チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「日本はトランプ大統領に命運を託せるのか?」

2018-04-27 15:25:14 | 独学

 163. 日本はトランプ大統領に命運を託せるのか?   (佐藤優著 文芸春秋2018年5月号)

 本文は、「ベストセラーで読む日本の近現代史」の第五十六回の中で、「炎と怒り」マイケル・ウォルフ著を紹介分析しています。佐藤優は、元外務省主任分析官で、現在は、作家です。


 『 この連載では、過去のベストセラーをヒントに日本の近現代史を読み解いてきた。

 本書は最近刊行されたばかりの邦訳書だが、日本の近現代史の一部である「現在進行形の歴史」を見極める上で極めて重要だという意味で、敢えて取り上げたいと思う。

 原題は、Fire and Fury  :  Inside the Trump White House で、邦訳には「トランプ政権の内幕」という副題が付いている。原書は、今年一月五日に刊行された。

 当初の出版予定日は一月九日だったが、米国のドナルド・トランプ大統領が「出版を差し止める」と言い出したために発売日を早めた。

 トランプ氏の発言が宣伝となり、初刷りは十五万部だったが百万部を追加増刷した。二月に日本語訳が上梓されたが、帯には「全米170万部突破」と記されている。

 トランプ大統領の特徴は、訳がわからないことだ。北朝鮮に対しては武力行使を含むあらゆる可能性を排除しないと述べていながら、急遽、米朝首脳会談に合意した。

 また、TPP(環大平洋経済連携協定)に関しても、離脱を宣言したが、最近になって参加可能性を表明した。自由貿易に舵を切ったのかと思うと、鉄鋼に関する関税導入のような保護主義を主張する。

 また、人事異動についても、きわめて恣意的だ。三月二二日夕、自身のツイッターで、トランプ政権の外交・安全保障を取り仕切るマクマスター大統領補佐官を四月九日付けで解任し、後任にジョン・ボルトン元国連大使をあてることを明らかにした。

 新たに就任するボルトン氏は、ブッシュ政権時に国務次官や国連大使を歴任、新保守主義(ネオコン)の中心人物だった。北朝鮮にたいしても武力行使を辞さない強硬派として知られている。

 トランプ氏は3月13日に外交トップのティラーソン国務長官を解任し、自身に近いポンペオ中央情報局(CIA)長官を起用すると発表したばかり。米朝首脳会談に合意しつつも北朝鮮との戦争も辞さないという人物に国家安全保障を担当させる。

 トランプ氏はどのような外交戦略を考えているのだろうか。本書を読むと、トランプ氏は何も考えていないし、そもそも外交安全保障政策を理解する能力に欠如しているという現実が浮き彫りになる。 』


 『 最大の問題点は、トランプ氏もその側近も大統領選挙に出馬した目的が、当選ではなく、売名にあったことだ。 《 トランプは勝つはずではなかった。というより、敗北こそが勝利だった。

 負けても、トランプは世界一有名な男になるだろう―――”いんちきヒラリー”に迫害された殉教者として。

 娘のイヴァンカと娘婿のジャレッドは、富豪の無名の子どもという立場から、世界で活躍するセレブリティ、トランプ・ブランドの顔へと華麗なる変身を遂げるだろう。

 スティーブ・バノンは、ティーパーティー運動の事実上のリーダーになるだろう。 敗北は彼ら全員の利益になるはずだった。 だが、その晩八時過ぎ、予想もしていなかった結果が確定的になった。

 本当にトランプは勝つかもしれない。トランプ・ジュニアが友人に語ったところでは、DJT(ジュニアは父親をそう呼んでいた)は幽霊を見たような顔をしていたという。

 トランプから敗北を固く約束されていたメラニアは涙していた―――もちろん、うれし涙などではなかった 》

 若い頃、ヌードモデルをしていた事実を大衆紙に暴露されて当惑したメラニア夫人を、トランプ氏は、絶対に当選することはないので安心しろとなだめたという。

 メラニア夫人は、トランプ氏の当選でスキャンダル報道にまみれることを恐れたのだった。しかし、その恐れは杞憂で済んだ。メラニア夫人よりもはるかにスケールの大きいスキャンダルをトランプ氏自身が次々と引き起こしたからだ。

 当然、側近たちもトランプ氏を馬鹿にしている。本書によれば、スティーブ・ムニューシン財務長官とラインス・プリーバは「間抜け」と言い、ゲイリー・コーンは「はっきりいって馬鹿」、H・R・マクスターは「うすのろ」と言った。

 それにもかかわらず、トランプ氏のさまざまな愚行を側近は諫めない。

 この点については、前大統領首席戦略官兼上級顧問のスティーヴ・バノン氏(一七年八月に辞任した後も良好な関係を維持していたが「炎と怒り」のインタビューに応じたことがトランプ氏の逆鱗に触れ、絶交状態になった)の分析が本質を突いている。

 《 ただひたすら「呆れてものがいえない」と繰り返すメディアは、どうして、事実は違うということを明らかにするだけではトランプを葬り去れないのかを理解できずにいた。バノンの見解はこうだった。

 (一) トランプはけっして変わらない、(二) トランプを無理に変えようとすれば、彼のスタイルが制約されることになる、(三) いずれにしてもトランプの支持者は気にしない、

 (四) いずれにしても、メディアがトランプに好意をよせることはない、(五) メディアに迎合するより、メディアと敵対したほうがいい、

 (六) 情報の正確性や信憑性の擁護者であるというメディアの主張自体がいんちきである、 (七) トランプ革命とは、型にはまった思い込みや専門的意見への反撃である。

 それなら、トランプの態度を矯正したり抑えつけたりするよりも、そのまま受け入れたほうがよい。

 問題は、言うことはころころ変わるのに(「そういう頭の構造の人なんですよ」と内輪の人間は弁明している)、トランプ本人はメディアから受け入れられることを切望していたという点だ。

 しかし、トランプが事実を正しく述べることはけっしてないだろうし、そのくせ自分の間違いをけっして認めないので、メディアから認められるはずはなかった。

 次善の策として、トランプはメディアからの非難に対して強硬に反論するしかなかった 》

 一言で言えば、トランプ氏は幼児的な全能感を克服できていない人物だ。だから、正面から諫めても逆効果で、阿(おもね)りながら歪曲された情報を入れることによって操作した方がいいと側近たちは考えているのだ。 』


 『 あちこちで話題になっている評判の書であるが、トランプ政権と米国のインテリジェンス・コミュニティーの関係に関する考察が秀逸だ。

 《 当時、よくクシュナーのもとを訪れるようになっていた賢者の一人がヘンリー・キッシンジャーだった。かって、リチャード・ニクソンに対して官僚と情報機関が反乱をおこしたとき、キッシンジャーはその一部始終を最前列で見ていた。

 彼はクシュナーに、新政権が直面する恐れのある、さまざまな災いを講釈してみせた。”闇の国家”(ディープ・ステイト)とは、情報網による政府の陰謀を指す左翼と右翼の概念で、いまではトランプ陣営の専門用語になった。

 トランプは”闇の国家”という凶暴なクマをつついてしまったというわけだ。”闇の国家”のメンバーには、次のような名前が挙げられていた。

 CIA長官ジョン・ブレナン、国家情報長官ジェームズ・クラッパー、退任間近の国家安全担当保障問題担当大統領補佐官スーザン・ライス、さらにライスの側近にしてオバマのお気に入りだったペン・ローズ。

 そして、次のようなシナリオが描かれた―――。

 情報界の手先は、トランプの無分別な行動やいかがわしい取引に関する由々しき証拠に通じており、トランプの名前を傷つけ、辱(はずかし)め、破滅させるために戦略的に情報をリークし、トランプのホワイトハウスを機能不全に陥れせるつもりだ。

 トランプは選挙期間中を通じてずっと、当選後はいっそう強硬に、アメリカの情報機関は役立たずの嘘つきだと批判していたからだ。

 つまり、CIA、FBI、NSC(国家安全保障会議)をはじめとする一七の情報機関をまとめて敵に回していたのである(もっとも、トランプは「何も考えずに言っていた」と側近の一人には言っている)。

 保守本流の見解とは相反するトランプの数多くの発言のなかでも、これはとりわけ大きな問題をはらんでいた。アメリカの情報機関に対する批判は、トランプ自身とロシアの関係にまつわるいわれのない情報を流したことまで、多岐にわたっていた。 》

 共和党、民主党にかかわらず、米国大統領は、CIA(米中央情報局)やNSA(国家安全保障局)などインテリジェンス・コミュニティーとの関係には細心の配慮を払ってきた。

 インテリジェンス情報が、国益にとって不可欠であるとともに敵に回したら大統領を失脚させる情報戦を展開する力をインテリジェンス・コミュニティーは持っているという認識があるからだ。

 これに対してトランプ大統領は、情報機関をいわば「使用人」と見ている。こういうメンタリティーは、ロシアのエリツィン元大統領や田中真紀子元外相に通じるものだ。

 トランプ政権下の米国は、ポピュリズムとインテリジェンス機関の暗闘が繰り広げられている場でもあるのだ。 』 (第162回)


ブックハンター「ウナギのふしぎ」

2018-04-08 14:41:44 | 独学

  162. ウナギのふしぎ   (リチャード・シュヴァイド著 梶山あゆみ訳 2005年6月)

 CONSIDER  THE  EEL  by Richard  Schweid  Ⓒ2002

 本書は、ヨーロッパウナギ(大西洋ウナギ)についての話です。ウナギは、ヨーロッパ(大西洋)ウナギと日本(太平洋)ウナギに大きくわかれます。

 アメリカ、ヨーロッパのウナギは、大西洋のサルガッソー海域(バミューダ諸島の西)で生れる、とされている。一方、日本(太平洋)ウナギは、マリアナ諸島西方海域の水深150~180メートルで、産卵していると推定されている。

  今回が紹介します一つ目の目的は、アメリカ、ヨーロッパのウナギについて歴史、文化についてです。二つ目は、欧米のウナギ文化と日本のウナギ文化を翻訳において、どのように対応するか。

 さらに、翻訳において、未解明なウナギの生態について世界中で、研究しているため、翻訳している間にも、時間経過のために、新しい知見で情報がぬりかえられていることです。

  ウナギは、深海と海、河口、川、沼などを経験して、一生を終え、人工的には、完全養殖が為されてない、大切な、不思議な魚類です。地球の海の深さの平均値は、約三千メートルであることは、あまり知られてないかもしれません。

 ここでは、”目次”、”はじめに”、”訳者あとがきの”の三つを紹介致します。


 『 目次  はじめに   第1章 ウナギは謎だらけの生き物  第2章 減りゆくウナギと空飛ぶウナギ  第3章 ヨーロッパの鰻食文化とウナギ研究の歴史  

 第4章 イギリスの鰻食文化とウナギ研究の歴史  第5章 アメリカの鰻食文化とウナギをとりまく自然  第6章 ウナギ漁と養殖の歴史  謝辞 訳者あとがき 』


 では、”はじめに”を読んでいきます。

 『 一九九八年六月のある朝、私ははじめて聞いた。ウナギというものが、じつに不思議な一生を送っていることを。ヨーロッパとアメリカの川や湖に住むウナギは、すべてサルガッソー海で生れる。

 サルガッソー海は、約五二〇万平方キロメートルにもわたる広大な海域で、大西洋のまんなかあたりに広がっている。海面は見渡すかぎりの海藻に覆われ、人はほとんど寄りつかないところだ。

 ウナギの幼生はここで生れ、海流に運ばれて、未来の住みかとなるアメリカやカナダの川へ、あるいはヨーロッパの川へと流れつく。幼生はとても小さく、柳の葉のような形をしている。

 川にたどり着くまで北米ならおよそ一年、ヨーロッパなら場所によっては三年がかりの旅だ。川に入ると自分から進んで餌を探すようになり、しだいに私たちの知っているウナギへと姿形を変えていく。

 ウナギは川や湖の水底で暮らし、なかには二〇年も住みつくものがいる。やがて時が来ると、川を下って海にでる。そして、生まれた場所に帰るため、数千キロもの旅に備えてふたたび変身する。

 消化管は萎縮する。深い海を泳いでゆくあいだはもう何も食べず、それまでに蓄えたエネルギーだけを使っていくからだ。目は大きくなり、海の薄暗く青いひかりのなかでもよく見えるようになる。

 くすんだ緑色を帯びた腹は、銀白色に変わる。長い道中、敵をかわしながらひたすら前へと進み、ついにサルガッソー海に戻ると、子供をつくって一生を終える。

 こういったことをすべて、スペインのとある小さな町で知った。教えてくれたウナギ漁師は話をしながら、獲ったばかりの一匹をさばき、オリーブオイルで焼いてから皿に乗せて出してくれた。

 焼きたてのパンと一緒に食べてみる。うまい。たちまちウナギのとりこになった。もちろん、これは始まりにすぎない。知れば知るほど、ウナギが素晴らしい特徴を備えているのがわかってきた――生き物としても食材としても。

 そのふたつの面で、ウナギは何千年ものあいだ人々の心を捕えてきたのである。ウナギはこってりとした脂っこい魚で、脂質とタンパク質を豊富に含み、古代ギリシャ人の食卓を飾った。

 一七世紀には、アメリカ北東部に渡った入植者たちの腹を満たして最初の一年を乗り切らせた。人類にとって重要な栄養源のひとつであり、今も世界中でさかんに食べられ、いろいろな料理のしかたがある。

 アメリカでは人気がなくなったものの、世界全体では年間数億ドルもの金額がウナギに消えている。ウナギといっても、南米のアマゾン川などにいる悪名高いデンキウナギのことではない。

 海に暮らす凶暴なウツボも関係ない。どちらも、北米やヨーロッパの淡水に住むウナギとは種類が違う。ウナギの一生は多くの謎に包まれているのに、一見すると平凡そのものだ。

 水の底で泥にもぐっているウナギほど、おもしろみに欠けるものがあるだろうか。なんともつまらない生活を送っているとしか思えないのだ。

 食べて、泳いで、休むだけ。ところが、そのささやかな水底の泥に落ちつくために、数千キロの彼方からはるばる大西洋を越えてきて、いつかまた来た道を戻って死んでいく。

 ウナギは飼育された状態ではけっして子供をつくらない。自然のなかに生きているものも、アメリカやヨーロッパのウナギであればサルガッソー海でしか卵を産まない。』


 『 あれこれ情報を集めるうち、何度か本物のウナギをじっくり眺める機会があった。見るたびに、その動きの美しさ、しなやかさにため息をついた。滑るように泳ぐ姿は、いつまで眺めていても飽きることがない。

 だんだんとウィリアム・ルーツの気持ちがわかるようになった。イギリスの医者であり博物学者でもあったルーツは一八三二年にこう書いている。

 「若いウナギを観察していると、波打つように身をくねらせて泳ぐ姿がじつに美しい。素晴らしいのは動きだけではない。彼らの生涯はすべてに大いなる価値があり、ねばり強く観察するだけの値打ちがある。」

 調べてみると、ウナギ業界には世界にいくつかの中心地があって、それぞれが密接にかかわりあいながら動いている。まさにグローバルな消費経済の縮図だ。

 ただし、ニューヨーク、パリ、東京といった大都市は出てこない。世界のウナギ市場をつないでいるのは小さな村や町である。アメリカならノースカロライナ州のアラパホー、スペインではアギナガ、北アイルランドではトゥームブリッジ。

 こうした土地では、ウナギは人目につかない生き物でもなければただの手軽な食べ物でもない。地域の経済を支え、住民の生活とじかに結びついている。

 野生動物の肉はとうの昔に量が減って、大勢の人間を養えるレベルをはるかに下回ってしまった。だが、魚は広大な海におびただしい数が暮らしているので、尽きる心配はないかに思えていた。

 その数が著しく減ってきたのは、二十世紀の後半からにすぎない。いろいろな国旗を掲げた「海に浮かぶ掃除機」が手当たりしだいに吸いあげて売りはじめると、魚は短期間で激減、場合によっては姿を消してしまった。

 水産資源は減るいっぽうである。この分では、いずれ食卓にのぼる魚がすべて養殖ものになるだろう。

 養殖の魚は、たとえ遺伝子が天然ものとまったく同じでも、あるいは遺伝子が組み換えられていようとも、自然の中で餌を獲って生きていた魚とはどうしたって同じ味とはいかない。

 それでも、養殖の魚が売り買いされる量はどの地域でも増えている。こうした流れが急速に進めば、世界で消費される魚の大部分が養殖ものという時代がほんの数十年でやってくる。

 天然の魚はめったにお目にかかれない高価な食材になって、「放し飼い」や「有機」と同じように高級志向の消費者向けになるかもしれない。もうすぐ先進国では、漁だけで暮らしていくのが難しくなるだろう。すでに小規模農家の生活が立ちゆかなくなっているのと同じだ。

 今でも魚を捕って生計を立てている人たちの多くは、こんな状態になったのは政府が悪いという。口出しばかりして、自分たちの知恵や技術を信じてくれないからだと。

 たしかに、漁期を厳しく制限する,捕る量に上限を設ける、免許制にするといった仕組みのせいで、漁師の仕事は台無しにされてきた。

 もっとも、利益のために乱獲をしたり環境を破壊したりすることのほうが、政府の資源保護対策よりはるかに大きな影響を与えていそうではある。

 いずれにしても、人間が漁で日々の糧を得られないような世界は、なんとも味気ないではないか。ウナギの稚魚をつかまえて、売り物になる大きさにまで育てることはできる。

 だが、ウナギは飼育された状態では卵を産まないので、次の世代を増やすことはできない。ウナギに子孫をつくらせるのは、今でも自然の仕事である。

 サケからとうもろこしまで、私たちが好んで食べているたいていのものは、その染色体が数えられ、徹底的に調べられ、遺伝子がいじられている時代である。それなのに、ウナギの生態や習性にかんしてはいまだにわからないことが多い。

 よい題材にめぐりあったときはいつもそうだが、ウナギについても、調べれば調べるほど新たな発見があった。しまいには、すべてを語りつくすなどどれだけ時間があってもできそうにない気がしてきた。

 人生とはそんなものである。いろいろなことが手のひらからこぼれ落ちていく。本書で伝えきれなかったことのために、魚類学者のジョージ・ブラウン・グッドの言葉を引いてお詫びに代えたい。

 グッドは、一八八四年にアメリカ東海岸の漁業を解説した全八巻の著書を出版した。まさに不朽の名作であり、同じような本は今に至るまで書かれてない。序文でグッドはこんなことをいっている。

 グッドですらこう感じたのなら、私がどれだけ切実にそう思うことか――「漁業がきわめて重要な産業であり、しかも絶え間なく変化している。

 数日や数週間どこかの土地を訪ねた程度では、どれほど優秀な専門家であろうとけっして満足のゆくように描きつくすことはできない。

 したがって、われわれは本書の目的にかなういちばん重要な事柄のみを選ぶしかなかった。取りあげなかったものの興味深い話題がたたあったことを、理解していただければ幸いである」 心をこめて、右に同じ。 』


 以上がはじめに”です。最後に”訳者あとがき”を読んでいきます。


 『 「ウナギのふしぎ」というタイトルに、首を傾げた読者がいるか知れない。何の不思議があるのだろう。ウナギはぬるぬるしていて蒲焼になるおいしい魚である。子供でも知っている、と。

 だが、私たちが知っているのは、ウナギの姿形と蒲焼の味だけではないだろうか。私たちのほとんどは、ウナギがどんな一生を送っているのかも、世界各地で広くウナギが食べられてきたことも、知らないのではないか。

 蒲焼が大好きな日本人も、ウナギなんてまっぴらごめんのアメリカ人も、じつはウナギをよく知らないことにかけては五十歩百歩といっていい。

 しかも、よく知るはずの研究者でさえ、いまだにそのすべてを解明しきれてないという。まさに、「これほど長いあいだ研究され、これほどたくさん食べられてきたのに、ここまで謎が多い生き物はほかに例を見ない」のである。

 そんなウナギの知られざる生態と、欧米を中心としたウナギ文化をわかりやすく紹介したのが、本書である。そもそも、ウナギを食べない国であるアメリカの作家がこの本を書いたというのがおもしろい。

 著者のリチャード・シュヴァイドはジャーナリストで、前作ではゴキブリの驚異の生態をとりあげた。

 ウナギ好きの日本人としては、ゴキブリとウナギが同列かと思うとあまり嬉しくないが、アメリカ人にすればどちらも嫌われものに変わりはない。

 その嫌われものが、本当はすごいやつであることを読者に伝えたいというのが、前作と本書に共通する著者のテーマのようだ。実際、ウナギのすごさには舌を巻く。

 ウナギは川で生れて川で育つと思っていた読者は多いだろう。それが数千キロの海の彼方で生まれ、何か月も何年もかけて泳いできて、いつかまた生まれた故郷に帰るというのだから、そのスケールの大きさに圧倒される。

 そのうえ、目玉が大きくなるとか、きりもみ回転するとか、水から出ても平気とか、次から次へと不思議をつきつけられる。

 本書の終わりで「ウナギは別の星からきたエイリアンに思えてくる」という研究者の言葉を読んだとき、大きく肯いたのは私だけではないはずだ。

 本書のもうひとつの魅力が世界の鰻食文化である。現代だけでなく、古代のヨーロッパや中世・近世のイギリス、植民地時代のアメリカなど、過去の鰻食文化についての記述や引用も豊富で、どれも非常に興味深い。

 登場するウナギ料理も多彩だ。どうにも味の想像ができないものもあれば、おおいに食欲を刺激されるものもある。かってアメリカの食卓を飾ったという <ウナギの一夜干しの炭火焼きバター乗せ> などは、なかなかおいしそうではないか。

 とはいえ、ウナギはやっぱり蒲焼がいちばん、と信じて疑わない方も多いだろう。そう、世界のウナギもおもしろいが、ウナギといえばなんといっても日本だ。

 ということで、欧米の事例が中心の本書ではとりあげられなかった日本の情報や、最近の研究成果について、以下で少々補ってみたい。 』


 『 まずはおなじみの蒲焼の話から。蒲焼が現在のようなスタイルになったのは一八世紀の後半からである。もちろん、日本人はそれよりはるか昔からウナギを食べてきた。

 縄文時代の遺跡からウナギの骨が出土しているし、八世紀の「万葉集」にはウナギを詠んだ大伴家持の歌が二首載っている。ただし、「かばやき」という言葉と調理法が文献に登場するのは室町時代になってからである。

 ウナギを開かずに筒切りにして、縦に一本串を刺して焼き、酢味噌などをつけて食べていた。串に刺した姿が蒲(がま)の穂に似ていることが、「蒲焼」の語源だという説もある。

 江戸中期に濃口醤油がつくられるようになって、醤油ベースのタレをつける現在の調理法が生まれ、一般に広まった。蒲焼を土用の丑の日に食べる習慣は、一八世紀の平賀源内から始まったとの説が有力だ。

 鰻屋に頼まれた源内が「本日土用の丑の日」と看板を書いたところ、有名な先生の揮毫(きごう)なのだから丑の日にウナギを食べると体にいいのだろうと、大評判をよんだという。

 なんだそれだけの理由か、と馬鹿にしてはいけない。ウナギには、不足すると疲れやすくなるビタミンB1が豊富なので、夏バテ防止として食べるのは理にかなっている。

 ただ、夏がウナギの旬かといえばさにあらず。養殖ものはさておき天然物は、秋から冬にかけて産卵のために川を下るウナギがいちばん脂が乗っておいしいらしい。

 いずれにせよ、ウナギが日本の食文化に欠かせない魚なのは間違いない。だが、本書でも指摘されてるように、ウナギは世界中で数を減らしている。

 日本でも天然ウナギの漁獲量は大幅に落ち込んで、二〇〇三年にはわずか六〇〇トンになった。日本で年に十数万トンも食べられているウナギのほとんどは養殖ものである。

 その養殖ウナギも、シラスウナギの減少に伴って国内の生産量は減り、蒲焼を輸入に頼る割合が高まってきた。このままでは食卓から国産ウナギは消えるのではないか、ニホンウナギは絶滅するのではないかと、危惧する声もあがっている。

 こうした危機の高まりを受けて、一九九八年にはアジアのウナギ研究者が集まって連絡会を立ち上げ、さまざまな議論や提言をおこなっている。

 また、環境の保全、稚魚の放流など、ウナギ保護のための取組みが国レベルや地方レベルで進められている。

 本書でもみたとおり、世界のウナギビジネスは連動しているのだから、日本でウナギが増えれば、めぐりめぐって世界のウナギ資源にも好ましい影響を及ぼすだろう。いろいろな施策が功を奏するのを願うばかりだ。

 天然うなぎを増やすのと並んで研究の焦点となっているのが、卵からの完全養殖を実現することである。本書にもあるように、ウナギは養殖の状態では卵を産まないため、天然のシラスウナギを捕ってきてそれを大きく育てるしかない。

 シラスウナギの捕獲量に左右されずに、養殖ウナギを安定して供給するには、人工授精させた卵から成魚を育てられればいいが、そこまでは至っていないのが現状である。いや、現状だった。

 じつは、本書刊行後の二〇〇三年七月、三重県の水産総合センター養殖研究所が、人工孵化させたレプトケファルスを世界ではじめてシラスウナギに変態させるのに成功したと発表した。

 しかも、変態したシラスウナギのうちで最も大きなものは、発表当時で二〇センチあまりに成長していた。

 同研究所で人工孵化の研究を担当した田中秀樹さんにうかがったところ、この二〇センチのウナギは残念ながら三ヵ月後に水槽から飛びだして死んでしまったとのこと。

 だが、その後も次々と人工孵化ウナギは育っていて、二〇〇五年の五月現在、一番大きなものはなんと五五センチに達し、四〇センチ以上に育ったウナギも八尾いるそうだ。文句なく立派な成魚である。

 研究所ではこれらのウナギを親候補として育て、人工孵化二代目の誕生を目指しているという。実用化にはまだまだ時間がかかるだろうが、これで卵からの完全養殖が夢ではなくなった。

 なお、最近の研究からは、本書の説明とは異なる知見も得られているので、二点だけ捕捉したい。

 ひとつは、「天然のレプトケファルスが餌を食べて消化しているのか、それとも皮膚からじかに栄養を取りいれているのかはっきりしない」という記述についてだ。じつは近年、前者が正しいことが確認されている。

 人工孵化させたレプトセファルスが進んで餌を獲る行動が観察されているうえ、ウナギなどの養殖技術を開発している愛知県のいらご研究所のウェブサイトによれば、天然のレプトケファルスの消化管から動物プランクトンの一部が見つかっているのだ。

 もうひとつは、「雄は淡水の海水の混じりあう水域に固まっていることが多い」「一度も淡水に入っていかない雄もいる」「川のはるか上流に暮らすウナギはほぼすべてが雄」という一連の記述についてである。

 たしかに最近、ウナギには三つの種類があるのがわかってきた。海で生まれて川をさかのぼる「川ウナギ」、河口域に留まって川をのぼらない「河口ウナギ」、一生を海で過ごす「海ウナギ」である。

 著者の記述では、河口ウナギが圧倒的に雄であるかのように思えるが、一概にそうとはいえない。東京大学海洋研究所のウェブサイトのデータでは、河口ウナギは雄雌がほぼ同比率、海ウナギは雌のほうが多く、川ウナギは雄のほうが多い。

 はるか上流にいるのは雌ばかりという点についても、海外の研究ではそのような報告が見られるが、日本ではかならずしも当てはまらないようだ。

 東大海洋研空所は、ニホンウナギの産卵場をつきとめる研究で中心的な役割を果たしてきた。

 同研究所の塚本勝巳教授のグループは、産卵場とみられる海域を何度も調査した結果、「産卵場はマリアナ諸島西方海域の海山、時刻は新月の夜」という仮説をとなえている。

 海山とは文字どおり海のなかにそびえる山のことで、塚本教授たちが注目している海山は富士山級の高さをもつ。「新月」のほうは、本書にも出てきた「耳石」を調べてたどり着いた結論だ。

 産卵海域で多数のレプトケファルスを捕え、耳石に刻まれた日周輪を数えて逆算したところ、誕生日が新月の日にほぼ一致したのである。

 餌も食べずに数千キロの距離を泳いできた雄と雌が、海山で出会い、暗い新月の夜に卵を産む。なんとも想像力を掻き立てられる光景ではないか。この仮説を検証するため、今も調査が続けられている。

 さて、今年も暑い夏がやって来る。このところ日本のウナギ消費量は、二〇〇〇年の約一六万トンをピークに減少傾向にあり、二〇〇三年には約一二万トンとなった。

 二〇〇五年も新年早々、シラスウナギの不漁で国産ウナギは高値が危ぶまれるとの記事が新聞載った。それでも、世界一ウナギを愛する日本人はたくさんの蒲焼を食べるだろう。そこで読者にお願い。

 鰻屋に行ったら、焼けるのを待ちながら「ウナギっていうのはねぇ」とお連れの方に蘊蓄を傾け、蒲焼が出てきたら、このウナギは二〇〇〇キロの彼方の海山のそばで新月の夜に生まれたのかと思いを馳せてほしい。

 スーパーで買った中国産の蒲焼なら、そのウナギはサルガッソー海で生まれてヨーロッパの川にたどり着き、そこから空路中国に運ばれ成長して、蒲焼となって日本に来たのだ。

 秋に食べる天然ウナギならきっと最後の長旅に出発するところを捕えられたものだろう。そうして、ウナギの壮大な旅を思い、不思議な一生を思い、万感をこめて……パクリ、とおいしく頬張っていただきたい。 』 (第161回)