138. 米中神経戦切り札はトランプにあり (ティム・マーシャル著 文芸春秋2017年6月号)
本記事は、”特集” ”朝鮮半島クライシス” での ”米中神経戦切り札はトランプにあり” のインタビュー記事です。
平和の反対側に戦争・紛争があります。憲法九条だけで、平和を考えていければ、ハッピーですが、平和の反対側の戦争や紛争や様々な武器や核や、神経ガスなどを含めて、本当の平和が考えられます。
著者の地政学によって、米国、中国、ロシア、インド、EUなどの力関係を頭に入れて、世界情勢のニュースを聞くのと、知ることなく世界の平和を考えるのでは、その方向性に大きく違いが生じるのではないでしょうか。
ここで述べている地政学は、私でも抵抗なく、理解できます。では、いっしょに読んでいきましょう。
『 イギリスで出版され、ベストセラーになった「恐怖の地政学——地図・地形でわかる戦争・紛争の構図」が、ドイツ語、スペイン語、中国語などに翻訳されて世界中で話題を呼んでいる。
昨年十一月に刊行された日本語版も既に七刷りまで版を重ねた。著者はティム・マーシャル氏(57)。コソボ紛争、アフガニスタン侵攻、アラブの春の騒乱、米大統領選など三十ヵ国以上の紛争地域や国際ニュースの現場に身を置いてきたジャーナリストだ。
トランプ大統領誕生後の世界をどのように解釈し、理解すべきか、多くの人が悩んでいます。トランプについてまず言えることは、彼が次に何をするか、誰にもわからないということでしょう。
彼はおそらく、意識的に予見できない状況を作り出している。結果として、彼が支配する「トランプ・ワールド」では、過剰なまでの予測合戦が起こっていて、「こうなるかも」 「ああなるかも」と、四六時中、人々は彼の次の一手を予測することに明け暮れています。
世界の情勢を見通すことが困難な時代だからこそ、私の本が各国で注目されているのだと思います。地政学とは、国際情勢を理解するために地理的要因に注目する学問です。
山脈がここに存在するから、大河がそこを流れているから、砂嵐が止まらないから——このような地形や気候の条件が、意思決定者の選択肢を規定しているからです。
まだ二十代の駆け出しのジャーナリストとしてバルカン諸国を取材していた頃、私は地理や地形が、主要な政治や軍事の戦略を規定していることを、身をもって学びました。
ベオグラードでセルビア人の友人から「セルビア軍は山岳地帯をどう防御するのか」 「NATO(北大西洋条約機構)はどこまで進軍するのか」 について、地図を広げながら解説してもらうと、ブリュッセルの広報機関が公表している以上にNATOの選択肢が限定的であることがわかりました。
このことを、以後、あらゆる紛争地帯を取材する際に肝に命じています。 』
『 四月六日、アメリカは地中海に展開していた海軍駆逐艦からシリアの軍事施設を空爆しました。米国がシリアを直接攻撃したのは、初めてのことです。
今回のシリア空爆を、どう分析すべきでしょうか。そのためには、まずアメリカという国を地政学的に正しく理解しておく必要があります。
「アメリカ衰退論」とでも呼ぶべき言説は、三十年以上前からありました。世界情勢を語る際に 「二十世紀はアメリカの世紀だったが、もはや……」 という枕詞でアメリカの将来を悲観的に語る言説です。
でも実際は、二十一世紀の現在も「アメリカの世紀」であることに何ら変化はありません。実はこれは地政学的には当然の話です。アメリカは、地形によって運命づけられた「史上最強の国」だからです。
確かにオバマ政権の八年間は、アメリカの国力が減退した印象を与えたかもしれません。今後、トランプ政権でどうなるかも分かりません。しかし、大統領が誰であろうと、アメリカの位置は変わりません。
宝くじが当たり、どこの国でも買えるほどの富を手にしたとしましょう。私が不動産業者なら、真っ先に勧めるのはアメリカです。アメリカは東海岸から西海岸まで約五千キロも離れていますが、そこに存在する五十の州は、EUとは違い、一つの国としてまとまっています。
敵が攻めてくるのであれば北か南からでしょうが、北にはカナダがある。カナダとアメリカは非常に密接な経済パートナーであり、二国の間は世界最長の非武装国境です。
カナダ南西部の砂漠地帯も、敵の侵入を拒むはずです。一方、南のメキシコも、トランプが建設を狙う「国境の壁」がどうなるかはさておき、関係は深く、広大な国土を持っています。
敵国がメキシコを通過してアメリカを攻めようとすれば、気が遠くなるほど長い兵站線が必要になるでしょう。東西南北を広大な海岸と、比較的友好関係にある隣国に接していることが、アメリカの「戦略的深み」となっています。
地政学的に見たアメリカは、外部からの侵攻が不可能に近い、難攻不落の地なのです。さらに言えば、アメリカのことを知るためには、アメリカ大陸の地図だけを引っぱり出してきてもダメです。
世界地図を眺めなければ意味がありません。アメリカは、日本の沖縄やペルシャ湾、地中海など、世界各地に何百という軍事基地を持っています。こうしたすべてを把握して、初めて「本当の国力」が浮かび上がってきます。 』
『 今回のシリア空爆が長期的戦略に欠けた、反射的で浅はかな行動だったという批判はよく聞かれます。私は、この空爆は後世の歴史書に残るような「ゲーム・チェンジャー」(局面の大転換)ではないと考えています。
アメリカにとって、シリアは、存亡を左右する存在ではないからです。だからこそ、オバマ大統領は在任中、アサド政権の化学兵器使用を目の当たりにしても、シリア情勢を成り行きに任せてきました。
今回の空爆も、中東全体を見据えた長期的戦略ではなく、あくまで短期的戦術として捉えるべきでしょう。ただ、そこには三つの、決して小さくない成果がありました。
第一に、ここ攻撃によってトランプは、大統領就任から百日以内に全世界に米軍の展開能力を誇示することに成功しました。同時に、化学兵器を使用したアサド政権に対して、「何らかの措置がとられるべきだ」という世論の期待に応えました。
第二に、大統領選の最中から「トランプはロシアと結託しているに違いない」と騒ぎ立てている人々に対して「私はプーチンの操り人形ではないぞ」というメッセージを明確に打ち出してみせました。
そして、最重要である三番目の成果が、中国に対して「北朝鮮問題に手を貸せ」というメッセージを、もっとも強烈な形で送ったことです。習近平国家主席の訪米に合わせてシリア空爆が行われたことが、その狙いを物語っています。
習はフロリダ州パーム・ビーチにあるトランプの別荘マール・ア・ラーゴで、夫人同伴で夕食を共にしました。
そして、デザートを頬張っているところでトランプはおもむろに、「たった今、シリアに五十九発のミサイルを撃った」と伝えたことを、米経済専門チャンネルのインタビューで明かしています。
習はしばらく沈黙し、通訳を通じて「もう一度、説明してほしい」と聞き返したそうですから、その衝撃の大きさがうかがえます。その上で、「北朝鮮の状況について、手を貸してくれませんか」とトランプは習に求めたわけです。
この行間に「さもなければ、シリア同様、北朝鮮も我々の手でどうにかしますよ」という、中国がもっとも避けたいシナリオが込められていたのは明らかでしょう。 』
『 中国を地図で見れば、もっとも敵国に付け込まれやすい急所は、中朝国境です。ここに、アメリカの手が及ぶ事態は、何としても避けたいのが中国の本音です。
もう一点指摘すれば、中朝国境付近を黄海に向かって流れる鴨緑江と日本海に向かって流れる豆満江。この二つの川で隔てられた隣国の政情が不安定になることは、中国にネガティブな影響をもたらします。
ひとたび動乱が起きれば、二千五百万人の北朝鮮人民が、中国に大量の難民となって押し寄せる可能性があるのです。歴史を紐解けば、中国は昔から、外敵から緩衝地帯を確保することを基本戦略にしてきました。
そして、今のところその戦略は功を奏しています。わかりやすい例が、インドとの国境です。
中国とインド。互いに莫大な人口を抱え、政治的にも文化的にも相容れない二つの大国は、長い国境を接しているにもかかわらず、これまでに戦ったのは一九六二年に一回、それも一ヵ月間だけです。
これは二国間に世界一高い山岳地帯、ヒマラヤ山脈が横たわっていることが大きな理由だと考えられます。
加えて、西や北に目をやれば、チベットやウイグル、内モンゴルといった辺境の地が国境を形成して、その砂漠や山岳地帯が自然の要塞の役割を果たしています。
これらの自治区では独立を求める運動が相次いでいますが、戦略的な重要性から、中国政府がこれを認めることはありえません。
さらに中国とロシアの国境を眺めてみた場合、ロシアが進軍するのに最適な場所は極東のウラジオストクです。しかし、理由は後述しますが、ロシアの目は常に東欧に向けられており、極東からの進軍はありえません。
このように見ていくと、中国が内陸から侵攻される危険性は低いことがよく分かるでしょう。つまり、中国にとって朝鮮半島だけが例外です。 』
『 ここにアメリカと軍事同盟を組む韓国が主導する統一国家ができることは、中国にとって悪夢です。朝鮮半島を除けば、アメリカと中国が唯一衝突する可能性があるのが、海上です。
中国ももちろんそのことを重視しており、もっぱら海の軍備を増強させてきました。これが中国のもう一つの基本戦略です。地政学的に見て、新しく地図を塗り替える動きと言えるのが、中国の「島」建設です。
岩礁を埋め立てて既成事実を作り上げる——この作業を、中国は南シナ海で、驚くべきスピードで進めています。中国は地理を自分たちに有利に「作って」いるのです。
将来的には中国はこの既成事実をどんどん拡大し、力ずくで押し通すようになるでしょう。今後は、中国が一方的に領有権を主張している南沙諸島の周辺の、フィリピン、ベトナム、マレーシアといった国々との関係をどうやって築いていくのかが焦点となります。
現に、中国はフィリピンとの関係を修復させつつあります。このように見てくると、世界一、二の大国、つまりアメリカと中国と比べて場合、地政学的に「難攻不落の国」であるアメリカの方が、随分と恵まれています。
トランプは習に、四月の首脳会談で、「北朝鮮が食糧を手に入れられず、石炭を売ることができなければよい」と伝えたようです。事実、首脳会談後の中国は、北朝鮮の外貨獲得の主力品である石炭の輸入禁止や、中国人観光客の北朝鮮渡航規制などを実施してます。
一方でトランプは、原子力空母カール・ビンソンを北朝鮮近海に向かわせており、北朝鮮問題を中国が片づけないなら、自分たちでどうにかするぞ、という圧力をかけ続けています。
軍事力についても、中国のそれは米軍の足下にも及びません。十年、二十年後ならまだしも、今の中国に本気でアメリカと渡り合うほどの準備はありません。
となると、トランプに北朝鮮問題でいくら圧力をかけられても、中国は受けざるを得ない。つまり現時点では、軍事においても、貿易など他のあらゆる面においても、トランプ(切り札)を持っているのはトランプです。
この二十年間で、中国が今ほどナーバスになっているのを私は見たことがありません。このように改めて整理してみると、アメリカにとっては大した経済的負担もなく実行されたシリアへの一度の空爆で、トランプ政権は極めて大きな果実を手にしたことが分かります。
私はトランプ支持者ではありません。つい先日も、ホワイトハウス報道官が「ヒトラーはアサドとは違い化学兵器を使わなかった」と、とんでもない発言をした物議を醸しました。
ところが、歴史観や常識を欠いても、必ずしも政権として愚かであるとは限らない。トランプが嫌いでも、この点に気づくことが情勢分析には重要です。 』
『 アメリカ、中国に次ぐもう一つの大国、ロシアについても考えてみましょう。モスクワの繁栄を守るため、ロシアは歴史的に常に二つのことを企図してきました。
一つはヨーロッパ平原から攻められた際の緩衝地帯を、東欧に維持すること。だからこそ、ウクライナに反ロシア政権が誕生することは何としても阻止せねばならなかったのです。
たとえ世界中から「侵略行為」と非難されてもです。もう一つは、不凍港を求めて南下すること。だから、黒海艦隊の重要拠点であるクリミア半島の軍港セヴァストポリは、死守すべき生命線なのです。
最後に、日本は一体どうすべきなのかを検討してみましょう。今、世界の発火点とでも言うべき場所は、二ヵ所あります。一つが先ほど説明したロシアと東欧、もう一つが北朝鮮——まさに日本の「ご近所」です。
朝鮮半島と日本の対馬(長崎県)とは、わずか四十九キロしか離れていません。半島情勢がこれだけ緊迫する中、日本は今こそ、地政学に学ぶ必要があるでしょう。
周辺の動きを常に注意深く観察している日本はすでに、中国に呼応するように軍事費を年々上昇せせています。防衛予算は五兆円を超え、過去最高となっています。
昨年度は第二次世界大戦以降で最多となる航空自衛隊による緊急発進が行われています。その数、実に千百六十八回。中でも、中国機に対する発進は最も多く、八百五十一回だそうです。
さらに日本政府は、事実上の空母と呼ぶべき「ヘリ搭載護衛艦」も配備しています。日本はアジアにおける軍事国家としてのプレゼンスを今後ますます高めていく、というのが地政学的観点から見た自然な流れです。
いずれにせよ、国土の周囲をすべて海にかこまれた、資源に乏しい海洋国家である日本がとるべき地政学的戦略は限られています。それは一言でいえば、「シーレーン(海上交通路)を確保し続けること」に尽きます。
今後どれだけ技術が発達しても、経済が発展しても、地形が変わらぬ以上、不変です。先述したように、中国が海で「地理を作る」行為を止めようとしない現状では、選択の余地はなく、アメリカをパートナーとするしかありません。
そこに米韓同盟を組んでいる韓国も加えて考えてよいでしょう。日本と韓国は、地政学的に見ればもっと自然に良い関係を結び、軍事的にも協力関係を築ける間柄です。
韓国の向こうに、北朝鮮、そして中国が控えているのですから、日本が韓国を味方につけておく地政学的メリットは極めて大きい。ただ、戦後七十年という期間が曲者です。増悪を持続させるには長すぎますが、すべての記憶を洗い流すには短すぎる。
韓国の首都・ソウルは、朝鮮半島の南北に分断する三十八度線からわずか八十キロしか離れていません。全人口の約半数、二千万人が住む産業と金融の中心地は、北朝鮮の射程圏内に位置してます。
金正恩というトランプ以上に予測不可能な指導者がいるために、憶測ばかりが飛び交う状況が生まれています。政治がギャンブルと見分けがつかない現状こそ危険なのです。
三万人の在韓米軍が駐留しているとはいえ、強がる弱虫のごとく常軌を逸した言動を続けている金正恩は現実的脅威です。もし何かのきっかけでひとたび戦端が開かれれば、中国は国境を越えて北朝鮮を守り、緩衝地帯を死守しようと決断するかもしれません。
したがって、日韓両国の間に感情的な行き違いがあるにしても、中国と北朝鮮に関する共通の利害がそれを上回ることは、双方認めざるをえないでしょう。
やはり日本には、韓国、アメリカとの三ヵ国の連携をより密接にする以外の選択肢は見つかりそうにありません。 』
『 現在、私たちは「不確実性の時代」に生きています。
それはつまり、第二次世界大戦後の世界秩序を規定してきたブレトンウッズ体制(第二次世界大戦後の国際経済体制)——すなわち国連、EU(欧州連合)、NATO、WTO(世界貿易機関)、世界銀行などに象徴される組織や枠組み——が機能しなくなり始めたことを意味しています。
二〇〇八年の金融危機に始まり、移民問題、南欧の高失業率、世界的な所得格差といった問題を、これまでの体制は解決できなかった。
フィリピンにドゥテルテ、アメリカにトランプのような指導者が浮上し、フランスでもルペンが大統領になるかどうかが取りざたされる背景には、すべて「現体制の、機能不全」が存在します。
不確実性に直面した時、人は内向きになりやすく、自己愛に傾倒しがちです。ナショナリズムの台頭はこれからも続くでしょう。現在、世界に存在する国境の「壁」のうち、七五%が二〇〇〇年以降に建設されているそうです。
私は先週イスラエル・パレスチナの取材から帰ってきたばかりですが、ヨルダン川西岸地区の分離の壁もこの目で見てきました。今まさに「壁」が私の最大の関心事なのです。
本来、世界中が瞬時にインターネットでつながるグローバル時代では、国境は開かれ、壁ではなく橋がどんどん建設されてしかるべきです。
それなのに、現実の世界では逆のことが起こっている。バングラデシュを包囲するインドのフェンス、ブルガリアとトルコの国境の壁……そして次はアメリカとメキシコの間に壁が築かれるかもしれません。
不確実性が高まっているからこそ、地理は究極のファンダメンタルズ(基礎的条件)として、ますます重要になります。ヒマラヤ山脈はいつもそこにあり続けます。地政学は、今まで以上に重要なツールなのです。(第137回)