても、資本主義を理解するのは、むずかしいと私は感じました。それで私が考えた方法は、もっとも資本主義の根幹をなすもは何か。
それを提示することによって、資本主義とはの輪郭が浮かび上がると考えました。私が考える資本主義の根幹をなすものは、結論から言いますと、お金(資本)と株式会社と商品(サービス)と信用です。
資本主義の社会は、基本的に株式会社(個人でも有限会社でも構いません)によって、商品、サービスを提供し、利益(お金、資本)を得ることによって成り立ちます。
この時、株式会社は、社会が必要とするものを的確に提供して、利益と社会的信用を獲得して、資本主義社会の機能の一端を分担します。
資本主義は資本(お金、利益)を中心にした社会活動ですが、ここでもっとも重要な要素は信用です。例えば、国家が発行した紙幣に対する信用、取引に関する様々な信用、商品やサービスに対する安全性や信頼がなければ、すべては崩壊します。
企業が株式会社であり、上場されることによって、その企業活動の透明性が高まり、社会的信用も向上します。
国家は、軍備を持ったり、インフラを整備したり、都市の安全を守ったりしすが、それらは、企業や個人に経済活動の基盤に於いて、徴収さた税によって賄われたものです。
したがって、私は、資本主義の根幹は、すぐれた上場企業の活動と信用であると確信しております。
(18) 進化論 (the theory of evolution) (進化論を説明する前に)
進化論を説明する前に、私と進化論のかかわりを説明いたします、従って、この部分は飛ばして結構です。次の(19)で本題に入ります。
私は、進化論を知るには、ダーウィンの名著「種の起源」を読めば解かるだろうと考え読んでみました。でも私にはそんな名著どころかむしろ退屈な読みものでした。
ダーウィンの「種の起源」は、15の章からなり、480ページほどの本です。第1章 飼育下での変異 第2章 自然下での変異 第3章 生存競争 第4章 自然淘汰、すなわち最適者の生存 第5章 変異の法則 第6章 この理論の難点 第7章 自然淘汰の理論に対する種々の反論 第8章 本能 第9章 雑種性 …… 。
ダーウィンが、種の変異について考えるきっかけとなったのは、博物学者として、イギリス軍艦「ビーグル」(Beagle)に乗って、世界一周の旅に出て世界の動植物を観察したことが大きいと考えられます。
世界一周の旅は、ダーウィンが23歳の1931年十月(出発は、12月)から、1935年十月の丸4年の期間であった。その後ダーウィンは、長い研究の後、1959年51歳のとき、種の起源を発表した。(私たちが目にするのは、1872年に発表された第6版です)
ダーウィンのことを知るには、「ダーウィン伝」 (駒井卓著 昭和7年発行)に詳しく興味深く書かれています。
ダーウィンは種についての、種内での変異について深く考察し、自然淘汰と最適者生存に到達しました。進化論は最初、あくまでも生物分類の延長線のものでした。
しかし、生命科学の発展の中で、特に遺伝子に関する知見が明らかになった現在では、生命の誕生から、革命的進化についても、進化論はその任を担ってます。
本ブログでも、取り上げましたニック・レーンの「生命の飛躍」(ブックハンター78.)に書かれています。
「生命の飛躍」は、十の章で書かれてます。それは、生命の誕生、DNA、光合成、複雑な細胞、有性生殖、運動、視覚、温血性、意識、死の十章です。
私が、生命進化についてもっともわかりやすいと感じたものは、本ブログでも取り上げました、石城謙吉著の「たぬきの冬」(ブックハンター74.)の中での進化論についての部分です。
石城謙吉はおそらく生物進化について、何百、何千という書物を読んで、自分でイワナや鳥類やエゾタヌキについて観察し、考察した結果到達した結論だと思います。
では私と一緒に、生物進化の深い森に足を踏み入れてみましょう。
(19) 進化論 (the theory of evolution) (たぬきの冬 石城謙吉著 1981年発行より)
『 生物の世界の体系的把握の試みは、遠くギリシャ時代にさかのぼることができる。
紀元前四世紀のギリシャ最大の哲学者の一人アリストテレスは、本質的に性質が似ている個体の集まりを種(eidos)とし、また互いに似た種の集まりを属(genus)として、五百種類の動物の記載を行なっている。
しかし、広汎な生物界の分類という壮大な仕事に挑み、はじめて大きな仕事をなしとげたのは、十八世紀のスウェーデンの偉大な博物学者C.リンネである。
彼は大著「自然の体系」(Systema Naturae)と「植物の種」(Species Plantrum)によって、一万種を超える動植物の記載を行なうとともに、界、綱、目、属の分類段階を採用してこれらを整理した。
つまり、生物のもつ普遍性と独自性をこれらの諸段階でとりあつかうことによって、彼は複雑きわまりない生物の世界を把握しようとしたのである。
だが、その後さまざまな分野での分類の仕事が進み、資料の集積が行われるにつれて明らかになってきたのは、あまりにも多様で普遍的な種内変異の実態であった。
その結果、分類学者たちは、種が全生物界を組織しているという見方を捨てるか、それとも種内の多様性を許容して認めるかの選択を迫られることになった。 』
『 生物学は種内変異の問題を直視せざるを得なくなってきたのである。そこで、この変異性の問題に真向から取り組んだのが、十九世紀のC・ダーウィンであった。
彼はリンネとは逆に、変異性をあらゆる生物が持つ、もっとも重要な属性のひとつととらえ、この変異性とそこに働く生存競争をもとにしてこの選択(淘汰)が、生物に進化をもたらしてきたのだと考えた。これが彼の自然淘汰説である。
生物の種が均質であるとともに恒久的なものであると考え、だからエホバの神が造り給うだけの数の種が存在するとリンネは考えていた。
それとは逆に、ダーウィンは生命の種は基本的に不均一なものであると考え、そしてそれゆえに、少数の下等な生物から多数の高等な生物へと進化してきたと考えたのである。
彼の進化論は、生物進化の基本単位をあくまでも種におくところから構築されたものであった。ところが、その種の輪郭がぼやけていて、そのはしはしで他の種に連続しているように見える。
このことは、彼にとって、けっして喜ばしいことではなかったのではないかと思われる。
生物の種が分類の便宜のための人間の思惟の産物ではなく、実在する生物界の構成単位であり、しかも多様な変異を内包しつつも明瞭な輪郭をもって互いに接し合っているものである。 』
『 このことを、形態面だけでなく生態や生理や遺伝などの面をもふまえて論ずる生物学が現れてきたのは、一九四〇年代にはいってからのことである。
アメリカの鳥学者マイヤーは、さまざまな鳥の種類がみなそれぞれに分布の限界をもっていて、いつとはなしに他の類縁種に移行しているようなことは実際にはほとんど見られないことに気づいた。
このことから彼は、生物の種が明瞭な輪郭をもって自然界に存在するものであり、類縁種は互いに隔離の機構によって独立してると主張した。
隔離とは、近縁な生物の集団がお互いに交配されることのない別々の繁殖集団に分かれることである。
この隔離には異所的隔離、つまり集団が互いに隔たった地理的分布域をもつことによる隔離と同所的隔離、すなわちお互いに同じ地域内に住みながらいろいろな機構によって交雑が妨げられるものとがある。 』 (第四回)